かなわねぇあんちゃんだな
魔導自衛隊の基地内に設けられた試験会場で、更紗は一人だけ自衛官の中で制服を着ていた。
試験終了と同時に更紗は一度大きく伸びをしてから前線管制と情報管理を起動すると一瞬にして今日あった戦闘と詳細が流れ込んできて愕然とした。
瞬間的に友樹と彩香の位置を検索するが特定できない。
精神接続情報網と電子情報網に接続してみる。
浸入された形跡があった。
解析すると自分の作ったプログラムだった。
友樹くんが…敵。
敵である友樹の行動を思い出す。
友樹はどうやって私から手段を奪いとったのかしら?
ふとそう思うと、更紗は自分のPDAを取り出す。解体して標準には装備されていない基盤を見つけて、それを剥がす。
「降矢さん」
呆れた。
降矢の使っているハッキング用の情報送信チップだ。それを友樹が盗み出して勝手に自分のPDAに付けたのだ。
昨日の夜だ。絵里と買い物に行って帰って来た時、シャンプーの替えを脱衣カゴの隣においておくと言った。そもそも、友樹が入浴している自分の脱衣カゴに近付くようなことは今までなかった。PDAはいつもカゴの近くにおいてある。
身内だからそんなことはないと思って、走査もしなかった。
英次くんと梨華さんは那由他だし…。
絵里はPDAを六時間前にオフラインにしたまま、未だオンラインにしていない。こういうときにはオンラインにするのが暗黙の了解であるのに…。あの子は何を…。
更紗は動けるのが自分だけだと判断すると、席を立った。
「更紗くん」
後ろの三十代後半の男性自衛官が声をかけてくる。
「事件の内容は私も聞いているが。君は士官候補生としてこの後面接を受ける必要があるはずだ」
優しい顔の男性は厳しい表情を浮かべている。更紗はおろおろとたじろいだ。
わかってるけど…。
「迷うな。君の迷いは君の部下の命に関わる。今もそうだが、近い将来は君の指揮下に全ての魔導師が動くことになるんだ。今、君がしなければならないことを考えたまえ」
更紗は男性自衛官に敬礼すると着席する。
『降矢さん』
精神接続情報網で降矢を呼び出す。
『こちら学園大学部総司令官、降矢です』
『お疲れ様です。司令。私は日本関東、東海地方司令の更紗です。情報の開示を学園の司令に求めます』
『情報を開示しました』
形式的なやりとりに更紗が魔術をもって自分を中心に球体を出現させると、三百六十度ディスプレイに様々な情報が展開して、更紗が両手を広げてそのディスプレイを操る。
『ありがとうございます』
『いえ…』
降矢の声が少し遠くなる。恐らく他の誰かと会話いているのだろう。
『試験はどうでした?』
知り合い同士の会話になって更紗が苦笑する。
『手応えはありましたね。まぁ自信は十分です』
『それは良かった。ところで更紗さん、自分のプログラムが使われた感想は?』
『身内も疑えという教訓でしょう』
更紗が自嘲気味に呟くと『残念ですね』と降矢が同意した。
『私たち無音の投擲槍は寄せ集めでしかなかった。こうなる予想は十分に出来たはずですしね』
言われてその通りだとも思う。
英次と自分と降矢以外はその因子を多分に含んでいた。梨華には十分注意をしていたが、数年一緒に生活していた友樹と絵里にその意識が行かなかったのは失敗だった。
『まぁ、身内を疑うような人間として疑われてしまうような考えは推奨できませんけどね』
降矢の言うことも一理あるが…今回はそれが元になってしまった。
疑わなかったか自分が悪いのか、裏切った友樹が悪いのか、その判断は今は後回しにしておくことにする。未だ、友樹が裏切ったとはどこかで信じたくなかった。
