4、歴史・時代小説は往時の人々の思いよりも大事にしたい思いがある
忠臣蔵において吉良上野介が悪役にされた理由って、皆様ご存知ですか?
あ、実は、歴史的な経緯があるんですよ。
忠臣蔵のモデルになった事件・赤穂事件は元禄期の事件です。そして、仮名手本忠臣蔵が初演となるのはそれから百年くらい後のことになっています。
どうも、元禄期の頃は、まだ人々の間に『喧嘩両成敗』という法が実感として存在したそうなんですよ。というのも、当時の文化を支えていた人たちの多くは武士だったりするので、武士の法である『喧嘩両成敗』の正しさ、そしてそれを反故にされた時には身命を賭してでも挑まなくてはならない、ということが了解されていたのです。が、元禄から百年の後になると、文化の担い手が武士から町人に代わり、今一つ『喧嘩両成敗』という法が理解できなくなってしまっていたのです。そのため、『喧嘩両成敗』が適用されない悔しさのほかに、赤穂義士たちが(そして視聴者たちが)吉良を憎むための理由づけが必要とされたのです。その結果が浅野をいじめる吉良像であり、浅野の妻を奪おうと画策する吉良、という過剰な悪役像なのです。
既に江戸時代の中にあって、当時の人々の思いなんていうものは無視されてきたのです。
でもこれ、当たり前のことです。
なぜならば、「仮名手本忠臣蔵」という演劇作品が想定していたお客さんというのは、元禄時代の人々ではありません。元禄時代から百年も経った時代の人々向けに作られた作品なのです。だからこそ、お話を飲み込ませやすくするためにあえて吉良を悪人に作り上げたわけですね。
歴史ものに限らずそうだとは思いますが、創作物、というのは、その創作物が生まれた時代の人々のものです。今年発売される小説は、どれもすべて2014年の読者を想定して作っている、ということです(もちろん、この中には時代を超える名作が出て来るでしょうしぜひとも出てきてほしいものですが、そうなるためにはまず2014年現在の読者様の心を掴まないことには生き残れません)。
翻って歴史小説です。
歴史的事実の中には、現代に即さない人々の心象風景があります。それを無批判に取り入れてしまうと、われわれ現代人にとってさっぱり訳の分からない心象風景を持ったキャラクターが登場してしまいます。もちろん、そのキャラクターを生かすテクニックもありますが、その枷が存在することによって創作の幅が狭まることは想像に難くありません。
というわけで、歴史・時代小説は、往時の人々の心なんて無視するのです。2014年現在の読み手の皆様のために。




