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御機嫌よう、氷結の女王

 学園(アカデミー)の学生食堂で英次と梨華が新緑の治癒術師(クレリックリーフス)の二人を待っている間、二人は向かい合って座って居た。


 土曜日の学園(アカデミー)で授業もないのにここに来るのは正直な話、億劫だった。休み、と言えども完全寮制のここでは多数の生徒、学生が食堂を利用しにやって来るので、英次、梨華が待ち合わせをする上では好都合だった。自分も相手も学園(アカデミー)の人間なのだから誰の目にも止まらない。例えどんな有名人でも、だ。


「お待たせしました」


 元気のいい方が走ってやって来て英次の隣に座ると、もう一人もやって来た。


「お待たせだー」


 大人しそうな顔立ちの少女がゆっくりと梨華の隣に座ると、英次は揃ったか、と梨華に視線を送る。


 始めろ、と視線で梨華に合図を送ると、梨華が「そうね」と頷く。


「海の中に(はい)るのよね、二人とも潜水魔術(フロートプログラム)は使えるの?」


「そうじゃなかったら一緒に行く、なんて言いませんよぅ」


 大人しそうなほうが「何を言ってるの、この人」とくすくすと笑い、梨華は「海底に貼り付けてやろうかしら」と二人が睨み合う。


「あなた、海の中に潜ってもそんなに口を開けるのかしら」


「えー?海の中で会話するって、魔導師(ウィザード)なら精神情報網接続(ネットワーク)でいいじゃーん?ばかでしょー」


「…」


 梨華がにこりと微笑んで、理紗がフンと鼻で笑う。明らかに仲が良いとは言えない二人に英次が頬を引き攣らせていた。


「名前くらいは聞いていいか?」


 英次が隣の少女に尋ねると、少女が頷く。


「私が里緒、あっちが理紗ですよ」


 元気で丁寧な言葉遣いのほうが里緒、大人しそうだが影がありそうで、更紗に似ているような印象を受けるのが理紗、ということだろう。


「俺は英次、あれが梨華。一応、国連魔道軍(UNマギナリー)の無音の投擲槍(サイレンスジャベリン)隊長(リーダー)と…副隊長(サブリーダー)だ。今回は公務から外れるけどな」


「いいんですかぁ?一応、下手すると国際法に抵触する可能性がありますけど…」


 しゅん、と小さくなる里緒に英次が「そこら辺は気にするな」と笑って見せると、里緒がにこりと微笑んだ。


「英次さんは優しいんですね…。でも隊長(リーダー)さんが規律(ルール)を気にしないのはダメだと思うんですよ」


「優しいか?どうだろうな…俺はそんなことよりもあっちの二人が大丈夫なのか気になるんだけどな…。規律(ルール)以前にあのお姫様をどうにかしないとなぁ」


 黙って睨み合う梨華と理紗を横目で見て英次がため息を吐く。


 梨華って意外と…気が短いのか?


 英次は取り合えず二人が落ち着くのを待っていると、梨華がはたと英次が呆れているのに気付いて英次に視線を戻す。


「先に進みましょう…」


「そ、そうだね」


 梨華と理紗が立ち上がって英次と里緒が顔を見合わせて苦笑する。


 四人が学生食堂から出て行くのを後ろ手に確認して、にこりと、どこか抜けている女性が目の前の男性に微笑んだ。


 肩章に新緑の治癒術師(クレリックリーフス)隊長職(リーダーポジション)を示すリボンが描かれている女性は、とん、とんとテーブルを叩く。


「あの二人、ウミボタルソウを大量に集めているっていう噂があったけど、そう言うことね」


「ええ…ですが…」


 眼鏡をかけた青年は何かを諮詢するように視線を泳がせる。


「ここ日本が貴族国家になってからと言うものの、最近は魔導家の出身が横暴な行動を始めています。自衛隊ですらその発言に従う節が見受けられる、このままでは国家が危険ですよ」


