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覗く灰色

「お、俺は……五月雨京亮(さみだれけいすけ)


 雨に打たれたことによって体が冷えているからなのか、幽霊である依桜(いお)や不可思議な体験に恐怖しているのか、京亮の体は鳥肌をたたせながら声も震えていた。

 依桜は京亮の名前を聞いた途端、紅の目を細め、にやりと口角を上げる。京亮の頬から手を離したと思いきや、またぷかぷかとさっきよりも高く浮きはじめる。


「やったー! やったわ!! だーれもあたしのことが見えてなかったから悪戯はたっくさん出来たけど、それでもつまんない! やっぱり会話ができなきゃね!」


 子供が親に欲しかったおもちゃを買ってもらえたようかのように依桜は無邪気に空中を泳いだり、くるくると踊っていた。艶やかな黒髪は依桜の動きと連動し、弧をえがく。

 その姿に京亮は不覚にも見惚れてしまう。だが相手は幽霊であることを思い出しては首を横に振って正気に戻ろうと頬を叩き、立ち上がって泥を落とそうとズボンをパッパッと(はた)きシャツも叩こうとすると、完全に染み込んだ泥水の茶色に白いシャツは変色していた。意味のない行動であったと思い、いつも服を洗濯してくれる母の困った顔をして自分を叱る姿を想像してしまって、京亮は肩を落としながら口を開く。京亮の声は、いつもより活気を失っていた。


「幽霊……なんだよな。前此処に来た時は見かけなかったけど、最近死んだとか?それともたまたま今日此処にいただけ?」


 濡れた服をこのままでは気持ち悪いからといつもはきんとズボンに入れているシャツを取り出し、裾から絞っていくが気休め程度にもならなかった。

 ため息を吐きながら落とした傘に目を向けると、開いたままの傘を思いきり踏んだ事によって傘の骨は折れて、生地も少し破れてしまっていた。もう使えないなと今度は母と父二人の姿を想像し、また肩を落とす。壊れた青い傘を拾うと流石に頭も冷静さを取り戻しつつあるようで、依桜の姿を真っ直ぐ見ることが出来た。


「あー……あたしね、雨の日にしか出てこれないの! 死んだのはもう5年くらい前よ。この辺で死んだのは覚えてるんだけど……具体的にどうやってとか、何してたのかとかはあんまり覚えてないのよね」


 浮いたままではあるが椅子に座っているかのような姿勢をとり、拗ねているような悲しんでいるような顔をしながら話し始める。

 揺れる紅の瞳に思わず京亮は生唾を飲み込む。幽霊とはいえ、依桜の容姿は美しく、それでいて表情は豊かで行動も悪戯っ子のようで可愛らしい。女子と話す機会など殆どない京亮からすれば、突然美女に詰められて"お友達になりたい"と言われるだなんて夢か漫画の世界の話なのだ。彼女が人間であれば自分に好意があるのかもと勘違いをし、惚れ込んでいたに違いない。


 依桜は自身が亡くなる寸前の記憶や、交友関係等細かい記憶が虫食いのように抜けていることを京亮に話す。数少ない確かなことは、晴れの日も雨の日も、毎日のように花と依桜が生前好きだった金平糖を供えにくる両親のことと、亡くなってすぐは花を手向け、手を合わせにきていた過去の同級生数人のことだけ。今は両親しか此処にきて手を合わせる人はいないらしい。


「五年も前のことだもの、家族以外はあたしのことを気にしなくなっててもおかしくないわ」


 家族が想っててくれるだけありがたいのかも、と気にしていないように振る舞うが、やはりその声と表情はどこか寂しそうであった。


「それにね、あたし、それ以上に大切なことを忘れているような気がするのよ。勿論家族も大切だけど、それとはなんだか違う……とにかく、大切な、記憶……っ」


 依桜は自分の震える手と手をぎゅっと握り、隠しきれない悲痛な表情で京亮に訴える。

 当たり前だ。明るく陽気な性格とはいえ、彼女はもう既に死んでいて、その上彼女の存在を認識できる人間などいない。諦めてしまえればそれまでだったが、今は京亮という彼女にとってもイレギュラーな存在が自分を見つけてくれた。仕方ないと自分に言い聞かせていた彼女は、ようやく苦しみを人に話すことができたのだ。


(俺、最悪だ)


 京亮は依桜のことを幽霊だからと深く知ろうともせず、自分と仲良くなりたいだなんて驚かせる相手に丁度いいからだろだとか、雨の日に此処に来なければ会わなくて済むなとか。そんな事を考えていた。

 京亮はひとりは嫌いじゃない。だが、彼女はどうだろうか。聞く限り、断片的な記憶しかないにしても、彼女は周りの人に恵まれていたことがわかる。目の前にいるのに手も声も届かないというのは、もどかしくて、やるせなくて、どうしようもなく彼女の心を追い込んだはず。

 第一印象や、彼女が人間ではないから、単に自分に自信がないから。そんな捻くれたような考えが、自分の身に染み付いていたことを京亮は恥じて拳を握る。


 今の彼女は、確かに人ではない。でも元々は自分と同じただの人間の学生だったのだ。自分がもうこの世にいない人間なのだと悟ったとき、彼女はどう思ったであろうか。死んでいない京亮にわかるわけもない。ただ一つだけわかるのは、彼女は寂しかったのだということだけだ。


「依桜さん」


 京亮は決意を固めた。震える彼女の白い手に自分の手をそっと添えようとするが、やはりその手は空をきり、彼女が本当に人間ではないことを思い知る。


「俺が……俺があんたの記憶を取り戻す手伝いがしたい。出来ることはきっと少ないけど、あんたの気を少しでも楽にしてやりたいんだ。だから、俺と"友達"になってくれ……!」


 真剣な目で、依桜としっかり目を合わせながら訴えかける。自分がこんなに真剣になったのはいつぶりだろうかと他人事のように京亮は考える。

 依桜は京亮の目を見て、言葉をきき"勿論よ"と微笑み、ゆっくり透明になって消えていった。


 汚い自分が嫌だったのかもしれない。正義のヒーローみたいな物語の主人公になりたかったのかもしれない。依桜の顔が好みだっただけかもしれない。ただの気まぐれかもしれない。

 それでも今、京亮の心に芽生えた"助けたい"という気持ちは本物であってほしいと、京亮自身も願っていた。


 今日はもうすぐで雨が止む。黒い雲の隙間から、灰色の空が顔を覗かせていた。

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