『私は最後まで試験を受けてから合流しますが、よろしいですか?』
『はい、敵二名の動きはないようですし、こちらも学園の後処理があるだけですから、最後まで…。健闘を祈ります』
『ありがとうございます』
更紗は通信を切断すると、ふぅと息をついた。
今は試験に集中しなければならない。
◆◆ ◆◆
絵里は街の中を歩き回り、疲れ果てていた。
公園のブランコに腰掛けて、ぼんやりと遊んでいる子供たちを見る。
楽しそうにはしゃぐ女の子が転んで、男の子が女の子をおんぶして公園から出て行った。
お兄ちゃん、と呼ばれていた彼はしっかりと妹の面倒を見て、仲良く遊んでいたのに、終わりはあっけなかった。
まるで自分たちのようだ、と絵里はそんなことを思った。
兄妹のようだ、と言われ続けた。
ようやく、自分の気持ちに気付けた。互いに愛し合っていることを知った。
その喜びがあったのに…。
彼は突然、何も告げずに去った。
アリマルテルカ・フォルテ・アインリヒとしてではなく、一人の少女として見てくれていた人は、忘れ物を取りに行くと勝手に居なくなった。
「バカ」
足元の砂場に爪先で書いた文字を読む。
膝の上にかけたブレザーの意味は、誰よりもわかっていた。
俺がこのブレザーを預けたら、俺は無音の投擲槍を辞めるときだな。
何の気なしに彼が言って微笑んでいた記憶が蘇る。確かこれは、友樹が学園に入学して自分がその制服を羨ましがって、着せてくれとせがんだ時の話だ。
友樹の上着を着て、絵里は袖が少しだけ自分より長いことに気付いた。
出会った頃はほとんど一緒だったそれが、今では少しだけ差が出来ていた。
そう言えば、最近少しだけ見上げるように話してたっけ。
ふと思い出すと、視界が歪んだ。
少しだけ暖かい上着に包まれているのに、心が締め付けられるほど痛かった。
PDAをオンラインにするが友樹からの履歴はなかった。
「あれ?」
思わず声を上げると、英次、棗、降矢、そして学園からの履歴があった。
絵里はPDAを操作して学園のことを調べて、友樹が学園を襲ったことを知るとPDAを落とした。
「なんで?」
PDAに聞いても返答など無い。
友樹は何をしたかったのかわからない。
PDAに着信。音声のみの回線を開く。
彩香からだ。
「彩香ちゃん?友樹くんと逃亡したって…あれ?」
わけがわからなく、自分でもどんな顔をしているかわからなかった。頭の中の冷静な部分で、きっとひどく慌てているんだろうな、と判断している自分が魔導師として確立されてしまっていることを認識する。
ひどいノイズが耳につく。
女神の瞳を同時に起動しても彩香の姿は認知できなかった。友樹の施術が効果を発揮しているため、知覚できない。
『絵里ちゃん。近すぎて見えなかったのに、遠くになっちゃうともっと見えないでしょ?』
彩香の声が何とか聞き取れる。
「どういうこと?」
『友樹センパイのことだよ』
なぜか、彩香に友樹の名前を出されると勝負などしていないのに負けた感じがして、苛々してくる。
『私は友樹センパイといるの。これからもずっと。私はずっと友樹センパイが好きだったし、絵里ちゃんにもそう言ったのに、絵里ちゃん、友樹センパイの気持ち独り占めにしちゃうんだもん、ずるいよ』
「友樹くんが言ったの?」
『うん、聞いたよー?一緒にいるからいいよね。ゴールデンウィークの話も聞いた』
楽しそうに話す彩香の声が憎たらしくてしょうがない。
「友樹くんは?」
『私と一緒。もう返さないから』
「勝手なこと言わないで」
叫んでいたのだろうか?
喚き散らしていたのだろうか?
