49話 増えすぎた『G』
さて、地上ではタクが紅蓮を一方的に打ちのめしていた頃。洞穴の中は阿鼻叫喚の地獄絵図となって――はいなかった。
「「………………」」
「……ん、いい感じ」
「あ、あの、フィムさん」
「……? なに?」
「これ、タク様は怒りませんかね……?」
龍瑠が“これ”と指すものは、フィム達3人を包んでいる〔焔〕の球体だ。真っ白のそれがフィムを中心に半径2mほどの位置で固定されており、偶に外からゴブリンだったと思われる灰が入ってくる以外は全てシャットアウトしている代物である。
つまるところ、フィムが完全な移動要塞と化しているので龍瑠と緋煉は何も出来ず、かと言ってこれでタクにサボり認定されるのは不味いと不安を抱いているのだった。
「……心配ない」
「言い切りますね。理由を聞いても?」
「……時間を掛けた方が、ダメ」
「…なるほど。たしかにそうかもしれません」
やはりフィムさんには敵いませんか、と。龍瑠は憂いを帯びた小さな溜息を零す。新参者である龍瑠は、まだまだ常識に囚われていて――言っておくが悪いことではない。むしろ正常だ――タクの価値観や非常識ぶりを理解できていなかった。それを理解することが幸せかどうかは分からないが。
するとその時、純白の壁の向こうから複数の足音と鳴き声が聞こえてきた。恐らく数としては10前後で、群れの規模からすると微々たるものだ。それらはそのまま壁を切り開かんとそれぞれが手にしていた粗末な武器で攻撃してくる。熱を抑制している外壁を叩くものだから輻射熱が爆発的に広がりその場に居たゴブリン達の体液が蒸発、身体が爆散した。
その肉片は白壁に触れた途端に炭化していくので、フィム達一行は洞穴に入ってからというものゴブリンの姿を、もしくはその死体すらも目にしていない。強いて言うなら靴が少しだけ煤けてきただけだった。
「う゛ぅ~……臭すぎる……」
「緋煉…これくらいは我慢しなさい」
「無理……吐き気が収まら――おぇぇ……」
静かだと思っていたら、どうやら緋煉は臭いにやられてグロッキーだっただけらしい。顔を蒼白に染めて口元に手を当てている状態は、いつもの緋煉からは想像も出来ないほどに弱っていた。
「……魔法、何か無いの?」
「妾は何もありませんね」
「臭いはどうしようもないぞ。出来るならもう消してる」
「……じゃあ、我慢」
「うぅっ……」
フィムは存外に厳しかった。まぁ奴隷になる前は我慢と忍耐の日々であったフィムからしてみれば、臭いくらい我慢できなくて何に耐えられるのかという話なのだが。そもそもこれを終わらせればタクお手製の料理が出て来るのだ。それだけでもフィムのやる気はマックスだった。
これは本当にどうでもいいことだが、フィム達が通ってきた道は縦横ともに4m近くまで拡張されている。しかし超高熱に晒されたからなのか、ただの土だったものは変質して結晶化し、入って来る前よりもむしろ頑丈になってさえいた。
「……?」
「どうかしました?」
「……ん。分かれ道」
「緋煉、出番ですよ。臭い方はどちらですか?」
「この、鬼畜め…………うぇっ、ひ、左の方が……おぇ…」
この3人の中で、緋煉の鼻が一番鋭いというのは悲劇以外の何物でもなかった。次いでフィムの魔力感知、さらに龍瑠の嗅覚・聴覚と来るのだが……現状を見ればどう納まったかなど考えるまでもない。
「それにしても広い洞穴ですね。そろそろ奥に着いても良い頃だと思うのですが」
「……龍瑠、正解」
「へ?」
「ふぐっ!? こ、これはヤバい! 臭すぎて腐る! 鼻が!」
「……緋煉もこう言ってる」
フィムの相変わらずジト目にも似た眠たげな瞳は、ようやく終わりが見え、さらにはその後の料理を想像して爛々と輝いていた。その無駄な迫力に押されて龍瑠は生唾を飲み込む。ただでさえ〔焔〕の行使で大量の魔力を放っているというのに、それに加えてこの気迫なのだから仕方ないといえば仕方ない。
やがて一行は大きく開けた空間に出た。高さは平均すると8m程度で、横が10m、奥行きが30mほどもある地下空間だ。ゴブリンなりに頭を使ったのか、雑ではあるが木枠などで補強してある。本当に雑だが。
「……ん」
「うわぁ……これはちょっと……」
「………………(ピクピク)」
フィムが白壁を取り去った瞬間、3人の目と鼻に突き刺さったものは最悪だった。
ゴブリン、ゴブリン、ゴブリンである。緑色で、120~130㎝の奴らが推定200匹ほど蠢いていた。
