あんた、意外と深いじゃない
歩道橋の上に立っていた絵里は大型狙撃銃を両手に握り、武装解除しないまま歩いていた。道行く人はコスプレか何かかと思いつつも、今の世界は何でもありだからな、と絵里を横目で見ているだけで、疑問視もしない。
銃だけを持っていれば治安上の問題で即刻、職務質問をさせられていたかもしれないが、その容姿と服装のお陰で逆に銃という物騒なものの異様さが緩和されていた。
「本当に姉妹って、わかるものなのかしらね」
歩道橋から上がってきた人物が絵里に話しかけると、絵里は首をかしげた。
「サラスティア姉様」
「ごきげんよう、アリマルテルカ」
梨華が学園の制服を着つつも、肩章の無音の投擲槍の部隊章を外していることに絵里が気付いた。
「サティ姉様は私をお止めになられるので?」
「いいえ。アリカのしたいようにしてかまわないわ」
二人が愛称で呼び合うも、互いに無表情で冷たい会話に聞こえる。
「ただ少し心配になってしまったのね」
梨華はふぅと息を着く。
「人を好きになるとどうして、私たちは不器用なのかしらね」
「姉様は本気で、この世界の人間を愛せますか?」
「無理だと思う」
梨華が正直に言うと、絵里は「そうですか」と残念そうな顔をした。
「特別な人を好きになれたとしても、この世界の人間はダメね」
「ですよね」
絵里が納得すると、ふわりと飛翔する。
「無かったことにする、というのはどうですか?」
「何もかもを排除して?」
二人はゆっくりと上昇して行く。
「私たちを連れてきた世界が無かったならば、私が手に入れられなかったものも全部、始めから無かったことに出来ますから」
「友樹のこと?」
「はい」
悲しそうな笑みを浮かべる絵里に梨華は「そうね」と呟く。
「あの人は自由を求めてしまった。私はきっとダメ。あの人に自由を与えることなんて出来ない。彼はきっと私から離れてしまう」
「壊してしまえば、最初から無かったことにしてしまえば、いいの?」
「だって誰かに奪われるくらいだったら、奪われて辛いなら、壊してしまえばいいんですよ。私が壊れてしまう前に」
あは、と絵里が「でしょ?」と梨華に尋ねる。
「本当に壊れてしまったのかしらね、あなたは。私を殺す規律を書き込まれ、それが壊れたと言ったあなたは、まだ壊れていなかったはずなのに」
「何でも知ってますね。さすがは女王になる器を持った姫君。私の誇りのお姉様」
絵里が銃口を梨華に向けた。
「私の左目、あなたの右目。あなたの右目は現世を写し、私の左目は未来を映し出す。それが女神の瞳というものよ」
梨華が剣を左手にすると、絵里が「ですよ」と頷く。
「どうして二つに分かれてしまったの?女神の瞳は双瞳一対であるはずなのに」
「わかりません」
絵里が首を横に振る。
「代々、女王になるものにのみ与えられる女神の双瞳が、私とあなたに分け与えられたのは理由があるの?」
「わかりません」
梨華の質問に絵里が全て答えようとはしない。
「ならなぜ…私の瞳は何も光を写してくれないの?」
「自分でなさっているんでしょう?」
絵里がくすくすと笑う。
いつの間にか二人は青い世界にいた。陸が見えないほどの高みに上る。この高さまで上がったことは今までかつてなかった。
「知っていたの。ね?」
「ええ」
梨華の問いに絵里が頷く。
「あなたの見ているのは、何もない。真っ暗闇の世界で、光なんてないんですよね?」
普通の人と同じように瞳を動かし、物を見ているようで、梨華は何も見えていなかった。魔術によって全ての情報を直接取り込み、脳内で判断しているに過ぎない。
人間は生まれつき微量の魔力を保有しているために梨華は感知することが出来る。見えているのではなく、感じているに過ぎない。見ることと同じレベルに到達している感受性故に他者は気付かないが、梨華には光が与えられていないのだ。
「盲目のお姫様」
絵里がくすくすと笑う。
「さようなら」
どんっと実弾を発射されて、梨華の胸に突き刺さった。貫通はしないものの、衝撃に胸が軋む。落ちていく梨華を見下ろして、絵里は銃口を下に向けて、引き金を絞る。
連射された弾丸が梨華に全てヒットしたが、死ぬ事は無いだろう。
放出し続けた魔力の中、梨華は完全に絵里の魔力を感知していたが、その中で動く無機質な弾丸を捉える事はできない。
