そりゃ魅力的だ
英次がベッドに仰向けになっているのを見て、梨華がするりとその身体をベッドに滑り込ませる。
「なんだよ」
「役立たずめ」
そっと身体を寄り添い合わせると、英次が苦笑した。
「ベッドに入ってくるセリフじゃねぇぞ」
「本音よ。本音」
「まぁ役立たずか…いつの間にか全部、役目を梨華に奪われたからな。俺には何も出来ないしな」
「そう?私ってけっこうか弱いのよ?」
「言ってろ」
英次は鼻で笑うと、梨華は「守ってくれないのね」と小さな声で呟く。
「考えることをやめたの、最近だね」
「わかんねぇからな。俺の理解っていうか、認識の外の出来事みたいに感じるようになった。那由他が出現して、世界情勢が変わって…。もうなんか全部、俺のいない世界の出来事みたいだ」
「考えない英次って、素直」
梨華がぎゅっと英次の腕を両腕で抱き締めると、英次は目を閉じた。
「世界に追いつけなくなった。俺が何をしていいのかわかんねぇ。考えてもわからないなら、考えるのやめるのも一つの手段だと思った。巻き込まれて、流されて。結局、そういうのって普通だろ」
「それでも、その普通の人たちは力が無くても、一生懸命守ってるよ。現状維持に必至だから、そう見えるだけ。流されてるだけじゃない。一生懸命生きてるじゃない」
「俺も普通になっちまうのか」
「なれないよ」
だってあなたは力がある側の人だから…。
梨華が上半身を起こす。
「今は休んでいいよ。だけどきっと、みんな待ってる。英次を待ってるから」
「お前は…?」
英次が目を開いて、目の前の梨華を見上げる。
「私は…待てない。私は世界の最先端を走り続ける。だから追いついて。私を捉えて、離さないでいてくれるなら、私はきっと…」
きっと…嬉しいから。
二人の顔が近付いて、そっと唇を重ねる。
「あなたが普通になったら、これが最後ね」
英次の胸に顔を埋めて、梨華が呟くと、英次がそっと梨華の腰に手を回した。
「それは少し、寂しいかもな…」
「英次が私から遠ざかったのに、着いて来いっていうのも変なのかもね」
「よくわかんね…。梨華の言うことは難しすぎるんだ」
昔の自分なら察していたことが出来なくなってしまった。英次は自分でも気付いていた。考えても相手の心が見えない。感じられない。
「梨華が何でもぴたりと言い当てるのが普通だと思っていたんだがね…。考えればわかることだろう、とも思っていた。だけど、わからなくなってから気付いた。お前すげぇよ」
「あら、褒められても何も出ないわ」
梨華が気味が悪そうに英次を見下ろして、その胸に手を当てて撫でた。くすぐったいような、甘い感覚に英次は梨華を強く抱き締めて自分に引き寄せると、梨華は抵抗せずに英次の上に乗る。
「本当は同情だったんだけどな」
「知ってる」
英次が始めて自分を抱き締めたとき、きっと自分は物凄く弱かったのだろう。女王だと言われて、世界情勢を一気にその身に浴びて。求めていた平穏はあっけなく奪われていった。元から無かったのだ…魔導師である以上、その身は常に戦場の一歩手前にある。
普通の生活、普通の人生。
支配する人間に刃向かう、支配される側の人間ではいられなかった。
あの時は自分でもわかっていた。
今の英次と同じ。
何をどうしていいかすら、考えなかった。
なぜこうなったのか。どうして自分なのか、と嘆いた。
自分の中で最も強い、虚飾だけが周囲に撒き散らされていた。
自分は何も動じていない。自分は何も恐れていない。その虚飾を英次が見抜いてくれた。
身体を止めても、思考は休めてはいけない。
張り巡らせた。
情報、知識。自らの状況と世界情勢。
全てを網羅させつつ、要点を抜き取ること。
そこから展開するべき次への道筋。
止めなかった。止められなかった。
人間とは考える生き物だ。
それをやめてしまえば、きっと恐らく自分を殺してしまうことになる。
英次のしてくれたことは…きっと救いではなかったのだろうとさえ思える。
あそこで何も考えずに終わらせてしまえば、那由他に戻り、水球の惑星を支配して完了していただろう。後は流されるまま、女王として那由他に君臨していたに違いない。
