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 2‐4

 集落の皆が避難したのはサス・ハ・ベイルジーンの西側に位置し、他の場所より一段低く、また背の高い草が生い茂っている場所だった。

 人工の明かりがない事と、この見通しの悪さを併せれば肉眼で見つける事はそう容易く見付かる事はないだろう。


 ロムは勿論この地形を知っていたが、思いつきはしなかった。

 なのにベイルジーンの民でもないディオールがこちらの方角を支持したのは、羽の迷いのない船頭からして間違いない。


 冷静であればそれに不審と恐怖を抱いたかもしれないが、ロムは目の前の牙の事でまず頭がいっぱいで、それどころではない。


「牙……大丈夫?」

「ああ……。すまん。もう……平気だ」


 気遣うロムの顔を見ないままで牙はそれだけ答えた。護らねばならない時に護れなかった事、己の民を置いて逃げ出した事。全てが牙にとって恥以外の何物でもなかった。

 ロムに牙を責める気持ちはなかったが、牙が慰めを拒否しているのは態度で判る。掛ける言葉もなく気まずい時間が過ぎていく。


 ローディスの神殿騎士が何かを探していたためと、ディオールの対応が早かったおかげで人的被害は然程なかった。……ゼロではなかったが。


 その功労者であるディオールが村の撤退線を担った最後の男達と共に皆の避難場所に辿り着いたのは、夜も更け人が影でしか見えなくなった頃だった。


「ディオール様」

「おう」


 幸い深い傷を負っている様子はなかったが、細かい傷が増えているのは明るい月明りで見て取れた。滴ってきた血を乱暴に手の甲で拭うと、顔を上げたロムに軽く手を振って見せる。


「ディオール!」


 ディオール達が戻ってくる数時間前に合流し、やや離れた場所で羽と何事かを話していたレギオンがディオールの姿を認め駆け寄った。


「お前も無事だったんだな」

「当たり前だろ。残ったんだって? 無茶するなよ、属領でもない奴等を護る必要なんかないんだからな」


 レギオンの遠慮のない言葉にベイルジーンの民は気まずそうに視線を交わす。


「人命に差はない。敵じゃない限りはな」

「俺にはあるよ。俺にはディオールが一番大事だ」

「だからそういう台詞を……まぁいいや。取り合えず血ィ流してえんだけど。水とかあるか?」


 敵の返り血と自分自身が流した血、そして土埃でかなり凄惨な様子を呈していた。見た目の問題だけではなく、傷口を洗い流しておく必要は素人目にも理解できる。


「あ、はい。側に湖が」

「いいよ。俺が連れて行く。地形は判ってるから」


 案内しようとしたロムを手で制し、レギオンはディオールの腕を取る。


「待て」

「何か?」


 背中から声を掛けられレギオンは牙を振り向いた。若干苛立った様な空気が含まれ、声にも棘が混ざっている。


「……貴様あの時、何処にいた?」

「襲撃された時ならガイアラインにいましたよ。気になる事があったものでね」

「よく逃げ場が判ったものだな……」

「そりゃ、指示したのは俺ですから?」

「まるで、襲われる事を知っていたかのような準備の良さじゃな」

「!」


 牙が言わんとする所を理解して、ロムははっと顔を強張らせる。


「かもしれない、ぐらいは思ってましたよ。それが何か?」

「……くっ……」


 忠告した所で耳を貸しもしないだろう。

 そんな嘲笑を言外に含まれ、牙は反論できない。

 間違いなくベイルジーンの民は信じなかったし、信じたとしても動かなかっただろう。

 なぜなら、絶対の守護神たる牙が村には常にいるのだから。

 

「急ぐんで、細かい話はまた後で。行くよ、ディオール」

「あ」


 ディオールは険悪な場の空気を気にするそぶりを見せたが、レギオンに腕を引かれ、逆らわずについて行った。

 おざなりに牙に一礼し、レギオンはディオールと共に湖へと向かう。


「ガイアライン……」


 ぽつりと呟き、牙はレギオンの背中を敵意のこもった瞳で睨み付ける。


「牙……?」

「リ・アディリス?」


 ロムと羽の言葉が重なる。


「ハ・ターブルフェイザー。あの者は信用できるのか?」

「レギオン?」

「そうだ」

「保証するわ」


 羽の返答は簡潔だった。羽どれだけ本気で言っているかを如実に表している。同族に訊き、また肯定を得ながら、それでも胡乱気な眼を向ける牙に微妙な笑みを貼り付けて羽は言葉を続けた。


「あんたが気にするのは判るわ。レギオンは確かに非道を平気でやってきてるし、やる時はやるし、血の池が出来る程度には浴びてるしね」


 そしてその血の中に、レギオンに殺される理由のなかった者の血が混ざっているのも確かだった。


「……」

「オールオーブスの隣に街が出来た頃は、そりゃ私も面白くなかったわ。街の人間も城の人間も穢れきってて、勝手に崇められた所で神子になんて選びたくなかった。でもディオールを選ぶかなり前に一人の人間を選んで……そうね、面白いと思ったわ」

「……」

「私達が宿るものとは確かに違うけれど。汚れた水の中でそれでも足掻き、聖水を呼び込もうとする姿は尊いと思うわ。どんなに血で汚れても信念を失わないレギオンは強い。少なくとも私は評価しているわ」


