私、動物愛護者なんだけど
双子姉妹と別れて梨華たちが外に出ると、時間もまだ早かった。十六時を少し回ったところで、天気も良いためかまだ日が出ている。
梨華は放課後になって外を出歩くことはあっても、今までは周囲に気を配っていなければならなかった梨華にとっては、自由に歩ける、という初めての経験に思わず、今まで興味がなかったものにまで視線が行ってしまう。
「…っ」
ペットショップのショウウィンドゥケージの中に仔猫が三匹じゃれあっているのを見つけて、梨華がじっとそれを見下ろす。英次は後ろを歩いていた梨華がいつの間にか立ち止まって居ることに気付いて梨華を待つようにして、それを眺めた。
梨華が人差し指を仔猫に向けると、仔猫三匹が首を傾げて梨華を見上げている。梨華が小さく指を左右に振ると、仔猫の視線がその指先に集中して、ぽふぽふと梨華の指めがけてガラスを叩いている。
「そんな顔、出来るんだな」
「…」
英次が梨華の後ろに立って、梨華が楽しそうに笑っている事を指摘すると、梨華は顔を赤くして英次を睨み付ける。
「こんな通りにこんなペットショップあったなんて、知らなかったわ」
「そうか、そうだな」
ずっと前からあったはずだったが、あえて英次はそれを突っ込まずに放置すると、梨華が更に顔を真っ赤にさせる。
「うちはペットだめだぞ。あと誰が面倒を見るんだ?俺たちの面倒だけで絵里は精いっぱいだろ」
英次が苦笑すると、梨華が「別に欲しくなんてないわよ」とつい、とそっぽを向いて歩いて行く。
学園の敷地内に全ての雑貨は揃っているし、外出できる生徒が少ないためにここら辺に商店が少ないか、と言えばそう言うわけでもなく、学園以外の学校も近辺に集中しているために学生に向けたショップも数多い。
梨華が携帯電話のショップの前で足を止めると、英次が物珍しい物に反応するんだな、とつい苦笑してしまう。
「携帯電話って?」
「学園は基本的にPDA端末を無料で配布するからな。梨華にはあまり縁がないと思うぞ、これからも」
「そうなんだ」
梨華が楽しそうに同年代の女の子たちが店の中で話をしているのを横目で見ながらショップの前を通過する。
ここ数日でようやく、梨華自身にも解放された実感があったのも事実だった。
魔導犯罪者として世界中から追われ、賞金がつけられていた。街を歩くのにも自分が狙われていると自覚していたし、街中の人間が敵、とまでは行かないが、警戒対象ではあったわけで…。
こうしてゆっくり、しかも誰かと歩く、なんて考えた事もなかった。
「息抜きならご一緒しましょうか?」
「何の息抜き…」
英次の冗談交じりの言葉に梨華は怪訝な顔をして言葉を詰まらせた後に、ふっと微笑む。
「いいわね、それも」
結局のところ、自分は守られて居たんだ、と思えた。
自分を容姿にしてくれた財閥の会長も、その義理の家族たちも、そして今、英次たちがもっと強い力で自分を護ろうとしてくれている。
「じゃあ、どんなエスコートしてくれるのか、楽しんでみようかしら」
「俺で楽しむのかよ」
英次が苦笑すると梨華が「あら、そういう考え方も出来るわね」と今気付いたようにすっとぼけた。
梨華と英次が並んで靴屋に入って行くのを見て、更紗はにやり、と笑った。
珍しい組み合わせもあったものねぇ…。
あの二人が最近は一緒に居る、と学園の中で噂されているのは聞いていたが、まさか学園の外でもべったり一緒だとは思わなかった。
学園の一学年上の情報でも、梨華の話題はすぐに広まる。それだけ世間を騒がせて来たのだから、仕方がないと言えばそうなのかもしれない。
