EP17・吸血鬼の甘い囁きと勇者の贖罪
コンマ数秒。 思考を巡らせた両脇を、二つの影が疾風となって駆け抜ける。
『ウォン!』
神狼フェンリルが、屍者の群れへ突っ込む。 足元から無数の蒼炎の幻影狼が出現し、腐敗した肉の壁に食らいついた。
そして、レネ。 静かに、地下墓所の入り口へ掌を向ける。
「──《重なりの法》──『重圧の円環』」
床が黒い光を放つ。 円環に足を踏み入れた屍者たちが、見えざる鉄槌に叩かれ、次々と圧し潰されていく。
「……すげぇ……」
感嘆の声が漏れる。 完璧な「防衛線」と「死地」。
だが、見惚れている暇はない。 二人が稼いでくれた、貴重な時間。 一秒たりとも無駄にはしない。
乾いた銃声。 三度、等間隔。
防衛線を突破してくる個体だけを選別し、冷静に、的確に、眉間を撃ち抜く。 一発の弾丸の価値。 無駄弾は、一発もない。 One Shot, One Kill.
屍者の群れは、祭壇のルビーに指一本触れることなく、次々と骸へと還っていく。
だが、数分後。 額を、冷たい汗が伝った。
(……おかしい)
勢いが全く衰えない。 蛇口から汚泥が流れ続けるように。
射撃を止め、左目の【神晶球】に意識を集中させる。 視界に、この異常事態の**『真実』**が映し出された。
地下墓所の奥深く。 途方もない数の生命反応が、一本の川となって向かってきている。 自然発生ではない。 明らかに**「誰か」**が、墓地に眠る全ての死者を意図的に叩き起こしている。
「……操られてやがる……! どこかに、術者がいる……!」
二人の仲間に短く告げる。
「レネ、フェンリル! こいつらを頼む! 俺が、蛇の頭を叩き潰してくる!」
身を翻し、屍者が溢れ出てきた地下墓所へと、再びその身を投じる。
入り組んだ通路を抜け、一つの開けた広間へ。 中央には、誰もいない。 いや──違う。
ポツリ。
鼻先に、一滴の生暖かい雫。 血ではない。……香水? 甘く、噎せ返るような、死の花の香り。
真上を見上げる。 そこに、女がいた。
重力を無視し、まるで床に立つかのように、天井へ逆さまに張り付いている。
「……誰だ、てめぇ」
女は答えず、くすくすと、鈴を転がすように笑った。 挨拶がわりとばかりに、指を鳴らす。
重苦しい地響き。 石材が軋む音。
壁に埋め込まれた石棺が一斉に突き破られる。 眠っていた死者たちが、棺を、墓石を砕き、新たな兵隊として襲いかかった。
だが、動じない。 目的は、操り人形ではない。 その主人、ただ一人。 間髪入れず、女目掛けてルシファーズ・ハンマーの引き金を引く。
銃声一閃。
「きゃははははっ!」
甲高い高笑い。 女の身体は、黒いインクが水に溶けるように無数の蝙蝠の影へと霧散した。 弾丸は虚しく通り抜ける。 影は再び集束し、今度は広間の反対側で、完璧な姿のままの女が立っていた。
(……吸血鬼か?)
「ちぃッ」
舌打ち。 だが、隻眼が広間の構造──低い天井、頑丈な石柱、無数の壁の角度を捉え、口の端を吊り上げる。
大聖堂の荘厳な広間とは違う。 ここは、最高の**「ビリヤード台」**だ。
(……ここなら跳弾が使える。一気に頭を撃ち抜いて、雑魚掃除と行くか!)
