令和の刀剣男子と霹靂(へきれき)、そして転生(2)
時は流れ、七月後半のとある夕方。雷鳴の轟く中、俺は単身で大己貴神社――於保奈牟智神社と表記され
土曜の夕方だが天候がよろしくないこともあって、人の気配もまばらだ。オーバーツーリズムはこの福岡県朝倉の地では無縁だというのだろう
沙弥はどうしたのかとな? この週末はお泊りで女子会だと言っていた。いくら交際関係にあるといっても、年がら年中一緒にいるというわけではない。沙弥にもプライベートがある。それはお互い様だろう。
ああ、ちなみに二月のじゃんけんの結果は俺の勝ちだった。なので、春の彼岸前に山陰巡りをしてきた。なかなかいいものが見られたし、沙弥もそれなりに満足してくれた。その点はよかったと思う。
っと、ちょっと話は脱線してしまった。話を戻そう。たった今、本殿への参拝を終えたところだ。俺がこの神社にいる理由について話そう。それは就職成就祈願のためである。
これからもう一つ向かうところがある。それは砥上神社である。俺の名字と同じだ。祖先の本貫の地だったのだろう。
この大己貴神社から砥上神社までは車で十分強。というわけで早速向かおう。
大己貴神社も砥上神社も随分と古い歴史をたどっている。時を遡ること千七百年近く前のこと。時代区分でいえば古墳時代前期、西暦でいえば紀元三三〇年付近のことだ。
仲哀天皇が南九州で権勢を奮っていた豪族――熊襲――を討伐しようとしていたところ、后の神功皇后が『熊襲よりも新羅――当時、朝鮮半島南東部を支配していた国――を攻めるべし』との神託を受けて、天皇に進言した。しかし、仲哀天皇はこれを信じずに熊襲を征伐しようとするものの敗走し、失意の中で崩御。
これを受けて、改めて神功皇后は改めて同じ神託を受けた。そして夫の仇討ちを成功させた後に改めて新羅への挙兵を決めた。
兵を集める際に矛や刀を捧げ、大己貴神――大国主神のこと――を祀った場所こそが大己貴神社である。
大己貴神社のある場所からわずかに西進したところへと、多くの兵が新羅を征伐するために集まった。神功皇后はそこで兵たちに武器を研ぐように命令した。そここそが今の砥上神社がある場所である。
我が砥上家も沙弥の秋月家も秦氏――渡来人の氏族だ――の末裔だと祖父から教えてもらったが、秦氏は新羅ではなく百済――当時、朝鮮半島南西部を支配していた国――から流れてきたという説のほうがより支持されている。ただ、百済に定住する前は新羅に秦氏がいたという説もあったりする。
秦氏が日本へと渡来してきたのは、神功皇后の新羅征伐から五十年近くも時が流れたころのことらしい。
秦氏は豊前――現在の福岡県東部から大分県――にて一旦地盤を固めてから、大和――現在の奈良県――、そして山城――現在の京都府南部――、河内――現在の大阪府東部――、摂津――現在の大阪府西部、兵庫県南東部――、播磨――現在の兵庫県南西部――に広がっていった。
秦氏が渡来してから五百六十年近くの時を経て、秦氏の末裔である大蔵春実が筑前――現在の福岡県西部――にある大宰府の大監――現代の一等尉官クラスといえばピンとくるであろうか――に叙任された。それ以降、春実の子孫が大宰府での大監の職を代々世襲した。後の代に原田氏と氏の名乗りを変えてからは武家として筑前、筑後――現在の福岡県南部――に分家を増やしながら、根を張っていったというわけだ。
原田氏の嫡流は関白豊臣秀吉の代に途絶えた。戦国時代の武将、原田興種――十五世紀末から十六世紀初頭にかけて権勢を奮った――の庶子を祖先としていると父に教えてもらった。江戸時代中期から原田氏、原田氏の分家の傍流同士の縁組が進んでいった。その流れは現代も続いている。今一度、原田氏の結束を深めようとの機運が江戸時代中期になぜ高まったかはわからない。ただ、俺が推察するには武家としての原田氏流が落ちぶれようが、傍流同士が結束を深めることで今一度、秦氏の血を後世に繋げようという意思があったのではなかろうか。