高等部一年にしては幼い顔立ちで、いつも周囲に柔和な雰囲気を撒き散らしている更紗でも、さすがに自分の幼馴染である英次が他の女性と一緒に居るのを目撃してしまったら、面白くてしょうがない。
元々、子供のころから一緒に居るのだから、今も一緒に居る程度で、英次も自分も両親も肉親も奪われてしまっているから、今も寄り添っているだけで、別に他の女性が現れたから困る、という程、今の二人は弱くもない。
なんだかんだ口上を述べてみたものの、嫉妬ではなく、純粋に面白そう、だと思えるのは、自分もまだ『乙女』なのだろう、などと考えて頬がニタリと緩む。
ようは楽しければなんでもいいのだ。
明日は英次と梨華がデートした、などという面白いゴシップが学園に流れると思うと、それだけでも興奮してしまいそうになる。流行る動機を抑えて、更紗は二人の後をそっと追いかける。
梨華、英次は外から見ればいいカップルだった。
互いに長身で、英次が百八十五くらい、梨華は百七十前半だろうか。二人が並んで歩いていると何かの雑誌の表紙を飾って居る様にも見えるくらいだ。大人っぽい英次、梨華の組み合わせや、梨華の女性らしいところは更紗からして見ても羨ましい、とさえ思える。
あれで実は少し子供っぽい、とかいう話なのだから思春期の男子たちはもう、盛りのついた犬のように吠えるだろう。
しかし靴屋、とは…。
意外な場所に入った、と自然な形で入店して二人の姿を探す。魔術や魔法などを使ったら二人に一発で感知されてしまうために視線を店内に配る。女性物の靴が並んでいる場所で、二人が立っている。
「あれ…」
いちゃいちゃデートっぷりを確認する前にやることが出来ちゃったみたいね…。
更紗が感知したことを英次、梨華も同時に感知したらしく周囲を見回している。
更紗は二人に気付かれる前に店外に出ると前線管制の魔術を展開する。すっぽりと身体を囲むような球体の中に入り込んで、更紗が両腕を広げると、ちょうど手の届く範囲三百六十度にディスプレイが表示される。
「あら、更紗」
「ごきげんよう」
店から飛び出して来た梨華に更紗が困ったように苦笑する。ふてぶてしく偶然を装うも、梨華が「へぇ」と腕を組んで更紗を見下ろす。
「気にしないでくださいな。と」
更紗が球体の中でせわしなく腕を伸ばして何かを操作しているのを英次と梨華が顔を見合わせて待っていると、更紗が「出ました」と英次を見る。
「了解」
英次がPDAをポケットから取り出して梨華にインカムを放り投げる。三人がそれぞれインカムをセットする。
『何か?』
『どうしたのかな?』
英次の緊急呼び出しに友樹と絵里が応答した。
「緊急招集、降矢は?」
『学園にて状況を確認中です、更紗さんはどうします?』
後方支援が基本の更紗、最前線の降矢は梨華の参入で後方に下がる、と決断したのがついこの間だった。
「もう少しだけ、前に出ます」
「了解、よろしくな」
梨華は英次と更紗を見て首を傾げると、更紗が梨華を見上げる。
「もう少しだけ、見極めたいんですよ」
「…ん?」
なぜ自分に言われているのかわからない梨華が首を傾げると、英次が「さて」と口を挟む。
「まずはあのでっかいのをなんとかしないとなぁ」
英次と梨華、そして更紗が空を見上げると、ぽっかりと空に黒い穴があいている。
「学園は非常警戒態勢に入って、首相の魔法旅団が集結中ですね。ただ、秘密裏に、ですけど」
更紗の状況報告に英次と梨華が状況に納得する。秘密裏でなく大々的に戦力を集中させた場合、世論が動く。
「上がるわよ」
梨華がすい、と空に上がって行くのを周囲の人が驚いて見上げる。魔導師、という存在が認知されていても実際その目で見る事は稀だ。
「そうするか、ね」
