EP26・獰猛なる九頭龍
聖なる森の禁領区。 離れた茂みの中から、結界を破ろうと猛り狂うヒュドラの様子を窺う。
九つの巨大な頭が、代わる代わる不可視の壁に叩きつけられていた。 その度に大地が揺れ、結界の光が悲鳴を上げるように明滅する。
「…ベッカーさんの言う通りだ。結界が、もたない…」 焦るエリオット。
「ああ。あまり猶予は無いな」
バーレイグは冷静に状況を分析し、決断を下した。 低く、しかし全員の耳に届く声で作戦を指示する。
「まず、エリオット。お前はここで待機だ。絶対に動くな。ここが一番安全だ」
「なっ…! 俺だって…!」 反論しようとするエリオットを、隻眼で制する。 「お前の役目は、後で来る。今は、俺たちの退路と、フィン様とやらへの道を確保しておけ」
次に、神狼へと向き直った。 「フェンリル。お前は俺についてこい。派手に動き回って、奴をおびき出すぞ。陽動作戦だ」
『承知』 黄金の瞳に闘志が宿る。
そして、レネへ。 「レネ。俺たちが奴を引きつけたら、お前の**《重なりの法》…重力操作で、奴の動きを可能な限り封じてくれ!** 一瞬でもいい!」
「…はい!」 力強く頷くレネ。
最後に、傍らで巨大な棍棒を握りしめているトロールのベッカーへ。 「ベッカーさん。あんたには、一番きつい役を頼むことになる」
「な、なんだべか…?」
「奴の動きが止まった瞬間、お前のその大棍棒で、一つ一つ、ヒュドラの首を根元から叩き潰してもらう。中途半端は許されん。完全に、だ。良いな!」
その言葉の持つ意味…ヒュドラの至近距離での直接戦闘。 ベッカーは瞬時に理解し、恐怖で巨大な身体を震わせる。 だが、フィン様を守るという使命を思い出したのか、意を決したように棍棒を握り直した。
「…わ、分かったべ…!」
全員の覚悟を確認。 静かに、しかし力強く告げる。
「よし、皆、配置につけ! ヒュドラ狩りの始まりだ!」
号令と共に、作戦開始。 フェンリルと共に、茂みからヒュドラの前へ躍り出る。
挑発の意味を込めて、ルシファーズ・ハンマーの引き金を一度だけ引いた。
乾いた銃声。
弾丸はヒュドラの硬い鱗に弾かれ、火花を散らす。傷一つついていない。 だが、それで十分。
大気を震わせる咆哮。 己の領域を侵し、さらに攻撃を加えてきた矮小な存在に、プライドの高いヒュドラは激昂する。九つの頭が一斉にこちらを捕捉。結界の破壊を放棄し、巨体をうねらせて突進してくる。
(…かかった!)
フェンリルと共に巧みに後退し、ヒュドラを結界から離れた開けた場所へと誘い込む。 レネに、目線だけで指示を送る。
「――今だ、レネ!」 「はいっ!」
茂みに隠れていたレネが、両手を地面にかざした。全身から放たれる凄まじい魔力。 「《重なりの法》――『重力封鎖』!!」
突進してきたヒュドラの足元を中心とした空間が、黒い光を放ち、重力そのものが狂い始める。 通常の数倍、数十倍…いや、数百倍にも増幅された重力。 ヒュドラの巨体を封鎖し、地面へと圧し潰す。
怪力を持ってしても、自らにかかる異常な重圧には抵抗できない。自重に押し潰され、骨が軋む音、苦痛の呻き声が響く。
完璧に動きを封じられた九つの頭部。 その全てを一瞬で見定め、ルシファーズ・ハンマーの引き金を神速で九度引いた。
連続する銃声。
放たれたのは、【時の静止弾】。 九発の魔弾は、寸分の狂いもなく、ヒュドラの九つの頭、その眉間へと瞬時に撃ち込まれ、全ての時間を凍り付かせる。
「――今だ、ベッカーッ!! 頭を叩き潰せぇーーッ!」
絶叫。 茂みから飛び出したベッカーが、恐怖を振り払うように雄叫びを上げ、巨大な棍棒を振りかぶる。
「うおおおおおっ!! フィン様のためにぃぃーーっ!!」
豪風。 大きな棍棒が風を切り、凍り付いたヒュドラの頭へと叩きつけられる。
肉が弾け、骨が砕ける湿った音が連続した。 次々と、無抵抗な頭が叩き潰されていく。
だが、時の静止は永遠ではない。効果時間は、僅か5秒。
「離れろぉーーッ!」
5秒のタイミングで叫ぶ。 ベッカーが後方へ飛び退くと同時に、時の静止が解けた。 再生するはずの首の断面は、見るも無残に潰れている。
すかさず、潰された九つの首の付け根めがけ、新たな弾丸を連射。 フェンリルの蒼炎をエンチャントした、特別な弾丸だ。
着弾と同時に青白い炎が立ち上がり、潰れた首の断面を瞬時に焼き払う。
「や、やったべか…!?」 喜ぶトロールのベッカー。
だが、違和感。 倒したはずの巨体から放たれる、禍々しい気配が衰えていない。
ブクブクと泡立つ音。 蒼炎で焼かれたはずの首元から、不気味な泡が吹き出している。フェンリルの神聖な炎ですら、その生命力を断ち切れていないのだ。
「なっ…!?」
その時、頭上で羽ばたく音。 見上げれば、灰色の梟レーレンが旋回している。 そして、その口から聞き慣れたエリオットの声。 (レーレンの擬態能力か、あるいはレネを介した魔法的な通信か…!)