魔力を保有していないものに対して梨華が無防備だったことは友樹も知っていた。それは無音の投擲槍の部隊員ならば誰もが知っていたことだった。
梨華はそのため、自分に常に強固な防壁を展開している。魔力を含有していない物体に対しては自らの魔力波動を放出して物体に当たり、反射してきた魔力を感知して反応するという行為を行っているため、至近距離からの高速弾頭に対しては防壁による防御しか出来ないはずだった。
そして、その計算に乗っ取って今、梨華は落ちていた。
『やってくれるじゃない』
頭の中に梨華の声が響いて、絵里は身体を仰け反らせて直下から打ち上げられた魔力弾をぎりぎりで回避する。高速で移動する物体から放出される熱量と気体膨脹に絵里の身体が泳ぐ。
大気を裂くような轟音が眼前で鳴った。まるで大きな鉄板を強引に何かで引き裂こうとしているような音。梨華が眼前で剣を握り、絵里の首に向かって切りかかっていた。
直線状にいると衝撃波が飛んでくる。
絵里は届かないはずの一撃を重力に身を任せて落下し、停止。追撃の梨華に対して銃撃するが見事な回避行動で的が絞れないために乱射するも、前後左右に短距離跳躍を含めた回避行動をされる。
再び轟音。
魔導装具のマスターが作った剣は様々な付加効果を与えられている。空間そのものを切り裂いているようなそれに、絵里は自分の身体が動かなくなったことに気付いて驚いた。
ごすっと柄の部分を腹に叩き込まれて、絵里は息を押し出された。
「かはっ」
声にならない声だが、両手足がまったく動かず、腹を押さえることもできない。
「何をしたの?」
距離を置いた梨華に絵里が尋ねる。拘束系の魔術や魔法ではない。
「空間を支配したの」
「な…んですって?」
全く意味が読み取れない言葉に絵里が得体の知れない恐怖を覚える。
「私は時間と空間を支配している魔導師よ。知っているでしょう?」
梨華が一瞬にして消えて、絵里の真後ろに立ち、そっと絵里の首に両手をかけると、後ろから抱きつくようにして絵里の胸に触れた。
「かわいいわよ?動けないお姫様」
梨華がくすり、と耳元で呟き、絵里の左耳を甘く齧る。
「うあ」
絵里の全身の力が抜けて、だらり、と手足を伸ばした。銃が手から離れて、天使装甲状態が強制的に解除される。
「ふふ、いいわね」
強制解除されたために絵里は生まれたままの姿を大気に晒し、梨華がそっと離れた。
「記憶を貰うわよ」
横に寝かされるように身体を動かされ、梨華が仰向けになった絵里を引き寄せ、ふわりと心臓の上に手を置くと未発達の少女のふくらみが形を変える。
ずぷり、と梨華の白い手が絵里の身体の中に入る。出血もなく、ただ入り込まれていく。その感覚に絵里は目を閉じた。抵抗など出来なかった。
ただ、自分の気持ちを知られてしまう恥ずかしさだけが心の中に広がる。
見られてしまう。
誰にも見せたくなかった、醜い自分の精神を…。
「そう…」
梨華はその気持ちに触れて、手を引いた。
「やめておくわ」
梨華の魔力が身体を包み込み、絵里は黒いドレスを身に纏い、開放された。
「好きになさい」
梨華はそう言うと、絵里の眼前から姿を消した。
◆◆ ◆◆
英次のセーフハウスに戻って、梨華は「らしくなかったわ」と英次にこぼした。
あの後、梨華は友樹の潜伏している場所を割り出してホテルのワンフロアを丸々潰していた。
「まぁ、らしくないわな」
英次は特に咎めずに頷く。
四十八階あったはずのホテルの最上階が見事に削られて四十七階になってしまったそのニュースを横目で見ながら、二人は静かなセーフハウスでレトルトのカレーを食べていた。
「料理できないの?」
「お前が俺に聞くのか?」
互いに料理など不得手でこういう食事になる事はわかりきっていたが、さすがにこれからもこれが続くのかと思うと憂鬱になってくる。
「絵里って友樹のことが好きなのね。それで彩香と一緒にいるのが良くないみたい。で、彩香が絵里に対して挑発的な発言をしたみたいなの」
「へぇ」
「友樹、彩香を抱いたみたい」
「ぶふっ」
英次が口に含んだカレーを皿に噴き出すと、梨華が嫌そうな顔をする。英次は「すまん」とまたそれを口に含んで梨華が一層不機嫌そうな顔をした。
「そこまでは絵里の記憶で確認したけど、絵里が嫌がってるのを感じちゃって、やめちゃったわ」
「そうか」