「皇族議会と民主議会が論争を続けるのはしょうがないんだけどね…。梨華…公爵家の娘よね」


「特殊財団である会長が公爵位にありますからね。本人は自分の生い立ちを周囲の人に話したがりませんからね」


「必要ないから、でしょうか」


「血族ではなくとも家名は意識しているでしょうねぇ、あの子も。瑠璃さんもそう言ってましたし」


 前任の新緑の治癒術師(クレリックリーフス)部隊の隊長(リーダー)を思い出して、ふぅ、と女性はため息を吐いた。


「瑠璃前隊長殿はその…梨華の話をしていましたよね」


 青年は「うーん」と顔を顰めて唸り声を上げる。


「内々に調査する必要があったウミボタルソウの出所は意外な形で決着がつきそうだね」


莉昂(ライア)隊長、どうしますか?」


 隊長(リーダー)はうーん、と人差し指を顎に当てて上に視線を向けて考える素振りをする。


「龍騎、新緑の治癒術師(クレリックリーフス)を招集、海戦準備」


「了解しました」


 龍騎が静かに立ち上がって、にやり、と笑う。


「あまり派手な作戦はダメだよ?わかってるよね?」


「ええ、もちろんですとも。少数精鋭でかかります。新緑の治癒術師団(クレリックリーフス)粛清部隊(パージャス)を動かします。よろしいですね?」


「ええ、私も向かうけどね。嫌な噂が絶えない海域だし…」


「了解しました」


 龍騎は眼鏡をクイと左手で顔を覆うように上げて、にやり、と笑った。






 水瀬伯爵閣下自治領、旧神奈川県と旧東京の日本国家主席統治領の間、東京湾から沖合二百六十キロの沖合まで英次、梨華、里緒、理紗の四人が『飛翔(フライハイ)』の魔術(プログラム)を使って現場に到着した。


「大丈夫?」


「さすが、空戦特務部隊(スカイナリーズ)実行部隊(アクティブチーム)だって褒めてあげるよ…」


 息も絶え絶えで言う理紗はどうしてそんな強気なのか梨華には理解出来なかった。彼女も同じ空戦特務部隊(スカイナリーズ)なのにその程度の空戦能力でいいのだろうか…とさえ思える。


「口が開く元気があれば十分じゃない?」


 梨華のだらしないわね、と理紗を見下すような言い方に理紗が悔しそうに答える。里緒、理紗は必死の形相で辛そうに、本当に苦しそうに二人の速度に付いて来ていた。


 早いのだ。


 純粋に『飛翔(フライハイ)』一つを取っても追いかけるのが必至な程早い。下手に動くとレーダーに察知されてしまうので、海面ギリギリを高速で移動する必要があるのだが、それが航空戦闘機の戦闘機動(コンバットマニューバ)よりも早く正確でなければならない。新緑の治癒術師(クレリックリーフス)にいる二人にとって、戦闘経験は数えた程度しかなく、実際に必死だった。


「本当に大丈夫なのかなぁ?もう」


 梨華はそんな二人を見て、誰にも聞こえないように涙目になって嘆く。


「ここから(はい)りましょう」


 里緒に指示されて英次は周囲を見回す。遠くに船が二隻見えるが、海上保安庁の物ではなかった。


「何を目印にここだって?」


「いいからいいから」


 理紗が口と鼻を左手で抑えて目を閉じながら『飛翔(フライハイ)』の魔術(プログラム)を止めると、すとん、と海に落ちて行く。


 どばん!と水しぶきを上げて落ちるようにして入水するが、どう見ても美しいものではなかった。


「おいおい」


 無様な切り替え(スイッチ)に英次が唖然とすると、里緒も同じように「えい」と海に脚から落ちて行く。日本目の水柱があがる。


「まぁいいじゃない。行きましょうか」


 梨華はその場でバック宙返りをして、ひょい、と頭から水しぶきも上げずに海に飛び込んで行く。


「どっちがプロだかわかんねぇよ、ほんとに」


 英次も海に頭から入水して魔術(プログラム)起動(スタート)。視界確保、呼吸確保、対水圧制御を開始する。体温が奪われないように身体に空気の被膜を作って、服を一切濡らさないようにしてはいるものの、水中で行動制限を受けないように身体を飛ぶ状態と同じように、完全に制御する必要がある。


