母猫と少女
「猫と竜」の世界観に、連なるお話です。
ただ、書き口は多少違うので、あれと全く同じテイストをお求めの方にはあわないかも?
召喚された母猫の目の前にいたのは、今にも泣き出しそうな顔をした少女であった。
大きな瞳を潤ませ、唇を震わせるその様は、なんとも頼りなげである。
人間の街で暮らしたこともある母猫は、いろいろな人間を見てきていた。
大人や子供、そして老人。
その沢山の経験の中で考えても、目の前の少女の頼りなさはダントツである。
この少女が森に行ったら、一日も持たずに他の獣に食べられてしまうだろう。
きっとあの四人の子供達よりも、あっけなく食べられてしまうに違いない。
こんな子供を一人で置いておいて、親はどこに行ったのだろう。
母猫はきょろきょろと周りを見回すが、それらしい姿は見つからなかった。
居るのは少女と同じ年頃の人間の子供達と、頭頂部の毛が薄くなっている人間の雄だけである。
人間の雄が親なのかとも思ったのだが、それにしてはあまりにも似ていない。
少女は可愛らしいが、頭頂部が薄い雄は可愛げが一切無い。
これは親子では無いだろう。
そんなことを考えていた母猫だったが、すぐにそれどころではないことを思い出した。
何者かに召喚されていたのである。
誰に召喚されたのか、まずは調べなくては成らない。
母猫はまず、自分の足元を見た。
地面には円が描かれ、細かな文字のようなものが書かれている。
これは人間が使う魔法であったはずだ。
その円に、目の前の少女が棒を突きたてている。
それに気がつき、母猫は大きく目を開けて驚いた。
なんと自分を召喚したのは、目の前の少女であるようだからだ。
一体どういうことであろう。
母猫は持てる知識の限りを絞り、現状を理解することに勤めた。
今自分がどういう状態なのかを知ることは、狩の基本なのだ。
まず、召喚されたことは間違いない。
それを行ったのは、目の前の少女だ。
周りには人間の子供が沢山いる。
他に何があるだろう。
壁があり、屋根があるようだ。
どうもここは、建物の中らしい。
そこで、母猫は子供達の服装に注目した。
彼等は皆、同じような服装をしている。
黒い服に、大きな帽子。
手には棒を持っている。
これは、人間のなかで魔法を使うのが上手い者達のものであるはずだ。
人間の子供は成長に時間が掛かるので、ここにいる子供全員が魔法が上手いとは考えにくい。
そこで、ようやく母猫の中である推論が浮かんだ。
ここは、ずっと昔に聞いたことがある学校と言うところではないだろうか。
人間は子供達を一箇所に集めて、教育をする。
恐らく、ここは学校であるのだ。
母猫がそんな推測をしている間に、頭頂部の薄い大人が歩み寄ってくる。
しげしげと母猫を眺めながら、感心した様子でしきりに頷く。
何事かと母猫が見あげると、頭頂部の薄い大人は口を開いた。
「どうやら、ケットシーを呼び寄せることに成功したようだね。彼らはとても賢いから、恐らくこの状況に戸惑っているだろう。君はケットシーに、事情を説明してあげなさい。ほかの者は、引き続き使い魔の召喚を続けよう!」
今にも泣き出しそうな顔の少女は慌てた様子でこくこくと何度も頷くと、母猫に向かって言葉をかける。
どもっていて、つっかえつっかえでなんとも聞き取りにくい。
ようするに、付いてきてくれ、という内容なのだろう。
母猫は了承の鳴き声をあげると、少女の足元に立つ。
それに驚いたのか、少女は引きつった悲鳴のような声を上げる。
たしかに母猫は優秀な狩人で、森では小動物達に恐れられていた。
しかし、人間に恐れられるほど強いとは思わない。
この少女は、どうにも怖がりすぎなのではないだろうか。
母猫が育てた中で一番怖がりだった、羽のある子よりもずっと怖がりだ。
少し心配になった母猫は、落ち着くように促す為、少女に足を前足で叩いた。
少女はそれを見てぎょっとした顔を見せたものの、なんとか母猫を室内の隅へと誘導する。
