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EP42・招れざる勅命

「おい、そこをどけ!」


怒号と共に、玄関の引き戸が乱暴に蹴破られる。 乾いた破砕音。 飛び散った木片が、平和な朝食の湯気の中を切り裂いて土間に散らばった。


「ひぃっ……! お、お侍様、何を……!」


悲鳴を上げて縮こまる老女(お婆さん)。 土足で我が物顔に踏み込んできたのは、数名の武装集団だった。


この里の素朴な自警団ではない。 全身を黒塗りの甲冑で固め、腰には鋭い反りのある刀を帯びている。 その威圧感、身のこなし。明らかに人を斬り慣れている「兵」の匂いだ。


「えぇい、邪魔だ!」 「きゃあっ……!」


立ちはだかろうとした老女の肩を、先頭の男が無造作に突き飛ばす。 硬質な甲冑が肉を打つ鈍い音。 枯れ木のように細い老女の体が宙を舞い、背後の壁に激しく叩きつけられた。


「お婆ちゃん!」


アーシェの悲痛な叫びが鼓膜を打つ。 瞬間、俺の脳内で何かがプツンと切れる音がした。


ガタッ。


椅子を蹴り倒し、俺は立ち上がる。 脊髄反射で右手が腰へ伸びる。 横を見れば、エリオットも既に懐のナイフに手を掛け、低い姿勢をとっていた。 レネの瞳からは温かみが消え、凍てつくような銀色の光を宿している。


「……随分と、行儀のいい客だな」


俺は努めて低い声で唸る。 腹の底で沸き立つマグマのような怒りを、理性の蓋で無理やり押し込める。 老女をゴミのように扱った男の背中を、視線だけで射抜く。


男は俺たちの放つ殺気に怯む様子もなく、尊大に顎をしゃくった。 その目は、俺たちを「人間」として見ていない。ただの「排除すべき障害」か、あるいは「捕獲対象」としてしか認識していない冷徹な目だ。


「忍王・朔夜さくや様の勅命である。貴様ら全員、直ちに謁見の間へ出頭せよ」 「謁見、だと?」 「左様。拒否権はない。大人しく従わねば――」


チャキリ。


男たちの言葉に合わせるように、屋敷の外、四方八方から数えきれないほどの抜刀音が響く。 金属が擦れ合う、冷たく乾いた死の予感。 家を取り囲む気配は、十や二十じゃない。 完全に包囲されている。


(……なるほど。最初から話し合うつもりはないってわけか)


俺は瞬時に状況を計算する。 ここで暴れるのは簡単だ。この狭い空間なら、俺とエリオット、レネがいれば数秒でこいつらを細切れにできる。 だが、そんなことをすればどうなる? 飛び交う刃や魔法の余波で、この薄い木造家屋は倒壊する。 守るべき老女や子供たちが、巻き添えになる確率は百パーセントだ。


それに、こいつらの背後には明確な「意図」がある。 それを探る前に盤面をひっくり返すのは、悪手だ。


《……ハーヴィー》


脳裏に直接響く、地を這うような低い唸り声。 フェンリルからの『レーレン(念話)』だ。 魂のパスを通じて、相棒のどす黒い殺意が直接流れ込んでくる。


《家の外に五十、屋根裏に十。里全体が殺気立っている。……噛み殺すか?》


相棒は既に臨戦態勢だ。 俺の合図一つで、この包囲網は血の海に変わるだろう。 だが、俺は小さく首を横に振った。


(待て。まだ動くな) 《……承知》


フェンリルの気配が、霧のように薄れ、潜伏状態に戻るのを感じる。 俺はエリオットたちに目配せを送った。 数々の修羅場を共にしてきた、阿吽あうんの呼吸だ。「手を出すな」という無言の合図を、奴は瞬時に理解し、舌打ちと共にナイフから手を離した。


「わかった。行こう」


俺は両手を軽く上げ、無抵抗の意思を示す。


「ただし、この家の者には指一本触れるな。俺たちの用事に、彼らは関係ないはずだ」 「ふん。殊勝な心がけだ」


男は鼻を鳴らし、顎で外を指した。


「連れて行け」


兵たちに囲まれ、俺たちは背中を押されるようにして歩き出す。 背後で泣き崩れる老女と、恐怖に震える子供たちの視線が、刃物よりも鋭く胸に刺さる。


(……すまない。必ず、礼はさせてもらう)


心の中で詫びながら、俺は鉛色の空を見上げた。 どうやら、この里には俺たちが想像していた以上の、根深く腐った闇が巣食っているらしい。 それを暴くためなら、地獄の釜の底だろうと喜んで行ってやるさ。


        ◇


連行された先は、里の奥深くに構える『八咫烏城やたがらすじょう』。


近くを流れる川の水を引いた、広大な水堀。 その静寂な水面みなもに、漆黒の天守が逆さに映り込んでいる。 春には見事な桜花を咲かせるであろう木々が並ぶ道を抜け、俺たちは巨大な石垣の上に鎮座する『御殿館』へと通された。