 梨華も少し戸惑っているのか水の中で伸びをしたり、膝を抱えて丸くなって回転してみたりする。


「さすがに慣れない状況じゃ、二人と言えども大変かしらぁ?」


 理紗に嫌味を言われて、梨華がにこりと「ご心配には及びませんわよ、ディーラー」と嫌味を返す。英次はそれを聞いて苦笑した。


「英次さんも大丈夫…ですか?」


 里緒に尋ねられて、英次は親指を立てて「平気だ」と返すと里緒は嬉しそうに「さすがです」と素直に称賛する。


「深々度潜航(ダイブ)を開始する、全員、はぐれるなよ」


 英次の声に全員が一か所に固まって頷く。海流の影響を受けないようにしている魔術(プログラム)でも、海の波は魔力波動(マギサイクル)を大きく含んでいる場合がある。それがジェットの様に噴出しているストリームに呑み込まれると簡単に離れ離れになってしまう。


 ストリームとストリームの衝突に巻き込まれてしまえば、ぺちゃんこにされてしまうし、海底に叩きつけられたりなどしたら、するめイカも驚くような薄さにされてしまうだろう。


 そんなことよりも、気絶したりして魔術を解除(プログラムリリース)させられてしまったりしたら、その場で溺れ死ぬか水圧で殺されると考えた方がいい。水の中や空の上、と言うのはそれだけ危険を孕んでいた。


 ゴーっと時折、海中波の流れる音が聞こえたり、乱水流のぶつかるゴーン、ゴーンという音が聞こえてくる。最初は明るかった視界も徐々に薄暗くなり、深みにどんどん入り込んでいることが嫌でもわかった。


 途中、何度も何度も四人は潜航(ダイブ)を辞めて、全員の状況をチェックする。極度の緊張で魔術(プログラム)魔術式(コード)を調整しきれなくなることを恐れて、英次と梨華は二人の状況をチェックしていた。


 何回も経験がある割には、自己流の部分が多いのか、英次と梨華の二人にとってはそれが心配で仕方がなかった。


 クリアな海底に辿り着くと、光が一切差し込まない状況だった。四人は魔術によって周囲を見る事が出来る様にしてはいるものの、海の底、という場所が本当に暗闇なんだなぁ、と実感する。


「潜水具も付けずに、ライトもなく、人間がこんな場所に来れるようになったのも魔術(プログラム)のお陰なのよね」


 梨華が感慨深そうに言うと、英次が首を傾げる。


「まぁそりゃ、制服のまま素潜りしてこんな場所まで来れるようになったのは、確かに魔術(プログラム)のお陰だよなぁ」


 普通じゃ絶対にあり得ないさ、と英次も梨華に同意する。


「ここです」


 里緒が水中で止まり、ゆっくりと海底に足を付ける。英次と梨華はその場で周囲を見回した。


 静かな海底は光も挿さず、普通の視力では暗闇が広がっているだけだっただろう。深海魚の姿もおらず、それどころか生物の痕跡すらなかった。細かい砂が足元で波の模様を描いていて、生物が動いた痕跡は無かった。


 それどころか、草も生えていない。


 梨華が英次に視線を送ると、英次が頷いた。英次も梨華と同じように、ここがその場所なのか疑問だった。


「ここで本当に合ってるんだな?」


「そうだよ、何回も言わせないでよ」


 英次の質問に理紗が頬を膨らませて機嫌を損ねた。とりあえず、そこまで言うならば、と英次と梨華は周囲を見回す。


「花どころか、草も生えてないわよ。わかめみたいなものなのかしらね、そのウミボタルソウって」


「一応、鈴蘭みたいな花らしいぞ。絵里がそう言ってたんだが…」


「あの子、変な事知ってるのね…」


 梨華は絵里の名前を上げられて嫌そうな顔をする。懐かれているのに嫌そうな顔をする、と言うのも変な話だ、と英次は梨華を見て苦笑すると、海流の温度が変わった。


 冷たい深海の水温がやけに生温かくなり、梨華と英次は手から光のラインを海底に突き刺してアンカーの代わりにして吹き飛ばされないように踏ん張ると、里緒と理紗が同じようにしていた。