もっとも、誘導したというか、ただガチガチになって歩いていただけだったのだが。
大分落ち着いたのか、少女の目にはもう涙は浮かんでいなかった。
相変わらず今にも泣き出しそうな顔ではあるが、どうも元々の顔のつくりであるらしい。
少女が長いすに座るのにあわせて、母猫はその隣に腰を下ろす。
何度か深呼吸をすると、少女はゆっくりと話し始めた。
まず、ここは魔法学校であるらしい。
これは母猫の予想通りであった。
この建物は訓練場という場所で、魔法の練習などをする場所なのだという。
言われて上を見ると、天井のある場所は森の木よりも高い場所である。
人間というのはこんなものまで作るのか、と、母猫は大いに感心した。
次に、少女達の事である。
ここにいる子供達は、この魔法学校で学ぶ生徒達であるという。
少女もその中の一人で、成績は下の中ぐらいなのだそうだ。
母猫は人間の街で暮らしていたとき、学校にも良く顔を出していた。
その為、学校の成績というもののことも良く知っている。
まあ、たしかにこれだけおどおどしていたら学ぶどころではないだろう。
さて、いよいよ何故母猫が召喚されたか、である。
この魔法学校では、生徒達に使い魔を持つことを推奨しているのだという。
ともに戦ってくれる使い魔の存在は、とても心強いからだ。
使い魔は、魔法学校が所有する魔法陣を使って行われるのだという。
それを発動させると、自分と相性のいい相手を呼び出すことが出来るのだそうだ。
ただ、その相手を見つけるのはなかなか難しく、簡単に召喚できるというものではないらしい。
何日もかかることはざらであり、召喚できないことも珍しくないという。
そんな中で、成績の良くないこの少女は、驚くべきことに初日一回目で母猫の召喚に成功したというのである。
その事実が少女には未だに信じられないらしく、これは幻覚ではないだろうかと母猫に尋ねてきた。
あまりに真剣なその表情に、母猫は思わずため息を吐く。
これまで沢山の子供を育ててきた母猫だったが、こんなにも自分に自信が無い子供は居なかった。
なんとも頼りなく、まだまだ親の保護が必要であるだろう。
だが、周りにこの少女の親がいる様子は無い。
仕方がない、と、母猫はあることを決めた。
召喚で呼ばれたのも、何かの縁であろう。
ここは一つ、この少女を育ててやろうではないか。
なぁに、どうせ分かれてしまった四匹の子供達はもうすぐ巣立ちだったのだ。
それが多少早くなっただけである。
その程度で飢えるほど柔な育て方はしていない。
ならば今目の前に居る、一人で餌も取れないような少女の面倒を見てやるのも一興である。
母猫はそう腹を括ると、未だに真剣な顔で見つめてくる少女に向かって口を開いた。
「わかったわ。私が面倒を見てあげるから、しっかりと学んで立派に魔法を使えるようにおなりなさい」
人間の街に長く住んでいた経験のある母猫は、人間の言葉も扱えたのである。
少女はそんな母猫をじっと見つめると、そのまま後ろに向かって倒れていった。
驚いた母親は、慌てて少女の顔を覗き込んだ。
少女はぐるぐると眼を回し、うんうんと唸っている。
どうやら、母猫が人間の言葉を話したことが相当に衝撃であったらしい。
これはなかなかに前途多難そうである。
とりあえず少女を起こそうと、母猫はぺたぺたとその顔を叩くのであった。
学校の授業が終わったところで、母猫は少女を伴って訓練場へとやってきた。
少女がどの程度魔法が扱えるのか、確認する為である。
母猫にとって魔法とは、すなわち攻撃であった。
餌を得るための手段なのだ。
森に置いてきた中で一番それが得意だったのは、一番年上の子であっただろうか。
電気の力を使った前足での攻撃で、器用にネズミを捕るのだ。
ただあまりにも放電させすぎる為に、攻撃に移る前にネズミに気が付かれてしまうことが多かった。
今後の課題ではあるが、口をすっぱくして言い聞かせていたのですぐにどうにかするだろう。