英次と更紗も梨華の後を追って『飛翔』の魔術を発動、高度二百メートルまで上がると三人は唖然とした。
「あら、大きい」
梨華が呑気に驚いていると、英次は「まぁ…大きいわな」とそれを見て更紗を見る。更紗がデータ解析を始める。
大きさ的に半径十メートルくらいの球体で向こう側は何も見えない。紫雷がときどきほとばしり、ばちばちと音を上げている。
「これってよく見かけるけど、けっこういい迷惑なのよね」
梨華が球体を指差すと、英次が頷く。
「理屈はわからないけどな、こんなもんが最近は良くできるな」
ニュースにはならないが世界中でよくこういう現象が確認されるようになっていた。
「これは魔力が局所的に集中して発生する現象ですよ。ご存知ない?」
「残念ながら、私は闘うのが専門だから」
更紗に梨華が肩をすくめて見せると、英次も「知らないな」と呟く。
「これは『道』って呼ばれていて、時々変なモノを引っ張って来るんですよね」
「へんなもの?」
梨華が首を傾げると、更紗が頷く。
「どういうこと?」
「ここ数年で急激に数が増えて、時折、この世界じゃ見られない様な特殊なものを降らせたりしているっていう報告が上がっていますけど?」
更紗がそれも噂でしかないんですけどね、と解析を続ける。
「そこの三人!何をしてるの!」
キンキン響く声で叫ばれて梨華が煩わしそうに下から上がって来た女性二人を見る。
「…また双子?」
梨華が煩わしそうにすると、双子の女性がこちらを見てため息を吐いた。
背格好がまったく同じで、成人しているか少し若いかくらいの二人は確かに見た目で双子だとわかる。
「国連魔道軍(UNマギナリー)所属、単独任務可能執務執行官のミーティアとレーティアです。そこの三人の魔導師は活動を速やかに停止し、こちらの指示に従ってください」
国連魔道軍(UNマギナリー)の簡易鎧法衣を付けている二人が英次たちに制止命令を出す。
「どっちがどっち?」
英次が首を傾げると、髪型も一緒の二人に戸惑う。肩口まで伸ばした髪の毛と勝気な瞳がこちらを睨みつけていた。
「私がミーティア」
「私がレーティア」
三人は二人の容姿を見て、数秒沈黙してから納得、理解した。
「…」
「…なるほど」
「うん、わかった」
更紗、英次、梨華が順に理解したのは、二人の特徴だ。ミーティアのほうが胸が大きくて、レーティアのほうが……だ。あえて口にしないのは、心遣いだったりもする。
「私たちも一応、国連魔道軍(UNマギナリー)所属です。単独任務可能執務執行官である貴方達みたいに個別称はありませんけれど…」
更紗がミーティアとレーティアのデータを照会する。
「ミーティアは後衛寄り、レーティアは前衛寄りの魔術が得意そうね」
梨華が二人を見てそう判断する。
「なんでわかったのか、っていうか、見た目か」
英次が苦笑すると、更紗も「ああ」と呟く。無ければ動きやすい、ということか…。
「三人とも、所属は?」
「無音の投擲槍」
英次が口にすると二人が顔を見合わせる。
「まじで?」
「ほんとに?」
「ウソついてどうするの」
梨華が涼しい顔をして腕を組むと、ミーティアとレーティアが「そ、そうだね」と顔を見合わせる。
「この『道』なんだけど、調査するのか?」
「危険だから、本当は監視しなきゃいけないんだろうけどって」
レーティアが左隣を見る。
「…あれ?」
「えーっと」
レーティアと更紗が何度も左右を見回して、英次と梨華がふぅ、と息を吐く。
「呑み込まれたわね」
「ああ、いなくなったな」
梨華と英次が状況を口にするとレーティアがおろおろとして左右を見回す。
「なんで!ちょっと!ミーティアが…っ」