いくら広いとはいえ、そこはたかが地下空間。200匹も居れば随分と窮屈になる。窮屈になるということはそれだけ密度が上がるということであり、体臭その他も凝縮されるということだ。そのため、憐れにも緋煉は立ったまま気絶した。
さすがにこれにはフィムも顔を顰める。1匹見つけたら30匹は居ると思え、がゴブリンを指す言葉としてはあまりにも有名だが、ここまで増えるのは少ないのだ。普通は天敵に喰われたり、冒険者が間引いて増え過ぎないように調整するのである。
「……マスターの言う通り、かも」
「? 何がです?」
「……レン・ムトー。殴られた方がいい」
「あぁ、赤の勇者の」
フィムから発せられた、事実上の死刑宣告。龍瑠もこの光景を見ては反対など出来なかった。元よりそのつもりがあったかは疑問ではあるが。
「……とりあえず」
「とりあえず?」
「……燃やし尽くす」
先ほどから悪臭と雑音を撒き散らすゴブリン達にイライラしていたフィムは、龍瑠ですら恐怖するほどの魔力を放出した。それは瞬時に何も無い現実を塗り替えて、白の〔焔〕を顕現させる。
一面が純白に染まり、その後に何者も残らない光景は、蒼龍である龍瑠を以てしても美しいと感嘆するほど。
「……むぅ」
「どうしました?」
「……向こうから、出て来る」
「えっ」
見てみればフィムの言葉通り、フィム達が入ってきた通路の逆側にも穴が開いていて、そこからわらわらとゴブリンが湧き出てくる。
「……龍瑠、任せた」
「いや、別に、フィムさんがやっても……」
「……活躍したら、マスターに伝える」
「全身全霊でやらせて頂きますっ!」
「……ん。期待してる」
なんだかフィムが偉そうにしているが、奴隷達の中ではそれが普通だ。
意外なことに、この世界の奴隷はそこまで悲惨な待遇を受けることはあまり無い。もちろん最悪な労働環境に当たる悲運の人も居れば、国の目が行き届かない裏の世界に売り飛ばされる人も居るが。それでも一般的な奴隷――つまり一般家庭や真っ当な商会などで買われた奴隷達のこと――は人並みの生活を得ることが出来る。
その中でも異性の個人に買われた奴隷は特殊だ。仕えるべき相手が限定されるので競争が激しくなり、中には主人の寵愛を得ようと奴隷同士で殺し合いに発展する事件まであった。そんなこともあり、奴隷というのは序列を大事にする気風がある。
それがこの3人では年功であり実力であっただけだ。
もう1つ付け加えるなら、龍瑠と緋煉はまかり間違ってもフィムを殺そうとはしない。多分、企んだ時点でタクに殺されるだろうから。
そんな奴隷の説明をしている間に龍瑠によるGの掃除は終わっていた。
「ふぅ……あら? 奥にまだ居ますね」
「……ん。緋煉、そろそろ起きて」
「ぅ、うぅん……あぇ? アタシ、あれ?」
「悪臭で気絶するとは、鋭い感覚というのも考え物ですね」
「……仕方ない。奥のは緋煉がやること」
「へ、あ、はいっ」
フィムが指示を出すと、血の匂いが充満した空間を駆け抜けて、奥の通路へと緋煉は姿を消した。状況を見て、2人が戦っている最中に眠っていたことを悟ったのだろう。さすがにそんな酷い減点は食らいたくなかったようだ。
「いいんですか?」
「……緋煉は、相性が悪かった。それだけ」
そういうところは寛容なフィム。タクの影響を色濃く受けているからか、失敗自体を窘めるようなことはあまりしないのだ。タク同様、次に活かせればそれでいいという考えの持ち主でもある。
「ありがとうございます」
「……なんで?」
「あんな竜ですが、知らぬ仲ではないので」
「……ん、分かった。でも、堅苦しい」
「うっ」
「……マスターは、礼儀とか求めてない」
「あぅ」
「……言うこと聞かないと、さすがに怒る」
「ひぃ…」
フィムも人のことを言えない気がするがそれは置いといて。
最後の忠告に龍瑠は震え上がった。龍瑠の中で、今まで一番恐ろしいものは一族の長だった。その言葉に逆らえないのもあるし、何より力量が段違いだったからだ。
しかし今は違う。言うまでもなくタクの方が怖い。初めて対面した時など常に喉元へナイフを突きつけられているような怖気に襲われていた。何度も次の瞬間には殺されることを幻視したくらいだ。よく普通に会話が出来たと自画自賛したこともある。
その時だ、
「そ、それはいけませんね」
「……ん」
「でもどうすれば――」
『あ、主!? どうしてここに!?』
「……?」
「緋煉?」
緋煉の悲鳴にも似た声が聞こえてきたのは。




