神託と一度目の転生先(2)
夏の湿り気を帯びた暖かな空気が生まれたての肌をなでる。お腹から胸のあたりは布に包まれているのだろうか。すこしチクチクとする。
今は母の腕に抱かれている状態だ。左半身に柔らかな感触。腕越しに伝わる母の鼓動。
右手は自由に動かすことができるようだ。片方だけ自由でもなぁ。まあ、手を開いたり閉じたりを繰り返してもいいだろう。
目を開けて周りを覗う。といっても、見える世界はモノクローム。輪郭もおぼろげだ。こればっかりは仕方ない。
人間の声を聞くための聴力と解釈力、思考能力、前世の知識、生き延びるのに必要な天運などに加護という名のチートを賜っているだけでも必要十分なのだ。
「いずすみ! 生まれたのか?!」
「はやいお。見てみて。男子よ」
おや? やや離れたところから男の声が聞こえる。張りのある大きな声だ。それに追随して優しげな女性の声が俺の頭の上から聞こえる。女声の主は母だ。
そして、男の声に聞き覚えはある。この体に入り込んだのは初めての陣痛が起こる直前だったが、母を心配する声をかけていた。この声は父の声で間違いなかろう。
こうして、両親の会話を改めて聞いて思うこと。胎内とは聞こえ方は全然違う。胎内のころよりも明瞭に聞こえるのだ。
いずすみは母の名、はやいおは父の名のようだ。陣痛と陣痛の間に問答する中で何度も出てきた単語だったし、その後に続く言葉からしても疑いようがなかった。
「我の子か。我の……初めての」
ほう。俺はこの夫婦の初子らしい。それにしても初子が俺でいいのであろうか? 弟や妹が生まれたとして、俺を基準にしてもいいことはないと思うのだが……。まあ、先のことだ。今からそんなことを考えても鬼が笑う。
「抱いてみる?」
「いいのか?」
お、どうやら俺は父に抱かれるらしい。どんな手をしているのだろうか。ちなみに母の手は柔らかさと肌荒れ感が同居していた。働き者の手だった。
足音が近づいてくる。重さのある足音が。
そして、俺の右側すぐ近くで足音が止まった。
「どうぞ? はやいお。まずは私の手の下から、この子の頭を支えて」
「こうか?」
「そうそう。そうしたら、この子の腰のあたりを下から支えてあげて」
「こうでいいんだな? いずみず」
「そうね。じゃあ、あとははやいおの体に抱き寄せてあげて」
母の指導を受けながら俺の体は父の手に渡った。とてもとても大きくごつごつした、まさに闘う男の手だった。返り血であろうか、若干ではあるが鉄臭さを感じる。どこかで狩猟をした上がりなのであろう。ちょっとくさいが我慢しよう。
それに腕が毛深いな。おい。腕毛とかがもしゃもしゃしててくすぐったいぞ? 父の顔の輪郭もわからん。まったくもってわからんが、あまりのくすぐったさに笑うくらいはできるだろう?
「おおう! 笑ったぞ? 我が子が笑ったぞ? 我が子の名ははやいおいずすみのひのおか。長いな。しばらくははいひおと呼ばれていろ。な?」
「そうね。はいひお? あなたは夏に生まれた子だから、秋の分け日を二回迎えたころに、また違う名前がつくのよ?」
うむ。あれか。両親の名前、何番目の男女かが名前の基準か? それも捨て名かな? で、春夏生まれは一歳の秋分の日に新しい名前がつくのかな?
おそらく、そうしているのは子供の生存率があまりにも低いからだろうか。だから、最初の名前は機械的につけているのだろう。
まあ、合理的だとは思う。せっかく考えて名付けたのにすぐ死なれて、呼べなくなるのは随分としのびないと思うし。
* * * * *
あれから季節は一つ進んだ。実りの秋だ。まだ乳飲み子だからな。秋の味覚を楽しむことはできない。が、香ばしい匂いは俺の鼻をくすぐっている。
モノクロームだった世界にようやっと彩りも帯びてきた。炎の赤と木々の緑はわかるようになった。動くもののも追えるようになった。まだ完全には色覚は揃っている感じはしないが、それでも徐々に肌の色や水面の青もわかるようになってきた。もう少しすれば俺の世界はさらに鮮やかなものになるであろう。
今はお昼どきだ。最近はまとまった時間の睡眠を夜に取れるようになった。少し前までは寝て起きては乳を飲み、寝て起きては乳を飲みの繰り返しだった。最近は長い時間起きることもできるようになってきたのだ。一回に飲める乳の量も増えている。いいことだ。
今日も今日とて、父は狩猟に出かけている。母はときおり木の実、雑穀の採集などに出かけている。今も母はお出かけ中だ。母の体調は良いようだ。産後もしっかり食べていたようだし、かなりの健康体の元に生まれたのだろう。
俺の住んでいる場所は山の麓だろう。まだ遠くははっきりと見えない状態だが、父に抱かれて外に出たときに見てわかったのは、家のすぐ裏に傾斜があったということ。それと、すぐ近くに小川が流れている。集落があるわけでもない。ただ、ポツンと一軒の竪穴式住居があるのみだった。
はて。なぜ、両親はここに住まいを構えたのであろうか。俺にはわからない。いつか聞けるときが来るであろうか。
土で固められた床。その一角に大きな毛皮が何枚か敷かれている。触り心地は実にいい。毛も短めな感じがする。何の毛皮であろうか。たぶん鹿だろうか。
母がでかけてるときは毛皮の上で右に左に寝っ転がる運動をしている。首周りの筋肉もついてきた。意識して首周りの筋肉を縮めたり緩めたりしてたからな。最近、首も座ってきたんだ。それと腕立て伏せもしてるし、足をしきりに動かして太ももの筋肉も鍛えている。
今は腕立て伏せの時間だ。乳児の身体で腕立て伏せはしんどい。一回の上げ下げも一苦労だ。今の俺じゃあ三回の上げ下げがやっとだ。もっと頑張って鍛えないと……。
「はやいお? あら? お眠さんかしら? あら? でも、お腹は空いてないのかしら?」
うん。疲れた。眠い……。いや、でもお腹も減ってきた。親指を口に咥えて、空腹アピールをしよう。乳を飲んだら、おとなしく母の腕の中で眠ることとしよう。