「あれに呑み込まれたってことよね」
「そのようだけどな、行くか」
梨華に英次が同意して、英次が『道』に飛び込み、梨華がそれに続く。
「え。ちょ、ま、はぁ?」
レーティアが消えた二人を見て頭を抱えて更紗を横目で見る。
「行きましょう、二人が心配です」
更紗がレーティアの腕を掴んで球体に飛び込む。
「いやあああああああああっ」
レーティアの声が周囲に響き渡り、梨華と英次は頭上からその声を聞いてやれやれ、と目を閉じる。
「気を付けろよ、飛べないから」
英次の警告も空しく、レーティアが尻から地面にどすん、と着地する。
「いたぁ…い」
「大丈夫か?ほれ」
「あ、うん」
英次が片手を差し出してレーティアが立ち上がり、全員が自分の状況を確認するかのように周囲を見回す。
「ここは何?」
レーティアがその異様な世界に思わず問いたくなる気持ちはわかった。
「都会の中に心が休まるオアシスを目指して誰かが設置した、なんてことはないだろうけどな」
噎せ返る様な湿度と温度、鬱蒼と生い茂る木々の幹には苔が生え、地面はまともに平らな部分は少なかった。土は湿り気を帯びていて、木々の根が所々顔を覗かせ、足元を見ずに歩こうとすればすぐに躓いて全身どころではないだろう。
「偶然、何もないところに落っこちたってところだな」
英次が空を見上げる。まるで天井にぽっかりと穴が開いているようにしか思えないように、木々の枝と葉で他は防がれていて、空が隠されている。
「他のところに落ちたら、傷だらけってことね。運がいいのかしら」
「運が良かったらこんな場所に来ていませんってば…どうするんですか、もう」
梨華に更紗が講義すると、梨華は「じゃあ悪運かしら」と減らず口を叩く。英次と梨華が似ている、っと思ったのは間違いではなかった、と更紗は実感する。この二人は常に冷静で、口が減らない。どんな状況でも困って居る様には見えなかった。
レーティアは不安そうに周囲を見回しているが、ミーティアの姿は見当たらなかった。
「あの子いないわね…おっぱいの大きい子」
梨華が続いて「どこにいったのかしら」と首を傾げる。
「ミーティア、だよ。ミーティア」
「そう、そのミーティアにそっくりなあなたは…」
「私はレーティア…」
肩を落とすレーティアに梨華が「覚えられたら覚えておくわね」と言い放って、歩を進める。
「待って下さい、梨華さん。どこに行くつもりですか」
「どこって、ここでじっとしていても仕方なくってよ?ねぇ、英次隊長」
更紗に呼びとめられて、梨華は英次を見ると、英次は少し考える素振りを見せてから頷く。
「そうだな。とりあえず、ここがどういう状況なのかわからないし、大きい娘の方が気になるか…」
「あら。セクハラよ」
英次に梨華が窘めるように言うと、英次が眉を潜める。
「あなただってさっき同じことを」
「あら、そうだったかしら」
更紗に梨華がすっとぼけると、更紗がため息をついて額に手を当てる。どうにもやりにくい。
レーティアは無音の投擲槍がこんなに適当な連中だったなんて、と泣きたい気持ちを必死に抑える。数々の大事件をこなして来た英次隊長、という者に憧れる魔導師は少なくない。
「おい、どーした?」
肩を落としているレーティアに英次が首を傾げると、レーティアが「何でもないわよ」と唇を尖らせる。
「ミーティアさんの魔力波動信号を教えてください」
「残念だけど、私たちは秘密実働部員だから魔力波動信号は登録されてないの」
「…ミーティア、レーティアのSOS、ですね。特定します」
更紗が前線管制の魔術を使って走査を始める。
