5-6. 婚約者との午後は好みのコーヒーとわるだくみで②
【ヴェロニカ視点・一人称】
恋愛ゲームと権力争いは焦ったほうが負け ―― と、私は思う。
焦ると強引になる。強引になると瑕疵が出る。そして、そこから崩れていく。
せっかく積み上げてきた好感ポイントも政治実績も、崩れてしまえば終わり。
あとは勝者の手によって悪者に仕立て上げられ、復讐されるだけだ ――
「 ―― お父さまにしては、ずいぶん焦られましたこと」
マルガレーテを訪ねて教会に行った翌日。
私はふたたび、芸術家たちの離宮にいた。
表向きは肖像画の進捗を見るため。だが、真の目的はテンから報告をきくため ――
テンの話では、私が教会を出てすぐ、マルガレーテは私の父に使いを送ったらしい。
そしてやってきた父と、話をしていた。
その内容は一見、他愛ない。
が、裏を読めば私の父が王位簒奪を狙い、マルガレーテを巻き込んで次の行動を起こすことは確実 ―― テンの報告によれば、それからすぐに父からマルガレーテへ贈られた 『お詫びの品』 は太い金属の腕輪だったのだ。
けど、それって。
あまりにあからさますぎない?
もしかしたら父は、監視されていることに気づき、逆に罠を仕掛けているのかも ――
だって、ぜんぜん父らしくないのだ。
リザが失敗したばかりでまたすぐに行動を起こすなんて。
事件直後の、警戒もまだ厳しい…… そんな時期にまたしても国王を毒殺させようとするなんて。
―― 父にしては短絡的すぎるような。
「 ―― それとも、挙兵の口実にするためにわざと、でしょうかしら。もし父に疑いが向けられれば 『身におぼえのない誹謗中傷で名誉を傷つけられた』 と怒ることができますもの」
「もっと単純に考えなよ、お嬢」
画のなかの鷹の羽根を、毛先が1本しかない絵筆を使って丹念に描きこみながら、テンが呆れ声を出した。
「リザの件は関係者にしか知られていない。しかも親父さんが関わってるって知ってんのは、あんたとメアリーと俺とセラフィン、4人くらいのもんだろ。たいていは知っていても、リザが元はマーゴの侍女だってこと程度までだ…… そんな状況で、たとえリザが再び事件を起こしたって、誰も親父さんをいきなり疑ったり、できるわけがない」
「ですから敢えてそれをさせようと、父が」
「いやお嬢。だからな、普通はこの状況なら 『自分に疑いが向けられずに国王を片付けられる最大の好機』 と思うもんだって」
「…… あなた。わたくしの父を普通だと思っていますの、テン?」
「いやあ。権力が鼻先にぶらさがったら、さすがの親父さんも、くいつきたくなって焦るかなあ、ってね」
「…… なるほど。一理、ありますわね」
「そうそう。政権崩すなら、できたてホヤホヤがいちばん、っていうしね!」
「わたくしなら、失敗を重ねさせて 『暗愚王』 の称号をつけてからにしますけれど」
「ま、お嬢ならな」
テンは首をすくめてニヤリとしたあと、すぐに真剣な顔になった。
「そんでだな。マーゴが、リザの釈放を求めてきた」
「まあ。元侍女をおもいやる主人。素晴らしいですこと」
皮肉を言うと、テンがまたニヤッと笑う。
リザの釈放が意味するのは、私たちの間ではわかりきったこと ――
「セラフィンの許可はもう、もらってるからな。近々、マーゴの手元に置いてしっかり監視するのを条件に、釈放するぞ。お嬢も気をつけてやってくれ。次にリザがやらかすのも、セラフィンがお嬢と一緒のときだ」
「なぜ、そう断言できますの?」
「セラフィンはお嬢と一緒のときは人払いしたがるだろ? それに、好きなやつといるときってどうしても気がゆるむもんだ。誰でもそこだと思うって」
「そうですわね。セラフィンがわたくしのことを好きなどと、そのようなことは天地神明の事実でして、今さらどうということもないお話ですけれども、まあ、気がゆるむほど好きだということでしたら…… 」
しゃべっている途中で、私はふとテンの目に気づいた。
これは…… 『生温い眼差し』 というやつだ。
おそらくテンは、私が 『セラフィンが私のことを好き』 と言われて喜んでいると、勘違いしている。
―― 釘をさしておかねば。
別に、不意打ちで言われなければ、本当にそんなこと当然すぎる話で、今さら嬉しいとかドギマギするとか、あるはずがないんだから。ないったらない。あったとしたら、それ気のせい。
「…… テン?」
「ん? なんだ?」
「別に、わたくしの脳内はお花畑ではなくってよ?」
「わかってるって。毒草園だよな、お嬢。知ってるか? 毒草ってけっこう、可憐でキレイな花が多いんだぞ?」
