5-11. 結婚式でのざまぁほど楽しいものはまたとない③
【アーネスト (宰相・ヴェロニカ父) 視点】
精霊術師の口から、不思議な言葉が次々とあふれだす。
それは木々のささやきのようにも、小川のせせらぎのようにも聞こえる。
人に悪影響を及ぼすような呪いではない ――
なぜ、ヴェロニカがこの精霊術師を紹介した瞬間、いやな予感がしたのだろう。
アーネストはいぶかしがった。
―― これまで、仕事に明け暮れた人生だった。
政争に身を投じ、えげつない手段で敵をひそかに滅ぼしたことも多々あった……
が、それよりも、まっとうに政治を行い、国王と民を支えてきた功績のほうが大きかった、と自負している。
特に前王母を味方に引き入れたことは、役に立ってくれた。
前王母がこの国にやってきた当時、宮廷で華やかだったのは、すでにいた王の愛妾たちで ―― 彼女らは予算限度もわきまえずにしょっちゅう舞踏会を開きたがるようなバカであったが、追随する者は多かった。
そんななか、アーネストは宰相として孤立無援のよそ者王妃を支えつづけた。そしてマルガレーテも、アーネストに全幅の信頼をおいて従ったのだ。
悪いと思ったことはなかった。
やっかいな愛妾を腹の子と一緒に片付けさせたのも。マルガレーテに男をあてがって身ごもらせ、弱味をにぎってさらに利用したのも ――
あのとき亡くなった愛妾と王の子も、もし生まれていればすでに結婚し、子どももいる歳かもしれない……
「お父さま? どうされまして?」
心配そうなヴェロニカの声に、はっと我に返る。
アーネストは、泣いていた。
―― 自身の権力をたしかなものにするために。
ただの公爵などで終わらぬために。
魔力を持たずに生まれても、すべてを従わせることができるのだ、と証明するために……
―― いったい自分は、何人を破滅に追いやり、何人の生命を奪ったことだろう?
―― 彼らにも愛する者がいただろうし、彼らの死を悲しむ者もいただろうに!
精霊術師の呪文は、まだ続いている。
(なるほど…… 健全な心か…… )
やられた、とは思ったが、やめろ、とは言えなかった。
―― 自分は罪に問われ、責められるべきだ。
それがいま、はっきりとアーネストにはわかっていた。
これまで、政治のためには仕方のないこと、と考えてなしてきた数々の行いが、どれほど残酷なことだったか……
思い出すと、身震いしてしまう。
(なぜ、あのようなことができたのだろう、私は……! 悪魔の所業ではないか…… )
―― 政治だけではない。
罪のない妻を。美しかった社交界の真珠を。
愛人に毒を盛らせて、苦しめ、死なせた……
(なんという醜い、おぞましいことを…… してしまったのだ…… なんという…… )
なみいる求婚者を押しのけ彼女を得たとき、アーネストはたしかに嬉しかった。
だが、ローザが身ごもっているあいだに、その気持ちは変容してしまった。
お腹の子が第一と、アーネストとの交わりをローザが拒むようになったせいだ。
娘が生まれたころにはアーネストは、すっかり彼女のことが憎らしくなってしまっていた。
―― 妻というものは、夫に支配されることを喜び、夫を崇めて従順に仕えるからこそ価値があり、愛しいのだ。
なのに ―― 娘に夢中になった彼女は、もうアーネストの愛を乞わなくなっていた。
かわりに、妻はアーネストにも娘を愛することを求めた。
幼い子どもなどという、いつ死ぬかもわからぬ不確かなものを愛せるわけがないのに ―― 娘を拒んだとき、妻の目に浮かんだのは絶望と軽蔑だった。
夫婦仲が冷えていく、そのいっぽう ――
子を産んでさらに美しく輝くようになった妻の容色は、男も女も引き付けた。
天候を変えるほどの強い魔力も、健在だった。
どれほど気持ちがこじれてもアーネストが 『社交界の真珠の幸運な夫』 である事実は、変わらなかったのだ。
それも許しがたいことだったが、もうひとつ ――
国王が、彼女とふたりきりになる機会を作るよう、再三、アーネストに言ってくるようになった。
自らの出世のために妻を国王に差し出そうとする貴族は珍しくはない。
だが、アーネストにとっては、それは侮辱でしかなかった……
愛人に少しずつ盛らせた毒で、ローザが次第に容色と健康と自信を失い、家に引きこもっていくさまを見るのは痛快だった。
『痛ましくて見ていられない』 と言いながら彼女の部屋の前を素通りするたび、アーネストは心のなかで快哉をあげていた。
彼女に屈辱を与え、孤独を教えられるのは己だけ……
社交界の真珠を手中に閉じ込めて完全に独占している、という満足感を思い出せば、どんな苛立ちもふっとんだ。
そのころのアーネストは、ローザと、ローザに惹かれる者たちすべてを、内心で嘲笑していたのだ。
『ざまぁみろ!』
―― なんという、ひどいことをしたのだろう!
―― なぜ、こんなことができたのか?
―― 自分で自分が、信じられない……!