「無駄無駄、同じ国連魔道軍(UNマギナリー)の所属でもSOSとあなたたち実行部隊じゃ、全く命令系統が」
「特定、英次、梨華さん、ミーティアさんの位置情報を精神情報網で送信します」
「なんでよっ」
レーティアが地団太を踏んで悔しそうな顔をすると、英次が苦笑する。
「そこの更紗は精神情報網と電子情報網の覗き屋なんだよ。違法でも何でも、必要性があったからやってやった、って言えば魔導師特権が優越しておっけーなの。あきらめ」
諦めろよ、と英次に言われてレーティアがそんなぁ、と肩を落とす。
十九歳のする反応とは思えない可愛らしさだったが、更紗は敢えて実年齢を口にしない。これもレディのルールだ。
私って大人よねぇ。
更紗はそんなことを考えながら、英次と梨華の頭の中に直接送信した情報を整合化する。
「頭の中に常に情報が表示されている状況って初めてだわ。これだけ優秀な前線管制さんがいると便利よね」
「おほめにあずかり光栄ですよ、梨華さん」
梨華に更紗が微笑んで見せると、梨華が頷く。ミーティアとの位置関係がしっかりと出ているのだから、進みやすい。
「でも『道』なんて言うから、あの黒い球体の向こう側の世界がこんなふうになっていた、なんて誰も知らなかったのよね?」
梨華が首を傾げると、英次は「どうなんだ?」と更紗に尋ねる。
「基本的に『道』の向こうに吸い込まれた、とか、連れて行かれたって言う事象は報告されていませんね…。基本的に『道』はすぐに消失してしまうので…」
「あら、帰り道が無くなったらどうしましょうか」
梨華が物騒なことを言うと、レーティアがぶるっと身体を震わせる。
「物騒な事言わないでよー」
泣きそうなレーティアに梨華はくすりと笑う。
「怖がらせてしまったならごめんなさいね」
「…絶対に謝罪するつもりないよねぇ…」
梨華の涼しい返答にレーティアが恨めしそうな声を上げると、英次が片手を上げて後続の三人を制止する。
地響きを感じて三人が首を傾げると、英次が「うわ…」と小さな声で呟いた。
「すまん、止まらない方が良かった」
英次がゆっくりと振り返って、三人のほうを見て、さらに三人の後ろに視線を送ると、梨華が「なるほどね」と頷く。
背中に突き刺さる異様な視線と気配、そして生臭い匂い。
「戦う?逃げる?」
「合流が一番だ」
梨華の質問に英次が走り出して、更紗とレーティアが振り向いた。
大きな十本足の多関節の…蜘蛛、だろうか?頭に八つの赤い目が更紗とレーティアを見ていて、顎の触角が六本蠢いている。
「ひぃっ」
口元から涎の様な液をだらりと垂れ流し、その匂いがまた激しく生臭い。
「待って!待ってください!」
「ちょっと、置いてかないでよっ!」
更紗とレーティアが前を走る二人を必死の形相で追いかけると、木々を薙ぎ倒しながら大蜘蛛が後を追いかけて来る。
「私、動物愛護者なんだけど」
「初耳だね」
梨華に英次が苦笑すると、梨華が右手の人差指と中指を立てて、それに唇を付ける。短縮魔術を込めていた。
「無詠唱魔導師じゃないのか?」
「そうだけど威力調節しないと、可愛いあの子たちまでふっ飛ばしちゃうでしょ?制御系も追加したいの」
英次に梨華が答えると同時にとん、と地面を蹴って空中で反身をひるがえす。
「そのまま走りなさい」
更紗とレーティアが梨華の左右を走り抜けると、梨華は楽しそうに笑っていた。右手の指を蜘蛛に向ける。
「ごめんなさいね、あなたに罪はないのだけれど」
梨華の指先から二本の光が発射されると、一本は直接、蜘蛛の頭に突き刺さり腹まで貫通して抜けて行く。もう一本は屈折して顎から頭に抜けて行った。
「転身、援護」