「なに?」


「お客さんだ」


 梨華、英次の順に気付いて海面の方を見上げると、水色のダイバースーツを来た人間が物凄い勢いで突進してくる。手にしている得物を見て、英次、梨華は敵意を察知する。


「二人とも、戦闘出来るの?」


「少しくらいなら出来るよ…」


 梨華に理紗が失礼な、と腰に手を当ててがなると、梨華は相手にするのも面倒そうにため息を吐く。


「邪魔はしないように」


「なんですって!」


 梨華の人を見下すような言い方に理紗が顔を真っ赤にすると、梨華に向かって銛が発射される。


 カーン!と響く様な音と同時に梨華が首を右に捻ってそれを目前で回避して、右手でそれを掴み取る。


「危ないわね」


 鋼鉄製の銛が小さく丸くなって、球体に変化して、梨華はそれを手でぐにゃりと潰して、小さな鉄球をいくつも作る。


「バーストボール」


 小さな球体が何本もの小さな針に変わって、梨華は左手の指を擦り合わせる様にして、パチンと合図を飛ばすと、針が炸裂して銛を打った本人に突き刺さった。


「え、うわ」


「ひっ」


 里緒と理紗が同時に悲鳴を上げる。絶命した瞬間、魔術(プログラム)の効果が切れて人間が瞬間的に小さくなって、体液という体液が噴出して周囲に漂っている。おびただしい赤い血液が波に運ばれて、視界がすぐに戻った。


 耳に残る、人間の身体が水圧でひしゃげる音。ごきゅり、と骨がきしみ、内臓がぱつんと爆ぜたあの音は梨華でも心地良いものではなかった。


「えぐいなぁ」


 英次がさすがにどん引きだな、と両こぶしを腰に当てる様にして身構える。


「それ」


 海流が変化したように急激に英次の周りを竜巻のように回って、英次の前にそれが収束すると、明らかに海水の濃い部分が人型の様に浮き出ている。高密度に海水を圧縮して、そこに仮想聖霊(ルーチン)を設定した、海水人形だ。英次と同じ大きさの人形が三体出来あがると、それが肉弾戦を仕掛けて進んで行く。海水の中に海水だから見えない、というわけではなく、塩が周囲より凝縮されていて、屈折率が変わっているので、薄ぼんやりと人間の様な形の姿が見えていた。


 英次の人形と梨華のボールで八人の人間が一瞬にして肉塊に変わり果てる。


「あら、海上自衛隊みたいね」


「まじか」


 梨華がドッグタグを見つけて英次にそれを手渡す。


「どういうことだ?」


 英次が里緒に尋ねると、里緒が視線を泳がせる。


「日本国がルクススポットは国営管理するべきだって、強引にこういう特殊なエリアを確保しようとして、私たちが見つけた場所取ろうとするんですよ…」


「私たちはこれが必要だから、絶対に渡せなかったの」


 里緒に理紗が続くと、英次と梨華は顔を見合わせる。


「だから非合法にキャットテイルに?」


「だよ」


 理紗が頷くと、梨華はため息を吐いた。


「まずいことになったな…相手は俺たちだけだと思っているから、あの程度の戦闘力しか送らなかったと見て間違いない」


「ってことは、本隊が来るわよ。下手したら領主の粛清部隊(パージャス)かしら…」


「だけだといいんだけど…な。連合で来られるとお手上げだ」


 英次は嫌な予感がする、と海面を見上げる。英次の心配は国家クラスの戦力よりも、領主の保有隊のほうが面倒だ、と痛感していた。


 里緒と理紗が何かを言いたげだったが、二人がぐっと堪える様にして我慢している。


 国軍でもなければ、治安維持部隊でもない。領主の意向にそって忠実に活動する、言わば私設軍だ。国会議員などというどうしようもない連中が国を狂わせようとした瞬間、クーデターを起こしてその実権を手中に収めた貴族議会の公爵位、伯爵位などには、私設軍隊の保有が許可されている。ある種、法律の外にいるような連中だ。面倒なことこの上ない。


「お出ましだ」


粛清部隊(パージャス)じゃないかしら、あれは。水瀬伯爵閣下の…」


「知り合いか?」


 英次に言われて梨華は「さぁね」と苦笑する。そこまで諸侯の持つ私設軍に関して英次は関心がない。梨華は色々と挨拶を済ませているのか、それなりに詳しいようだった。挨拶と一緒にお手合わせもした事があるのだろうが、詳しく聞かない方が互いのためだ。


