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EP24・聖なる森の番人トロール

甲紐蛇の脅威から逃れ、バーレイグ一行はヤヌサ平原の北端に広がる針葉樹の森へと足を踏み入れた。 先ほどの密林ジャングルとは違い、高く真っ直ぐに伸びた木々が立ち並ぶ、鬱蒼とした森だ。下草は少なく、ひんやりとした空気が漂っている。


一行は馬から降り、森の中を歩いて進む。 奥まで行くといつの間にか雨も上がり、厚い雲の切れ間からは星々が顔を覗かせていた。空もすっかり暗くなっている。


「…今夜は、ここで野営にしよう」


バーレイグが、ひときわ大きな木の幹の下を指さし告げた。 長時間にわたる緊張と移動で、皆、疲労の色は隠せない。


エリオットは黙って荷を降ろし、食事の支度を始める。慣れた手つきで取り出されていくのは、携帯用の鍋やナイフだ。


『ふぅ…』


フェンリルがその口から小さい火を吐き、エリオットが集めた焚き木に点火する。パチパチと心地よい音が響き、まずは暖を取ることができた。


「俺は、食料を調達してくる」


バーレイグはそれだけ言うと、音もなく森の闇へと消えた。鹿や野ウサギ、リスを探してのハンティングである。 食料調達は、勇者パーティーの時でも彼の担当だった。弓も剣も使えない彼が、唯一仲間たちに貢献できる数少ない役割の一つ。


レネはバーレイグの後を追うでもなく、焚き火の明かりが届く範囲で、近くの木の根元に生えているキノコを物色し始めた。レーレンが、彼女の肩でその様子を静かに見守っている。


少し離れた場所で獲物を探していたバーレイグは、そのレネの姿を見て一抹の不安を覚えた。


(…魔女と、キノコ…?)


それはあまりにも古典的で、しかし無視できない組み合わせ。


(…大丈夫か、あれ…?) 彼は小さい声で呟く。


「何か言ったかしら?」 振り向きざま、レネがハーヴィーに聞く。


「ひっ!?」


驚きながら、慌ててバーレイグは首を横に振った。 「い、イヤイヤ!何でもないです! あ、あれ? ウサギちゃんはどこ行ったかなぁ~!?」


俺はわざとらしくそう言うと、そそくさとその場を後にした。


数十分後。 何とかそれぞれが獲物を収穫して戻ってくる。 バーレイグは野ウサギ二匹を仕留め、レネも籠いっぱいの(おそらく無毒であろう)キノコを手にしていた。


「よし、身体もさっきの雨で冷えてることだし、シチューにしましょう」


エリオットがバーレイグからウサギを受け取ると、手際よく料理を始めた。 バーレイグは、焚き火の揺らめく炎をただぼんやりと眺める。その光景の向こうに、過去の悪魔王討伐時の事を思い出していた。


(…そう言えば、いつもそうだった…) (俺とベルゼが狩りをして、ロアンが料理をして、アーシェは山菜採りをしてくれてたっけ…) (ダルクは一人離れて本を読み、ライザは剣の手入れを欠かさなかったなぁ…)


もう戻らない、当たり前の日常。 そして、王都にて…あの日の夜かぁ…


(…いったい、俺は何をやってるんだろうな。まったく…)


自嘲の念が、胸を締め付ける。アーシェの顔が浮かぶ。


(アーシェは…無事だろうか? ちゃんと、ご飯を食べてるだろうか…?) (クソッ…!)


彼が唇を噛み締めた、その時。 ふわり、と温かい湯気が彼の顔を撫でた。


「ほらッ。温かいうちに食べた方が美味しいよ!」


レネが、木の器によそった熱々のシチューをハーヴィーの下に持って来てくれたのだ。 彼女は、悪戯っぽく笑いながら続けた。


「冗談交じりに、魔女様選りすぐりのマジックマッシュルームも入ってるぞ❣」


彼女は、彼が先ほどキノコを見て不安がっていたのを察していたのだ。そして、少し茶化すように器を渡す。


その、屈託のない笑顔。


そんな彼女を見て、ハーヴィーは思わず、その華奢な身体を強く抱きしめてしまった。


「…え?」 レネが驚きの声を上げる。


だが、ハーヴィーはただ彼女の肩に顔を埋めるだけだった。


(…なぜだろうか) (レネとアーシェを、重ねてしまったのだ)


