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東源郷神話

森羅万象。


それは宇宙空間に存在するあらゆる現象、存在物それら全てを纏めたものであり

宇宙そのものをも意味する。


ここで言う宇宙と、宇宙空間とでは大きな開きが存在する。

宇宙空間とは広大に広がる無間の空間領域であり、そこにある何かを指すものではない。

そして、宇宙とはその宇宙空間と、そこに存在するあらゆる存在物

内包されたあらゆる現象、それら全てを指し示し、それが森羅万象と呼ぶべき言葉につながる。


ゆえに始まりと呼ぶべき時間軸において、そこにあったのはただのからっぽの宇宙空間であり

森羅万象と呼ぶべき宇宙は存在しなかった。

ならば空っぽの宇宙空間が森羅万象の宇宙へと至った始まりとは何であったのか。


全ての物事に始まりがあるように、森羅万象を告げし開闢の存在が宇宙空間に生まれる。


彼に名はなかった。初めからそのようなものは必要なく、ただ『開闢』と呼ばれる現象そのものが

彼の名であり、存在であり、意義を表していた。


彼は天地を創り、世界を創り、万物を創造した。

全ての物事に始まりを告げ、天地開闢を行った。

今ある宇宙に存在する無数の世界の始まり。それにはこの開闢の神の存在があった。

彼は森羅万象を築き上げ、最後に自らが住まうべき広大な世界。

無限の広がりを持つ大世界、東源郷と呼ばれる世界を生み出した。


そうして彼は自らが生み出したその世界において長い年月を過ごすと共に

自らが生み出した森羅万象の世界にて、生まれて落ちた人の存在を見守り始める。


彼らの多くはか弱く、小さく、そして限りある寿命を生きる儚き存在であった。

それゆえに見守る価値があり、その多くが森羅万象の源である自分の存在に気づくことなく生を終えていた。

だが、遠い年月を重ねるにつれ、人の中にこの自らが暮らす世界、更にはこの世界を含めた宇宙空間に存在する全ての万象、それらの始まりを告げた根源を知りたい、出会いたいと望みを掲げる者が生まれ始めた。