それよりも今は、少女の魔法の腕である。
どの程度のことが出来るのか、きちんと見極めなければ成らない。
母猫が的を狙って魔法を撃つように伝えると、少女は意を決したように棒を構えた。
人間は魔法を扱うのが苦手で、こういった道具を持たないと魔法が上手く扱えないのである。
少女はゴニョゴニョと何かを呟き、棒を振るう。
飛び出したのは、小石のような白い塊であった。
それは的に向かって放物線を描き飛んで行くと、的確にそれを捉えた。
そして、こつりというなんとも情けない音を上げ、地面に転がる。
暫く変化が起こるのを待った母猫であったが、地面に転がった白い塊はなんら変化を起こさない。
不思議に思って少女のほうを見上げてみると、いかにも誇らしげな顔で母猫を見つめていた。
母猫は立ち上がり、白い塊に近付いてみた。
前足で叩いてみると、ひやりと冷たい。
口でくわえ上げ、歯で噛み砕いてみる。
ひんやりとしていて、なかなかにおいしい。
どうやらそれは、氷の塊のようであった。
母猫は改めて、少女のほうを振り返る。
少女は今にも泣き出しそうな顔で、がっくりと肩を落としていた。
どうやら今のが、攻撃のための魔法のつもりであったようなのだ。
これはなかなかに前途多難そうである。
まずは攻撃魔法というものを教えるところから始めなければ成らない。
人間の魔法というのは、非常に複雑で難解だ。
何年も何年もかけて覚え、ようやく森の獣と同じような効果を発揮させることが出来る。
母猫はいつも、どうしてそんなに面倒なことをするのかと不思議に思っていた。
しかしである。
人間は魔法を使い、森の動物達では想像も付かないような細かいことをやってのけるのだ。
威力を求めるだけであれば、動物や魔物の使う魔法のほうが良い。
だが、細かさでは人間の魔法にはけっして敵わないのである。
母猫はまず、少女は自分達の魔法を覚えるべきだと考えた。
人間である以上、人間の魔法を使うことにはなるだろう。
とはいえそれは、役に立つのであればの話である。
使えたところでこりこりおいしいおやつが出来るだけであれば、魔法を使う意味が無い。
母猫は早速、お手本を見せることにする。
少女によく見ているように伝えると、尻尾に魔法の力を込める。
すると、すぐに尻尾に変化が現れた。
ばちばちと紫電が飛び始め、ぶわりと大きく尻尾が膨らんだのである。
母猫は大きく振り上げた尻尾を、指揮棒の様に振り回す。
すると、尻尾に絡み付いていた電気が束となり、的を貫いた。
弾ける様な音の連続に、少女は自分が感電したかのように身をこわばらせる。
これは母猫が得意で良く使う、電気を扱う魔法であった。
火を出すことも出来るのだが、あれは効果が高い代わりに山火事になる恐れがある。
電気であればその恐れも比較的小さく、また動きが速いので避けられにくい。
なにより、これを受けて平気でいられる動物が少ない、というのが使うことが多い理由でもあった。
例え大きな怪我を負わせることが出来なくとも、電気を受けると相手は暫く動くことが出来なくなる。
その優位性は、途轍もなく大きい。
早速やって見るようにと、母猫は少女を促す。
だが、少女はぶんぶんと首を横に振った。
雷の魔法などという高度なものは、とてもとても自分には使えない、というのだ。
なるほどたしかに人間の魔法であれば、電気を扱う魔法はとても高度なものである。
しかし、動物達が使う魔法であれば、そう難しい部類ではない。
母猫は少女の足を前足で叩き、しっかりと見るようにと言い聞かせ、もう一度魔法を使って見せた。
少女は半泣きに成りながも、母猫の魔法を良く観察する。
すると、人間の魔法よりも単純で、自分にも出来そうであると気がついた。
普段動物達は、あまりにもすばやく魔法を使うため、人間が観察することはまず出来ない。
母猫は少女に教えるために、ワザとゆっくりと魔法を使って見せたのだ。