「どうでもいいけど…戦闘行為はするつもりがないみたいね…」


「水瀬卿…莉昂隊長(らいあリーダー)の…」


 理紗が口走ると、里緒が青ざめて行く。


 まさか…私たちの殲滅?だけど…莉昂隊長(らいあリーダー)がそんなことに加担するなんて…。


 理紗が挙動不審におろおろとしているのを見て、梨華が「なるほどね」と呟く。大体事情は呑み込めた。


単独行動、泳がされた、国家部隊、水瀬卿…。


 その単語が梨華の頭の中で素早く組みあがって行く。英次も粛清部隊(パージャス)を見て「ほう」と納得した様子だった。


 行くべきか、行かぬべきか。


 梨華がは五人がゆっくりと降下して来るのを見上げて身構えると、英次がその更に上を指差した。


「新緑の治癒術師(クレリックリーフス)、三番隊隊長…水瀬莉昂」


 梨華は自分の義姉の瑠璃を思い出して舌打ちする。の新緑の治癒術師(クレリックリーフス)隊長クラスは下手な実働部隊(アクティブチーム)よりも戦闘能力が高い。しかも今回は私設軍まで連れている。里緒、理紗を連れての戦闘は不利だ。ディーラーの身柄は絶対に確保しなければならないが、それどころではない。


 莉昂は学園(アカデミー)制服(ブレザー)で身を包み、海底にゆっくりと脚を付けた。


「御機嫌よう、氷結の女王(アイスドクイーン)


 梨華がついこの間まで呼ばれていたコールだ。涼しい顔をして幾戦も駆け抜け、そして幾千人も屠ってきた、まさしく戦場の女王と称された号。


「ご挨拶ね、妖精の踊子(ウィンドピクシー)


 対して爆風冷めやらぬ中を駆け抜け、何人もの戦災者や怪我人を治療して回った、奇跡の救世主、風の中を縦横無尽に駆け抜ける妖精と称された号。


 対極。


 二人のして来たことは全くの対局でありながら、その実、良く似ている事があった。


 何度も顔を合わせ、そのたびに互いに苦い思いをして来た相手だ。


「仲違いに口を挟むつもりはないけれど、同じ新緑の治癒術師(クレリックリーフス)隊長(リーダー)さんがこの二人に何か用?場合によってはディーラーの保護を優先させてもらうわ」


 梨華が左手を莉昂に向けると、莉昂はにこりと微笑んだ。粛清部隊(パージャス)が莉昂の周りをぐるぐると警戒するように旋回している。


「その二人を引き渡していただける?あと、ウミボタルソウの回収作業は邪魔するつもりはありませんわ」


「ん?」


 英次が首を傾げると、里緒と理紗が莉昂の元に歩を進めた。


「待て、事情を説明…」


 英次が二人を止めようとすると、二人はゆっくりと首を横に振った。


「全部、ばれちゃったのですね?」


 里緒が涙目になって尋ねると、莉昂がにこりと微笑み返して言葉は口にしない。


「…あら、お客様だわ」


 莉昂が海面を見上げると、自衛隊の第二部隊が降下、展開していた。


 瞬間的に海面に光が突然差し込んで、その場にいた全員が顔を伏せる。


「なっ」


「ええっ」


 里緒と理紗が驚愕の声を上げて、梨華と英次は異様な魔力(マギウス)の集中に肌がびりびりと通電したように震えた。


「こいつは…」


 英次が周囲を見回すと、海底いっぱいに小さな芽が芝生のように広がり、つぼみを付けて一気に開いた。その成長速度はまるでビデオを早送りさせらているような感覚で、ところどころに転々と淡い光を放つ花弁がホタルのように輝いていた。


 ウミボタルソウ、とはそういう意味なのだ。そしてその花はひっそりと消えゆくのを待つ雪のようだった…。


「回収できないか…強奪出来ぬ場合は消滅させる!」


「了解」


 自衛隊の実行部隊十四名が一斉に地面に向かって魔力弾(マギウスバレット)を掃射する。赤い光が海底に突き刺さって、まるで耕すかのように地面が抉れた。


「止めるわ」


「お宅らは敵?味方?」


 梨華が飛び出して行き、英次が莉昂に尋ねると莉昂は「そうね」と呟く。


「かわいい私たちの子を助けていただいたのでしょう。ならばここは味方の方がいいわね」


 莉昂の言葉に里緒と理紗がぱっと嬉しそうに笑顔を浮かべると、英次は「なるほどね」と頷く。何発もの魔力弾が地面をひっくり返す勢いで放たれ、梨華はそれを辿る様にして浮上して一人、二人とすれ違いざまに撃墜(シャットダウン)、海面に向かって疾走しては、海底に向かって折り返して来る。