向かってくる屍者の群れには、もはや目もくれない。 銃口を上げた先は、一体の敵でも、天井の女でもない。 右斜め前方、壁と床が交わる、ただの一点。
脳内で、神の如き弾道計算が完了する。 引き金が、絞られた。
たった一発の銃声が、閉鎖空間に轟く。
放たれた弾丸は、狙い通りの一点に着弾。 火花を散らして鋭角に跳ね返る。 そこからが、独壇場。
死の幾何学が描かれる。
一体目の眉間を正確に撃ち抜き、その勢いのまま背後の壁を蹴る。 運動エネルギーを殺さぬまま跳ねた弾丸は、二体目の側頭部を砕き、さらに天井へと角度を変える。 落下する軌道上で、三体目、四体目の頭蓋を、串刺しにするように同時に貫いた。
広間の中を飛び交う、意思を持った死の蜂。 壁、床、柱、そして頭蓋。 何度も反射を繰り返しながら、たった一発の弾丸が、死の連鎖反応を引き起こしていく。
もはや魔法ですらない。 純粋な**「銃神」の絶技**。
十数秒後。 最後の死体の頭を背後から撃ち抜いた弾丸が、全ての運動エネルギーを失い、足元に転がった。
再びの静寂。
天井に立つ女は、その神業を黙って見下ろしている。 瞳に浮かぶのは、恐怖ではない。 放たれたものが、ただの「射撃」ではなく、空間そのものを把握し未来を予測する、極めて高度な**「知性の奔流」**であることを見抜いた、冷徹な「分析」の色。
パチ、パチ、パチ……。
場違いな拍手の音。 女吸血鬼が、最高の演劇を鑑賞したかのように賛辞を送る。
「流石は悪魔王を倒した勇者殿。大した腕前だわ。そのお披露目、しかと見届けさせていただきましたわ」
ペッと、血の混じった唾を床に吐き捨てる。
「何、余裕かましてやがる! 次はテメえだぞ、コラッ!」
ルシファーズ・ハンマーを再び構え、親指で撃鉄を起こす。 カチリ。 冷たい金属音が、明確な殺意として響く。 隻眼が、天井の女吸血鬼に、寸分の狂いもなく照準を合わせた。
(……なんだ? コイツ、俺のことを知っている?)
警戒を意に介さず、女は重力など存在しないかのように舞い降りる。 音もなく着地。 銃口の前で、優雅にスカートの裾を持ち、軽く礼をした。
「初めまして、勇者ハーヴィー殿。わたくしは吸血鬼マフィア『スカーレット・ブライア』が一人、『花葬のジュリエッタ』と申しますわ」
「本日は、我が主君……ダルクニクス宰相閣下からの伝言を、貴方にお届けに参りました」
ダルクニクス。 その名が出た瞬間、殺気が膨れ上がる。 だが、ジュリエッタが続けた言葉は、殺意と闘志を根底から揺さぶるものだった。
まるで聖女が神の言葉を伝えるかのように、穏やかに、そして残酷に紡がれる「伝言」。
「──アーシェの為にも、潔く死んでほしい」
「そうすれば、昔のよしみで、王殺しの件は『事故』だったと、私が上手く片付けてやる」 「頼むから、抵抗しないでくれ。これ以上、昔の仲間が堕ちていくのを見るのは、私にも忍びない」
慈愛に満ちた瞳。
「この申し出を受けてくれれば、貴方は『王殺しの大罪人』ではなく、救国の英雄のまま、その名誉を汚さずに逝ける。汚名も返上されるだろう」 「そして、何よりも……貴方が最も大事にしている、アーシェの身の安泰が、約束される」
一度言葉を切り、最後の、そして最も重い一言を心臓に突き刺す。
「──頼むから、潔く勇者として死んでくれ、友よ! ……だ、そうですわ」
その言葉が、毒のように回る。
肩から、力が抜けそうになる。 ルシファーズ・ハンマーが、今まで感じたこともないほど、重い。
(……そうだ。俺が……俺が愚かな真似をしたばかりに、皆を苦しめている……) (アーシェを人質に取られ、仲間だった奴らを敵に回し……俺が、死ねば、全て終わる話じゃないか……)
構えていた腕が、わずかに下がる。 隻眼の光が揺らぐ。
死への誘惑と、生きる意志。 罪悪感と、復讐心。 二つの感情が、ギリギリの均衡で軋む。
だが、その均衡は、一瞬で破られた。
カラン……。
乾いた音、静寂への響き。 ルシファーズ・ハンマーが、俺の手から滑り落ちる鉄塊。
隻眼から今まで宿っていたはずの闘争の光が、急速に失われていくのが、ジュリエッタの目にもはっきりと映る。