それが救いとは到底思えなかったが、窮屈な自由の中で一生を安定のうちに終わらせることも出来た。安定していても、平穏ではないが…。
「梨華、その女神の瞳が映し出すという未来は『決定されている未来なのか』ずっと気になってるんだ」
「今の一度も発動したことのない『視えない瞳』はまだ何も写していないの。だけれどきっと『決定されてしまった未来』だとしたら、私たちは何のために生きているのかわからなくなってしまうわね…」
英次の懸念は梨華にもあった。人は未来を知ってしまえば、生きることに価値を見出せなくなってしまう。明日の自分がどうだろうか。明後日の自分は何をしているのだろうか。誰かが自分の未来を知っているならば、その誰かを恐れ、そして次第に頼るだろう。まるで占いのように、梨華の知る未来に人々は依存を始める。
「…そうなんだろうな」
英次はそっと梨華を隣に移動させて、上半身を起こした。
「今、やるべき事はなんだろうな」
「目に見えている『魔導的な人類に対する共通の脅威』を排除すること。全世界の魔導軍を超えて国連魔導軍(UNマギナリー)の掲げる理念はそこに全て帰結するはず」
「国連安保理は世界の平和と安全を維持することを目的としているが、今はその効力が薄れている。そもそも、アメリカを攻撃した時点で本部が機能を果たすかどうか怪しかった」
「本部の攻撃はなされていないわよ」
「そうだとしても…まともに議論なんて出来ると思ったのか?」
英次は横になったままの梨華を見下ろすと、梨華は苦笑した。
「あそこは戦争をする場所じゃないの。話し合いの場所よ。とち狂ったアメリカ兵が乱入したとしたら、那由他は国を殲滅するつもりだった。結果的に殲滅はされていないし、攻撃を中断させる戦時目標は達成。平和協定に結び着き、終結。二十四時間未満に終わった戦争は歴史上、存在しない」
「結果を知っていたみたいな感じだな」
少なくとも、梨華は未来を知っているのではないか?とさえ思える精度の先読み。ずっと感じていたことの一つ。彼女は未来を知っているのではないか?と言うこと。
「私がもう未来を視ているみたいだって思ったでしょ?」
梨華が和やかに笑み、断定ではない予想を口にする。
「いや、今のが梨華の策略じゃなけりゃ、いいなって思ったよ」
たった今、思いついたことを口にして英次は理解した。高度な予測は未来予知に分類されるが、梨華は未来を視ているわけではない。
「そうね…私は女神の片瞳で人の心までは視得ないって考えているの。恐らく最初は断片的な記録を閲覧する形で、そして徐々に自己構築されていく『魔法理論』の中で、長期的な観測が出来るようになっていくんだと思うわ」
その時、きっと私は人の心を失いながら、その要領を『魔法公式』で埋めていくのだろう。
梨華は自分の見えない未来の姿に悪寒がした。
「那由他の情報書架にあった歴代女王の画像と性質は人間とは思えなかったな。なんていうか、人の形はしているんだが、顔が…」
「氷の彫像のようだったわよね。温かみのない、むしろ神然とした偶像のような…。私もそれは感じていたし、きっとあれが女神の双瞳の反作用なんだと思うの。膨大な魔力を保有して、人としての一部の機能を停止させなければ、恐らく精神崩壊してしまうほどの能力よ」
「精神崩壊した後じゃないのか?あれは…」
まともな人間ではない、とさえ思えた。
未来を、世界を視ることで人は人ではいられるはずがない。
「英次…私を助けてくれないかしら?」
「…俺にはできねぇ…」
英次は横になると、梨華が頷いた。
「所詮、どんなに優秀な魔導師であって、どんなに優秀な隊長であったとしても、確かに人では神に勝てないでしょうね」
淡々と…愛した人に捨てられたはずの梨華はそれでも顔色を変えずに、事実だけを受け止めていた。思考を止めないこと。梨華の中では感情と事実の差が歴然とある。
生まれて物心がついたときには戦場にいた梨華らしい、甘えの無い徹底的な理論推測は甘えられなかった彼女らしい思考概念だった。
「英次の育てた友樹を隊長にして、絵里、彩香を副隊長に。その三名を元にして『教導隊』を設立。彼らは無音の投擲槍に帰属しつつも精鋭なる刃と別働隊になってもらうわ」