福岡を拠点にしたコングロマリット『ニチクオークラホールディングス――創業時の社名は二筑大蔵株式会社。英略称はNOH――』。その創業家が原田氏の傍流で、現会長は原田弘興である。分家である砥上家も秋月家もNOHの構成企業の経営陣にいる。
長々と俺のルーツを述べたところで、ちょうど砥上神社に着いたようだ。どうやら車を走らせている間に積乱雲の真下に入っていったようだ。雨脚は非常に強く、雷鳴も先ほどよりも大きく轟いている。稲光が起きてから雷鳴が轟くまでの時間も非常に短い。傘を早くささなければ、あっという間にずぶ濡れだろう。いや、傘をさしても無意味だろうか。まあ、ないよりあったほうがいいだろう。
急いで向かおう。歴史は古いといえども、随分と小さな神社だ。車を停めたところから本殿までは歩いて二分もかからない。やや駆け足で向かおう。靴の中もずぶ濡れになるが致し方あるまい。
っと、鳥居だ。立ち止まり一礼しよう。これから神様にご挨拶するにあたって、礼儀は必要だ。
階段をのぼって拝殿へと向かう。石畳だから転ばないようにも注意しなければならないが、重心をやや前気味にすればなんとかなるだろう。
二つ目の鳥居だ。もう一度、立ち止まって一礼だ。ここから先はゆっくり歩いてもいいだろう。
手水舎があるので、手を清め、口も清める。神様は穢れを嫌う。神気をまとった水で清めることは重要だ。
しのつく雨の中、拝殿へと向かう。すぐに着いた。足跡はない。今日は誰も参拝しなかったのであろうか。ひとまず一礼してから賽銭箱に千円札を二枚ほど捧げた。
それから賽銭箱の先に進み、大きな鈴を二度ほど鳴らす。居住まいを正して、深く二礼。二度の柏手をしてから、深く一礼。さあ、祈りと誓いを捧げよう。祈りは誓いとともに捧げることこそが肝要だ。
――神功皇后陛下、応神天皇陛下、八幡大神様、住吉大神様、砥上剣刀が参りました。どうか私めを刀にまつわる職業に就かせてくださいませ。いずれは刀鍛冶としての人生を過ごさせてくださいませ。必ずや皆々様に美しき刀を捧げられるようにいたします。
祈りと誓いを神々に捧げた俺は拝殿を後にした。それにしても雷雨がひどいな。早く帰らないとな。
なんだ? 視界が一瞬にして青白くなったぞ? あれ? 体がうごかな――。
* * * * *
長い長い夢を何度も何度も見ていた感じがする。俺、砥上剣刀の人生の走馬灯だったのだろう。たった今まで見ていた二つの鮮やかな映像。甘酸っぱい青春と、死ぬ間際のこと。おそらく俺は雷が直撃したことによって死んだのだろう。
それにしても暗いし、肌には何かまとわりついているような感覚がある。目を開けても暗さは変わらない。手を開いたり閉じたりしても力感がない。胸のあたりを触ったら、ぷにぷにしていた。
はては……、転生か? あ、足ごと尻を押さえつけられた。げっ、頭が硬いところにぶつかった。
あー、はい。どう考えても出産だな。ここから外界に出るまで、かなり時間がかかると思うんだよな。
まあ、いいさ。生まれたあかつきにはまずは乳幼児らしく生きてやるさ。異世界現実世界平行世界問わずに、どんな場所であれ、どんな時代であれ、乳幼児なりに見識を深めてやるさ。今の段階でも前世の記憶はしっかり残っているのだから、記憶と照らし合わせることさえできれば、なんとかなるだろう。いや、なんとかするんだけどな?
さて、次にこうして語るのはいつになるだろうか。それは俺もまだ決めていない。生まれて間もないころか、それとも少しは大きくなったころなのか、それとも完全に一人立ちするころなのか。
いずれにせよ、次に語れるようになるときには、ある程度は転生先に対する知見、見識を深めてはおきたいものだな。
っと、本格的に陣痛が来たようだ。頭も痛くて語るにも語れないから、ここまでとしよう。
では、また――。
転生直前の箇所を少し改稿。古代の伝承における年代設定を修正。
このあとがきは次話投稿のタイミングで消去します