どうしようもない距離を感じて、必至に絞るような声で訴える絵里。
しばらくの間が開いた。
『勝手なのは絵里ちゃんじゃない。何でも思い通りにして、人の行為なんて吐き捨てるくらいなのに、自分のわがままは通すの。それは勝手だ』
はっきりと、強い口調で言われて絵里は肩を震わせる。
「わかった。うん、ありがと」
絵里はPDAの回線を切る。
すっと立ち上がった絵里はショルダーバッグから大型狙撃銃を二丁、高速展開する。
「天使装甲状態射撃強襲、起動」
小さな声で呟くと、白い翼が広がって天使装甲状態に変化する。友樹の上着を羽織ったまま、絵里はふわりと地面から足を離した。
首元で友情の証であるハートのチョーカーが悲しく輝く。
白い翼が…黒く変わる。
ふっと絵里が微笑むが、輝いて周囲を魅了した笑みとは一辺した、暗い笑みと虚ろな瞳に変わった。
「いいよ、彩香ちゃん。邪魔するなら壊しちゃうから」
絵里は全力で魔力を空に放出すると、黒い閃光が空に弾けるように駆け上がった。
◆◆ ◆◆
魔力の放出を感知して、降矢と棗が顔を見合わせる。
魔力波動の検出。
アリマルテルカ・フォルテ・アインリヒと表示された公園のある場所の地点が割り出されて、大規模な魔力波動の衝撃波が周囲の魔力制御を受けている機構を狂わせている。
一瞬の放出。
それは何かの咆哮のようで、学園の全ての機構も瞬間的に沈黙させられたほどだった。
「被害出ました」
司令区画の少女が告げるとディスプレイに表示される。
テレビから通信衛星の機能停止。病院や公共施設のエネルギー供給の停止。原子炉の制御機構から魔力路の非常停止。半径二百キロメートルの全ての機構が停止した。
「アリマルテルカ・フォルテ・アインリヒって…絵里ちゃん?」
棗が降矢を見ると、降矢が頷いた。
「全力開放しましたね。禁止されていることです。絵里さんもそれを知っている」
「我を忘れるような何かがあった?」
棗の分析は的中している。そしてそれは降矢の帰結する理論でもあった。
「友樹くんのことでしょうね。彩香さんも一緒にいるわけですし」
女の子として、許せないこともあるんでしょうね、友達ですし。と大人の意見を口にする降矢に棗は眩暈がした。
「降矢司令?私は無音の投擲槍は身内だと思っていたのだけど」
棗はこれではまるで、世界最大の脅威でしかない、と言いたげに眉を顰めた。
「握っていたナイフが、いつの間にか自分に向けられているということ」
降矢が冷静に分析すると、棗は「それでいいわけがないでしょう」と呆れる。
「幸い、私たちにはまだ『切り札』と『奥の手』があります」
「楽しみね、それは」
棗がさして期待していないように吐き捨てるが降矢にとってそれは最大の強みでもあった。
英次、梨華、更紗がまだこちら側にいる。
英次と梨華の関係は独自の情報網で詳細を入手しているのだから間違いはない。この三人は裏切らない。そして大人で冷静だ。
当初、一番この三人が仲たがいを起こすのではないか?と心配していたが、実際は別のところで仲違いが発生しているだ。
「梨華さんが早く戻ってきてくれれば、私も安心するのですが…」
「梨華が?どうして?」
棗が一番危険な存在である人物の名を上げられて、降矢は意味深に笑んだ。
「彼女はきっと全てを知っていますから」
きっと…なのに知っている、とはどういうことか。
棗は深く考えると降矢の思考の深さに到底追いつけるはずもないとそれを諦める。
アリマルテルカ・フォルテ・アインリヒの反応がこちらに向かってくる。
絵里のPDAはオフラインどころか、反応が消失している。それもそのはず、莫大な魔力波動の中心部にあるPDAが正常に機能しているわけがない。
「い、一応、対空防御機能を起動してください」
さすがの降矢も天井知らずの魔力を保有する絵里が近付いて来てどもった。正常な人間ならば真っ先に逃げ出すのが妥当だろうが…。学園の生徒はここ以外に安全な場所など存在しないことを知っているので動くことは無かった。