「バーレイグ! まだだ! そいつ、完全に死んでねぇぞ! 早く止めを刺せー!」
エリオットの叫びと同時。 不快な破裂音。
ヒュドラの潰れた首の付け根から、凄まじい勢いで肉が盛り上がり、瞬く間に全ての頭部が再生する。
「何だとぉー!?」
信じられない光景に、ベッカーも動揺を隠せない。 レネは再び動き出した巨体を抑え込もうと、必死に**《重力封鎖》**を維持している。
だが、もう遅い。 完全に復活したヒュドラの九つの口が一斉に開かれる。狙いは、バーレイグ、フェンリル、そしてベッカー。
深緑色の猛毒ブレスが吐き出された。 噴出音。
致死性の猛毒の霧が、凄まじい勢いで辺り一帯に飛散する。吸い込めば一瞬で肺が焼かれ、全身が麻痺するだろう。
「(ヤバい…!)」
咄嗟に目を閉じ、鼻と口を両手で覆い隠して防御姿勢を取る。 絶体絶命の危機。
またもや上空を飛ぶレーレンの口から、エリオットの声が響いた。
「フェンリル! 貴方の蒼炎を超高温度燃焼化させて、猛毒を浄化できないか!? 出来るなら急いでくれ!」
『超高温度…燃焼化…?』
一瞬戸惑うフェンリルだが、すぐにその意味を理解したのだろう。 「あい、解った」と頷き、全身から今までとは比較にならないほどの蒼炎を立ち昇らせる。
神狼の咆哮。
フェンリルが蒼炎を超高密度に圧縮し、瞬時に解放する。 それは燃え広がる炎ではない。空間全体に行き渡る、目に見えないほどの微細な電熱プラズマ粒子の嵐。
浄化の音。 瞬く間に飛散していたヒュドラの猛毒が、神聖なプラズマ粒子に触れて分解され、無効化されていく。
『ほう…我が力を、このように使うこともできるのか?』 自らの新たな力の可能性に感心するフェンリル。
「やったぜ!」
レーレンの口を通し、エリオットの興奮した声が届く。
「名付けて、**【聖浄なる清めの炎】**だぜ!」
毒の霧が完全に晴れた。 大きく息を吸い込み、空を見上げて感謝する。 「…助かったぜ、エリオット!…それと、レーレンもな!」
レーレンの口を通し、少し得意げなエリオットの声。 『おう!まあ、これくらいはな! …って、おい、バーレイグ! 喜んでる場合じゃねぇぞ!』
「…何?」
眉をひそめると、エリオットの声が焦りを帯びる。 『レネを見てみろ! かなりキツそうだ!』
視線を、ヒュドラを押さえ込んでいるレネへ移す。 額には玉のような汗、苦痛に歪む表情。**《重力封鎖》**を維持するために、凄まじい精神力を消耗しているのだ。
「…ちっ。目覚めて日が浅いせいもあるのか? やはり、あの巨体を完全に抑えつけるのは無理があるか…!」
「…ヒュドラも毒霧こそ防げたものの、倒せてはいない、か」
呟く。 「問題は、あの超速再生をどうするかだ…。焼いても、潰しても、これじゃキリがねぇぞ…!」
『どうするんだよ!? レネの力が尽きたら、俺たち全員、あいつの餌だぞ! 何か手はねぇのか!?』
焦燥に駆られたエリオットの声が響く。
再びルシファーズ・ハンマーを握り締め、思考を巡らせる。 再生を完全に断ち切る方法。それは…。




