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初投稿です。よろしくお願いします。
チリン、チリンと音が鳴ることは稀だ。位置が悪かったのか、ドアが開閉している暇がないのか、どちらかなのかはわからない。一矢報いるように意見し、自動ドアの近くに取り付けた鈴は、結局ほとんど聞こえない。
彼に放った矢は刺さることなど無く、触れた瞬間に腐り落ちてしまう。自動ドアの電子音が響き渡るこの店。私が猛反対したこの自動ドアの音は、この店の景色と絶対にマッチしていない。
古き良き雰囲気によって、本音で自由な社交の場となるべきこの場所の良さを、ウィーンという電子音が、全て潰し、かき消している。きっと。でも、単調で感情のない音は彼がセレクトした、彼の全力のお気に入りの音だ。そんな音を聞けば、やっぱりいいかも、なんて思ってしまうのが、かなり、いや本当に、かなり悔しい。なんだか、負けた感じがするから。勝手に負けたのは私だけれど。
「いらっしゃい!空いてる席へどうぞ!」
強烈に弾け飛ぶ彼の声が自動ドアの音に重なり、常に調和し合う。それを、世間はなんと表現するのか。「ハモり」というやつが、すする音を効果音にしながらラーメンと一緒に、お客様に吸収されている。
こう考えると悪くはないけれど、私はシンプルな単音だけを一度、聞きたかった。感情のない音に邪魔されない、邪魔されない、そんな彼の声だけを聞きたかった。そんな淡い期待は、言葉になるはずもなく、思考だけが換気扇に吸われ、外に追い払われている。
今思うと、自分もシンプルで単調な音を、声を所望していたのだ。単音を、ただ欲望のままに求めていたのだ。とても悔しくて、また負けてしまったような気分になる。顔には出ない。
「こちらが、醤油になりますね〜。こっちが、味噌になりま〜す」
ラーメンを5番テーブルに置き、厨房へ早足で向かうと、そこにはいつも彼がいる。笑う暇はないけれど、心で通じ合っているのは間違いないはずだ。
「これ3番へ、味噌、味噌、味噌の大盛り」
彼が軽やかにリズムを刻むように指したラーメンたちを、私はほとんど見ない。彼はいつも、私に向かって左側からラーメンを言う癖がある。下を見る、という動作すらをケチる私だが、別に間違えていないからいいだろう。
「了解です」
視線を一切合わせずとも、彼は全く気にしない。こんなに似た、効率厨の思考をもつ人と出会えた私は、なかなかに運が良い。
今日はお昼時になっても、ほとんど人が入らなかった。不景気な世の中をもっと良くすることはできないのか、なんて嘆いていては、この世は変わりやしない。
ぼーっとしていると、時間は驚くほどの速さで進んでいく。その足の速さを、私はとても羨ましく思っている。物理的にも、私は人についていくことが苦手なのに、流行という新たな時間が、私を常に急かしている。
「ありがとうございました〜」
店内にはたった2人、時計の短針は「3」を指している。私はカウンターに腕を置き、ため息をつく。口元は緩んでいた。彼は相変わらずの無表情だけど、どうしても笑顔に変わっていった。
「お客様が誰も入っていないなんて、珍しいね」
私の何気ない一言にも、彼は必ず反応してくる。
「まぁまだ3時だからな」
「それにしても、誰もいない、っていう状況は、ここしばらくなかったよね」
「まぁそれもそうだな」
「で、火は消してある?」
「あ」
「全く、目を離すとこうなんだから。言ったでしょ?」
「いや、いつもの癖だよ。たまにしかないだろ?こんなことは」
ははっ、と彼は笑いながら店の奥へと向かう。こんな会話に花が咲いたのはいつぶりだろうか、私たちの店はたとえ3時でも客足が途絶えることはなかった。この日々は、過去から見れば「非日常」だが、今となっては「日常」だ。当たり前といえば当たり前だ。
でも、そんなふうに変化していくのが、本当に当たり前なのだろうか。何も進歩がなければ、変化が当たり前になることはない。何も進歩しないなら、「日常」は存在しなくなるのだろうか。
「互いに立とうとすれば、互いに立つことができる」誰の格言なのだろうか、ふと気づいたときには、厨房の奥の壁に貼られていた言葉だ。おそらく、いや間違いなく彼の仕業。互いが進歩しようとすれば、互いが進歩できるのだ、と、そう訴えているように見えてしまう。
「停滞って、何だと思う?」
私の唐突な質問にも、彼は間髪入れず答えた。
「記憶しすぎることだと思う。記憶の引き出しの整理には時間がかかるんだよ?」
「真面目に答えてる?」
「もちろん。でも、俺は捨てちゃってたからね。停滞なんてなかったんだよ。きっと」
どこかで聞いたことがある会話だなと思ったのも当たり前だ。彼も同じことを思っただろう。
私たちは4年前、同じ会話をした。
話題を振ったのは、私だ。
彼の「停滞」を知ったから。
彼がやっと、立ち止まったから。
いかがだったでしょうか。
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P.S. ちょっと読みやすくなるように書き換えました。ご了承を。