EP48・魔王の烙印
決戦の七日前。 忍びの里、地下深くに存在する武器庫。 そこは、数千年の歴史の中で里が蒐集し、あるいは作り上げてきた「殺しの遺産」が眠る場所だった。
ひんやりとした冷気と、鉄油の匂いが混じり合う空間に、緊張した面持ちのレネたちが並んでいる。
「これより、皆には『死地』へと赴いてもらう。……生半可な装備では、あの怪物の群れに食い殺されるのがオチです」
忍王・朔夜が、並べられた桐箱を静かに指し示した。 その横で、キアがキセルを燻らせながら補足する。
「里の秘蔵品、それにウチが昔使ってた聖女の武装や。……全部持ってき。これは戦争やない。一方的な『虐殺』をするための準備や」
蓋が開かれる。 その瞬間、薄暗い地下室が、神々しい魔力の光で満たされた。
「レネ。君にはこれを」
朔夜が示したのは、小柄な聖女には不釣り合いなほどの重装備だった。 レネは意を決して、その鎧に袖を通す。
『アイギスのミスリルアーマー』 純白のミスリルで鍛え上げられた、聖騎士の如き重厚なフルプレート。 だが、その背には巨大な**『反魔法の大楯(イージスの盾)』が背負われている。あらゆる魔法を弾き返す、動く要塞。 そして、彼女の華奢な手が握りしめたのは、彼女の身長ほどもある巨大な戦鎚――『大戦槌ウコンバサラ』**。
「お、重い……でも……!」
レネが自身の重力魔法を行使すると、鉄塊のようなハンマーが羽根のように浮き上がった。 白銀の要塞と化した聖女。その姿は、守る者ではなく、敵陣を粉砕する「破城槌」そのものだ。
「次は私ね……!」
アーシェが進み出る。彼女に与えられたのは、雷鳴を宿した弓。
『天弓・鳴弦・竜舌雷動』 龍の角と腱で作られた強弓は、弦を引くだけでバチバチと紫電を散らす。 身に纏うのは**『神装・八咫鏡』**。 光沢のある特殊な繊維で織られた装束は、魔法を反射する鏡の如き輝きを放ち、王女を神話の女神のように彩っている。
「すげえにゃ……! わっちのも! わっちのもある!?」
目を輝かせるフィンロッドに、キアが放り投げたのは一対の凶悪な籠手だ。
『バジリスク・リッパー』 禍々しい紫色に発光する鉤爪。その先端からは、触れた者を瞬時に石化・麻痺させる猛毒が滴り落ちている。 さらに、彼女が羽織ったのは**『ネメアの大獅子の皮鎧』**。 刃を通さぬ伝説の魔獣の皮は、野性的なフィンロッドの魅力を極限まで引き出し、彼女を「狩る者」としての完成形へと昇華させていく。
「そして、ウチと朔夜も正装といくか」
キアが纏うのは、かつての聖女の法衣ではない。 『天衣・月花氷龍』。 夜空のような濃紺に、氷の龍が刺繍された魔女のドレス。手には、振るうたびに冷気を撒き散らす**『神楽鈴・六花』**が握られている。
最後に、朔夜が自身の腰に二振りの刀を差した。 伝統的な黒の鎖帷子と装束。その腰にあるのは、歴代の忍王のみが帯刀を許される至高の二刀。 神すら断つ**『須戔嗚の刃』。 あらゆる呪いを斬り裂く『大蛇丸の刃』**。
「……良い面構えです」
朔夜は、生まれ変わった戦士たちを見渡し、静かに微笑んだ。 その美貌には、もはや迷いはない。
「行きましょう。世界を驚かせに」
――そして、運命の七日後。
大陸西方、大闘技都市。 荒野に突如として現れるその巨大な円形闘技場は、異様な熱気と殺気に包まれていた。
周辺の砂漠地帯には、風が吹いていた。 だが、その風の中に「異物」が混じっていることに気付く者は誰もいない。
砂の一粒、影の一つ一つに同化し、音もなく接近する黒い集団。 総勢三百の忍軍と、最強の個能力を持つ「ハーヴィー奪還チーム」。
