ミカのかいものまじん。
買物魔神が、いつものように厳めしい顔で首をふる。
そっかぁ、ミカはいいと思ったんだけど、この契約は損をしちゃうのかぁ。
じゃあダメだね。
「ごめんなさい、この契約は無かったことにしてください」
「ええええぇぇえ?!、こここまできてぇえ?えええぇぇぇええ?!なぜ?なぜですか?こういってはアレですが、ここまでの条件を出せるのは我が社だけだと自負しております!何が、何が問題なのですか!?」
ごめんねえ、買物魔神がだめって言うから…とは言えず、ミカはとびっきりの笑顔でこう言った。
「ご縁が無かったということで」
***
いつの頃からかミカが買い物をしようとすると、頭にターバンを巻き、立派な髭をたくわえたとてもいかつくて見上げるほど大きな魔神がぽんっと現われるようになった。
その魔神はミカにしか見えなく、ミカが買おうとしているものがミカにとって金銭的に得になるか損になるかを教えてくれるのだ。この金銭的に、というのが意外と難しいのだけれども。
得をする場合は、重々しく頷く。
損をする場合は、厳めしい顔で首を振る。
損にも得にもならない場合は無表情でミカを見つめる。
最後の損にも得にもならない場合というのは、食事とか衣服とか本とかの生活必需品とか嗜好品に関して。金銭的に関わらなければ魔神は一切反応しないらしい。たとえ霜降りたっぷりのお肉をたくさん買ってそれを食べてミカがどーんと太ってしまおうが、テンションがあがって絶対にこれは着ないだろうという服を 買ってしまおうと、魔神は関知しない。そこは全力で関知して欲しいけども、そういう曖昧な損得までをジャッジできないということなんだろうなあ。
そして、普通に生活をしてれば、買物のほとんどがこの生活関係の買物だ。魔神が頷いた買物で損をしたことは一度としてないけども、昔は無表情でミカをみつめていることの方がほとんどだった。
そんなある日。
友達の付き合いで競馬場に行き、ちょっと競馬を知っている人ならば絶対に買わないような馬券を面白半分で買おうとしたら、いつものように魔神が現われ重々しく頷いたことがあった。
私は必死に止める友人を振り切って全財産──それでも三万円ちょっとだったけど──注ぎ込み見事八〇〇万円以上をゲットした。
これは非常に運がよかった。ミカは普段はギャンブルは一切しないし、ギャンブルで買物魔神が役に立つのは極めて稀だからだ。
買物魔神は実際に買物をする直前にしか現われない。つまり、これを買おうかなー?という迷っている状態では決して現われない。ミカが買うぞ!と決心をして お金を支払うか、契約を交わす直前でなければ現われないのだ。なので、競馬だったら当たり馬券に出会えるまで買わなきゃだめだし、宝くじとか、株とかも同 じ理由でだめ。買おうとするギャンブルに対して片っ端から首をふるだけだ。
なんだ、この魔神全然使えないヤツじゃん!というのが社会に出るまでの私の買物魔神に対する評価。
昔の私はこの買物魔神の凄さをよく理解していなかったのだ。
就職ができなかったミカはとりあえず馬券の八〇〇万円を元手に会社を始めた。
するとがらりと世界が変わった。
最初は、海外の可愛い雑貨や服やアクセサリーを買い付けてインターネットで販売する会社だったのだが、私が品物を仕入れようとする度に買物魔神が現われ、その仕入れの損得を教えてくれるのだが、これがもの凄く助かった。
ある時は流行りのチュニックを仕入れようとしたら、買物魔神は重々しく首を振るのでミカは仕入れを止める。すると、同時期に大量に仕入れていた同業者は流行を読み切れなかったとデットストックを大量に抱え四苦八苦する。
ある時はミカ的には可愛いけど、決して主流でないアクセサリーを少量仕入れようとしたら買物魔神が頷く。ならばとはりきって大量に仕入れるとなんとなんとまたたくまに一大ムーブメントが起きてミカが大もうけ。
買物、つまり仕入れに対して、一切のハズレを引かないのだから、自然とミカの会社は物凄く大きくなっていった。
会社が大きくなってきたので人を雇おうと面接をする時も、買物魔神は活躍した。
この人を雇おう!と決心すると買物魔神がやっぱり現れる。そして買物魔神が頷いた社員はとびっきり優秀でミカの会社はますます大きくなった。
もうこうなると、ミカは何もしなくても会社は良い方に良い方に転がりはじめて、扱うものは衣料品だけではなく、いろんな品物・業種に手をのばし、これまた ことごとく成功しミカは二十四歳という若さで財界人の中でも一目置かれるようになったのだった。一躍時の人になり、経済界の若き女王として持て囃され、贅沢もいっぱいできた。