もう大丈夫だと、気丈に振る舞っていたはずなのに。 ハーヴィーは、凍えた体に久しぶりに感じた温もりに、ダムが決壊したように静かに泣いてしまった。


「…アーシェ…ゴメン…」


嗚咽と共に漏れたのは、愛する妹への、届かぬ謝罪の言葉。


レネは何も言わなかった。ただ驚きながらも困ったように微笑み、その小さな腕で、そんなハーヴィーを優しく包み込むように抱きしめる。 エリオットもフェンリルも、その光景をただ静かに見守っていた。



バーレイグたちが、エルファリスの森で束の間の休息を得ていたその頃。 遥か北の王都では、冷たい緊張が走っていた。


宰相執務室。


ダルクニクス卿は、窓の外の喧騒には目もくれず、貴族院の最高議長であるベギリスタイン卿と密談を行っている。 ベギリスタイン卿は、その肥えた身体を怒りで震わせ、ダルクニクスのデスクを強く叩いた。


「ダルクニクス卿! 由々しき事態ですぞ!」


その声は、怒りと、それ以上の恐怖に歪んでいる。


「セレンチアの『黙示録』の封印が解かれたと! そうじゃないですか!? いったい、どうなっているのですか!」


ベギリスタイン卿は声を潜め、しかし切迫した口調で続けた。


「**『あの方々』**も、貴方の差配に疑問を感じ始めているようですぞ! もし、あの方々に不興を買えばどうなるか…貴方もご存知でしょう! ただではすみませんぞ!」


最後は、ほとんど怒号となって執務室に響き渡る。


それに対し、ダルクニクス卿はただ静かに、椅子に深く腰掛けたまま、「解っています」とだけ答えた。 その表情には、一切の動揺も、焦りも見られない。


だが、彼が組んだ指先が微かに白んでいるのを、ベギリスタイン卿は見逃さなかった。 そして、その伏せられた瞳の奥。そこには静かな怒り…いや、全てを焼き尽くさんばかりの、燃える龍の如き憎悪の炎が宿っている。


(…おのれ、ハーヴィー…!)


その憎悪の矛先は、もはやベギリスタイン卿にですらなく、ただ一人。 自らの完璧な計画をことごとく狂わせる、忌まわしき元・勇者へと向けられていた。



翌朝。


鳥たちのさえずりが、森の静寂を優しく破る。 木々の隙間から差し込む朝の光が、昨夜の焚き火の燃え殻をキラキラと照らし出していた。


最初に目を覚ましたのは、バーレイク。 昨夜の出来事が胸につかえているせいか、眠りは浅い。彼は身を起こし、周囲の気配を探る…そして、息を呑んだ。


目の前に、それがいた。


森の巨人、トロール。 ゆうに6メートルはあろうかという巨躯。岩のようにゴツゴツした緑色の肌。手には、巨大な棍棒。森の奥深くに棲み、不用意に縄張りに近づく者を容赦なく叩き潰す、凶暴な怪物。


だがそのトロールが、今、バーレイグたちの野営地のすぐ目の前で、あぐらをかいて座っていたのだ。


まるで、バーレイクたちが起きるのを、ただ静かに待っているかの様に。 その濁った大きな瞳には、敵意も飢えも感じられない。ただ、深い森の湖のような、静かな知性が宿っているように見えた。


「…な…!?」


物音に気づき、エリオットが飛び起きる。そして、目の前の光景に絶句した。 レネも、フェンリルも、レーレンも、次々と目を覚まして異様な闖入者ちんにゅうしゃの存在に気づき、一斉に身構える。


だが、トロールは動かない。 ただ、じっとバーレイグを見つめている。


その姿は、まるで何かバーレイクたちに伝えたいことがあるようだった。


この森の、古き意志。 それが人の形…いや、怪物の形をとって、彼らの前に現れたのか。


バーレイグは警戒を解かぬまま、しかし、その瞳の奥にある「何か」を探るように、静かにトロールを見返した。

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