彼らの行軍には、足音はおろか、呼吸音さえも存在しなかった。 完全なる隠密。 一万五千の敵兵がひしめく死地へ、彼らは幽霊のように潜伏を完了させていた。
「邪魔だ! 薄汚いドブネズミが!」 「ひいぃっ!?」
コロシアムの入り口付近で、悲鳴が上がった。 着飾った貴族の男が、通路の端を歩いていた平民の老婆を杖で突き飛ばしたのだ。 それだけではない。男は指先から小さな火球を放ち、老婆の服の裾を焦がして笑う。
「キャハハハ! 見ろよあの無様な踊り!」 「臭いんだよ下民共は。せっかくの処刑ショーが台無しじゃないか」
周囲の貴族たちも、誰一人として止めようとしない。 むしろ、蔑みの視線を向け、風魔法で突き飛ばしたり、泥水をかけたりして楽しんでいる。 魔法。 それはこの場所において、特権階級が弱者をいたぶるための「玩具」でしかない。
そんな地獄絵図を見下ろす、最上層の特等席。 そこには、『貴族院』の上級貴族たちが、高価なワインを片手に揃い踏みしていた。
巨大なスタジアムの中央には、禍々しい処刑台が設置されている。 そして、その周囲を埋め尽くすのは、蟻の這い出る隙もないほどに展開された一万五千の王国精鋭軍。 剣の森と、魔法使いの杖が林立し、上空にはワイバーン騎兵が旋回している。
「ふわぁぁ……。あーあ、退屈で死にそうだぜ」
行儀悪く手すりに足を乗せ、大きな欠伸をしたのは、全身に赤い刺青を刻んだ男――『劫火の魔弓師』ベルゼだ。 彼は眼下に展開された、煌びやかな軍勢を冷ややかな目で見下ろす。
「なぁ、ダルクの旦那ァ。たかが手足をもがれた『元』英雄一人殺すのに、一万五千の兵隊にご立派な結界かよ? ビビりすぎじゃねえの?」
ベルゼは鼻で笑い、手にした林檎を放り投げては受け止める。
「俺様が遠くから一発、心臓をブチ抜けば終わりだろうが。こんなの、ただの資源の無駄遣いだぜ」
「……浅はかだな、ベルゼ。貴様には『政治』というものが理解できていない」
答えたのは、衣服の皺ひとつない完璧な礼装に身を包んだ男。 宰相ダルクニクス。 彼は冷徹な瞳で懐中時計を確認し、眉一つ動かさずに告げる。
「これは単なる処刑ではない。『儀式』だ。我々に逆らえば、英雄であろうと虫ケラのようにすり潰される……その絶対的な『絶望』を、愚民どもの骨の髄まで刻み込むためのな」
「ケッ、インテリ様は言うことが小難しくていけねえや」
ベルゼは肩をすくめ、後ろの席に座る非戦闘員の貴族たちに向かって、おどけたようにウインクをして見せた。
「ま、いいさ。俺様の出番が来るまでもねえ。一万五千の精鋭に、最強の魔導師団、おまけに俺たち『天秤』の幹部様が勢揃いだ。……これで負けるなんて言ったら、そりゃあ悪い冗談だろ? なぁ、おい?」
「慢心は禁物ですよ、ベルゼ殿」
穏やかな、しかしどこか爬虫類を思わせる粘着質な声。 『森羅万象の祈禱師』ロアンが、杖をつきながら進み出る。
「ですが、確かに。この布陣を破れる者は、この地上には存在しないでしょう」
そして、彼らの背後。 最も深い闇を纏って佇む男がいた。 かつて悪魔王の側近だった男。そして今は秩序の番人の一人、『死神卿』ゼクス。 ハーヴィーを完膚なきまでに叩きのめした最強の怪物は、何も語らない。 ただ、仮面の奥の瞳で、じっと処刑台を見つめている。
彼らの頭の中に「敗北」の二文字はない。 あるのは、これから始まる虐殺ショーへの期待と、圧倒的な戦力差に裏打ちされた慢心のみ。
ダルクニクスは、懐中時計をパチンと閉じ、天秤の首席**【プリムス】**(最高幹部)に一礼をすると、喧騒に包まれるコロシアムを見下ろし、静かに立ち上がる。
「……時間だ」
演説の時が、来たのだ。
「親愛なる国民よ。静粛に」