 幸い、まだウミボタルソウに被害は出ていないが、いつ直撃するかわからない。


 梨華がそう思うと、英次が放たれた魔力弾(マギウスバレット)を微妙に遠隔で逸らしているのを見て「さすが」と口にする。過去苦しめられた相手が味方になると心強く感じるのはこういう時だろう。


 それよりも…。


 梨華は途中で気付いたことがあった。ウミボタルソウは微量な魔力(マギウス)にも反応してしまうから、そのため梨華は直接拳に魔力(マギウス)を込めて衝撃を相手の体内で増幅させる衝撃魔術(インパクト)を使用していた。


 海中にぱっと散る赤い血液は、水の中に拡散する血の色はどす黒く、見るだけで気分が悪くなる。


 陸ならば助かる命もあっただろうが、ここは海中戦。魔力弾(マギウスバレット)が接触して耐圧や呼吸器系の魔術(プログラム)が乱れようものなら、水圧が一斉に牙をむいて被弾した者を押しつぶす世界。


 海は空と良く似ている、と魔導師(ウィザード)は口にする。


 墜とされてしまえば、二度と戻る事ができない…。


 莉昂は里緒と理紗を後ろ手に守る様に守護防壁(カーテン)を展開、海底に透明のドーム壁を展開して梨華と英次を見上げていた。そして守られている少女たちも二人を見上げている。


 海上自衛隊の実行部隊はこちらを民間、ないし個人の魔導師だと判断して、ウミボタルソウの確保をしようとしているのだろう。英次も梨華も事情は知らないが、どちらも互いにこの場所を明け渡すつもりはない、と言う事なのだろう。


 国連、国家、貴族諸侯…。


 この関係がより事態をややこしくしている。


 英次や梨華は物事に捕らわれない自由な形の部隊(チーム)で今もこうして、合法非合法を問わず協力を惜しまない。国家の独占を快く思わないから、と言えば気分がいいが、実際、英次は梨華がやっているから付き合っているだけで、梨華は国家や国連、という数の組織が嫌いだからやっているだけに過ぎない。


 身勝手な正義で動くような二人ではない、というだけで、今戦っている理由は里緒や理紗よりも最も原始的な『戦闘行為への欲求』が強いだけだった。


 十数人がたった二人を包囲することも叶わず、一人、一人と互いの位置を入れ替えるだけで撃墜されて行く。撃たれる者、触れられて霧散するもの。


『回収、できないの?』


 梨華の精神接続情報網(ネットワーク)からの直接の声に三人が我に返ると、足元の白い花が完全に開ききっていた。花弁と種を回収する事が本来の目的で、邪魔だから敵性勢力を排除している英次と梨華にとって、茫然とただ見上げている三人は阿呆以外の何物でもなかった。