余りにも自分を惨めに思う絵里の気持ちに梨華が耐えられなくなった。そういう話だ。
「更紗たちからの情報開示もないし、私たちはとりあえず友樹の捜索をしなければいけないのね」
「そうなんだが、絵里のほうが先に見つけるぞ。これはどうにかならんのか?」
ニュースをスプーンで差す英次に梨華は「そうねぇ」と困ったように呟く。
執念なのか何なのかわからないが、絵里は情報も何もなくただ、飛ぶか歩くかして友樹を探しているのだが、今回は先手を打たれた。
直感というものがあるのならば、絵里はそれに長けている。そう考えるしかなかった。
「何があったのか気にならない?」
梨華がテレビを呆然と見つめながら呟く。
「お前も好きだな」
「人の恋愛模様なんて見ていてもつまらないとは思うけど、ここまで激しく遣り合う激情ってなかなかないじゃない?」
「怖いもの見たさみたいな感じか」
「あら、怖いものなんてないわよ」
「そうくるか」
英次が呆れると梨華が苦笑する。
◆◆ ◆◆
セカンドセーフハウスに到着して、友樹と彩香はため息を吐いた。玲奈に至っては二人に無言の抗議をしていた。ビジネスホテルの狭い一室。ツインの部屋で既に時刻は二十二時を回っていた。
「何がどういうことか説明しろ」
玲奈は椅子に座り友樹をにらみ、それを受けて友樹は苦笑する。
「空気の入れ替えしようとしたら、チカって光ってドンだ」
握った手を上に向けてぱっと開く友樹に玲奈は「ほぅ」と呟く。
「あたしゃ、ホテルの新しい試みかと思ったね。天井がなくなって空が見えるんだ。開放的だったさ」
「そりゃいい気分だったろうな」
友樹は一回上のフロアにいて、細くしか開かない窓を開けた瞬間に極大射程から光を確認して防御。絵里の追撃を予想したが、追撃はなかった。
玲奈と彩香が先に車で脱出し、友樹も別ルートで合流したのだった。
「今後、あんたと付き合うと家がなくなりそうだね」
「そのためのあんたらとの契約だったはずだぜ?」
友樹に言われて玲奈は頷く。
「なくなるのが家だけならいいけどね、あたしゃあんたのために死ぬつもりはないよ?あの子は一体、何がしたくてあんなことをするんだい?」
あの子、とは絵里のことだろう。正直のところ、それは友樹にもわからない。絵里の行動原理は突発的な思いつきのような部分が多い。彩香はベッドの上に座って首をかしげる。
「でも、これだけのことをすれば絵里ちゃんだって動きづらいですよね。社会的制裁を受ける立場になったわけですし」
「それはどうかな。この人間社会のヒエラルキーは魔導師が上位に立ってるんだ。一般人が何を叫んだって、魔導師の暴挙ってのは許されちまうだろ。ほら恵まれた子供の梨華って奴もそうだっただろ?」
玲奈に言われて彩香は「あぁ」と納得する。何人もの人を殺していようとも、何を壊していようとも魔導師は確かにおかしなほど免責と免除の権利が与えられている。魔導師に逆らわない社会体制は着実に世界に浸透していた。それに疑問視すらしなかったのは自分が魔導師だからだろうか?と彩香は首をかしげる。
「魔導師じゃない側の人間の貴重な意見をどうも」
友樹が玲奈に皮肉を言うと、玲奈は渋い顔をする。
「だから私たちは魔導師って奴が嫌いでね」
「私たちを保護する理由は?」
「使えるからさ」
玲奈は隠そうともせずにはっきりと言い切った。
「何でもそうだろう?手段を選んでいられるようなことは一度もなかった。魔導師って奴は魔法や魔術に物を言わせて来るんだからね。だから私たちも抵抗するために魔法や魔術を使える連中が必要だったのさ」
「魔導師に倫理道徳を与えるっていう崇高な利徳をお持ちになられているのさ、玲奈さんたちは」
友樹が嘲笑するように鼻で笑う。玲奈は笑われて激昂するかと思われたが、冷静に同じように笑っているのを見て彩香はおかしい、と感じた。
自分の信念や理念を他人に理解されないと人は不安になるし、絶対に譲れないからこそ、反政府活動などという途方も無い労力に人生の全てを投げ打ってでも行っているのではないのだろうか?それなのに今の玲奈は惰性のようにやっているだけ、と言わんばかりの対応だった。
「友樹、彩香、あんたらに仕事だよ」
携帯電話が震えて、それを見る友樹と彩香は顔写真がメールに添付されていた。
「彩香は友樹の後処理だけどね」
にやりと笑われて彩香が顔を赤くして友樹を見ると、友樹は凍りついたような顔をしていた。