黒塗りの板壁に、鮮烈な朱色の欄干が映える。 その色彩の調和は、息を呑むほどに美しいが、同時に人を寄せ付けぬ威圧感をも放つ。


一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。 戦場の殺気とは違う、張り詰めた静謐さ。 足裏に伝わるのは、冷ややかな板張りの感触と、青々とした井草いぐさの香り。


「へぇ……こいつはすげぇな」


隣を歩くエリオットが、感嘆の息を漏らして天井を見上げる。


「見ろよ旦那。あのはり、釘を一本も使ってねぇぞ。木と木を噛み合わせて組んでやがる。それにこのふすま……紙に描かれた絵が動き出しそうだ。とんでもない職人技だな」


裏社会の人間らしく、建物の構造や価値を値踏みするように呟く。 確かに、この緻密で荘厳な建築様式は、俺たちの知る大陸の文化とは一線を画している。 だが、その美しさすらも、今の俺たちには檻の鉄格子のように重苦しい。


「控えよ!」


先導する侍の鋭い声。 俺たちは大広間の前で足を止めさせられた。


音もなく開かれる、重厚なふすま。 その奥――上段の間。


そこに、彼女はいた。


雪のように白い肌。 豪奢でありながら清廉な、巫女の装束。 その身に纏う空気は、周囲の空間そのものを凍てつかせるほどに鋭く、そして悲しいほどに美しい。


この忍びの郷の実質的な最高責任者であり、絶対的な象徴。 そして――


「……嘘、でしょ……?」


俺の隣で、レネが息を呑んだ。 その声は、恐怖ではなく、信じられないものを見るような驚愕に震えている。


「この、懐かしい魔力の波動……。まさか……」 「間違いないにゃ……。あの匂い、忘れるはずがないにゃ……」


フィンロッドも目を見開き、鼻をヒクつかせながら立ち尽くす。 彼女たちの視線は、上座に鎮座するその女性に釘付けになっていた。


数千年という、気の遠くなるような時間の隔絶。 だが、魂に刻まれた絆は、その歳月を一瞬で飛び越える。


「キア……姉様……?」


レネの口から漏れた、祈るような呟き。 そこに座していたのは、かつて彼女たちと共に女神に仕え、姉のように慕った第三の魔女。


龍霜りゅうそうの魔女』キア。


その瞳が、ゆっくりと俺たちを見下ろす。 静寂を破ったのは、鈴を転がすような、しかし温度を感じさせない涼やかな声だった。


「……ようお越しやす」


彼女――キアは、表情一つ変えず、ゆっくりと扇子を閉じる。 その仕草は流れる水のように優雅で、この殺伐とした状況にはあまりに不釣り合いだった。


「遠路はるばる、ご苦労さんでございますなぁ。このようなむさ苦しい処へ、手荒な真似をして連れてきてしもうて……堪忍しておくれやすな」


言葉尻は柔らかい。 まるで茶室に招いた客人を労うような、はんなりとした京言葉。 だが、その声音には感情の色が抜け落ちていた。 ただ決められた台詞をなぞるだけの、精巧な市松人形のような響き。


彼女は、驚愕に震えるレネやフィンロッドの視線に気づいているはずだ。 けれど、その瞳は深海のように暗く、どこか遠くを見ている。


「ウチが、この里の祭事を預かる巫女……キアと申します。以後、お見知りおきを」


ふわり、と。 彼女は座したまま、優雅に頭を下げる。 それは完璧な作法でありながら、俺たちを「拒絶」する冷たい壁のようでもあった。


「い、以後……お見知りおきを、ですって……?」


震える声と共に、レネがたまらず一歩前へ踏み出す。 その双眸からは、堰を切ったように大粒の涙が溢れ落ちる。


「な、何を言っているのですか、キア姉様! 私です! レネです! ……ずっと、ずっと会いたかった!」


必死に伸ばされる手。 かつて女神の元で共に過ごした、誰よりも優しかった姉。 数千年という悠久の時を経て、ようやく巡り会えた奇跡が目の前にある。 しかし――


「……レネ?」


対するキアは小首をかしげ、不思議そうに瞬きを繰り返すのみ。 その能面のような表情には、再会の喜びはおろか、驚きの色すら見当たらない。 ただ、見知らぬ他人の戯言を聞き流すような、凪いだ瞳。


「おかしなことを言わはるお人やわぁ。ウチには妹などおりまへん。ましてや、そのような汚らわしい罪人の名……縁もゆかりもございまへんえ?」 「そ、そんな……! 嘘よ、私の顔を忘れたのですか!? あの時の約束を……!」 「……」


悲痛な叫びに対し、返ってくるのは優雅で、残酷なまでに完璧な微笑み。 はんなりとした空気を装いながら、扇子を持つその指先が、白くなるほど強く握りしめられていることに、動揺するレネは気づけない。