―― 自分は悪魔だ、人間ではなかった…… 卑劣でおそろしい、おぞましい悪魔だ……
精霊術師の呪文が終わったとき。
アーネストは、壁にガンガンと頭をうちつけていた。
だが、どれほど痛みを味わったところで、己が罪は消えてくれない ……
「お父さま? しっかりなさって?」
「ヴェロニカ…… ローザ…… すまない、すまなかった…… 」
「謝罪しなければならぬことなど…… お父さまには、ございませんわ」
ヴェロニカのことばは優しいが、いまのアーネストにはこう聞こえる。
『あやまって許される罪ではない』
それはたしかに、そのとおりなのだ……
「ヴェロニカ…… 私は、この式が終わったら、宰相職を退かなければ…… とても、いまのままではいられぬ…… 」
「それも、良いのではなくて? セラフィンさまは優秀な人材を広く採用される方針ですし…… お父さまが退かれても、国政にはまったく影響ないかと思われますわ」
つい1時間まえであれば激怒したに違いないことばを、アーネストはうなだれながら聞いた。
―― 己こそが国家の重要人物たりうると、そうあろうとして生きてきた。
すべてをなげうって、人生を捧げて築いた地位であるはずだった。
それが、あしもとから崩れていく。
崩れたあとは、落ちるしかない。
底の見えない、深淵に ――
ヴェロニカの声が、ことさら明るくひびいた。
「それより、お父さま。そろそろ、式が始まるお時間でございましてよ?」
「………… おまえをエスコートする資格など、私にはない…… 」
「なくても、なさらなければ。王とわたくしと、ヴィンターコリンズのために」
それは、いまの彼には、残酷で…… しかしまだまだ優しすぎる罰 ――
アーネスト・ヴィンターコリンズ公爵は操られているかのような仕草で、花嫁姿の娘に、のろのろと肘を差し出した。
―― マルガレーテを排除し、国王の唯一の尊属となる。
晴れがましいはずの道を、アーネストは、罪人のようにうつむき、重い足取りで進んだ。
※※※※※※
【ヴェロニカ視点・一人称】
前世でいうところのヴァージン・ロードを、父にエスコートされてゆっくりと歩く ――
父の顔を、私は横目でそっと見上げた。
なるほど、本人が了承していないのに精霊術をほどこすのが、違法になるはずだ。
父はいま、母が亡くなったときですら見せなかった表情をしている。
うちひしがれて苦悩に満ち、いまにも死んでしまいそうな ――
グレンが私の父に施した精霊術の効果は、素晴らしいものだった。
『記憶を変えたり封じたりすることなく、人格だけを真に善良であるように正す』
グレンがこの施術を了承したのは、つまりは、宰相がもともとは立派で善良な人間である、という勘違いからである。
グレンには 『王位に目がくらんで血迷ってしまった父を正気に戻すだけ』 と説明してあったし、グレンもそれに納得したのだ。
自身の利益のために平然と悪をなせる人間が政治家としては立派な人物であることもある、など、正直で実直な精霊術師には思いもよらなかったのだろう。
―― グレンにはまた、フォローしておいてあげなければ。
これが世のため人のため、まぎれもない正義だった、と……
「お父さま。きっとお母さまも今日のわたくしたちを、天国から見ていらっしゃるでしょうね」
「 ………… 」
父の表情が、大きく歪んだ。
後悔で心臓も張り裂けそう ―― といったところかな。
「お母さまも結婚されるときには、わたくしのような気持ちでしたのかしら…… 少し不安で、けれども期待していて、喜びにあふれ…… 」
もっともっと、苦しめばいい。
いくら後悔しても、私の母を裏切り苦しめて死に追いやった男が許されることなど、ないのだから。
「そして、お父さまと生涯、幸せに添い遂げたいと思っていらしたことでしょうね…… あらお父さま、お泣きになることなど、ございまして?」
あなたに涙を流す資格など、それこそ、なくってよ ――
私が内心で嘲笑ったとき。
大聖堂の扉が開き、セラフィンの姿が見えた。
「ロニー。きれいですよ」
「あなたもすてきでしてよ、ラフィー」
セラフィンの腕に私が移ると、父はそばに用意されていた席に倒れるように座った。
そのまま片手で顔をおおい、全身を震わせている。
周囲からは、花嫁の父が感極まっているようにしか見えない ―― その内心を想像し、私は、唇の両端をつりあげた。
「―― ヴィンターコリンズは持参金として海都の別荘、及び鉱山の採掘権をグリュンシュタットに引き渡すものとし、結納としてグリュンシュタットは新港の開発・利用権をヴィンターコリンズに委任する…… 」
大司教が祭壇の前で結婚契約書を読み上げ始めた。
誓いのキスはこちらの世界にもあるが、その前に延々と契約事項の確認が続くのだ。
「…… なお、子が複数生まれた場合はうち1名をヴィンターコリンズ姓とし公爵家を継ぐものとする…… 」
公爵家は養子をとって継がせる ―― そう言っていた父の意に反する事項だが、いま父の耳には入っていないらしい。
「―― 以上、これらの契約事項を守り、互いによく支えあい、終生をともにすることを誓いますか?」
「「はい」」
私とセラフィンは目を見合せてほほえむ。
「では、誓いの口づけを ―― 」
セラフィンから贈られたキスは、昨夜より、ほんの少しだけ長かった。
そのまま、抱きしめられる。
意外な力強さに驚く私の耳に、セラフィンが素早くささやいた。
―― これからは一緒に、わるいことをしほうだい、ですね。