「この人は何をしたですか?」
暗殺対象とだけ写真に書かれている。彩香が尋ねると玲奈はきょとんとした。
「なんでそんなことを聞くんだい?殺す奴のことなんて知ったってどうしようもないだろ」
さっぱりとした回答に彩香が驚く。
「お前はこれから殺す奴がどういう奴で、どんな生活をしているのかなんていちいち気にするのか?やめときなよ」
どうせ死ぬんだから、と玲奈は欠伸する。
「期限は?」
「ないよ。早いほうがいいだろうね」
「了解」
友樹はそう言うと部屋から出て行く。
「待っ…」
慌てて追いかけようとした彩香の腕を玲奈が掴む。彩香が腕を振り払おうとするが、力以上に何かの意思を感じて彩香は大人しくなると、腕が解けた。
「なんでですか?」
「女は家で待つもんさ」
まったく答えになっていないが、彩香はベッドの上に座る。
「その絵里ちゃんって、お宅ら知り合い?」
「え?はい」
友達です、とは言えなかった。
「あの子、人を魅了するような感じがあるね。ありゃ、悪魔かい?」
「え?天使じゃないんですか?人を魅了するのは」
「ほぉ、そういう考え方もあるね。でも、どちらに転んだとしても人間じゃない。人間の上に魔導師がいるなら、魔導師の上にあの子がいる。あの子はなんだい?」
「あの、言われている意味がわからんです」
彩香がしゅんと小さくなると玲奈が「うーん」とタバコに火をつける。
「私もよくわからないんだけどね、あの子は危険な感じがしたよ。あの子の身近にいたなら気付いてるんじゃないか?あの子の言うことには誰も反論しなかったはずだ」
「え?」
彩香はふと聞かれて、思い当たる節が沢山あった。
絵里自身はあまりわがままを言わないが、意見を求められて回答した場合、大抵は絵里の発言通りに事が進んでいく。
「あの圧倒的な存在感。不安定な感じがするけれど、完全に支配するような存在。私の人間の最も原初的な部分が告げたのさ」
玲奈はそう言いながら自分の頭をコンコンと叩いて見せた。
「あいつらは人類の敵だってね」
「えっと、どういうことですか?」
「もし言うならば、世界に神や悪魔がいるとしよう。あいつらはそれと同じだ」
玲奈はパソコンを指差し、彩香が玲奈の隣に立ってパソコンを見る。
「梨華って奴が那由他ってところからこっちに連れてこられたって最近じゃ噂が立ってる。まぁ、そうだろうな。最近、アメリカと中国がこの国に攻撃したときにアリマルテルカって女がなんか発言しただろ?」
「ああ、絵里ちゃんですね」
彩香が呟くと玲奈が「そうなのかい?」と驚く。
「はい、あの時は無音の投擲槍の更紗さんが外交関係者に放送していましたから」
「そうか、わざと聞かせて…その更紗って子は頭がいいね」
「かなり」
彩香が苦笑すると、玲奈は「そうか」と納得する。
「まぁ梨華っていう恵まれた子供が世界中に毒をばらまいた」
「魔導因子」
彩香が毒の正体を口にすると玲奈が頷く。
「そうだ。梨華が魔力を開放したとき、私たちの世界である水球の惑星は魔力波動に目覚めた」
「私たちは小さいときでしたから、あまり記憶にないですけど、急激に違う法則が生み出されて世界が混乱したんですよね?確か…」
「魔導衝撃って呼ばれてるよ。世界中に魔術や魔法が普及してしまったからね。降矢教授が魔導基礎理論を打ち立てて、今までのものに対して応用していって、今の社会が形成されるまでに数年とかからなかった」
「でもその余波が残って、今でも私たちは特異な存在だと思われていますよね?」
「そうだな」
玲奈は頷く。
「繋がったよ。アリマルテルカと梨華は同じ場所の出身だろう?」
「はい。二人ともお姫様ですよ」
彩香が頷く。
「魔法なのか魔術なのか、もっと違う何かなのかわからないけれど、あの子たちは人を支配する力を持っているんじゃないのか?」
「人を…支配する能力?」
そんなものがあるわけがない。
一般人というと語弊があるかもしれないが、魔術や魔法は列記とした科学に分類わけ(カテゴライズ)されている。理論があるから魔導師という一括りされた人たちが同じ結果を生み出すことが出来るのだ。決してゼロから物を作り出しているわけではない。
「あんたの言いたい事はわかるよ。だけど、精神接続情報網とかは整備されたわけじゃあない。魔導師のみが使用することができる、一種の通信手段だとは理解しているけれど、それが何時からあって、どういう理由で作られたのかを私たちは知らない」