棗は全員に学園内部に留まり、交戦を不許可とするという命令を下して機械による完全防御を実行する。
防空防壁をいとも容易く、まるで何事も無かったかのように絵里が通過してくる反応を見て降矢が苦笑する。圧倒的な火力の前ではどんな城壁も無意味であることを思い知らされてしまった。
「矛盾の語源よりひどい」
降矢の皮肉に棗は笑えなかった。発令区画にいる誰もが降矢と棗の指示を仰ぐように視線を集中させている。
「攻撃は中止です。相手の出方を待ちましょう」
降矢はそう言うと踵を返す。
「どこへ?」
棗が問う。司令官が司令所から出るのは言語道断だ。
「私は威力前衛として向かいます」
棗は降矢に敬礼する。
降矢が墜とされた場合、ひょっとしたら学園は玉砕覚悟で絵里に挑まなければならないのかもしれない…。
◆◆ ◆◆
降矢はふわり、と地面から足を離して空に上がった。
高度三百メートルのところで止まると、翼を広げた少女がふわりと目の前に現れたが、一瞬、絵里だとは思えなかった。
「絵里さん?」
「降矢せんせー」
どことなく熱病に当てられたかのように絵里が舌足らずな口調で小首を傾げるが、表情は暗かった。暗い笑みに降矢は怪訝な顔をする。
「友樹くんはどこですかぁ?」
ぞくり、とするとはこのことか。
背筋が凍るなどという表現では生易しい。心臓を握り潰されたかのような悪寒が降矢を縛り付けた。体が動かなくなるほどの精神的な衝撃に降矢は一瞬思考が停止する。
「学園にはいません。あなたの女神の瞳で調べれば」
「いないんだぁ。どこにも。世界中のどこにも」
絵里がきょろきょろと周囲を見回す。
「いるのにいないの。いないのかな?」
「いえ…」
居ないわけがない。
今も二人は逃亡している。恐らくどこかで潜伏しているに違いないのだ。
「学校にもいないんだぁ」
絵里は項垂れるように肩を落とすと、降矢に背を向ける。
「どこへ?」
「友樹くんを探すの。それでね、泥棒さんを壊すの」
泥棒…?
降矢は絵里の言う泥棒が理解できなかった。
「ねぇ…ねぇねぇ、全部壊しちゃったら友樹くんも壊れちゃうからしないけど、友樹くんを壊しちゃったら、全部壊すからね?」
振り向きながら微笑み闇を振りまく少女は目を見開いて、口の端を引き攣らせていた。
「あっはははは!」
全身を強張らせた降矢に絵里が笑う。
「う・そ…だよぉ」
くすくすと笑うが、完全に常軌を逸したその言動は人として精神がどこか壊れてしまっているように見える。
「じゃあね」
絵里の姿が消えた。
閃光と化した絵里の後を追うことなど出来るはずも無い。
◆◆ ◆◆
「絵里さんが―――堕天した…と」
降矢の説明を受けて棗が「ああもう」と地団太を踏むように地面を一度強く踏んだ。
次から次へと問題が起こるのは梨華が学園に来てからだ。
どうしてこうなってしまったのかわからない。
「とりあえず、那由他から英次くんと梨華さんが戻って来て、更紗さんと学園を含めた話し合いと方針を検討する必要があります。今の後手後手に回る状況は余りにも良くない」
降矢の言っている事はわかる。
おそらく友樹と彩香の行動は今後、恵まれた子供の処分を実行することだろう。絵里は友樹を探しているが、その理由がいまいちよくわからないが、放置しておくには余りにも危険すぎる。制限時間が変動する爆弾のようなもので、この瞬間にも爆発するかもしれないし、永遠に爆発しないかもしれないようなものだ。
この状況に那由他がどう動くのかも気になる。
国連は恐らく、アメリカと中国の対応に追われているために行動は厳しい。
ともすると学園と日本、そしてその同盟国が動くしかなくなってくる。
このままではどうしようもない。
降矢はとりあえず、更紗の帰りを待つことにした。
◆◆ ◆◆
英次と梨華は絵里の状態を聞いて顔を見合わせる。
「計画にあるか?」
「ん?」
英次に尋ねられて梨華は「どうしてそうなるの?」と首をかしげる。