はじめて見る事もあり、すぐに使う自信は少女にも無かった。
それでも、何度も試しさえすれば、きっと扱うことが出来る。
少女がそのように確信できるほど、母猫は丁寧に分かりやすく魔法を使って見せたのだ。
少女は母猫に、もう一度魔法を使って欲しいとせがんだ。
母猫は頷くと、ゆっくりと魔法を使ってみせる。
真剣に尻尾を見つめるその表情を見て、母猫は一匹の子供の事を思い出していた。
森の中で死に掛けていたその子供は、恐らくは親に捨てられたのであろう。
母猫が助け、立派に巣立ちさせたのだが、大変魔法の好きな子であった。
いつも母猫が魔法を使うところを食い入るように眺め、自分も遣ってみようと練習していたものである。
巣立つ頃にはすっかり魔法も上達し、母猫よりも上手くなっていたものだ。
あの子供は今頃、どうなっているだろう。
きっと狩人として、立派に森の中で生きているに違いない。
この少女を育て終えたら、会いにいってみるのも面白いかもしれない。
唸りながら尻尾をにらみつける少女を見ながら、母猫はそんなことを考えていた。
魔力というのは不思議なもので、使えば使うほど強くなる。
筋肉と同じようなものであると、母猫は考えていた。
体も疲れさせてから回復すれば、強くなる。
魔力も使いきってから回復させれば、より強くなるのだ。
外敵の多い森の中では、なかなかそうすることは出来ない。
だが、人間の社会の中であれば、話は別だ。
人間はとても安全な寝床を確保し、敵に襲われる心配など殆ど気にせず休むことが出来る。
であれば、それを利用しない手はない。
母猫は少女に、徹底的に魔法を使わせた。
朝日が昇る前に顔を叩いて起こし、訓練場に引っ張っていく。
まだ眠いとむずがる少女を叱咤しながら、兎に角魔法を使わせる。
少女は寝起きが弱く、新しいことを覚えるには向いていない時間だ。
遮二無二魔法を使わせて、魔力を消費させるのと同時に体に魔法の使い方を覚えさせる。
全寮制と呼ばれるものだというこの学校は、学校の建物のすぐ近くに生徒達が暮らすことになっていた。
少女や他の生徒達は親元を離れ、その寮というもので暮らしているのだという。
まだまだ頼りないこの少女が親元を離れられる年齢なのかどうか甚だ疑問ではあったが、びしびし鍛えるつもりである母猫には好都合である。
魔法を使いすぎて少女がへろへろになってきた頃、学校内に鐘が鳴り響く。
生徒達に起床を促し、朝食の支度が出来たことを知らせるものである。
この鐘を合図に、朝の訓練は終わりとなるのだ。
少女の表情がぱっと明るくなり、食堂へと向かうことになる。
元々は食が細く、朝はあまり食べることが出来ない少女ではあったが、最近では大変に良く食べるようになっていた。
十中八九、母猫がシゴキ上げているせいであるだろう。
良く食べる子供は、良く育つものである。
これで少女も大きくなることが出来だろう。
少女が朝食を食べる様子を、母猫は満足げに眺める。
この学校の食事はとても栄養バランスが考えられており、おかわりも出来るのでとても成長には役立つのだ。
少女が朝食を食べている間、母猫にはやることがあった。
他の生徒達がもつ、召喚獣たちとの情報交換である。
テストの山の相談や、提出物の期限の確認などでだ。
人間達の中で生きる為には、ただ狩が上手ければよいと言うものではない。
そのことを、母猫は良く知っているのだ。
朝食が終わると、少女が授業を受けるために教室へと向かう。
母猫も授業を聞くために、それについていく。
少女を教えるために、母猫も人間の学問を学んでいるのだ。
普通は召喚された獣達は教室には入れないのだが、母猫は特別に許されている。
少女の担任がとても変った人物で、授業を受けたいという母猫の申し出を快く受け入れてくれたのだ。
その変わりに、彼の研究への協力を頼まれたのだが、母猫にとっては然して苦にもならないことであった。