「うぅ……にゃあ……」


怯えたように耳を伏せ、フィンロッドが後ずさる。 野生の勘が鋭い彼女は、本能で感じ取ってしまったのだ。 目の前の「姉」から漂う、張り裂けんばかりの**「我慢」**の匂いを。


「匂いはキア姉だにゃ……。でも、嘘つきの匂いがするにゃ……。泣いてるのに、笑ってるにゃ……。どうしてだにゃ……?」


「フィンロッド……」


唇を噛み締め、俺は思考を巡らせる。


これは記憶喪失や洗脳の類ではない。 彼女の瞳の奥底、その深淵に宿る確かな理性の光。 彼女は正気だ。 正気だからこそ、郷を守るために心を殺し、赤の他人を演じ続けている。 そのあまりに過酷な自己犠牲の精神に、俺は拳を強く握りしめるしかなかった。


その時である。 キアの隣で、石像のように沈黙を守っていた影が動く。


「……そこまでだ」


広間を切り裂く、鋭くも疲れを滲ませた少年の声。 キアの隣、上座に鎮座していたもう一人の人物が、苦渋に満ちた視線を俺たちへと向ける。


年齢は十六、七といったところか。 あどけなさの残る顔立ちだが、身に纏う黒装束と、華奢な肩にのしかかる重圧は、彼がただの子供ではないことを雄弁に物語っていた。 彼こそが、この武装集団を束ねる頂点。


「我が名は朔夜さくや


少年は俺の目を真っ直ぐに見据え、静かに告げる。


「代々、この『忍びの郷』を統べる者。――忍王にんおうである」


その表情にあるのは、侵入者を捕らえた勝利者のごとき優越感ではない。 恩人を罠に嵌め、不本意な役割を演じなければならない深い葛藤と、逃げ場のない罪悪感だけが滲んでいた。


「忍王、か……」


俺が呟いたその言葉は、重苦しい沈黙の中に吸い込まれて消えた。


誰も動かない。いや、動けないのだ。 この広間に充満しているのは、威厳ある王への敬意ではない。 もっと粘着質で、肌にまとわりつくような不快な緊張感――まるで、誰かの手によって張り詰められた、切れそうなピアノ線の上に立たされているような感覚だ。


上座に並ぶ朔夜とキア。 その姿はあまりにも美しく、そして悲しいほどに生気がない。


豪奢な着物も、荘厳な玉座も、彼らを飾り立てるための舞台装置に過ぎず、彼ら自身はそこから一歩も出ることを許されない『籠の鳥』そのものに見えた。


「――堅苦しい名乗りは、それくらいにしたまえ」


その糸を無神経に断ち切るように、不躾な声が響く。


御簾みすの奥から現れたのは、この和の空間には似つかわしくない、青と白を基調とした軍服の男だった。


胸には、見覚えのある紋章。 大陸を牛耳る軍事国家、ノルヴァキア王国の徽章だ。 男は**「監視官」**という立場なのだろう。


土足のまま畳を踏み鳴らし、あろうことか、朔弥を無視してキアの傍らへと歩み寄った。


「相変わらず、無愛想な巫女殿だ。遠方からの客人に、もっと愛想よく振舞ったらどうだ?」


ニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべ、男の手がキアの細い肩へと伸びる。 その指が、白い巫女装束に触れようとした、その瞬間。


「……あら、ご無体な」


キアは流れるような所作で扇子を開き、男の手と自分の肩の間に滑り込ませた。 パチリ、と扇子が男の手首を軽く弾く。


「神聖な儀の場で、殿方の手に触れるなど……神罰が当たりますえ? 監視官様」 「チッ……。減らず口を」 「ふふ。心配して言うておりますのよ? ほら、ウチのような穢れた魔女に触れたら、その立派なお召し物が汚れてしまいますやろ?」


キアは小首をかしげ、はんなりと微笑む。 その態度は優雅そのものだが、男を「穢れ」として扱っているかのような、痛烈な皮肉が込められていた。


男は不快そうに鼻を鳴らし、あからさまな舌打ちをして朔弥の方を睨みつける。


「おい、忍王。しつけがなってないぞ。飼い犬の首輪くらい、しっかり握っておけ」 「…………ッ」


朔夜は何も言い返さない。 ただ膝の上で、握りしめた拳が微かに震えている。 爪が食い込み、掌から血が滲み出るほどの力で、湧き上がる殺意を必死に押し殺しているのだ。


彼が動けば、この里が終わる。 その絶望的な力関係が、少年の沈黙から痛いほどに伝わってくる。


(……なるほどな。そういうことか)


俺はその光景を見て、全ての合点がいった。


なぜ、命の恩人である俺たちを罠に嵌めたのか。 なぜ、キアが心を閉ざし、朔弥が罪人のような顔をしているのか。


この里は、既に死んでいるのだ。 王国の、いや――その背後にいる**「奴ら」**の植民地として。


「……やはり、ダルクニクスの手が回っていたか」


俺は誰に聞かせるでもなく、低く呟いた。 その名前を口にした瞬間、監視官の眉がピクリと反応したのを、俺は見逃さなかった。

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