「こうなることは予想できていたんじゃないのか?」
質問の仕方を変える英次に梨華は「そうねぇ」と空を見上げるようにして何か考えるような仕草をする。
「これを結果として考察するのか、いまだ過程として対応するかによって違うと思うの」
「俺は少なくとも友樹が敵に回るとは思ってなかった」
「私は敵に回ると?」
「少なくとも前までは」
英次の断言した事に梨華は否定することが出来なかった。国連魔導軍(UNマギナリー)であろうと何であろうと、自分の思想と違う方向に向かおうとしていればそこに留まるつもりもなかった。
「こう言っちゃ何だが、友樹は少なくとも梨華に近い思考回路を持っていると考えられる」
「自分のやりたいことが違うと思ったら、あの子は全てを捨てでもかまわないと考えるでしょうね」
梨華も英次の言いたい事は理解できた。世界の均衡など、彼には関係ない。自分の思うがままの正しい世界を求める傾向が強い。そして根底にあるのは強い破壊衝動。
受け入れられない世界ならば、壊してしまえばいいと考えるのは梨華の昔の姿だ。
そこに善悪などという概念は必要ない。曖昧で抽象的な判断など全て懐疑的になり、目の前にあるものを全て破壊していく。それは人間の持っている…原初的な行動に他ならない。
「友樹にだいぶ色々教えてたよな?」
「ええ。基本的な行動原理、魔導における考察と対応の仕方。精神接続情報網や電子情報網の対応の仕方を聞かれたからね。私が昔に学習したことを全てね」
「友樹にはありえないことだ。傾向と対策なんて考えるような奴じゃない」
「ひどい言われようね。行き当たりばったりだけが彼の魅力じゃないと思ったけれど」
梨華が苦笑すると、英次は面白くなさそうな顔をする。
「あら、好きな女が他の男を評価するとあなたでも嫉妬するの?」
「誰が、とは言え、その見方でいくとかなり『強敵』になっちまうな、と思ってさ」
英次が失笑すると、梨華も難しそうな顔をして「そうね」と呟く。
手の内を知り尽くしている相手ではあるものの、向こうもこちらの手の内を知り尽くしていることには変わりない。
「絵里ちゃんに対しての対応は?」
「絵里か」
話を元に戻す梨華に、英次は「そうだな」と沈黙してしまう。二人ともそこで思考が停止してしまっていた。
ゴールデンウィーク前半にあの二人に何があったのかわからないが、何処となく二人とも距離を置いているようにも見えた。そして後半は友樹が任務に当たっている。
自分たちもゴールデンウィーク後半から那由他に出向していたわけで、更紗は受験勉強をずっと行っていた。降矢は学園内の何かをずっと調べているようだったが、何かだったまではわからなかった。
空白の時間があった。
一週間近くの空白。
最近では隊員間のコミュニケーションも減ってきていたことは事実だった。
「私はそろそろ無音の投擲槍が部隊でいることが限界であると思っているわ」
「…ああ」
英次が言い出しづらかったことをそっと梨華が後押しするように提言し、英次も頷く。
部隊としての任務が急速に行えなくなっている。そして各個人が重要な役職に当たっていることも考慮すると解散もありえる。
「友樹以外が全員、どこかに所属するが、友樹は」
「行く場所がないって言うのよね。実はね」
梨華が言うまいか諮詢した後に、何かを決意したように英次の顔を見る。
「友樹には那由他の指揮官教育を受けさせようと思っているの」
「ん?」
英次が梨華の意図を理解出来ずに怪訝な顔をする。
「あの子、実は前線よりも指揮官に向いているのよ。有能な部下を持った有能な指揮官にね」
「根拠は?」
「誰よりも優しいくせに、誰よりも戦場を理解している。優しさと冷酷さをかね合わせ、やるべきこと、やらなければならないこと、損害に対する覚悟、いろいろあるじゃない。それらを彼は知っている。その上で責任のある決断を下せるようになると思っているわ」
「那由他の姫としての発言として受けて構わないか?」
