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作者: 佐々木海月

 セトは最高に不機嫌だった。

「アルマント教授、ひとつ聞いてもいいですか」

「なんだね、言ってみたまえ」

 前を歩く老学者が、足を止めて振り返る。

「どうして地図も読めない人が、調査隊の隊長に抜擢されるんですか!」

「し、失礼な! 読めないわけじゃないぞ、この地図が間違っとるんだ!」

 ひらひらと、手に持った地図を見せながら主張する。セトは、自分より一回りか二回りほど小さいその体を、どつき倒してやりたくなった。

「そう怖い顔で睨むな」

「もともと、こういう顔です」

 日はとうに暮れ、辺りは真っ暗だ。彼ら二人は、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいる。

 周囲には、ぼろぼろに崩れたコンクリート建造物が並んでいる。舗装されていたと思われる地面は、今は網の目のようにひびが入り、捲れ上がっていた。

「この辺りは、遺跡としては新しいですね」

「どんなに古くとも、せいぜい20世紀くらいだろう。この時代の建物は保存状態がよくない」

「・・・そろそろ、野宿する覚悟を決めた方がいいのでは」

「今日初めて、建設的な意見を言ったな。うむ、意見とはそうでなくてはいかん」

「・・・・・」

 

 ふと、セトは足を止めた。

「教授、煙」

「ん? 私は煙草はやめたのだ。妻がな、・・・」

「いや、あんたの奥さんはどうでもいいです。あれ見てください」

 セトが指さした先、コンクリート建造物の黒々としたシルエットの隙間から、白い煙が立ち上っている。

「これまでの経験からすると、人がいるようだな」

「これまでも、こんな経験をなさっているわけですね」

 言葉はいまいちかみ合わないが、二人とも自然と、足は煙が立つ方へと向いていた。

 

 

 焚き火の周りに、人影は無かった。

 セトは用心深く、その周りを一周した。缶詰が転がっている。未開封のものもあれば、カラのものもある。都市部で流通している、メジャーなメーカーのものだ。いくらか、希望が湧いてくる。ここで食事をした誰かは、町にも立ち寄っているということだ。近くに、缶詰を買える程度には大きい町がある。その人がこの焚き火を焚いたのだとしたら、それを放っておいてどこに行ったのだろう。

 老学者は、そんなセトには構わず、焚き火の前に座り込んでいた。夜気で冷えた両手を、焚き火にかざしている。セトはため息をついた。

 そのときだ。

 

「旅の人ですか」

 

 声は空から、降ってきた。

 セトは見上げた。

 そして初めて、自分が黒々とした巨大な建造物の麓にいることに気づいた。

 不可解な形をしている。数本の太い鉄骨が、四肢のように全体を支え、その上には頭部を思わせる球形の固まりが見えた。巨大な獣のようなシルエット。

 その肩の辺りに、小さく人影が見えた。

「答えてもらえますか」

 こちらを見下ろしている。

「道に迷ってるんだ。遺跡の調査なんだけど」

 人影が動いた。するすると、慣れたように支柱を伝い、下りてくる。フードを目深に被っていて、顔はよく見えない。長い外套は裾が破けて、ぼろぼろになっている。

「失礼。この辺りは物騒な連中も多いので」

 革の手袋を外し、フードを取った。銀色の髪が、一瞬でその場に光をともしたようにふわりと光った。目は赤く、肌は蝋のように白い。都市部の地下街で暮らす人々に多い特徴だ。日光を受けないため、色素が極端に薄い。彼らの多くは日光を避け、都市部から出ることはまずない。

「ここで、何を?」

「灯台のつもりです。この辺りは、昔の都市の遺跡が多くて迷いやすい」

 そして、腹は減っていますかと、缶詰を拾ってこちらに放った。缶切りならあるから、と。

「私にもくれんかね」

 老学者が、こちらに背を向けたまま、肩越しに手を出した。

「・・・こちらは」

「上司」

「なるほど」

 何がなるほど、なのか分からなかったが、セトは缶詰を一つ、老学者の手に乗せてやった。

「この辺りは、22世紀頃までの都市部の遺跡ですよ。今は見る影もありませんが」

「もっと古いものは・・・」

「だいぶ西に行かないと」

 セトは老学者の方を睨んだ。もっとも、彼はこちらに背を向けて座っているので、気づいていないだろう。

「あなたも座ったらいい。お疲れでしょう」

 セトは言われるままに、座った。焚き火の周りには、先ほどは気づかなかったが、コンクリート片や鉄骨などが、ちょうど座れるように配置されていた。

「これは何だろう」

 セトは、気になっていたことを聞いてみた。黒い、獣のような建造物のことだ。

「プラネタリウム、というらしいです。今は動きません。屋内に星空を映すための機械です」

「・・・プラネタリウム」

「ええ、今は跡が残っているだけですが、ほら、ぐるりと囲むように円形のドームがあって。中を真っ暗にして、あの機械で星を映すんです。天文学の学習用にも使われたようですが、星空を鑑賞するために使用することも多かったようです」

「当時は星はほとんど見えんかったからな。とくに都市部は。原因は化石燃料だ。あれは空気を汚す」

 もぐもぐと、口を動かしながら老学者が口を挟んだ。

 見ると確かに、機械を囲むように、円形の基礎だけが残っている。彼の言うドームは、とうに崩れ去ってしまったらしい。コンクリート建造物は意外に脆く、何百年も持つことはない。この時代の建築物は消耗品であり、古くなったら建て替えるのが普通だったという。情報工学が飛躍的に進歩した時代なので、資料は豊富に残っているけれど、現存するものは非常に少ない。そういうことをひととおり説明してから、彼は、 図書館で得た知識ですけど、と付け加えた。

「何のためにと言われても困りますけどね。でも好きですよ、そういうの」

 いつもここにいるのかと聞くと、まさかと笑った。少し行けば、町があるらしい。

「ほかの町に行くには、この遺跡を通るのが近道なんですけどね。でも大きいでしょう」

 それで迷って、出られなくなる人が多いということだろう。そういう人のため、彼はこうして煙を上げ、行き来する人を導いているのだという。気楽そうに話しているけれど、タフな仕事だ。物資を運搬する人間がいれば、必ずそれを奪う人間も出てくる。先刻、彼が頭上から声をかけたのは、そのこともあってだろう。

「あそこは遠くを眺めるのにちょうどいいんですよ。はしごもあるし、意外と鉄骨はしっかりしている」

「悪くないね」

「ええ、悪くないですよ」

  

 見ると、老学者はいつのまにかコンクリート片を枕にして、いびきをかいていた。傍らには、空き缶が転がっている。朝まで起きないだろう。朝になっても起きないかもしれない。そのときは置いていこうかと、半ば本気で思った。

「しかし、わざわざこんなでっかいものを造ってまで・・・」

「そういう時代もあったということです。もう用済みです。外に出ればいい」

 そう言って、彼は空を見上げた。

 つられて、セトも空を見上げた。

 そういえば、改めて星を見る機会なんてほとんどない。

 天の川は夏の浜辺の砂をこぼしたように、キラキラと光っていた。

「僕がプラネタリウムを――このでっかいガラクタを好きな理由は多分、それが、優しい嘘だからでしょう」

 彼は目を細めて、空を見上げている。

「空気が汚れていて見えないけれど、『本当は』こんなに星が綺麗なんです、って、『ニセモノの』空を見せるんです」

 そういう時代もあったんですよと、彼は静かに笑った。

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