「それは無音の投擲槍の後継部隊か?」
「そうなるかもしれないけれど、彼ら三人は私の直轄部隊になってもらうわ。遠い未来か、近い未来において『那由他女王直轄部隊』として動いてもらうことになる。勝手に人員を頂いてよろしいかしらね」
「どうぞ。俺は隊長職を追われた身だからな。文句も言えないぜ?」
「そう?龍騎士の英次くんには私の『近衛部隊』の統括指揮を執っていただくわ」
「は?」
英次が首を傾げると、梨華が上半身を起こして微笑んだ。
「何回かあなたの心と接続したときにね、あなたは何度も私を討とうとしたのよ。あなたの心が吠えた。まるで龍の咆哮のようだったわ。神を滅ぼせ、神を滅せよ。あの衝撃は忘れられなかったわね。那由他が出て来る前にどうして私が神なのか理解できなかったのだけど、那由他の情報書架を閲覧して納得が行ったの。あなたは神を討ち滅ぼす存在」
「自覚症状が無い発作ってやばいんだろうなぁ」
英次が苦笑すると、梨華が「怖いわよ」と頷いた。
「だって、あなたに抱かれているときに私が壊されるかもしれないって思ったもの」
「…本気なんだな」
冗談を言っている梨華の目は明らかに英次を畏怖の対象として捕らえていた。
「あなたも見たんじゃないの?歴代の那由他の女王に仕え、男性体であった神である『彼』を討ち滅ぼした龍騎士の情報を」
「でも龍は消えた。騎士は龍に力を与えられた魔導師だったはずだ。龍がいなくなった今、どうして龍騎士が戦える?」
「龍は消えてない。私はそう思ったわ。居なくなったのは龍のほうじゃなくて、騎士。あの情報とは別の秘密書架にあった情報よ」
英次の閲覧が許可できない部署にある情報に英次は目を細める。
「龍は人の姿に転生したの。恐れられる存在であった自身の姿を、最も友好を寄せた人にしてほしいと、那由他の女王になった女神に頼んだ。それは『彼』を討ち滅ぼすことに成功した『龍』の最後の願いだったわ。『彼』との戦いで傷つき、激しく損傷した『龍』の『御霊』を人へと『転生』させること。那由他の女王はその約束を守った」
「龍…」
俄かに信じられない話に英次が目を閉じる。
「結局、その龍を顕現化させればいいのだけれど、それでどうするのか決めるのはあなた次第よ?」
結局そうなのだ…。目的も目標もない今、英次にその力は必要ない。
結局その程度の話なのだ。
ふと、英次は梨華を横目で見ると、今まで見たことのない優しそうな瞳をこちらに向けていた。
「梨華はどうして戦う?」
「聞いたら笑うから、言わないわ」
「笑わないよ」
英次の即答に梨華は「どうしようかしら」とわざとらしく考える素振りを見せる。
「きっと俺はこれ以上、自分の目標って奴を見つけられない気がしたんだ。友樹ですら自分のやりたいことに真っ直ぐだったのにな」
「友樹は世界情勢度外視の攻撃的な対応をして、絵里、那由他と世界の呪縛を打ち払う戦いに挑んだ。結果的に成果は微々たるものだったけれど、それが起因して国連魔導軍(UNマギナリー)は恵まれた子供と『グランベック複合企業体』に対して宣戦布告がなされた。まぁ、絵里と彩香は友樹に振り回されてしまったけれど、友樹らしいわね」
「更紗は元々、俺と一緒で施設育ちだからな。魔導師因子を含有した子供たちの人権保護って名目になったけど、子供たちを救うために『出世コース』に入った。その先任者である降矢に習っているんだから、間違いはないだろう」
「そうね」
梨華はゆっくりと頷く。
「友樹の精神接続情報網に強制介入して、彼の心を少し見せてもらったの」
「へぇ」
英次が興味深そうに頷くと、梨華が苦笑した。
「彼ね、孤独だったのよ。英次さんは部隊の指導者として、降矢さんは学園のトップ、更紗さんは魔導精鋭、私が女王で絵里が姫。結局、無音の投擲槍の中で自分だけが凡人だって考えていたらしいの。決して口には出さない、考えもしない。心にも持たない。彼のそんな性格がどこかで、悪い方向に進んでしまったのかもね」
「きっと、それは俺の責任だろうな。何に対しても積極的に行動することをやめた俺が、あいつを不安にさせたんだろう。何かしているときの人間は絶対にそんなネガティブな発想はしないもんさ」