英次の指示に更紗とレーティアは身体が反応した。蜘蛛側から見て梨華の背後左右に展開した形の二人が地面に膝を着いて身体を回転させ、手の平を蜘蛛に向ける。
「レーティア、冷凍弾。更紗、炎撃弾。撃ーっ!」
英次の号令と同時に更紗とレーティアが高速詠唱を始める。魔力の粒子が二人の手の平に集中して、収束、高速展開された魔術式が反応を起こして輝きを増し、青と赤の超低温、超高温の魔法弾が射出されて、蜘蛛に直撃して轟音と衝撃が鳴り響く。
梨華は爆発した蜘蛛の脚が飛んで来たのを左手で払って叩き落とす。飛散した肢体と体液が周囲の木々にべったりと張り付いていた。
「追いかけてこなれければ、倒さなくて済んだのにね」
梨華が残念だわ、と肩をすくめて見せると、更紗とレーティアがその場にへたり込んだ。しばらく全員が動けないままでいる。こんな状況はおかしすぎる。
「なんなんですか!これは!」
「こんなの信じられないわ…」
更紗が叫び、レーティアが呆けると、がさり、と茂みが揺れて二人が恐る恐るそちらを見る。さすがに英次と梨華もこの異様な状況で警戒しているのか、身体を戦闘状態にしてこわばらせると、茂みの間からひょっこりとミーティアが顔を覗かせた。
どうやら彼女は魔力波動と爆発音でこちらに向かって来たらしい。
「ミーティア!」
レーティアが立ち上がってミーティアの身体に抱き付くと、二人が互いの無事を喜んでいる。
「この状況から考えて、長居は無用、と思うのだけど」
「建設的な意見だな」
梨華に英次が同意するように呟くと、更紗がようやく落ち着いたのか立ち上がる。
「友樹くんと絵里ちゃんの反応、確認しました。恐らく『道』の接続点からの反応です。非常に弱いですけど…」
「そっから抜けれるか、な」
更紗の報告に英次が双子を見る。
「大丈夫か?」
「私は平気」
ミーティアに言われて英次が頷く。
「飛翔や跳躍の魔術が使えない状況で、どうやって空の真ん中にある『道』に戻るかが問題だと思うんだ」
「そうなのよね。私たちが地面に強引に引っ張られたから、今もこうして歩いているのよねぇ」
梨香がため息を吐くと、更紗がうーん、と悩む。
「とりあえず、友樹くんと絵里ちゃんにはその場で待機していただくようにしてもらっています。『道』…いいえ、『門』の位置がわからないと困るので…」
「そうしてもらっておいてくれ。出来ればロープみたいなの垂らしてくれたら助かるんだけどなぁ」
英次が冗談交じりに言うが、さすがに上空二百メートルのど真ん中にぽっかりと明いた穴からそれを望むのは厳しいものがある。
「通過出来ればいいのよね、あそこを」
梨華がにやり、と笑うと英次が「なるほど」と手を打って納得する。悪意のある二人の笑みを見て更紗が「うわ」と嫌そうな顔をした。
友樹と絵里は緊急招集を受けて空に上がると、すでにそこには英次と梨華の姿はなく、更紗もいなかった。
「これって、例のアレだよねぇ」
絵里が友樹にたずねると、友樹が頷く。
空にぽっかりと空いた穴を見て、不気味な感じがした。
突然、空に穴が開く現象はまだ何なのか分かっていないが、今のところ実害がないので放置されているだけだ。時折、流木の様に木片やら岩の塊をこちら側に降らせる程度で、大きな被害も出ていない。つい最近では鮭と樋熊が一緒に降って来た、という報告があったくらいだ。
英次と更紗が一緒にいるのだから、問題はない、とは思うが、さすがに心配ではある。
「降矢さーん」
インカムに向かって友樹が声を上げる。
『どうしました?』
「三人がいねーっすよ」
『みたいですねぇ』
のんびりとした声が返って来て、友樹はため息を吐く。