「そこではなくて。別になにも咲き乱れてなどいません、と言っていましてよ」
「まったく、お嬢はテれ屋だなあ」
「あなたと話していると、わたくしがどんどん別の生き物にされてしまいますわ…… 」
それはともかくとして。
今後の方針はだいたい、決まった。
私の父、マルガレーテ、リザは引き続き、テンのほうで監視。
こちらは実害が出ないように気をつけつつ、手を出しやすそうな隙を作り続ける……
焦らず、相手が出てくるのを待つ。
そして、出てきたら ――
次こそ、一網打尽だ。
※※※※※※
【リザ・カツェル視点】
やっぱり、国王に毒を盛ってよかった ――
リザは、細やかな刺繍でおおわれた黒絹の靴のつま先を眺めながら、感動していた。
「リザ・カツェル。そなたの忠誠は、聞き及びました…… ですから、そなたを釈放させたのですよ」
「ありがたき幸せに存じます、妃殿下!」
人払いされた、教会の小さな礼拝堂 ――
だが、リザがひざまずき胸に両手をあてて祈るのは、神のためではない。
目の前の、唯一無二のあるじ、マルガレーテのためだ。
「マルガレーテ殿下の御ため、誠心誠意、仕えさせていただきます!」
「…… リザ。わたくし、あなたを救いはしましたが、側仕えにするとは言っていませんよ?」
「はい…… え? えええ? そんな……! なぜですか? いたらぬところがあるなら、なおします! お願いです、マルガレーテ殿下! いまいちど、どうか!」
喪のドレスの長いすそにすがりつき、リザは懇願した。
卵形のきれいなかおが、うっすらと笑みを浮かべる。
「いいえ…… そなたのせいでは、ありません。ありませんが、国王陛下がご存命であるのに、陛下を殺そうとした娘を側近く仕えさせるというのは…… やはり、わたくしにも立場というものがございますもの」
「わかりました! 今度は失敗しません! 成功したら、今度こそ、おそばに仕えさせてくださいますよね? ね?」
「なんという、恐ろしいことを言うのですか、あなたは……!」
マルガレーテが口に手をあてて後ずさり、リザは己が言い過ぎたことを知った。
「リザ。そなたは国王陛下が亡くなるまで当面、下働きです。厨房へでもお行きなさい。侍女長に伝えておきましょう」
マルガレーテはくるりと踵を返し、リザのほうをちらりとも見ずに去っていった。
(国王が亡くなるまで当面…… やはり、マルガレーテ殿下は本当は、国王の死を望んでおられるんだ。そして亡くなったらきっと、わたしを側仕えに戻してくださる…… けど夾竹桃の毒じゃ、すぐに気づかれちゃうしなぁ……)
今は、待つしかない……
リザは小礼拝堂を抜け、教会の裏手にある厨房へととぼとぼ足を運んだ。
「なんですって!? 宰相が、そんなものを、妃殿下に……!?」
「しっ、静かに……!」
厨房から、悲鳴のような侍女の声が聞こえたのは、そのときだった。
リザは急いで厨房に近づき、耳をそばだてる。
「…… マルガレーテさまは、閣下は子を亡くした親の気持ちを慮ってくださっただけだとおっしゃったわ」
「そうなの? そうかもしれないけれど…… ねえ?」
「けど実際に、よくあの腕輪を手にとって眺めてらっしゃるのよ。 『いつでも死ねるならば、もう少し生きてみましょう』 とつぶやかれるの」
「だけどさ…… つまりその中身は、本当に毒ってことなんでしょう? 危険じゃない?」
「捨ててしまいましょう、と申し上げても、聞く耳持ってくださらないんだもの。お守りみたいなものよ、とおっしゃって…… 」
「そりゃ…… 宰相閣下の毒なら、高価なものには違いない、でしょうけどねえ…… 」
リザはそっと、その場を離れた。
(宰相閣下の高価な毒…… 腕輪に入ってる…… きっと、効き目もすごいんだ…… )
リザは教会の奥へと向かう。
いまマルガレーテの部屋になっているのはおそらく、いちばん立派なゲストルーム……
とがめられたら道に迷ったと言えばいい、と決めて足を踏み入れたその部屋にはさいわい、人はいなかった。
暖炉、ティーテーブル、書棚…… きょろきょろとあたりを見回し、リザはすぐに、それを見つけた。
小さな窓に面した机の上、ぞんざいに置かれている。装身具というには武骨な、金属の円環 ――
飾りのような丸い突起を動かすと、蓋が開いて白い粉がわずかにこぼれた。
(これが…… )
リザは少し考え、机の引き出しを開けた。
なかには思ったとおり、新しい封筒が重ねられて入っている。
そのうち1枚を取り出し、腕輪の中身を半分ほど振り入れ、封をする。
封筒をポケットにいれ、腕輪を元の位置に戻すと ――
リザはなにくわぬ顔で、厨房へと戻っていった。




