現世
最初に目に入って来たのは限りない闇だった。
何がどうしてこうなったのか心底疑問に思うが、私はお墓の前に、独りポツンとつっ立っていた。しかも、夜にも拘わらずだ。
この状況に至ったまでの記憶はおろか、今まで生きてきた記憶がすっぽりと抜け落ちていた。しかしこれといった外傷もない。どうやら、何者かに拉致されたとか、そういうたぐいではないらしい。
見回せど、そこにあるのは無数の墓のみ。いや、他にも供えられた花などはあるのだけれども。
ひとまず落ち着いて考えてみよう。ここは墓だ、間違いなく。
じゃあ、私は? ありえない自問。そしてやはり何も思い出せない。
――「詩織」
「っ!」
頭の中に響いた温かな声。それは何度も何度も聞いた、彼が私を呼ぶ声だった。
私の名前は――詩織。
良かった。「私はだぁれ?」なんて笑えない冗談はとりあえず言わなくて済みそうだ。しかしそれ以外は、彼の事を含め、何も思い出せない。
何気なく目の前の墓石に手を伸ばし、ペタペタと触れてみる。すると予想通りひんやりとした感触が手に伝わって来た。
「ねぇ君、そんな所で何してるの?」
と、その時背後から声が掛かった。
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