梨華は小さく一度頷く。
「私が唯一懸念していることって、絵里なんかより友樹のほうよ。彼の潜在的な魔力波動は…」
梨華の言葉に英次が驚く。
無理も無かった。
それが全てで、否定する根拠は山ほど出てくるのに、肯定する根拠が全く無い。論じるならばもう少しまともなことを言うべきだ、とも思うほどの戯言だった。
「一時的に無音の投擲槍の活動を休止する」
英次が立ち上がり、梨華もそれに続く。
「私たちはどうしようかしらね」
「俺たちは二人で動くぞ」
英次の決意にも似た言葉に梨華が微笑む。
「いいわね。那由他側に私たち二人のことを伝えておくわ」
「頼む」
梨華と分かれて英次は一路、水球の惑星へと向かう。
◆◆ ◆◆
学園、中枢司令部の司令区画に英次と降矢が入ると、棗と更紗が安心したような顔をしている。
「状況報告」
降矢が告げると「変化ありません」と棗が敬礼する。
友樹の学園襲撃、絵里との接触後からは何も変化が無かった。
「絵里さんの追尾はどうなっていますか?」
「目標はロストしました。とは言え、敵勢対象の付加記号『プリンセシア』は高速移動を繰り返しつつ、魔力波動を変化させています。追跡は難しいかと」
更紗が困惑しているように報告すると、英次は頷いた。
「あの子達は成長期ですから、今まさに開花していることでしょう。急速に昨日までは使えなかった魔術や魔法を習得していく。精神的にも不安定なはずですね」
降矢が「どうしますか?」と英次の横顔を見る。
「更紗、東日本指令官就任、おめでとう。君はこれから一時、無音の投擲槍を離れ、司令官として学園と東日本を指揮するように。降矢は今まで無音の投擲槍に在任していただき、感謝の言葉をここで述べさせていただきます。貴殿は本日より、学園と今後の日本及び世界の魔導発展に尽力を尽くしていただきたい」
英次の言葉に棗が目を細める。
「それは?」
「現時刻を持って我が無音の投擲槍の活動を『無期限停止』する」
英次の宣言と同時に学園の情報書架から無音の投擲槍の部隊名が削除されたのを更紗が検知する。
「確認しました。国連魔導軍(UNマギナリー)所属、空戦特務部第ヒトマルヨンロク部隊無音の投擲槍の登録が抹消されました」
国連魔導軍(UNマギナリー)は二つ返事でこの解散に同意していた。
友樹、絵里の反社会的行動に対し英次の隊長職継続に意義が上がっているため、この解散は責任辞職として承認することと、今後、単独任務可能執務執行官としてこの事件の対応に全力を尽くすことだった。
「那由他との連携や外交権は学園指揮官である降矢と棗、二人に任せる。俺はこれから一魔導師として活動する」
「わかりました。命令系統の確認を行います」
更紗が無表情で解散の動揺を隠すように降矢と棗に視線を送る。
無理をしているのは、誰から見ても一目瞭然だった。
こんな形で、終わると思っていなかった部隊だ。
将来有望な部隊員をかき集め、世界均衡の頂点に到達するはずだった子供たちが狂い始めた時間という方向性に今、迷い始めているようにも見える。
降矢はそんなことを思った。
「私は学園に駐留しつつ、状況を判断します。とはいえ、魔導自衛隊は後処理に動かさせていただきます。よろしいですね?」
「ええ、学園の生徒は基本的に作戦従事をさせるには荷が重たいでしょうが、法的活動権限を持たないために救援活動などに参加すると余計に混乱が生じるでしょうから、後処理は自衛隊に任せます」
降矢が学園のトップとして更紗に同意する。
「私たちはどうしましょう」
棗がおろおろとして口元に手を当てて、判断を窮する。死者を出してしまったことに多いも少ないも無い。自分の命令による損害を受けて彼女はまともな判断が下せない状況にまで追い込まれていた。
学園全体の指揮は今、降矢が一人で行っているのと変わらない。
本来ならば指揮官能力に対して疑問視される行動ですが、ここは軍隊ではない。指揮官辞職命令を下してしまえば早いかもしれないが、早急すぎるか?