彼の研究というのは、魔獣の子育てについてだったからだ。
百戦錬磨の母猫にとっては、寧ろ専門分野である。
午前中の授業が終わると、昼食を挟んで実技の時間である。
この間、母猫は近くの森へと繰り出す。
当然、狩りをする為だ。
ただ、魔法学校の近くにある森には、いささか問題があったのである。
食べやすい動物が、あまり生息して居ないのだ。
母猫が一番好んで食べるのは、ネズミである。
サイズといい増えるスピードといい、申し分ない獲物だ。
ところが、この森にはネズミが殆どいないのだ。
代わりに多く居るのは、角の生えたウサギである。
これをとるのは然して苦労もしないのだが、如何せん大きすぎる。
一匹捕まえたところで、食べきれないのだ。
食べ盛りの子供達がいればそうでもないのだろうが、如何せん森においてきた四匹の子供達は少々早いが巣立ちを終えている。
どこにいるのかも良く分からないので、持って行ってやるわけにもいかない。
丁度いい食べきりサイズであるネズミは、このウサギ達や、この森にわんさと居るゴブリンに駆逐されているのだ。
ウサギもゴブリンも母猫に掛かれば手ごろな獲物ではあるのだが、如何せんどちらも大きすぎるのである。
この森に唯一居る母猫にとって丁度いい獲物は、カーバンクルと呼ばれるネズミであった。
このネズミは非常に変わった外見をしていて、なんと額に宝石をめり込ませているのだ。
彼等は非常にすばしこく、人間にとっては容易に捕まえられる物ではない。
だが、歴戦の狩人である母猫にとって見れば、多少すばしっこいネズミに過ぎないのである。
あっという間に一匹を仕留めると、母猫はそのカーバンクルをおいしく食べるのであった。
少女の担任によると、カーバンクルの額についている宝石にはとても強い魔法の力があるのだという。
その為なのか、この宝石は大変においしかった。
これをバリバリと噛み砕いて食べるのが、最近の母猫のお気に入りである。
何でも食べると魔力が強くなり、力も増すのだというが、そういうものは増えて困る物ではないので一切気にしない。
この一日一度の食事を終えて学校に戻ると、丁度授業が終わる時間だ。
母猫は教室へ少女を迎えに行き、訓練場へと引きずっていく。
今日習ったことの復習をする為だ。
へばって倒れそうになる少女を励まし、魔法を連発させる。
魔法とは体力である、というのが、母猫の教育方針だ。
兎に角撃って撃って撃ちまくれば、嫌でも上手くなるという考え方である。
果たしでそれが効率がいいのか悪いのかは兎も角として、彼女が育てた子供達は、皆そのようにして一人前になっているのだ。
少女も最初のうちはすぐにへばって居たのだが、今では何とか終了まで持ちこたえることが出来るようになっていた。
終了というのは、夕方ごろに鳴り響く夕食を報せる鐘の事である。
これが鳴り響くと、少女の訓練は一旦の終わりになるのだ。
くたくたになった少女を再び引きずりやってくるのは、食堂である。
少女は食事をとり始めるのだが、母猫はその間も休まる暇は無い。
他の生徒が召喚した獣達との、情報交換をしなければならないのだ。
やれうちの子は部屋を片付けないだの、うちの主は魔法を乱発するだの、うちのご主人は餌を渋るだの。
そういった獣同士の横のつながりの情報である。
あまり意味がなさそうに聞こえるかもしれないが、侮ってはいけない。
世の中何がどんなときに役立つか分からないのだ。
少女が食事を終えると、ようやく寮の自室へと戻る。
ここからが、母猫の勝負であった。
この魔法学校の寮には、各部屋にシャワー室が取り付けられている。
もっとも、水を出す為の装置などは無く、自身で魔法によりお湯を出し、浴びることが出来るといった趣の場所があるのだ。
少女はとてもきれい好きで、毎日の様にお湯を浴びる。
そしてそれを、母猫にもと強要してくるのだ。
たしかに森の中で狩りをする母猫は、多少汚れてはいるかもしれない。