 羽が神子に求める方向性とレギオンは著しく違う。故に神子に選ぶつもりは始めからない。


 だがそれでも羽はレギオンを認めている。涼しい顔で利を取りながら、一瞬一瞬の情の痛みに傷ついているのを知っているから。


 だが彼はそれを誰に見せる事もしない。弱味は全て自身の中にのみ存在させている。あれが人の皇の形なのだと、少なからず感心している。


「……理解しがたい」


 ややあってから牙はそれだけ答えた。


「そうね。セ・ローディスロードに聞けば少しは判るんじゃない? そういう小難しい話好きだからね、あいつは」

「……御免じゃな」


 少しだけ考えた後で否定したのは、旧知の相手と会う事か、それとも知って自分が変わるのを恐れたためか。

 指摘をすれば、どちらも牙は否定しただろうが。


「……セ・ローディスロード?」

「ローディスの守護神よ。私達と同族。本体から王宮で奉られてる変り種。あんた達風に言うなら『(ひづめ)』ね」

「あ、それなら聞いた事ある」


 どれほど世情に疎くても、何百年と歴史のある大帝国の、存在した時から守護神である蹄の名を耳にしない訳がない。


「そう言えば、久し振りに神子を選んだって行商に来た人が言ってた気がする」

「ああ、そうであったな」


 牙達は神子を選び、その神子の神力と波長を合わせ具現化する。

 神子が不在の時は薄ぼんやりとした陽炎の様な姿で気紛れに現れたり消えたりしている。その状態だとこちらの世界にさしたる影響力を持たないのだ。


「あんたも見たでしょ? 集落を襲った連中が翼ある一角の馬を紋章にしてたの。あれはセ・ローディスロードの姿なのよ」


 言われてみればそうだった。ツアル・セイリスの国紋も羽の本来の姿である不死鳥がシンボルになっている。


「……」

「ま、もう向こうから手を出してきたんだし隠す必要ないわよね。私達がベイルジーンに来たのはローディスの動きが気になったから。目的は結局わからなかったけど、サス・ハ・ベイルジーンに干渉しようとしているらしいって話だけは入ったのよ」

「……」


 無言で牙は羽の話を聞いていた。表情は無く考えは読み取れないが内心、複雑である事は間違いないだろう。


 本来、牙達守護神と呼ばれるもの同士の仲は決して悪くない。しかし土地に拠り、人に拠る事で対立する事が少なくなかった。


「知ってる? あんた達の自治権は認められてるけど、実はどっちの属領かってのは私達とローディスで食い違うのよね」

「え……?」

「当然私たちはツアル・セイリスの属領だって主張するし、向こうはローディスの属領だって主張するわ」

「ど、どっちでもないし!」


 本人達の預かり知らぬ所で、どうやら大国同士は勝手に揉めていたらしい。本人達が知らないのは、政治的に一切かかわろうとしなかったせいでもあるし、どちらの属領であっても立場は変わらないからという理由もある。


「だから、ここは干渉するのはデリケートな土地なの。だからこそ――うってつけだったのでしょうね」

「……」


 ここまでの話は以前から変わらないツアル・セイリスとローディスの確執だ。

 現在起こっている事の核心はここからだと、ごくりとロムは喉を鳴らす。


「サス・ハ・ベイルジーンといえば真っ先に浮かぶのはあんたが封じた『鬼』の話よ。まさかセ・ローディスロードがそんな馬鹿なことをするとは思わなかったけど……集落を襲った奴等を見る限り間違いなさそうね」

「……セ・ローディスロードがわしを害すために策を講じたと?」


 それはそう思っていないというよりも、信じたくない思い故の呟きだった。


「全く知らない事はないと思うけど、嬉々としてやっている訳ではないと思うわ。どちらかと言えば、これは国同士の問題だから」


 慰めともとれる羽の言葉に、牙はほんのわずかに痛ましげな表情をした。

 普段は政治に一切かかわらない牙だから意識する事はないが、羽はおそらくもっと複雑な思いをしているのだろう。


「そうか……」

「あの人、ガイアラインで何してたの?」

「レギオン? 別行動でガイアラインの監視。リ・アディリスの神力が落ちているのは聖地が穢されてる証拠だけど、それは今小康状態でしょ? 極端に神力が落ち込んだのは穢されてる真っ最中だからで、良くなったのはガイアラインにちょっかい出してる連中を倒したからよ」

「……成程……」


 自分が知らぬうちに助けられていた事が面白くないのだろう。呟いた牙の言葉には苦いものが混じっていた。


「『鬼』がどちらに向かうか判らないけど、多少なりと操れる自信があるのでしょうね。そんなものに襲われたら大被害よ。だからこっちにも利有りだから気にしないことね」

「……牙……」

「すまん」

「……いつから……?」


 牙に伝えてもらえなかった事、自分が気が付かなかった事。そのどちらもがロムにとってショックだった。醜態を見せた後で尚牙も隠そうとはしない。


「ここ一月ほど前からじゃ。夜のみの事じゃったしのう……」

「……そんなに、前からなんだ」


 その期間の長さがまた衝撃だ。

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