どうしてこう、無音の投擲槍にはのんびりとした連中が多いのか、友樹には理解出来なかった。似た者同士、と言えばそれでそうなのかもしれないが、実際、性格まで似ているか、というそういうわけでもない。
『十五分前にそこに五人の魔導師がいた履歴が残っていますが、一人消えて、二人消えて、二人消えましたね。数はあってるようです』
「引き算が出来ねぇって年頃じゃないだろ」
降矢に友樹が毒づくと「面白いですね」と降矢が笑っている。友樹からしてみれば、何が面白いのか全くわからない。
「現場指揮官が不在なんですけど、どーします?」
『現状維持で』
友樹に待て、と命令する降矢に絵里がため息を吐く。この二人は元より『待て』が出来ない性分だ。そわそわしているのか、絵里はうーん、と頭を左右に振り子のように振っていて落ち着きがない。友樹は友樹で腕を組んで目を閉じているものの、苛々しているのか時折『道』を睨みつけて、また目を閉じる。
「いやあああああああああああああああっ」
突然、声が聞こえて友樹と絵里が身構えると、黒い球体から女性が出現して、友樹に真正面からぶつかった。
「なんだ!」
柔らかい胸部を顔面に押しつけられた友樹が慌てて女性を抱きしめると、ミーティアが肩で息をして目に涙を浮かべている。
「ひえええええええっ!」
続いて同じような声が聞こえると、絵里が友樹とミーティアから次を想定したのか、球体の前で両腕を広げると、同じようにレーティアが飛び出して来て、絵里がそれをキャッチする。
「何、何、なんなのよ一体」
絵里が「え?え?」と首を傾げると、友樹が必死にしがみついて来るミーティアの中で暴れる。
「離れろ!いや、離れなくてもいいけど…苦しい!」
友樹が胸の中でもがくもミーティアはぶるぶると震えている。レーティアは絵里に「ごめんね」と言いながら自力で『飛翔』すると、続いて更紗の左手を握る英次、右手を握る梨華が球体から飛び出して来た。二人とも開いている手を球体に向けて、魔力を放出してロケットのように飛んで来たのだ。
「行き成り殴る?普通!」
「普通じゃねえから殴り飛ばして脱出したんだって」
レーティアに文句を言われて、英次が何言ってるんだお前、と目を細める。これではどちらが常識人なのかわからない。
梨華と英次が飛べないなら飛ばす、と言わんばかりに、英次はレーティアを、梨華はミーティアを殴り、蹴っ飛ばした。反射的に防御した二人だったが、衝撃で〈道〉まで強制的に飛ばされたわけだ。それを見た更紗が逃げようとした瞬間、二人に両手を掴まれて、ロケットのように飛んで来た、というのが事の顛末…だったのだが…。
「調査、できないわねぇ」
梨華が閉じてしまった『道』を見てため息を吐く。
「とりあえず、何事も無くて良かったなぁで済ませような」
英次がミーティアとレーティアの恨めしそうな視線を浴びて苦笑すると、二人は「納得できるかーっ!」と声を上げた。
結果として『道』の向こうに何か変わった世界が存在する、という報告をするために年上の双子姉妹は日本魔法省に報告に向かい、英次と梨華、そして更紗は結果的にミーティアの救助とレーティアとの共同脱出作戦を円滑に行ったとして報告されることになった。
今回の事件で『道』の向こうに別の世界が広がって居て、そこには生物が存在している、というのだから、大問題になるはずだった。
この数時間後に無音の投擲槍には閉口命令が下り、『道』の向こう側に別世界と生命体がいる、ということは存在しない事実となった。
世界の秘密ってこんなものよね。そこで現実にあったものでも、知らないって言い張るのよ、と梨華は憤慨し、英次と更紗もさすがに慣れた、と肩をすくめて見せるのだった。