しかしそれは、家の中でだけ暮らす飼い猫などと比べたらの話である。
母猫は汚れては居ないと、自分を捕まえようとする少女に必死に抵抗する。
汚れては居ないから、洗う必要などないのだ。
それに、母猫はお湯で洗われるのが苦手でもあった。
毛が濡れるのが気持ち悪くて仕方がないのである。
何とか逃げようとする母猫ではあるが、いつも最終的には少女に捕まってしまうのであった。
母猫は少女がここぞとばかりに、仕返しをしているような気がしている。
勿論少女は否定するのだが、そのときの笑顔はとてもとても輝いているのだ。
湯浴みを終えると、後は寝る時間になるまで座学の復習である。
母猫も自身の学習に、この時間を当てていた。
お互いに教え教わり、母猫と少女は魔法に対する知識を深めていくのだ。
母猫が少女に召喚されてから、十数ヶ月が経った頃であった。
まだ獣の召喚に成功していない生徒達が魔法を行使していたところ、ある事件が起きたのである。
召喚陣に何らかの不具合が起こったらしく、魔界と繋がってしまったのだ。
魔界とは、普通の世界と平行したところにある、別の世界の事である。
そこには普通の世界には居ない、様々な凶悪な生物が跋扈していた。
世界には魔界と普通の世界が繋がる場所がいくつか存在しており、そういった場所は「ダンジョン」などと呼ばれている。
母猫の暮らしていた森もこのダンジョンであり、魔界から凶悪な生物が入り込んでくる場所だったのだ。
魔界と繋がる場所が開いてしまった。
それは、尋常でない一大事を意味することである。
召喚陣からは禍々しい気配があふれ出し、次々に低級の魔物が躍り出てきた。
ゴブリンや魔狼等といった、数が多いものたちである。
少しの間混乱が起こるものの、その場に居た教師の号令で生徒達はすぐに落ち着きを取り戻した。
授業に参加していた少女も、何とか深呼吸をして冷静さを取り戻す。
教師の指揮の下、すぐさま魔法による攻撃が試みられた。
まだ学習途中とはいえ、魔法による攻撃は強力だ。
何とか魔物達を撃破していき、事態は沈静化するかに思われた。
しかし。
召喚陣から、誰も予想もしなかったものが現れたのである。
魔獣とは一線を引く存在として語られる「悪魔」。
その中でも、特に強い力を持つとされる種族である、グレーターデーモン。
翼を持ち、トロルをもねじ伏せる強靭な肉体と、人間の魔法使い数十人分にも匹敵する強大な魔力を持つその悪魔が、召喚陣から現れたのだ。
すぐさま教師や生徒達の魔法が浴びせられるが、グレーターデーモンが張った障壁はびくともしなかった。
絶望的な雰囲気の中、グレーターデーモンはゆっくりと口を開く。
悪魔といえど、魔法を使うときは言葉を発することが多い。
だが、このグレーターデーモンはここまで一度も口を開いていなかったのだ。
誰もが諦めかけたその瞬間、一匹の獣の声が響いた。
「あら、アンタこんな所でなにしてるの。ずいぶん大きくなって、ねぇ」
声の主は、母猫であった。
森に食事を採りに行っていた母猫は、騒ぎを聞きつけここに駆けつけてきたのだ。
その母猫の言葉に、教師と生徒達はぎょっとした顔を見せた。
しかし、この直後もっと彼等を驚かせることが起きたのである。
「ええ?! おかぁちゃん?! 何でこんなところに居るんだ?!」
その声は、グレーターデーモンの口から発せられた物であった。
悪魔の中の悪魔と呼ばれるグレーターデーモンの口から出た単語に、その場に居た全員が凍りついた。
一体何が起きているのか、わけが分からなかったのである。
「いやいや、そうだ! 突然何処かに召喚されたってうわさを聞いたから、俺、森に様子見に行ったんだぞ! そしたら今年生まれたらしい弟達が居て、あの羽の弟はドラゴンだろう? どうなってるんだ一体」
「アンタと一緒よ。拾って育てたの。あの子達元気だった?」
「元気ではあったけど。相当ショック受けてるぞ。早く戻ってやりなよ」