「急いで回収しましょう」


「でも…」


 里緒がおどおどと挙動不審に足元の花を見つめると、理紗も同じことを考えていたのか、莉昂を見上げる。


「私たちは妙薬草の管理義務のある部隊員(チームメンバー)の報告義務を怠って居るのに、お咎めなしなんですか?」


「…報告は後で受け付けます。回収急いで」


 莉昂が理紗の疑問を一蹴すると、二人が慌てて回収を始める。


 二十もないその数の約半分を素早く手で摘み終えるとすぐに白い花弁が茶色く変色して海流に呑まれていく。


「…残念だったわね」


 梨華がにやり、と笑うと実行部隊が素早く撤退して行く。二人に簡単に抑えられた、とあってはこれ以上の戦闘の意味はないと悟ったのだろう。


「敗戦処理がんばれぃ」


 英次が嫌味を言うと、梨華が苦笑する。


「さて…こっちはこっちの問題よね」


 梨華はややこしいことになった、と莉昂を見下ろす。ルクススポットの光が徐々に収束して、減光、収束したのはそれからすぐのことだった。


「もっと大量の花が一面に咲き乱れるものだと思ったけれど…この数だったのね」


 梨華と英次が海底に着地して、ふぅと息を吐くと莉昂と粛清部隊(パージャス)の面々が二人の前に整列して踵を合わせる様にして直立不動に起立した。


「無音の投擲槍(サイレンスジャベリン)、英次隊長殿および梨華さんに敬礼」


 莉昂の凛と通る声に全員が右腕を曲げて右手を胸に押しつけて拳を握る。


「貴殿ら二名は水瀬卿より勲章が授与されます。おめでとうございます」


「…勲章、ねぇ」


 梨華が興味なさそうに英次を見ると、英次は肩を透かして見せる。互いに興味なし、といった雰囲気に里緒と理紗が渋い顔をする。水瀬卿から直接武勲をもらう、という栄光を馬鹿にしているようにしか思えない。


「勲章ってなによ」


「さぁな、上の考えはわからない、が、もらっておいて損はないんだろ」


 梨華と英次の言葉に莉昂がにこりと微笑む。


「拠点防衛の功績を湛えて、逆十字翡翠勲章(エメラルドリバースクロス)が授与されます」


 その名前を聞いて里緒が目を丸くする。翡翠(エメラルド)勲章の中でも最も『平和を愛し、平和のために物事に囚われず作戦を遂行しきった魔導師(ウィザード)』に与えられる勲章だ。


「理由は?」


 英次が厭味ったらしく尋ねると、莉昂は「そうですね」と呟く。


「ウミボタルソウはその特性から多くの人間が利益確保のために強引に搾取してしまっています。そのためにしばしば争いになることがあるのです」


「今みたいにね」


 梨華がうんざりだわ、と頭を振ると莉昂がゆっくりと頷いた。


「あなたたちは里緒、理紗の依頼のままに自らの利益のためだけでなく作戦を遂行し、それを完遂した。それが功績です」


「まったくわからないわ」


 梨華は面倒そうに言うと、里緒と理紗が莉昂の前に立って片膝を海底に付けて頭を垂れる。


「水瀬卿の奥方が過剰魔力症(オーバードーズ)で意識不明の重体だったのです」


 里緒が口を開くと里緒が潤んだ瞳で英次と梨華を見上げる。


「どうしても、今回のウミボタルソウは奥方に献上しなければならなかったの…。私たちは毎日海に潜って、ウミボタルソウの分布から新しいスポットを見つけて…」


 理紗がたどたどしく口にすると、莉昂が右腕を上げると、二人が莉昂の後ろに下がる。


「弁明は後で聞きます。個人で勝手に動いて良い訳がない。それはまた別の問題ですが…酌量の余地はあるでしょう」


 莉昂が窘めるように厳しい口調で言うと、二人が小さくなる。


「あら、それならむしろ私はそちらの二人に勲章が授与されるべきだと思うわ」


「…本当にですか?」


 莉昂と梨華が真っ直ぐ見つめ合うと、梨華はにこりと微笑んだ。


「私たちは依頼料を頂いているのだから、勲章は必要ないわ」


「だな」


 英次が頷くと、莉昂は小さく頷いた。


「水瀬卿にそうお伝えしましょう」


「そうしてくれる?」


「確かに…しかし問題があります」


 梨華に莉昂が続けて言う。


「国軍の中にも横暴な士官がいる様子ですね。今回もそういった輩が独善と利益を求めて動いている。これは由々しき事態だと思いませんか?」


「そうね、でも私たちは一魔導師(ウィザード)としてそれをどうにかする事は出来ないのよ」


 梨華が呆れたように言うと、莉昂は残念そうに苦笑する。


「そうですわね…そうでしょうとも」


 英次は「なるほどね」と呟くと、梨華はどうでもよさそうに海底から足を放して少しだけ浮上する。


「私、用事を思い出したから行くわね」


「ん?ああ、急ぎかな?」


 話が全て終わる前に立ち去ろうとする梨華に英次が苦笑いする。


「ええ、とっても急いでるの。だからまたね」


「仕方ねぇな。行ってきな」


 英次が左手を上げると、垂直に真っ直ぐ梨華が上がって行く。


「勲章授与を委譲するに当たって、その二人の処罰を軽減することを無音の投擲槍(サイレンスジャベリン)隊長(リーダー)として進言する」


「今回の作戦行動に無音の投擲槍(サイレンスジャベリン)は偶発的に居合わせた、と?」

 