彼らにとってそれは真理であり、そこに到達したいと願うのは不完全な人だからこその欲求でもあった。

だが多くはそうした真理到達へと至ることなく人生を終える。

しかし、ごくまれに無限とも言える時の中において億、京の確率において、そこへ到達する者が現れた。

彼らは森羅万象を誕生させた開闢の存在に気づくことで、その英知と存在に触れ、その影響によって

彼ら自身、人の中に内包されていた宇宙の存在に気づき、人という小さな器から神と呼ばれる存在へと肉体と魂が進化を行う。


そうした人から神への進化を至った人物を人神(ヒトガミ/アダムカドモン)と呼んだ。

ここに来て開闢の存在は始めて自らに近い人物と出会い、彼らを迎え入れる。

それまで名を必要としなかった開闢は彼らより天地開闢を起こせし人物として盤古の神、盤古神と呼ばれる名を手にする。

そして盤古神もまた自分と同じ領域に至った彼ら『太極』のソルムンデハルマングと『陰陽』の伏羲を神の座へと招き寄せ、共に森羅万象を見守る存在として迎え入れた。


そうしてここに来て始めて盤古神と同じ領域に登った存在が現れたことにより宇宙に存在するあらゆる者が知り合えなかった真実が判明することとなる。


盤古神は二人存在した。


いや、正確には盤古神と同一と呼べるべき存在が彼の傍らに存在していたのだ。

全ての物事や森羅万象に陰陽があるように、それは表裏一体となり

盤古神の対極に位置する存在として彼が存在していた。


彼は無極と呼ばれる存在であった。


始まりを告げる開闢に対して全てに終わりを告げる無極として、彼らは常に一心同体として存在していた。

開闢が生み出した世界に寿命と終わりが来た際、それに終わりを告げ、開闢以前の無へと戻す役割として無極が存在した。

そうして再び白紙となった世界に開闢が始まりを告げることで無限の輪廻を作り上げていた。


無極と呼ばれた彼も盤古神同様に名を授かり自らを『無極』の桓因(ファニン)と呼ぶようになった。

盤古神と桓因(ファニン)はまさしく兄弟と呼べるほどにお互い近しい距離に存在し

何も語らずともお互いの意思がそのまま伝達しているようでもあった。

彼らは互いが半身であり、兄弟であり、同一の存在と言ってもいいほどであった。


盤古神、桓因(ファニン)、ソルムンデハルマング、伏羲。

彼ら四神によって東源郷の世界は更なる発展を遂げる。

彼ら四神からの影響か、伏羲、ソルムンデハルマングのように人から神の座へと至る者がわずかに現れ始めた。

彼らは伏羲やソルムンデハルマングのように、盤古神らに近いほどの進化を果たせなかったものの

その魂と器はすでに人の領分を遥かに超え、神と呼べる領域に至っていた。

盤古神は彼らを生きる人神として、直接人と世界を統べる役割を与え、東源郷に存在する五つの巨大国、そこを統べる帝の座へと付ける。

そうして人神として帝の座へと座った彼ら五人は五国を統べる『五帝』と呼ばれる存在となった。


四人の神々と五人の帝により東源郷の世界はまさに理想と呼べる世界を築き上げていた。

しかし、人神と呼ばれる存在が生まれるようになり、そこに一つの弊害が生まれ始めた。

それは人神となった人物が必ずしも善に属する理へと至る者ではないということ。


人神へ至る為の真理。その真理には善悪はない。そこにあるのは善も悪も真理も森羅万象全てが存在している。

その中のどれに触れ、どの理の神となるのか。それはそこに至った人物のみが選択出来る者。

ゆえにただ純粋に真理の探索。高みに上ることのみを求めたものは純粋な真理、高みとしての存在に。

より強き肉体、強き魂、強き力を求め神を目指した者は、それに相応しき豪傑な戦神としての存在に。

そして、ただ純粋に悪の限りを尽くし、邪悪の更に奥の奥、暗き深淵の如き奈落の魂を求めた者は、それに相応しき混沌の神へと成り得る。

そうして生まれたのが『太極』のソルムンデハルマング、『陰陽』の伏羲。彼らに匹敵するほどの強大な人神。

『混沌』の理を宿す神・渾沌(コントン)であった。


渾沌がもたらす破壊は無極の桓因と異なり、生み出すための無への回帰ではなく

ただ万象全てを葬り、滅殺するための破壊の理しか存在しなかった。

混沌が宿す力は巨大であり邪悪そのもの。彼の前では五帝では太刀打ちすら出来ず

ソルムンデハルマングと伏羲ですら、完全な抹殺に手を焼くほどであった。

その為、本来は万象の終わりにのみ動くはずの桓因が自ら渾沌を抹消するべく動いた。

だが、この時の決断が事態を取り返しのつかない道へと進めていく。


本来、森羅万象、宇宙に存在する遍く全てを無へと変えるほどの力を持つ桓因に取って渾沌の始末など容易であろうと誰もが予測した。

だが、対峙した渾沌を自らの中に取り込むことで、無へと変換しようとしたその時、桓因にある変化が訪れる。

それは開闢の陰陽として存在した理が、混沌と言う名の色に染まるかのように

本来、万象の全てに始まりを告げるための終わりを与えていた無極の理が、渾沌同様にただ全てを破壊し、滅ぼすための、そこに意味など存在しない終わり。

万象全てを塵芥へと消滅させる滅尽の神へと変貌を遂げた。


無極の桓因の変貌と同時に宇宙に存在した数多の星々、世界が彼が持つ破滅の無へと飲み込まれていった。

無数の世界を束ねるほどの大世界でもあった東源郷もまた大規模な被害を被り、それまで事態を達観していた盤古神ですら、自ら太極のソルムンデハルマング、陰陽の伏羲、そして五帝を従え、かつての己の半身でもあり兄弟でもあった桓因を打つべく行動を起こす。


だが、行動を起こした盤古神達の前に立ちふさがったのは、無極の桓因に飲み込まれたはずの混沌の神・渾沌であった。

彼は桓因に飲み込まれながら自我を保ち、万象全てを滅ぼすため桓因の一部、分け身として復活を果たしていた。

そして、桓因の一部として生まれた者はその渾沌だけではなかった。


かつて開闢の盤古神によって宇宙と世界が出来上がり、そこに生まれた人の中に開闢の盤古神に近づくことで神として生まれ変わったソルムンデハルマング、伏羲と言った存在がいたように

無極が放つ万象全てを破壊する無へと飲み込まれながらも、渾沌と同じく自我を保ち、桓因の理に近づいた者が存在した。

それは億や京を越える遥か那由多の確率。だが、宇宙に存在する数多の数え消えぬ程の世界を飲み込み、そこに存在した人の中でそうした者が一人、あるいは二人いてもおかしくはないほどの桓因が飲み込んだ世界と人の数は天文学的数字へと至っていた。