魔法によって増幅されたダルクニクスの声が、巨大なコロシアムに朗々と響き渡った。 先ほどまで野次を飛ばしていた貴族たちが、水を打ったように静まり返る。 照明が、完璧な礼装に身を包んだ宰相を照らし出す。
「長きにわたり、我々の平和を脅かしてきた『影』……。今日、我々はその恐怖に完全なる終止符を打つ!」
ダルクニクスが大袈裟な身振りで天を仰ぐと、コロシアムの中央、大地が重低音を響かせて振動し始めた。
ズズズ、ズズズゥ……ッ。
地下からゆっくりとせり上がってくるのは、禍々しい装飾が施された巨大な鉄の処刑台。 その中央に、一人の男が鎖に繋がれ、磔にされていた。
右腕はなく、包帯は血に汚れ、両足は鋼鉄のボルトで台座に固定されている。 かつて最強の勇者と呼ばれた男の、あまりに無惨な姿。
「見よ!!」
ダルクニクスが、白手袋をはめた指先でハーヴィーを指弾する。
「この男こそが、先王陛下を暗殺し、国家転覆を企てた大逆人! そして世界に混乱と破壊を招く、**『新たなる魔王』**である!!」
魔王。 その言葉が放たれた瞬間、貴族たちの興奮が臨界点を突破した。
「殺せェェェッ!!」 「魔王を殺せ! 八つ裂きにしろ!」
嵐のような怒号。 だが、そこにあるのは義憤ではない。 娯楽だ。 彼らにとって、これは安全圏から猛獣が嬲り殺されるのを楽しむ、最高のショーなのだ。
食べかけのパンやワインの瓶が、雨あられのように処刑台へと投げ込まれる。 動けないハーヴィーの体にゴミが当たり、嘲笑が湧き上がる。
「見ろよあの無様な姿!」 「おい、もっと石を投げろ! 悲鳴を聞かせろよ!」
「殺せ(キル)! 殺せ(キル)! 殺せ(キル)!!」
狂気じみたコールが、地鳴りのようにスタジアムを埋め尽くしていく。 欲望と悪意が渦巻く、醜悪なる熱狂。
その壁一枚隔てた外側。 コロシアムの場外には、中に入ることすら許されない下級市民たちが溢れていた。
巨大な魔法鏡に映し出される処刑台の映像。 中からの爆音のような歓声とは対照的に、外の世界には、重く、悲しい静寂が満ちている。
「嘘だ……」
ボロボロの衣服を纏った青年が、拳を握りしめて呟く。
「ハーヴィー様が……魔王なものか……」
彼らは知っている。 貴族たちが「魔王」と呼んで罵るその男が、誰よりも優しく、誰よりも傷だらけになりながら、自分たちのような弱き者を魔獣の牙から守り続けてくれたことを。
「あの方は……魔獣に襲われた俺たちの村を、たった一人で救ってくれたんだぞ……」 「俺の娘を助けてくれたのは、あの方だ……!」
あちこちから、すすり泣く声が漏れる。 だが、その真実の声はあまりに小さく、無力だった。 壁の向こうの、数万の悪意にかき消されてしまう。
悔しさに唇を噛み、涙を流す老婆。 魔法鏡に映し出された英雄に向かって、必死に手を伸ばす子供。
彼らにできることは、もう何も残されていないのか。 いや、一つだけあった。
「……女神様」
一人の少女が、泥の上に膝をつき、両手を組んだ。
「どうか……お願いです……」
それは、波紋のように広がっていった。 男も、女も、老人も。 スラムの住人たちが次々と膝をつき、祈りを捧げ始める。 それは、腐敗した王国において唯一残された、清らかな光景―。
「勇者様をお救いください……」 「どうか、あの方に御加護を……」
数千、数万の祈り。 か細く、しかし切実な願いの言葉が、束となって天へと昇っていく。
「勇者ハーヴィーに、光あれ――」
その祈りは、冷たい風に乗って消えていく。 あるいは……。 風に乗って、届くべき場所へと届いたのかもしれない。
静寂の祈りと、狂乱の歓声。 二つの世界が交錯する中、運命の瞬間は、唐突に訪れた。