降矢がそんな棗を観察して、微笑んでいる。
「棗さんは学園の内部調査を行ってください。生徒は前線に立つ必要はありません。経験豊富な学生が前線に当たりますので、後方支援指揮をよろしくおねがいします」
「あ、はい。そうですね、がんばります」
棗が頭を下げるとその後に敬礼した。
「友樹くんの位置を検索し続けることに意味はありますか?」
更紗が不意に降矢に尋ねる。
「意味はないでしょうね。ただ、情報を統括する意味はまだあると思っています。彼はまだ知らないことがある」
大型ディスプレイに表示された世界地図に真っ赤になった日本があった。
その色は五色にわけられ、世界を鮮やかに彩っている。白、青、緑、黄色、赤の順で世界に及ぼす魔導的危険性を含有している国、ということだ。
「アメリカ合衆国が黄色で中国が緑ですねぇ」
降矢はその変化に嬉しそうに微笑む。あの戦争後、急速に世界経済は回復を見せ、暴動や強奪が問題視されていたが、那由他の軍人が駐留して食料物資や治安維持を行い、魔導自衛隊が復興などの技術供与を行ったことで二つの国は元に戻りつつある。
戦犯の居ない戦争だ、と梨華が言っていた。
ほんの一ヶ月前までは全てが赤く表示されていたのに、今は太平洋と中東以外は青ないし緑色に変わっていた。
「じゃあ後は任せる」
英次が片手を挙げて『発令区画』から外に出る。自分はもうここに来る権限が無い。
地下から外に上がって食堂に向かう。近道のために高等部一年校舎と二年校舎の狭い通路を歩く。英次の肩幅がいっぱいいっぱいの通路だ。日の光はほとんど差さず、じめっとしている。
「よ、友樹」
英次が片手を挙げると、友樹が苦笑してこちらに近付いてくる。
「聞きましたよ、英次さん無音の投擲槍を解散したんですね」
「耳が利くようだな、お前の新しい飼い主は」
「餌がいいんで、それなりに働かないといけないんで」
友樹の皮肉に英次はふっと笑うと、友樹が怪訝な顔をした。
「絵里が俺を探しているってどういうことですか?」
友樹と英次の特殊な通信方法。今はほとんど活用されなくなってしまった活字新聞の三行広告を使用した連絡に友樹は呼応して学園に足を踏み入れていた。厳戒態勢中の学園に入って来れるかどうか、という英次の試験的な行動であったものの、友樹はそんなことをお構いなしに、入ってきたことすら察知させずにここに来ていた。
「絵里と何があったか聞かせてもらいたいんだけどな。降矢と絵里が一触即発になったときの映像を見たら、お前も驚くぜ」
英次がPDAを友樹に投げると、友樹がそれを受け取らずバックステップして十数メートルも距離を置いた。
「軍人だな」
英次が友樹に呆れたように呟く。友樹は鋭い顔つきで英次とPDAを睨みつけている。
「爆弾付のプレゼントなんて、笑えないっすからね」
「しねぇよ」
英次が「そこまで疑うなよ」と肩を竦めると両手を挙げた。
「逃げられないようにこの通路を選んだんだろ?」
「そう、だから俺も逃げ道が無い。つまり」
英次がゆっくりと振り向くと、英次が歩いてやって来た入り口に当たる場所に居る彩香に英次が手を上げる。狙撃銃を握っている彩香が緊張を隠せない顔で英次を狙っていた。