「そうね。絵里の目的は私の保護だったから、それが終わって友樹に対する恋慕で動いているから、彩香も同じ。この子たちは意外と危険なのよ。人の心って脆いから…」
自分ですら他者に依存してしまうのだから、あの子たちは真っ直ぐに好いた人間の言葉に従ってしまうだろう。純粋に人を好きになると言う事は本来、それだけ危うい。
目的と行動。
誰もが自分流のやり方で、自分の判断基準を持っている。梨華の推測が半分、そして事実から考察したものが半分。梨華の読みは正確だった。
「わからないのは、なぜ貴方が部隊を設立したのか、その一点」
「更紗が巣立つまでの家だったんだ。この部隊としてある程度の評価を受ければ、学園の特典が受けられるだろ。まぁ、部隊長ってだけで色々恩恵もあったさ。それがここに来て、不必要になった。友樹と絵里は無茶しやがるし、更紗は自分で自分の道を決めた。お前だってそうだろ?社会的な弾圧を受けないように保護しているつもりが、那由他が出現して実は姫様だった。保護する無音の投擲槍はいらなくなったんだよ」
部隊としての存在意義が無くなった。
それ故に英次が自身のやるべき事が見つけられなかった。
「目的を果たしてしまった。それも早期に。次に何をするべきかは対外的な行動ではなく、実は内面にあったのね」
「ん?難しく言えばそうだな。簡単に言えば、世界情勢だのなんだのとは無関係だったのかもな」
「私を抱き締めた理由は?」
「ようやく、自分に向き合えたのかも知れねぇなぁ」
英次がまた笑った。うわべだけの笑み。
「部隊長としての責任や行動って俺にはよくわからなかったけど、何と無く自分を殺すことなんじゃないかって思えてた。だから俺はきっと…」
「人を好きになる時間もなかったのね」
「かも。しんねぇ」
英次が寝返りを打って梨華に背を向けると梨華は英次の背中に身体を合わせる。
「で、あなたの時間を私にくれないかしら?」
「参ったね。そこまで正直に言われてんのに、返す言葉がわからねぇ。そこまでわかんねぇんだ。それがいいことなのか、悪いことなのかも…」
「かっこ悪い」
「だな」
◆◆ ◆◆
更紗はそれきり、二人の会話が無くなったことでヘッドホンを外した。
棗、降矢もPDAに接続していたヘッドホンを外して鎮痛な面持ちで更紗を見た。
「盗聴とは思い切ったことしましたね」
「そうよ。更紗、明らかにプライバシーの侵害ではなくて?」
降矢と棗に口々に言われて更紗が「そうですかね」と満面の笑みで二人に有無を言わさなかった。
「目的意識の高かった英次くんだけに…と思っていましたが、案外、彼の目的は身近なものだったんですね」
降矢がしみじみと何かを考えるように呟くと、棗も頷いた。
「私も以外だったわ。身内を守るためだけの部隊であそこまで戦力を増強する必要があったのか、って今ですら疑問よ」
「逆なのかもしれませんね。保護する対象が戦力を保有していたから無音の投擲槍は戦力が過剰飽和してしまった。その結果、行わなくてもいいような戦闘行為への参加命令が増えてしまったから、英次くんは悩んでいたのかもしれない」
「あー、すっきりするわ」
友樹が部屋から出てくると、大きく伸びをした。
「目が覚めましたか?あと二、三日は静養というより眠りから覚めないはずなんですけどね」
「若いモンでね」
降矢に友樹が返答すると、自分の状況を理解しているのか、フローリングの床の上に座った。
「国家反逆罪なんだけど、どう処分するんで?」
「魔導犯罪歴、初犯という形で処理されます。余罪は?」
「国会議員宅に押し入って娘を縛り上げた。その前に通学中の電車を脱線させた。軍事的な行動に至っては、学園の主要研究施設を破壊。軍事衛星の管制システムにハッキングして一部プログラムをクラックさせた。以上」
友樹が全てを自白すると、更紗が頷いた。それ以外の報告は上がっていないし、わかっていないのならば報告することもない。この元無音の投擲槍の部隊員の中で最も軽率な行動をしているように思われがちの友樹ではあるが、棗からすれば一番軍事に長けているようにも見えた。恐らく、駆け引きにおいて英次、梨華に次いで秀でているだろう。ふと更紗を見るが、更紗は友樹よりも経験が浅い。人生経験というよりも、年上と駆け引きをした経験になるが、そこにおいては英次の保護下にあったのだから仕方ないのかもしれない。