「いいのよどうせもうすぐ巣立ちだったんだから。ほうっておくぐらいが丁度いいの」
母猫と悪魔の会話に、何とか入り込んだのは、その場に居た教師の一人であった。
普段から母猫と交友のあった、少女の担任である。
彼は恐る恐るといった様子で手を上げると、何とか言葉を口にする。
「あの。お二人はその、お知り合いなのでしょうか」
「ええ。お知り合いも何も、この子はうちの子なのよ。以前話した、拾った魔獣の子なの」
「魔獣ってかぁちゃん。俺は魔獣じゃなくて、悪魔だってば」
「どっちも似たようなものじゃない。呼び方が違うだけよ」
どうやら歴戦の母猫にとっては、悪魔も魔獣も同じような物であるらしい。
兎に角、一応の危険はすぐ去ったと分かったのだろう。
教師と生徒達は、ほっと胸をなでおろした。
さて。
母猫の息子であるグレーターデーモンは、誤って開いた魔界との門に驚き、一体どういうことか確認する為にやってきたのだという。
こういったことが起きた場合、魔界にも普通の世界にも悪影響が及ぶことがある。
繋がった先の魔界側を、グレーターデーモンはたまたま縄張りとしていた。
それが荒らされてはたまらないと、やって来たのだと言う。
担任の教師はそんなグレーターデーモンに、おっかなびっくり質問をする。
「で、ではグレーターデーモン殿。この門を閉じることは出来るのですか?」
「可能だ。その為にきたわけだしな」
「あら、いいじゃない折角繋がったんだからあけておけば。生徒達の訓練にもなるわ」
あっけらかんと言い放つ母猫に、教師も悪魔も驚きの表情になる。
母猫は尻尾をくゆらせながら、いいことを思いついたというように続けた。
「この訓練場を小さなダンジョンにして、生徒達に訓練させる場所にすればいいのよ」
「だけどかぁちゃん。流石に危ないよ。管理するやつもいないんだし」
「アンタがやればいいじゃない。どうせ暇なんでしょ、ちょっとはおかあちゃんのお手伝いをしなさい」
「手伝いって。何するつもりなの」
「育ててる子が居るのよ。今度は人間の子なの。私の勉強が出来るし、楽しいのよ?」
「そんな無茶な」
思わず呟いたのは、教師である。
グレーターデーモンは何事か諦めた様子で、がっくりとうな垂れていた。
母猫が言い出したら聞かない性格なのは、子供である彼は良く知っているのだ。
「練習場所が出来て、いいこと尽くめじゃない! そうね、そうしましょう!」
楽しそうに言いながら、母猫は尻尾をふりふりと振る。
その尻尾を見た教師は、さらにぎょっとした顔になった。
母猫の尻尾が、いつの間にか一本から二本に増えていたからである。
「かぁちゃん。力が増しすぎてケットシーじゃなくなってるよ」
「あら、ホント! まあ、別に困ることは無いからいいわ」
「まあ、力が強くなって、寿命がとんでもなく延びるぐらいで実害はないだろうけど」
「あらあら、ステキじゃない! じゃあ、あの子の面倒をきちんと見れるわね!」
「それもいいけどさ。森には戻らないの?」
「そうねぇ。まだしばらくはいいかしら。そうだわ、森に居る子達には私にことはナイショにして頂戴。迎えに来ても大変でしょう?」
「ばれたら俺、皆に恨まれるよ……」
こうして、魔法学校には新しい訓練場が出来ることになった。
少女を含む生徒達はそこで、とても実戦的な訓練を行うことが出来るようになったのである。
その後、この学校は世界有数の魔法学校へと発展を遂げた。
少女は母猫のスパルタ教育のおかげで、優秀な魔法使いへと成長する。
歴史に名を残す魔法使いになった少女は、老後この学校の校長の席に着いた。
以来、少女の子孫達は、強力な魔法使い一族として名を馳せることとなる。
魔法学校の校長を歴任することになる彼等の傍らには、いつも尻尾が二本ある猫が居るのだった。
その猫は今日も、学校の近くの森でカーバンクルを食べるのである。
どうやら羽のおじちゃんの教育熱心っぷりは、育ての母親譲りなようです。