 莉昂が試すような視線を英次に向けると、英次は頷く。


「俺たちは不審な日本魔導軍を発見、追跡中に戦闘状態にあった二名を保護しようとしたところ、敵勢力は注意勧告を無視、攻勢に出たため迎撃した。以上だ」


 英次がよどみなく言うと里緒、理紗が顔を見合わせる。


「了解しました。水瀬卿粛清部隊隊長(パージャスリーダー)、および国連魔道軍所属(UNマギナリー)、新緑の治癒術師隊長(クレリックリーダー)の莉昂は英次隊長(リーダー)より要救助魔導師(ウィザード)二名の引き渡しを正式に受領しました。そして二名の魔導師(ウィザード)を私物化されそうなウミボタルソウの保護、確保を名目として勲章を授与、単独行動の叱責を帳消しとするよう上層部に報告いたします」


 英次は「好きにしろよ」と海底を見回す。


「種探し、と行きますか」


 英次がうんざりとして言うと、理紗が嬉しそうに笑顔を見せる。


「大変な作業だ」


 そう言いながらもどこか楽しそうな理紗に里緒は「そうだね」と同じように笑顔を見せる。


 英次は「海の上も大変だろうな」と海面を見上げると、莉昂は「何の事でしょうね」と演技がかかった様子で首を傾げるのだった。






 旗艦轟沈の報告を受けて、日本魔導軍空母艦長は冷や汗を流していた。


 近くにいた海上保安庁の船はすでに退却している。そもそも関係ない、と言わんばかりに「何事だ」と連絡を入れて来ている。


 空に見えるはキラキラとスノウダストを撒き散らせながら、上がった戦闘機を次々と落し、戦闘ヘリをたった今撃墜し、魔導師(ウィザード)を蹴散らす一人の少女の姿だった。


 海面から何かが浮上して来た、という報告と同時に旗艦が炎を上げ、次々と艦艇が沈められて行く光景を目の当たりにして、艦長は歯噛みした。


 被害艦艇、四隻。空母発着可能戦闘機六機、戦闘ヘリ二機撃墜。空戦可能魔導師(ウィザード)二十八名が撃破されて、海は静かになった。一隻、自分の船だけ残されたのは人命救助のためだ、と言わんばかりにブリッジの目の前で止まっている少女は冷たい視線でこちらを見ていた。


「君の目的はなんだ」


 艦長がその場で尋ねる。声は聞こえていないはずだったが、少女は首を傾げてから、小さく頷いた。


「あなたたちはやり過ぎているわ」


 彼女の唇がそう動いた。


「わかっているさ。だが、上の命令は絶対なんだ」


「残念だわ」


「…本当にな」


 艦長がそう口にすると、少女は陸に向かって姿を消した。追跡しようにも高度な魔術(プログラム)妨害(ジャミング)されていて出来ない、と報告が上がったのはすぐのことだった。


 何処の誰だったのかも解析できないが、艦長は噂に聞く、あの少女だと言う事だけは確信していた。





 陸に上がって英次と梨華が合流すると、莉昂に里緒と理紗が連れられて梨華を出迎えた。


「御苦労さま」


「何のことかしら」


 莉昂に梨華がすっとぼけると、里緒と理紗が苦笑する。


「大変だったなって意味だろ」


 英次がため息を吐くと、梨華が「だからなによ」と面倒そうにそっぽを向く。


 そろそろ夕刻になる時間で空も赤くなって来る。


「帰るか…」


「そうね…」


 英次に促されて、梨華と英次が歩き出すと、里緒と理紗が二人の背中に敬礼をしていた。


 梨華はそれでも、まだ自分たちのためだけに動いてしまう軍に苛立ちを覚えて、どうしようもない気持ちで胸がいっぱいになることを、そっと胸に秘めた。


 今一時期、そうしたところでどうにも変わらない事と知りながらも、梨華はそうして鬱憤を晴らすしかない自分に苛立ちを覚えていた。




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