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EP15・鬼神の力を司る者

絶望という名の闇が、隻眼を支配しようとしていた。


銀髪の少女──人の形をした災厄は、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


(……くそっ……! 何か手を……!)


最後の悪あがき。 一つの奇策。


レネの背後の壁に向かって、ルシファーズ・ハンマーの引き金を引く。


乾いた銃声。 放たれた弾丸は、**【空間キングオブディメンション】の理を宿し、壁に向かうと見せかけて【逆さ(リバース)】**の軌道を描く。


死角を突く必殺の一撃。


だが、少女は振り返りもしない。


弾丸が背後数メートルまで迫った瞬間、巨大な磁石に引かれた鉄屑のように急激に失速し、ポトリ、と力なく床に落ちた。 不可視の超重力空間が、運動エネルギーそのものを殺したのだ。


「……な……!?」


一瞬の驚愕が、命取り。 ふわり、とレネの身体が宙に浮く。 自重0%。 音もなく肉薄してくる。


「しまっ……!」


反射的に腕をクロスさせて防御。 そのガードの上から、少女の華奢な拳が、まるで戯れるかのように、軽く押し当てられた。


衝撃波が、全てを薙ぎ払う。


一点にのみ宿った超重力が、骨を軋ませ、内臓をシェイクする。 見えない巨人の掌で叩き潰されたかのように吹き飛び、神殿の壁にめり込んだ。


「ぐっ……はっ……!」


地獄は、まだ始まったばかりだった。


レネは、もはや俺を「脅威」とは認識していない。 ただの、壊れかけの「玩具」として、無邪気に、そして残酷に弄ぶ。


幻影のように舞い、死角から現れては、超重力を乗せて叩き込んでくる。 一撃一撃が、肉体を確実に破壊していく。


反撃の拳はすり抜け、弾丸は全て重力に引かれて落ちる。 あまりにも一方的な蹂躙。


やがて、レネはその遊びにも飽きたように、少しだけつまらなそうな顔をした。


「……もう、終わりか」


満身創痍で倒れ伏す俺を見下ろすと、最後の仕上げとばかりに、ゆっくりと掌を天に向けた。


神殿そのものが、悲鳴を上げる。


数十本の巨大な石柱が引き抜かれ、宙に浮かび、ありえない密度へと**『圧縮』**されていく。 粘土をこねるように。 やがて、それらは一本一本が必殺の質量を持つ、漆黒の槍へと姿を変えた。


「───」


少女の一瞥。 全ての槍が、俺ただ一人を標的に、空間を切り裂いて殺到する。 回避不能の、処刑宣告。


『ウォン!』


フェンリルが跳躍するが、突如発生した重力によって地面に縫い付けられる。


(……ここまで、か……)


意識が、闇の底へと沈んでいく。 薄れゆく視界の先、無感情な銀髪の少女。 アーシェの顔が、脳裏をよぎる。


(……すまねぇ……)


全てを諦めかけた、その時。


(……俺が……王を殺したばかりに……) (アーシェ……お前を……)


重い後悔が、一つの古い記憶の扉を開く。


木漏れ日。 幼いアーシェとの狩り。


『狙うのは、目じゃない。心で捉えるんだ』 『すごい、兄さま!』


太陽のような笑顔。 ただ、それだけを守りたかった。


記憶が、ふっと消える。 冷たい海底神殿の闇。


(……そうだ。俺はまだ、諦めるわけにはいかない……) (あいつを……あの笑顔を、取り戻すまでは……!)


妄執にも似た意志が、死にゆく魂を、無理やり現世に引き戻す。 絶望の闇の底で、何かが呼応した。


左目──神器【神晶球】だけが、死に抗う最後の星のように、熱を帯びる。


『──諦めるな、我が相棒』


脳内に響くフェンリルの声。


『手立てなら、お主が持っておろう。その左目は、ただの飾りか?』


その言葉が、引き金だった。 左目が、内側から太陽が昇るかのように、灼ける光を放つ。


「ぐ……ぅあああああっ!」


視界が、白く染まる。 違う。 世界から「色」と「形」が失われ、無数の光の線と、因果の流れだけが見える。 意識が肉体という枷を外れ、世界の根源へとアクセスする。


──覚醒。


【神晶球】の真の力。 世界の**「ルール」そのもの**を視る、神の視界。


視界に映るレネは、もはや人の形を成していなかった。


心臓のそばで、禍々しく脈動する茨の枷のような呪いの「核」。 無数の術式が絡み合う、あまりにも精密な「機構」。 そこから伸びる黒い糸が、彼女の四肢を、意思を、空間全てを操り人形のように支配している。