そこまで考えて棗は友樹に視線を戻した。聞く事はまだ沢山ある。
「あなたに協力していた組織は?」
「さぁね。名前なんてねぇし、誰が誰とつるんでいるかなんてわかんねぇんすよ。そっちの様子じゃ、協力者も知ってるんでしょ?」
友樹が降矢を見ると、降矢が頷く。
「玲奈という名前は確認しましたが、本名ではないようですね。世界中のネットで彼女を調べましたが、存在しません。彼女はこの地球上で生まれていないし、存在しないはずです。だが、居る」
「自分たちの作ったネットワークが完璧だなんて思っていないけれど、存在しないはずの人間が存在しているって気味が悪いのよ」
棗が腕を組んで「穴があるのよね」と頭を抱えた。ネットワークの穴は見過ごすことの出来ない重大な問題でもある。
「グランベック複合企業体が政府や国連軍に対して反抗的な組織は次々、施設軍に吸収して行ってるぜ」
友樹がにやりと笑う。その笑みの意味は「どうするんだい?」と暗に挑戦している。
「こっちの世界のことはこっちで片付けないといけないでしょうし、もしそれが出来なければ那由他が『魔導支配』を行う可能性がある。あちらもこちらもそれはあまりよろしくない」
降矢が正直な感想を述べると、友樹は「そこまで話が進んでいるのか」と顔を顰める。
魔導支配とは政治経済の目的でこちらの箱庭である水球の惑星を支配しないが、
魔法などの面において駐留し、その技術の使用を制限する魔導軍を設置すると警告したのだ。恐らく、それは今『世界経済』支配よりも強力な支配になることは目に見えていた。
「友樹くん、あなたには再び『梨華さんの指導』を受けていただきたい」
更紗が何かを試すような視線で友樹に告げると、友樹は難しそうな顔をして沈黙した。考えているのだ、相手が何を求め、どうしたいのか。その上で自分はどう動くべきなのかを。
これが…十五、十六の少年の顔だろうか?
棗はその横顔を見てぞっとした。見目は幼くとも大人顔負けの決断をしようとしている。
「こういうのはどうだ?」
友樹が立ち上がると、更紗がブレザーの内ポケットから自動拳銃を素早く抜いて自分の頭に照準をポイントした。
「護身用じゃあないな」
友樹が更紗を睨むと、更紗は座ったままにこりと微笑んだ。中腰のままの友樹がゆっくりと座る。
「まぁ…魔導師が銃を握るのは軍人のみですね。意味がわかりますか?」
「護身用と粛清用」
友樹が向けられたままの銃口から更紗の顔を見る。彼女は笑っていた。いつもと同じように。この後どうしますか?と尋ねられているようだった。
「友樹君の胸にも、拳銃がありますよね?」
「ばれてら」
友樹がかぶりを振ってわざとらしく「あーあ」と身体を弛緩させる。
「死を選ぶつもりですよね?」
「軍事裁判で本来なら銃殺刑。だけど『魔導師特赦』がある。俺はずっと不思議だったんだよ。この世界の魔導師は少数だから、希少価値だからと『教育』を受ければ社会に復帰できる。それこそ何十人、何百人と罪の無い人を殺戮し続けた人間でも、だ」
友樹の言っていることは更紗や降矢、棗にも理解できた。なぜそれが赦されるのか。何度も悩んだ。
「俺を始め、梨華姐ぇ、今回は絵里は重罪人だ。犯罪者は裁かれるべきだ。魔導師が魔導師を裁く、それは結構だが、被害に会うのは一般人なんだぜ?なんでそれが出来ない?この世界の構造はどこから間違え始めた?」
友樹が更紗、降矢、棗の顔をそれぞれ見る。
「あんたらはこれから、国境の枠を超えて、宗教、そして箱庭を超越した統治を行う立場になる人たちだ。今までの社会が嫌で、どうしようもなくて、ただ暴れてる俺たちとは違う。一般人とは違う立場で世界を見ることが出来るはずだ。なら今一度、考えてくれ。この社会構造の歪は、修正できるのか?」
「そこまで真摯に考えているとは、さすがの私でも理解りませんでしたよ」
降矢が先ず口を開いた。
この質問には三人が三者三様に応える必要がある。降矢はそう判断した。