「便利で使っているだけで、私たちは何も知らないだけ」
確かにおかしな話ばかりだとは思うが、そう疑問視しなければまったく気付かなかった。
「気付くのはいつも部外者だってことだね」
玲奈はタバコを灰皿に押し付けて、ベッドに横になった。
すぐに寝息を立て始める玲奈に彩香はパソコンの前に座ってメールの受信ボックスをクリックする。玲奈が起き出さないか不安で何度も振り返りながらメールの内容を確認するが、提示連絡、異常なしの返信は活動を継続しろ、というものばかりで、末端に何かの英文が書き込まれているが、文法はおろか単語にもなっていない文字だった。
恐らく、これが何かの暗号コードで通信しているのだろうとは思うが、さすがに解読できそうにも無い。自分のような後衛狙撃の強化に暗号解読方法や敵対通信の妨害や逆利用の項目はない。友樹や棗のような能動前衛か威力前衛の人間ならばその教科を習得しているはずだが、自分には出来なかった。
玲奈も自分にパソコンの内容を見られても支障がないと思ってそのまま就寝に着いたのだとした、自分は軽く見られているような気がした。
そうじゃないかもしれない、とふと彩香は玲奈の寝顔を横目で見る。
玲奈は、自分を軽く見たわけではない。
世界全般を軽く見ている。人間社会構造に対して全く興味を示していないようにも思えた。なぜ、玲奈がこんな無茶で無謀な反政府活動などに加担しているのかがそもそもわからない。それなりに幸せに、一般的な家庭を持って子供を育て、死んでいくことができるはずの人間だ。
魔導師は一概には言えないが、一般人の普通の生活に一種の憧れを持っている。それができるのに出来ないのは何故か、魔導師である自分には玲奈の気持ちがわからなかった。
「おいたはほどほどにな?」
玲奈が片目を開いて、にかっと笑う。
「気付いてたんですね?」
「キーロック解除できそうなら止めたけど、出来そうに無いから黙ってたわ」
悪びれずに玲奈が上半身を起こす。
なるほど、自分は試されたのだろう。
「寝ておきな。大好きな彼氏が戻ってくるまでだいぶ時間がかかると思うよ」
「友樹くんのお仕事ってなんだったんですか?」
彩香が首をかしげて、携帯電話の画面を見ると画像が削除されている。
「さっきのおっさんを…」
「暗殺?」
「違う違う、浮気調査みたいなもんだ。うちのスポンサーなんだけどね、最近行動がおかしいから身辺調査をして欲しいって依頼だったのさ。まぁ、場合によっちゃ暗殺もありえるけどね。友樹が動き出して、軽く脅しをかけてやれば政治家なんて簡単に保身に走るよ」
「政治家」
彩香は言われて首をかしげる。名前が出てこない。
「友樹はああ見えて、政治家や財界人の名前には詳しいだろ?」
「え?そうなんですか?」
意外なことを聞かされて彩香は目を丸くする。勉強はあまり好きではないと言っていたので、そういう名前などには興味がないと思っていたのだが、案外違うらしい。
◆◆ ◆◆
目が覚めるといつもと違う天井にはっとした。慌てて左右を見ると友樹の寝顔が目の前にあって二度驚く。
あの後、玲奈と話をしながらうとうとして気がつくと眠っていたらしい。
「あれ?傷?」
友樹の額、髪の毛の生え際に銃弾が掠めたような後がある。手を当てると友樹の眉がぴくっと動いて苦悶の表情を浮かべるが目を覚まさない。手をそっと離すと傷口が消えて、彩香はそのまま頭を撫でてやる。
「驚いたね、あんた治癒術師かい?」
玲奈が髪の毛にタオルを巻いて部屋に戻ってくる。入浴をしていたらしい。
「いえ、私は専門じゃないんですが、簡単な外傷くらいなら治せますよ」
「へぇ」
興味なさそうに玲奈はパソコンの前に座るとまたメールのチェックを始める。
「頻繁にパソコンの前に座るんですね」
「そうだよ?移動していない時は定時連絡が細かくなるんだよね」
移動をしていることが組織にはわかるのか。
彩香はふと気付く。監視衛星か何かを使っているのか、それとも魔導師を配備しているのかはわからないが、作戦行動中以外は監視が緩むらしい。
「友樹君の仕事は終わったんですか?」
「終わったみたいだよ。あの政治家の娘を荒縄で縛って手榴弾を身体に巻きつけてね。もし裏切ったときの代償は娘だって言い聞かせてきたらしい。まぁ、自分の家に入り込まれてそんなことをされたら、警告だって気付くだろうね」