それは無極の桓因同様に彼と同じ万象全てを滅ぼすための無という概念に沿った三人の人神の誕生。

『無限』の蚩尤(シユウ)、『無窮』の共紅(キョウコウ)、『永遠』の三苗(サンミャオ)

彼ら三神は文字通り桓因の一部であり、ソルムンデハルマング、伏羲をも越えるほどの存在。

万象全てを滅ぼすための神々、伏魔と呼ばれる存在であった。


そして、無極の桓因に付き従う存在は彼ら三神と渾沌だけに留まらなかった。

開闢の盤古神が自らの前に立ちふさがるのを見た桓因はそれを迎え撃つべく

いまや自らの一部でもある渾沌を使い、盤古神らが従える五帝に匹敵する人神の軍勢を生み出した。

それこそが渾沌が宿した理『混沌』に存在する様々な悪徳、それらを百八として分け人の形として生み出した存在、百八の魔星と呼ばれる存在である。


百八の魔星はいわば渾沌の分け身であり、ひとりひとりが彼の分身。

だが、これら百八の魔星を生み出させたのは渾沌すら統べる無極の桓因であり

彼の力によって百八の魔星ひとりひとりの能力も高められ、桓因が持つ無極の力の欠片すら宿した者も存在した。

ゆえに彼ら全員、盤古神達が従えし五帝に匹敵するほどの能力と力を有し、その数も百八という規格外の数でもあった。


盤古神含める三神五帝と、桓因率いる伏魔四神と百八の魔星。

その圧倒的戦力差と力により東源郷の世界はおろか、盤古神達ですら滅びの危機を迎えた。


万象全てが破滅の無極により飲み込まれるまさにその瞬間

かつての兄弟であり半身でもあった盤古神が桓因と対峙し、一つの答えを示した。


その言葉を聞き、桓因が纏っていた無極の理がわずかに揺らいだ。

それはかつて自分の兄弟でもあり半身でもあった盤古神への想いが蘇ったのか

あるいは失っていたはずの開闢の陰陽としての本来の無極の理に目覚めたのか

それともそれらとも異なる何かもっと根源的な理由からか、一瞬のわずな時間、その身を無防備とした桓因の肉体を盤古神は自らが統べる東源郷の世界へと封じることに成功する。


その影響によって桓因の分け身として存在した伏魔四神と魔星達の身にも異変が起こる。

自らの主神でもあった桓因が封印されたという事実、その僅かな動揺。

その隙を付くように伏魔四神と対峙していたソルムンデハルマング、伏羲もまた彼ら四神を桓因同様、東源郷の世界にて封印することに成功する。


残った百八の魔星達もまた三神五帝達によって各地に封印をされる。

だが、百八の魔星達全てが三神五帝達の手によって封印されたわけではなく、中には自ら人の中に融合し眠りにつくものも存在した。

彼ら全員分かっていたのだ。自分達はこのままでは決して終わらないと。


そして、それは彼らを封じた盤古神率いる三神達も理解していた。

ゆえにこれはつかの間の平和であり、休戦に過ぎないと。

そして、次に伏魔率いる魔星達が蘇る時、それは自分達の世界、森羅万象の宇宙全ての終わりであると。


それは予言として、伝承として後の東源郷の世界に残される。

まず始まりは伏魔が従えし魔の星の目覚めより訪れる。

人の中に眠りについた魔星。彼らの魂は人間と同化し、親から子へ、子から孫へ、その魔星の魂も消えることなく脈々と受け継がれていった。

そうして、時が満ちた時、魔星の魂を宿した人物はその内部から魔星の魂に肉体と魂を奪われ

かつて万象全てを滅ぼそうとした魔の星の一人、百八の魔星の一人として目覚めるであろう。


魔星が目覚める事により、桓因含める五人の伏魔が眠りについたその場所の封印も綻び

やがて伏魔も目覚める時、それこそが万象終わりの始まり。


そして今、東源郷の地にて遥かな古として誰もが忘れ去った伝説に過ぎなかったその神話が復活を果たす。

百八の魔星と封じられた三人の伏魔。渾沌・共紅・三苗の復活。



物語は今ここに終焉の無極へと抗う希望の物語へと幕を開けていく。

それこそがエスペランサーセイバーと呼ばれる希望を守り抜く者達の物語であった――。

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