5-3. 王妃とメイドと精霊術師は毒でつながる③
グレンが私の父の死を口にしながらうつむく理由。
それはおそらく、罪悪感と困惑だ。
一般に、精霊術師にとって私の父 ―― 宰相ヴィンターコリンズ公爵は恩人である。
ヴィンターコリンズのような精霊術師の系譜でなくとも、精霊に好かれる者はいる。
精霊の不可思議な力を使える子どもは、貴族に伝わる魔力とは違い、平民のなかに生まれることもあるのだ。
だが、その子どもたちはしばしば、無知な人々によって気味悪がられ、迫害される ――
私の父は、それを法令で止めた。
迫害に罰則を定めたわけではない。
力を持った子どもを弟子として引き取った精霊術師に、かなりの額の補助金を約束したのだ。
すると精霊術師たちはこぞって不思議な力を持つ子どもたちを探し、引き取るようになった。
その際に、親のほうにもいくばくかの謝礼が渡る ―― 大切に育てることによりその値を吊り上げよう、と考える親が増えるのは、当然のこと。
力を持った子どもは、いつしか 『不気味な出来損ない』 ではなく 『金のなる木』 として扱われるようになっていった。
そうした流れのなかで、精霊術師の地位もかなり向上したのである。
いま私が 『ヴィンターコリンズは精霊術と縁深い』 と堂々と言えるのもこのおかげだ。
―― 我が家もいっときは、迫害から逃れるために精霊術師の系譜であることを隠し、強い魔力持ちが生まれやすい家系との婚姻を積極的に行っていた。
父が精霊術師の保護策を始めた理由のほとんどは、おそらく打算とプライド (魔力持ちでない父のコンプレックス回復) ――
だがもしかしたら、家門のありかたを正したい、という思いも父なりに少しはあったのかもしれない。
ともかくも、そんなわけで。
多くの精霊術師にとっては、口が裂けても言いたくないはずなのだ ―― 私の父が亡くなるのを待つ、だなんてことは。
それをグレンがあえて言ったのは…… 彼が、疑問に思ってしまったからだろう。
『その恩人がなぜ、禁忌の術を実の娘に……?』 と。
―― 疑問を抱いた以上は、やりかたしだいでこちら側に引き込めるはず……
私は目を見開き、片手で口を覆った。
もういっぽうの手は握りこみ、力を込めて震わせる。
「そのような…… お父さまが亡くなるなどと、おそろしいこと…… 」
―― 精霊術師は精霊たちの声を聞き、真実を知るという。
だから嘘や演技など無駄?
―― ならば、試してみるがいい。
本物の嘘つきは、嘘をつくとき、自身すらもだます。
私は別に嘘つきなどではないが、身近なひとの死をおそれる気持ち程度は簡単に装備できる。
なにしろ前世から、あったほうが人間らしく見えるものとして訓練してきたのだから。
「お母さまが亡くなって…… お父さままで亡くなってしまいましたら…… わたくし、どうしたら良いのか…… 」
「いえ、別に、お父上がすぐに亡くなるわけではありませんよ。ただ、それが解呪の鍵というだけの話ですから」
「鍵……? そのような設定が……?」
「依頼主の死は解呪の条件としては一般的ですよ」
「そうですの…… ですけれど…… わたくし、そうしましたら記憶を取り戻すことは、あきらめなければなりませんわね…… お父さまの死を望むなど、あってはなりませんもの」
グレンのアースカラーの瞳が、試すように私に注がれる。
嘘だとわかれば、おそらく私はすぐに、この場から追いだされてしまう ――
だが、いまの私にあるのは、記憶が封印されていたことへのショックと…… それを上回る、母をなくした悲しみと父をなくすことへの不安のみ。
この嘘が見破れるか、などということはもちろん、考えていない。
だって私は無力な貴族令嬢なのだから。嘘などつくわけがない。
「―― もし望まれるなら、一部だけ解呪を試みることはできます」
さきほどよりも長い沈黙のあと、ついにグレンは折れた。
「解呪を? ほんとうですの?」
「術が強力すぎて全体は無理ですが、その、令嬢が見るという夢に関連する記憶であれば ―― そのとき令嬢が、誰に怒っていたか、程度は…… おそらく」
「ぜひ、お願いしとうございますわ…… どうしても、気になりますものですから」
「絶対に解けるかはわかりませんよ? 夢に見る程度にほころびができているなら、あるいは、ということでしかないんです」
「それでも…… わたくしにとっては、希望ですわ」
「わかりました。では…… 」