「過激…」
彩香が呟くと玲奈が苦笑した。
「それくらいアピールしてやらなきゃ、気付かない振りをするからね」
玲奈がテレビをつけると、顔写真になっていた男が国会討論で何かを叫んでいる。前々から話になっている魔導師の免責特権は人権の平等性をどうのこうのという話だ。
「組織は今、やっきになってるんだよ。那由他なんていう魔導師の巣窟みたいな連中がこちの世界、しかも日本の学園に潜伏してるわけだろ?あんな連中がいたら、一般人はおちおち寝てもられないってね」
「ええ、そうでしょうね」
学園の寮生たちも確かそんなことを言っていた。少しは慣れたが未だに那由他の人間と話すときは魔導言語を使用するために、会話がうまく行かないときがあるらしい。
味方なのか敵なのかわからない。
「あ…」
「なんだい?」
玲奈は下らないことをまた言うんじゃないだろうね、と首をかしげる。
「梨華さんも絵里ちゃんもそうだったんですけど、那由他の人ってあの二人には絶対服従らしいんですよ」
「そりゃ面白い話だね。具体的にどんな感じだったんだい?」
急に身を乗り出して興味を示した玲奈だったが、どうしてこんな話に興味を持つのか彩香にはわからなかった。とりあえず感じたありのままを告げることにする。
「まんまお姫さま~って感じでしたね。学食とかでも席が開いてなかったら、那由他の人は自然と譲ってました」
「はぁ?」
玲奈が素っ頓狂な声を上げる。
「私は学園って場所がどんな場所だかわからないんだけどさ、それってすごいことなの?」
「はい、学生食堂は戦場ですよ。上級生とか下級生とか関係なく、もうこれはなんと言っていいやら。血で血を洗う抗争の場なんです」
力んでふんっと鼻息を荒げる彩香とは正反対に呆れる玲奈は「聞いた私がバカだったわね」と項垂れる。
「あ、でもあの二人に対して支配されているっていうよりは、従うっていうかぁ…無理やりやってるって感じがなかったんですよね」
彩香から見た感じ、自然に二人に対して行っている行動のようにも見られた。そうしなければならないから、ではなく、そうしたいと思って自発的に行っているようだったのだ。
「誰も文句を言わないような感じ」
彩香が辿り着いた答えはそれだった。梨華や絵里に従うことに不平不満が全くないのだから、疑問視されることもないのだろう。
「那由他の王家は今わかってるので三人。サラスティア・フォルテ・アインリヒが梨華で、シュナスリィヤが暫定女王位として那由他を支配していること。そして私たちに攻撃してくるお転婆姫さまが絵里、アリマルテルカ第三王女様か」
「絵里ちゃんが言ってたんですけど、お兄さんがいるらしいですよ。シュナスリィヤ女王と絵里ちゃんの間に」
「王子がいるのに王位につかないのかね」
「女王が君臨するのが那由他だって話がありました」
「うちの世界にも女王が君臨している国家はあるが、統治はしていないね」
「イギリスですね」
彩香が頷くと玲奈も頷いた。
「日本とイギリスがくっついたのも、那由他が女王君臨制だったからだって諸説があるが、どうなんだろうね」
「私はそこまで内部に詳しくないんですけど、元々絵里ちゃんを守護する人員に抜擢されてましたよ」
「あんた、意外と深いじゃない」
そこまで相手の深部に潜入しているのならば、情報が手に入る可能性があったのに連れて来た友樹の行動がもったいないと思った。もう少し内部に潜入させ、深い情報を入手させた後ならば…使えたかもしれない。今となってはもう遅いが…。
「絵里って子はどうして友樹を発見できたかが怖いんだけど、何か知ってるか?」
聞かれて彩香は「えーと」と絵里の女神の瞳の能力を教えると、玲奈はうんうんと何かを考えながら聞いている。
「特定人物の検索を行う能力は俺が封じたから心配ないさ」
友樹が上半身を起こして玲奈の考えが杞憂だと言うと、ベッドに腰掛けたままにやりと笑った。
「特定の魔力波動を持つ人物を検索する機能と、遠距離からの目視が女神の瞳だからな。絵里が上空に上がって遮蔽物がない直線状にいる人物を全員確認していけば、俺たちは確実に補足されるんだ。だから俺たちは出来るだけ、空からの監視に気をつけて歩かなきゃならん」
