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5、歴史・時代小説を規定するのは誰なのか

 はい、ここまで読んできて、たぶんお怒りの方も結構いらっしゃるんじゃないかと思います。好き放題言いやがって、と。

 たぶん、ここでお怒りの方っていうのは、これまで書かれてきた歴史・時代小説というものが好きで、ネオ時代小説というものを「ケーハクで中身スッカスカのバカ小説」とでも思っていらっしゃる皆様なのかなあ、と勝手に当て推量しています。

 歴史・時代小説っていうジャンルは、「歴史というものを啓蒙するための小説なんだ」という古い見方をされている小説ジャンルです。要は、歴史を皆さんのものにするために歴史小説は存在するんだ、という考え方です。「マー、時代錯誤も甚だしい!」っていうのが筆者の感想です。

 世の中には既にエンタメ小説というものが生まれて定着しきっています。また、エンタメ路線をさらに先鋭化させ漫画的方法論と共に成長したライトノベルだって既に大きな文芸ジャンルになっています。そして、いわゆるネオ時代小説というのは、エンタメ小説やライトノベル的な方法論を、ガラパコスの地であった歴史・時代小説の世界に取り入れようとする動きに他なりません。

 でも、ここで気をつけなくてはならないのは、この動きを促したのは作者の側ではない、ということです。

 『のぼうの城』が出た時、その本を評価した人はだれか。『天地明察』を支持した人たちは誰だったか。残念ですが、歴史、時代小説家たちではありませんでしたし、その道の編集者たちではありませんでした。そう、『のぼうの城』や『天地明察』を支えたのは、読者の皆様だったのです。

 マニアックなことを言いますが、歴史的事実を無視する、ないしはジャンルの空気を脱構築して作り上げた歴史小説というのは『のぼうの城』以前にもありました。たとえば筒井康隆の『ジャズ大名』とか、清水義範の歴史ものなどがそれに当たります。が、これらは歴史ジャンルの中で大きな動きにはなりませんでした。が、この数年で、ネオ時代小説という流れは新たな潮流として読者たちに受け入れられようとしています。

 歴史・時代小説に限らず小説というのは、読者の支持なくしては存在しえないものなのです。


 そもそも、小説、というものは「詩」に対置されるもので、「特定の韻律を持たない文芸」のことです。端的に言えば、何をしてもいい文芸ジャンルということになります。ただ、大衆文化に深く根ざしている今の小説界にあって、ただ小説家が意識すべきなのは「読者の存在」なのです。ぶっちゃけて言えば、プロだったら自分の食い扶持が稼げるくらいのパイを開拓しなくちゃならない、ってことですね。

 逆に言えば、(プロならば)どんな方法でも、支持されている限りにあっては何をしてもいい、というのが小説家だということなのでしょうね。


 おやおや、なんかバーリトゥードな結論になっちゃいましたが。

 皆様の今年一年の文筆活動をご記念して、この稿の結びとさせていただきます。……取ってつけた観のある結びだなあ。


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