「私は学園のトップとして今後、正しく教育を行った魔導師を世界の模範魔導師として排出していくつもりです」
「いいね」
友樹が苦笑すると「理想はいくらでも語れるからな」と棗を見た。
「私は学園を大学部まで出た後に、恐らく彼女の部下になると思うけれど、やっぱり間違った事は間違っていると言えるようになりたいわ」
棗が更紗の後ろから視線を送ると、それを受けて更紗が「部下、ですか」と困ったような顔をした。
「私は行く行く、北半球統括指令官として一大権力を握る地位まで上り詰めるでしょう。少なくとも私はそこで、今までの『魔導新法』を抜根的に改善するつもりです。それは今までの魔導師における様々な権利の見直しを図るものですが…現魔導師からの反対も多いでしょうね。それほど今の魔導師は恵まれていますから」
友樹が「へぇ」と興味なさそうに呟く。
「じゃあ俺が応える番」
友樹は梨華の元に戻ることを了承すると、更紗は拳銃をホルスターに収めた。
絵里と彩香が部屋から出て来るとぼろぼろになっている二人の様子を見て怪訝な顔をする。
「気は済みました?」
更紗が二人を同室に閉じ込めて『魔力抑制』を部屋に結界として設置させ、二人はそこで罵り合いと取っ組み合いをすることを予想し、そして結果はご覧の有様だった。梨華が二人の怪我を治癒しているので、体中の傷は一つも無かったが、壮絶な殴り合いによる衣服の乱れは想像以上だ。
「気が済んだって言うか。なんていうか…」
絵里が「うー」と項垂れると、彩香も気だるそうに「あー」と天井を見上げている。
「友樹くんを二人で守ることに決めたんですね?」
更紗が尋ねると、絵里と彩香が顔を見合わせてから小さく頷いた。
「友樹くん、二人の面倒をお願いしますね」
降矢がくすくすと笑いながら部屋を出て行くと、棗が「あら、いいわね。両手に花で」と降矢の後に続いて部屋を出て行く。
「三人はこれから再教育施設に二週間向かってください。私の再教育です」
「またー?前も行ったばっかりなんですけどー」
彩香が更紗に不平を零すと更紗が有無を言わさぬ笑顔で小首を傾げた。
「また、ですよ。また。再教育を受けたばかりなのに問題行動を起こすほうがどうにかしていると思いますけどね?そもそもですよ?精神鑑定に問題なしだったはずなのに、どうしてこう…」
更紗の小言が始まって友樹が明らかに「やばい」と顔を顰めると、絵里と彩香はその後二時間に渡って説教を受けることになった。
◆◆ ◆◆
これほど安らいだ眠りは何時振りだろうか?
そう思えるほどだった。
梨華は上半身を起こすと、英次が目を開いた。
この人は安眠したことがないのかもしれない。
「おはよう」
「ん?今何時だ?」
英次がスタンドの置いてある小物置きからPDAに手を伸ばすと、梨華がそれを取ってやる。
「六時、か」
時間的な感覚などだいぶ昔に狂ってしまったような気がする。それこそ魔導師は何時間も眠る必要がない。戦闘時以外には普段と同じように生活のリズムを刻むが、非常時において何ヶ月も眠らないこともざらだったりもする。
「梨華?」
真っ直ぐに見られて英次が首を傾げると、梨華は「うーん」と同じように首をかしげた。
「さっぱりとしてるのね」
「何が?昨日、梨華に戦う理由を聞いて応えてもらえなかったのに、気にしてないところか?」
「あら」
梨華がはぐらかしたことを気付いている英次にわざとらしく驚いてみせる。
「聞いてみて応えてくれないなら、無理には聞かないさ」
「それはそれで悲しいわね」
梨華がしゅん、とすると英次は苦笑した。
「梨華ってあれなんだよな。いつもクールなんだけどよ…けっこうそういう…」
英次が言葉に迷うと梨華が「ん?」と首をかしげる。
「なんでもねぇ」
英次がごろんと寝返りを打つと、梨華が「ん?」とまた首をかしげる。
冷たく鉄仮面のように凛とした顔。少しきつめに見えるその表情をしているときがほとんどだが、意外ところころと表情が変わっているのだ。可愛らしい顔や困っている顔。英次は何度もその表情を見ては…こいつ、こんな顔も出来るのか、と驚かされた。
「気になるじゃない」
「気にするな」
ぐいぐいと腕を引っ張られて英次は布団に丸くなると、梨華が諦めたのかベッドから降りた。