「学園のセキュリティ介入プログラムもありますから、街中にある監視カメラもできるだけ避けて歩かないといけませんね」
彩香がNシステムハッキングに対しての警告をすると、玲奈が「厄介な役目になってきたぜ」とにやりと笑う。組織と友樹たちの仲介をする仕事を与えられて二人を回収したまでは良かったが、保護者の真似事まで押し付けられて面倒なことこの上ない。
「で、このホテルのフロントにも監視カメラがあったな」
「あ」
彩香が口を手で押さえて目を丸くする。
「まじっすか?」
「本当?」
友樹と彩香が同時に玲奈に尋ねると、玲奈が頷いた。
「ああ、警備会社に繋がってるはずだが…?」
基本的にどこの公共施設でも要所要所にはカメラがあって警備会社に繋がっているはずだ。
「学園がそこまで本気になっていなければ、インターセプトしないはずですけどね」
彩香が棗さんだからなぁ、と悩む。彼女ならやりかねない。
「移動するか?」
「定期的に移動するのはお約束、だろ」
友樹がよっこらしょっと立ち上がると、彩香が友樹の隣に立つ。
あの子は本当に友樹が好きなんだろうな。
玲奈はそう思いつつもノートパソコンを畳んで小脇に抱える。
彩香さんよ、残念ながら友樹はお前のことを弾除けくらいにしか思ってねぇんだぜ?
友樹に親しげに笑む彩香を見て、玲奈は心が落ち着かなかった。
◆◆ ◆◆
棗を当直にさせて降矢は発令区画の隣にある部屋で仮眠をとっていた。ぐっすり眠れるとは言い難い簡易ベッドだったが、眠れないよりかはましだ。
「しばらく教鞭も手にしてない、なぁ」
授業をしていない自分に拓斗がゼミ生たちはしっかりとやってくれていることを聞いて安心したが、自分の授業はほとんど進んでいないことに少し焦る。せっかく自分の授業を取ってくれているのだから、しっかりとした知識を与えてから卒業してもらいたかった。
ブザーが鳴ってインターフォンのボタンを押す。映像に更紗の顔が映し出されていた。
『今大丈夫ですか?』
「はい」
そう言ってボタンの隣にあるもう一つの開閉スイッチを押すと、ドアが開いた。
「思ったよりここは狭いんですね」
六畳ほどしかない、本当に寝るためだけのスペースに更紗が入ってくる。ワイシャツを着崩しただけの降矢に更紗が「就寝中に申し訳ありません」と頭を下げた。
「更紗さんだって東日本司令部とここを往復しておられるでしょうに、大丈夫ですか?」
少しだけやせたような気がする。降矢はそう思うと更紗は首を横に振った。
「大丈夫ですよ。心配なさらずに。友樹、彩香の二人に協力者がいることが判明しました」
「判明、というより確定、ですか」
更紗は入り口のドアに背中を預けて、腕を組んで頷いた。
「玲奈と呼ばれているようですが、本名は出てきませんでした。国籍も出身も不明。年齢が三十手前。降矢さんと同じくらいです。顔写真はこれです」
降矢がPDAを手にすると、データを受信した。
「国民登録番号もなし」
「ですね。血液型すらわかりませんでしたし、病気の履歴から歯医者の歯型記録もない。この人が死んだら警察は身元確認なんて出来ないでしょうね」
やれやれです、と更紗が首を左右に振る。
「捜査進展はないんですね?」
「はい、残念ながら。こっちは?」
「ありません」
降矢は悪びれずにはっきりと言う。相手が動いていないのだから仕方がない。
「電子情報網に物騒なことを書き込んだり、誇大妄想的なメールのやり取りをしている人物の形跡もなし」
「なし?」
降矢が目を細めると、更紗が頷いた。
「暗殺や爆破、攻撃系の単語を自動で検索していますが、友樹に繋がるようなものはない、ってことですね。四六時中そんなメールは飛び交ってますし、殺したいだの何だの、実行しないけどはけ口に使う人は多いですが、友樹にはまったく関係ありませんでした」
「ふむ」
ここまで静かに行動されると友樹が何を狙って今の状況を作っているのかわからなくなってくる。
「この女のことを調べていますが、何も出てきませんでしたよ。不気味なくらい真っ白です。それこそ、電車にも乗っていなければ銀行から金を引き出してもいない。こんなことは有り得ない」
「こんなことを言うのもあれですけど…友樹は行動しているんですかね?」
「さぁ」
自分に聞かれてもわからない、と更紗はため息を吐く。
「絵里が破壊したシティホテルの最上階ですけど、あそこの監視カメラにそこの女が映っていましたね」