自分のことながら自分のことじゃないような日々が続いた。
***
絶頂期の上の絶頂期の上の絶頂期みたいな日々の中、有能な社員がある慈善事業を買わないかと提案をしてきた。
なんでもその慈善事業団体は親のいない子どもの支援を長年行っていたそうで、誠実さと活動能力の高さはその世界では有名な団体らしかった。
ただこの不況のせいか資金の調達が難しいらしく、ミカのグループに寄付のお願いに
やってきたらしい。
有能な社員は、単純な寄付はムリだが、担保をとった形での貸付ならなんとか上に話を通せる、といったらしい。もっともこれはその団体にはナイショだが最終的にはその団体を乗っ取ることが目標らしい。
今でもなんでそうなるのか、ミカにはよくわからないけども、その慈善事業団体を買ってその活動内容を必要最低限まで縮小しながら運営していくと、ミカのグループのお金を色々有利に運用できるし、大きなイメージアップにもなると有能な社員が提案してくれたモノだ。
ええーそれって何かひどくない?規模を縮小するということは、その分だけ助けられる子ども数が減るということでしょ?というと、とっても有能な社員は真顔で「しかしながら、これからのミカグループの繁栄には絶対に必要な部門です」と怒られてしまった。怖いよ。
うーん、よし! 困った時の買物魔神だよね。
とりあえず、お金の貸付をする方向で契約を結ぶことにして、その慈善事業の代表とあうことにした。
慈善事業の代表は背筋の伸びたおじいちゃんだった。一連の契約説明が終わりいざ契約
をする時に、代表のおじいちゃんは突然ミカの手をにぎって子ども達の未 来を守ってほしいと切々と語った。ミカのグループがおじいちゃんの団体を乗っ取ろうとしていることは、とうにばれているみたいだった。それでも、このまま では自分の団体が立ち行きいかなくなることも判っているみたいで、ならば、いっそ飛ぶ鳥を落とす勢いのミカグループに任せたほうがいいのではないかと考え たらしい。…なんか、なんか胸の奥がむずむずした。うーん…気が進まないけど、有能な社員はとっととサインをしてください!みたいな目でミカを睨んでいるし。
うーん、いっそ買物魔神が首を振ってくれたらミカも自信を持って「買わない」と言えるんだけど。
よし、まずは魔神に聞いてみようと契約のサインを書こうとしたら、いつも通り魔神が現われた。
そして魔神は、重々しく頷いた。
そうか、この契約はミカにとって儲かる話なのか。魔人のいうことに間違いはないものね。そうか、儲かるのか。
でも、ミカは契約はしなかった。
だって、魔神は、とっても悲しそうな顔をしていたんだもの。
***
ミカは喉が渇いたので自動販売機のジュースを買おうとケータイを取り出した。えーと、まだ、残高はあったはず。
実は今、ミカはスカンピンのぷーだ。
買物魔神の判断を無視したら、まさか全てを失っちゃうとはね。びっくりした。
あの後、ミカはあの慈善団体を買わなかったことで、ミカグループの社長から解任されてしまったのだ。…まあ、買わないどころか、あれだけの金額を『無償』で慈善団体に『寄付』しちゃうとかしちゃうと、そりゃあ、役員からも責任を追及されちゃうよね。
もっともそれを理由にしただけで、前々からミカを追い出そうとしていたのかもしれないけれど。
まあ、いい。後悔とかそういうのは全然ない。むしろスッキリした。身の丈にあっていない服をずっと着ていたような気がするし、これでいい。
それにとってもいい発見もあったしね。
あの時まではミカは魔神には感情が無いロボットのようなモノだと思っていたのに、不意打ちであんな悲しい顔をするなんて。…いや、いままでも魔神は魔神なりに感情を持って買物の是非を教えてくれていたのかもしれない。ミカがそれに気がつかなかっただけ。
あの時の悲しそうな顔は、団体を乗っ取られてしまうおじいさんを哀れんでいた?
それとも、支援が無くなり困ってしまう子どもたちを?…または、そうなった子どもたちを見て、後悔するかもしれないミカを?
魔神はそういう曖昧な、感情まではジャッジできない。でも、伝えようとしてくれたのだ。
これからはもっと買物魔神の表情をよくみてみよう。二〇年近い付き合いなのに気付かなかったことが悔しいなあ。
さて、果汁三〇%の微妙なグレープジュースでも買おうとケータイを自動販売機にかざしたら、いつものように買物魔神があらわれた。
もっとも、嗜好品の類なので買物魔神は頷きも首を振りもしない。ミカは自動販売機の微妙なグレープジュースのボタンを押しながら魔神の顔をまじまじと眺めた。
うん、よくみると、味わい深い優しい目をしているじゃない!