ぎしり、と床が鳴ると英次は寝返りを打って梨華の背中を見た。
「梨華、龍騎士ってかっこいいか?」
歩き出そうとした梨華がドアに手を開けたままの姿勢でぴたりと止まった。
「どうかしら。でも私の側に居続けていい権利はあげられそうよ」
梨華は振り返らずに答える。今、どんな顔をしているのか見たかった。
英次は梨華の背中を見つめたまま、それでもどこか梨華が悲しんでいるような気がした。
「そりゃ魅力的だ」
「そうだね」
梨華は結局、背を向けたまま止まっている。
「龍騎士になるには結構大変なのか?」
「覚悟っていうものの程でもないけれど、人とは比べ物に成らないほど寿命が延びるの。成長はピークである二十歳前後で止まってしまうし、食事も要らない。人としての全ての欲望が消えてしまうの」
「人を止めろって事か?」
「たぶん…そうなると思う。その覚悟をしてくれる?」
英次は「そうか」と呟くと、梨華が「またね」と部屋を出て行く。
人を止めろ。
彼女がどんな思いをして、自分にそれを宣言したのか…。
「くそっ」
自然と出たその言葉は梨華に対する侮蔑でも、自分に対する嘲笑でもなかった。
梨華は知っているのだ。どこでどうやってそれを知ったのかわからない。
恵まれた子供である梨華は長生きすることが出来ない。そして自分も、長生きする事は不可能だった。
先天的に生まれ持った膨大な魔力と呼ばれる、時間の推移エネルギーを法則によって行使する魔法、魔術は人間のとある能力を酷使する。特に魔法と呼ばれるその人物特有に与えられた法則を行使するときに限ってはその能力は劇的に消費されてしまう。
生命力。
それは寿命とも言われる。
時間を切り取ってはそれを圧縮して行使するのが魔導師で、その法則には生命力が必要不可欠なのだ。その生命力を可能な限り使用しないように開発されたのが魔術であり、その教育が行われている。教育が行われる理由は自殺行為でもある魔法や魔術の使用に対してしっかりと教養を与えられるべきでもあった。
人間をやめるか、死ぬか。
その二つの選択肢は英次に重たく圧し掛かっている。
自分でもわかっていること。
そして梨華の言う、自分の側にいられる権利とは自分の寿命をそのまま差している。
少なくとも、梨華は後二年で死ぬ。
自分はもっと…短い。
梨華のことを調べていく過程で色々なことがわかった。降矢が研究した梨華レポートは必ずしも英次にとって良い結果ではなかった。
同情か?
自分でもわかるほど、瞬間的に命を使って輝いている梨華を見て惹かれていた。彼女の持つ生まれながらの人を惹き付ける魅力。カリスマなどと言う安易な言葉では語りつくせぬほどの、あの表情、仕草。
どうすればいいのか。
英次は過去に降矢に問い詰めたが結果は出なかった。
彼女を延命させるために必要な処置は、早急なCS処理。
コールドスリープにより将来に可能性を託す以外に方法はないのだ。
那由他は彼女についてそのことを知らされて居ない。恐らく、恵まれた子供計画の全貌が明らかになり、那由他が何らかの情報を得たときにそれは露呈するのかもしれないが…それよりも先に梨華は死んでいる可能性があった。
可能性ではない。
それよりも自分が先に死んでしまう。居なくなってしまうのだ。
彼女の側に誰よりもいたいと願いながら、先に…。
彼女は…何処まで知っているのだろう。
きっと自分以上に自分のことを知っているのではないだろうか?彼女は…神の子だ。
人でありながら、生命の楔に縛られた神の子。
そしてその楔は制限時間を今も刻々と減らしている。
神の子の側に居られるのは、人ではない。
そうなのかもしれない。
だからこそ、自分を選び、人を止めろと宣言したのだろうか?
神を討つ者。
龍騎士。
かつて主神を討ったラスティと共に在った存在である龍騎士で在れば、確かに彼女の隣にいる権利はあるだろう。
「那由他へ…」
行かなければならない。
英次はベッドから降りて学園の制服に袖を通す。現状、那由他が受け入れるのは学園の生徒のみだ。
龍騎士とは一体なんなのか?
彼女が含ませた意味も同時に知るために、今は那由他へ飛ばなければならない。
時間が…ない