「真っ白どころか真っ黒じゃないですか。絵里のほうが私たちよりも対象に近いということになりますよ?」
「接触したかはわかりませんね。絵里の今の状況じゃ、たぶん、跡形もなく吹き飛ばしてしまえばいいと考えるでしょうから」
更紗が「そうですよね?」と同意を求め、降矢は「残念ながら」と頷く。
「派手に動いているのは絵里だけで、私たちが追っている友樹は全く行動が読めず、学園と東日本司令部はこう着状態、ですか。面白くないですね」
降矢が本音を洩らす。これでは日本魔法省から何のための莫大な金額を投資した緊急対策本部なのかわからないと苦情が出てもおかしくはない。
「英次さんと梨華さんは…?」
「彼らは両者とも単独任務可能執務執行官として別件で動いてますよ。二人一緒ですけどね」
「そう」
更紗は二人が元気にやっていることを聞いて少し安心した。
「梨華さんからは那由他は今回のことに関しても不干渉を決め込むようだ、と連絡がありました。学園が友樹やその一味からの攻撃を受けた場合は防衛に入るそうですが、学園以外は守る意思がないようですね」
「それでいいわ。下手に動かれると私たちも色々と後処理が大変だから」
降矢は「縄張り意識がありますからね。公務員(国家の戌)は」と皮肉をこぼす。
「侮辱罪で捕縛して差し上げましょうか?」
更紗がじとりと睨みつけ、降矢が「いやぁ、全力で遠慮しますよ」と顔の前で手を振る。
「英次くんと梨華さんが欠いた状況というか、やはり無音の投擲槍が解散すると物事がうまく進みませんね」
降矢が思ったことを正直に言うと、更紗が悔しそうな顔をする。
わかりきっていたことだ。あの二人がいると物事が素早く解決する。それは最大の矛盾でもあったが、真実だった。英次の意味不明な未来予知にも似た命令は常に的を射るし、梨華の相対的な観測に基づいた裏づけという予想も結果的にぴたりと型にはまる。
数学で言えば二人は過程式を書かずに行き成り解答欄に正解を書き込むタイプだった。どんな複雑な問題だろうと、見ただけで説き伏せてしまう。
「解散してしまった部隊をいつまでも引っ張り出すなんて、降矢さんらしくないですね」
「ですかね?解散してしまって、簡単に事件から足を洗う英次さんと梨華さんのほうが、私はよっぽどらしくないと思います」
「と、言う事は、二人はまだ裏で動いていると?」
更紗が視線を逸らしてまた何かを考える。あれを部下の前でやっているのだとしたら、部下は次に出て来る言葉が恐ろしくてたまらないだろうと降矢は思った。特にミスをしたあとにあんな流し目をされたら、畏怖の対象以外の何物でもない。
「可能性の問題ですけどねぇ」
降矢がお茶を濁して断定を避けるのには理由がある。学園と東日本の指令官である自分たちがいちいち部隊にも満たない単独任務可能執務執行官に協力を依頼するわけにはいかない。元知り合いであってもそれは情報局のほうが適当な人材を発見して。こちらに使用してはどうか?と進言してきた場合にのみ使えるのが恒例で、勝手に引抜を行うと情報局がいい顔をしなくなってしまう。
そんなつまらない権力争いのようなことが実際に起こっているのだから、こちらも向こうも簡単に人材の行き来をさせることができなくなってしまっていた。
特に今回の場合は英次よりも梨華のほうに問題がある。
「勝手に動かれては困りますね」
更紗が渋い顔をすると、無音の投擲槍の更紗を思い出した。自分と友樹が突っ込んでいくのを何度も制止していたあの声と後での叱咤が懐かしい気がした。
「上に上がれば上がるほど、政治的な面倒が多くなるのは英次くんが指摘していましたね」
「ええ」
更紗が心底、首の回らない状況に苛々しているのか、ぶっきらぼうに返事をして発令区画にいる面々を眺める。優秀などとは言いがたいメンバーだった。優秀なのは機械だ。ここにもう一人、管制官か監視官がいれば話が変わってくる。
監視官と言えば真っ先に思い浮かんでくるのが絵里の存在だ。しかし彼女は今後は那由他の尖兵となるだろう。むしろ指令官としての才能があるとは思えないだけに、前線側に立って回られると面倒でもあった。
ああ、今、その面倒な状況だったっけ。
更紗は以前として連絡の取れない絵里の状況を考え見て、ふぅとため息を洩らした。
状況が芳しくない。