「もう一人いるな?」
英次が三階部分のトイレの窓を見ると、教職員専用のそこからきらり、と銃口が光っていた。
「かなわねぇあんちゃんだな」
友樹がPDAにゆっくりと近付いて、ファイルを展開する。
「こうなっちまうと、本当に『隊長殿』の権限ってすごいと思いますよ」
今まで友樹は閲覧が許可されていなかったデータが全て『閲覧不可能』に改変されている。どれだけ優秀な魔導師であっても所詮は手持ちの駒であることが伺えた。
要職に立たなければ全く意味がないということだった。
「うわ」
友樹は再生させた映像の中の絵里の顔を見て思わず声を上げる。
「なんでこんな?」
友樹が尋ねると、英次がさぁ、と友樹に振り向いてから言った。
「お前もわかんないのか?」
「ええ、っていうかこれ、俺を探しているっていうより、俺を狙ってるって感じですよね」
「間違いないだろうな。お前を殺すか…」
英次は親指で背後に立っている彩香を差す。
「あの子を狙っているか、だろうな。那由他の王女と王子に全員に会った印象だが」
英次は自分の見てきたことを正直に伝えると、友樹は納得して姿を消した。
印象、か。
玲奈の運転する車の後部座席に座り、彩香がぴったりと友樹にくっついていた。
赤信号で止まったバンの中、友樹は英次の言葉が心に残った。
「印象ってなんだい?」
玲奈が友樹に尋ねる。会話の聞こえない位置にいた玲奈は会話の内容を友樹に尋ねていた。
「那由他の姫さまたちは異様に好戦的だってこと。梨華姐ぇだって虫も殺したことがないような顔をしてるけど、ぷちってやるし、絵里だって自分じゃ魔力を制御できないような振りをして全力でぶっ放す。普通の人間だったら踏みとどまるところをあいつらは平気で突っ込む」
友樹は自分の考えと英次の印象を告げると、玲奈は興味なさそうに「ふーん」と生返事した。
友樹は自分のPDAをオンラインにして、こちらを探知できないように迂回ルートを設定する。
「これが絵里だよ」
玲奈に見せると、玲奈はちらり、と一瞬だけ横目で見る。
「あんたの好みかい?」
悪戯っぽく言われて友樹が苦笑する。
「まぁ、嫌いではないけど、五年後に期待ってことか」
「へぇ」
玲奈は青信号になってがつんとアクセルを踏み込んで、友樹が後部座席に押し込まれる。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
彩香に聞かれて友樹が頭を押さえながら返事をすると、玲奈は携帯電話を友樹と彩香に手渡した。
「忘れてたけど、これから連絡はそっちで頼むよ」
「あい」
友樹は懐かしいそれを手に取る。今でも携帯電話は普及しているが、時代はPDAになっていた。
「え?」
突然友樹に押し倒されて、彩香が驚く。
「え、あれ?今日もですか?」
どことなく嬉しそうな声を上げる彩香に友樹が真剣な顔をしている。
「バカ、外見るなよ」
「え?」
彩香は意図がわからなかったが、とりあえず抱き付かれて抱き返すと、玲奈がくすくすと笑っている声だけが聞こえる。
「もう大丈夫だよ」
「いや、あいつの望遠の能力は直線距離じゃ気付かれる」
「そうなのかい」
玲奈は末恐ろしい子だ、と呟く。