彼女は力を操っているのではない。 あの呪いに、操られているのだ。


流れ込む記憶。 女神に仕えた聖天の乙女。 裏切り。 永劫の孤独と絶望を刻み込む呪い。 石櫃の封印は、彼女を滅ぼすためではない。 いつか来る救いを待つための、悲しい揺り籠。


(……そうか。テメェの涙は、とっくの昔に枯れてたんだな)


口元に、血に濡れた笑みが浮かぶ。 絶望じゃない。 攻略法クリアルートは、見えた。


転がっていたルシファーズ・ハンマーを、祈るように拾い上げる。


レネが、異様な気の高まりを感知し、初めて警戒の色を浮かべる。 両手を突き出し、最後の切り札を切る。


掌の前に出現する、あの**『無限黒穴インフィニット・ブラックホール』**。 あらゆる存在を「無」に還す、究極の理不尽。


だが、俺は揺るがない。 神の視界には、もはや絶望は映らない。 映っているのは、その向こう側で泣いている、一人の少女の魂だけ。


静かに、ルシファーズ・ハンマーの撃鉄ハンマーを起こす。 親指が、確かな感触を伝える。


「──時は、満ちた」


引き金を、絞る。


(弾種装填──【時戻しの弾丸クロノス・リワインド】)


放たれた魔弾は、黒穴へと一直線に吸い込まれていく。 レネは勝利を確信しただろう。 絶対的な『無』の前には、いかなる奇跡も存在しない。


そう、信じた、その刹那。


俺は、ただ静かに囁いた。


「──【空間キングオブディメンション】、縫い」


魔弾は、黒穴という「絶対的な無」に触れる寸前で、忽然と姿を消した。 次元の布を針が縫うように、空間の綻びへと潜り込んだのだ。


「──え?」


初めて、レネの口から戸惑いの声が漏れる。 時が、止まる。


彼女の背後。 黒穴という絶対防御の死角となる空間が裂け、そこから、魔弾が再び姿を現す。 吸い込まれるように、心臓を縛り付ける呪いの「核」ただ一点に着弾した。


……パァンッ!


乾いた着弾音が響くのと同時、魔弾の力が解放される。


呪いの「核」を中心とした半径数センチの球状空間だけが、外部の時間の流れから切り離され、強制的に**「逆再生」**を始めた。


過去の瞬間に遡るのではない。 今、この瞬間から、未来永劫流れ続けるはずだった呪いの術式システムが、無理やり逆流させられる。 緻密に組み上げられた魔法の歯車が、凄まじい悲鳴を上げて逆回転を始める。 それは、滝の水を無理やり天へと戻すような、自然の摂理への反逆。


――1秒。


核の表面に走る亀裂が、見る見るうちに塞がっていく……のではない。 亀裂そのものが「存在しなかったこと」にされ、代わりに内部の圧力が臨界点を超えて膨張する。


――2秒。


術式の奔流が行き場を失い、内部で激しく衝突する。 「在るべき未来」と「戻される過去」がぶつかり合い、呪いの構造そのものが矛盾パラドックスを起こして軋み始めた。


――3秒、4秒。


脈動していた赤黒い光が、逆流の負荷に耐えきれず白濁し、ガラスにひびが入るような、不吉で、しかし美しい音が連続して響く。 ピシッ、パキキキキッ……!


完璧だったはずの呪いの機構システムに、修復不可能な亀裂が走る。


――そして、運命の5秒後。


パリンッ。


薄氷が砕けるような、か細く、しかし決定的な音が響いた。 時間の逆流という絶対的な矛盾に耐えきれず、呪いの「核」そのものが、内部から完全に崩壊し、四散したのだ。


縛り付けていた黒い重力の糸が、脆くも千切れ、霧散していく。 額の呪印が、光の粒子となって消えていく。


力を失い、ふわりと宙に浮いていた身体が、ゆっくりと重力に従って落ちてくる。


満身創痍の身体を引きずり、その華奢な身体を、地面に叩きつけられる寸前で抱きとめた。


腕の中で、銀髪の少女が、ゆっくりと目を開ける。 その瞳にはもう、羅刹の冷たい光はない。 永い悪夢から覚めたばかりの、あどけない少女の戸惑いだけが浮かんでいた。


「……あなたは……?」


口の端の血を無造作に拭い、ニヒルに笑う。


「さあな。ただの通りすがりの銃士だ」


腕の中の少女を優しく抱きかかえ、崩壊した神殿を後にする。


「──おかえり、聖女様。悪夢はもう終わりだ」


それは、破壊と殺戮の勝利ではない。 ただ一つの魂を、絶望の引力から救い出すための、俺の──バーレイグの、真の勝利だった。

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