グレンは立ち上がり、診察室のドアを開けてメアリーを呼ぶと、事情を簡単に説明した。
私が幼いころに呪いを施されていたと聞くと、メアリーはいきどおりながらも、ひとこと。
「人格を変えたくなる気持ちもわかりますけど!」
「あら。わたくしのような非の打ち所のない淑女のどこを変えたいというのでしょうか、メアリー?」
「わたしは好きですよ? でも、もし自分の子だったら少し心配になるかもしれません」
「まあ」
同じようなことはついさっき、グレンにも言われたばかりだったけど……
幼女に 『全員殺す』 と叫ばせるようなことをしている周囲のほうが問題なんじゃ、と個人的には思う件。
メアリーと一緒に解呪についての説明を受けたあと、私は言われたとおり寝台に横たわり目を閉じた。
メアリーがそばでグレンに聞いている。
「あの? 暗くしてロウソク灯したり、あやしげなお香をたいたり、ハンドベルを鳴らしたりとかは?」
「それする診療所は、たいていがエセなんで、行かないほうがいいですよ」
「へえ…… そうなんですね」
グレンの声が精霊術の呪文を唱えはじめる。
意味はわからないが、川のせせらぎや木々のざわめきにも似たそれを聞いているうち、私の意識はゆっくりと過去へさかのぼっていった。
―― アナンナをかばおうとして、階段から落ちた私 ――
……
―― ヨハン王子の浮気に憤慨するふりをしながらゴシップを楽しむ取りまき令嬢たちに、あいまいな笑みを浮かべて相づちを打つ私。
あのころは、ヨハン王子が浮気する理由も令嬢たちが怒る理由もわからなかったし、興味もなかったのだ。
大切なのは公爵令嬢の誇りを守ることだけだったから ――
……
―― 学園の入学式。
話しかけてきたアナンナを 『不作法』 と嘲笑う取り巻きたちを、良かれと思ってたしなめた私。
『学園内なのですから、格下の不作法は、わたくしたちが教え導いてさしあげなければ』 ――
……
―― うっっわ…… あらためて過去の自分を振り返るって、キツ……
いやまあ、良い子なんだろうけど…… これが精霊術で父の思いどおりに人格を変えられていた結果、なんだよね……
『お父さま、いますぐ死んでくださいな? (にっこり)』 とか言いたい気分。
記憶はさらにさかのぼる。
からだの不調が続き寝込むことが多くなった母を元気づけようと、そればかりを考えていた学園入学前。
記憶のなかに母はいるが、父はほとんどいない。
ごくたまにいるときは、いつもなにかの書類を読んだり書いたりしていて、私のことをまったく見ない。
寂しいと感じることもなく、父とはそんなものでそれが当たり前だった ――
と、ふいに、あたりがまっくらになった。何も見えず、聞こえない。
たぶんこの辺が封印されたという幼いころの記憶なんだろう。
グレンの不思議な声の呪文は続いているが、少し苦しげだ。闇はびくとも動かない。
たしか、精霊魔術の呪いは、力の劣る術師が無理やり解呪しようとすると、反動でダメージを受けてしまうはず……
私は目を開けた。
メアリーの心配そうな顔と、グレンの白い顔が同時に視界にとびこんでくる。
グレンのひたいには汗が浮かんでいる。
まったく、正直で実直な人はこれだから。
「もう、よろしくてよ、グレン先生 ―― 生命を削ってまですることでは、ありませんわ」
「すみません、ついムキになってしまいまして…… しかしさすがはヴィンターコリンズお抱えの術師の呪いですね。階段から落ちて、一部でも術が解けたのは、もしかしたら幸運だったかもしれません。普通では解けない」
「といいますと…… 記憶の封印の、ほころびは見つかりましたの?」
「はい。もう一度、目を閉じていただけますか? ほつれた糸を1、2本、抜く程度のことしかできませんが…… 」
「わかりましたわ」
目を閉じると、グレンの呪文が再び流れ出す。
特に、大きな変化は感じない ―― が。
診察を終えて公爵邸にもどった、その夜の夢のなか ――
『あなたがた全員、殺して差し上げますわ!』
幼い私はやっぱり、3人の影に向かって喉をこわすほど、叫んでいた。
私はそのとき、彼らが母を毒でゆっくりと殺す相談をしているのを聞いたのだ。
『あなたも、あなたも』
無作法を承知で、つきつけた人差し指の先は、父と、その愛人で母の侍女だったカマラ・トレイター。
そして、もうひとり。
『あなたもよ!』
暗闇のなかに浮かぶ、たまご型のきれいな顔 ――
あの顔は、そう。
―― 前王母、マルガレーテ・グリュンシュタット・ラ・フェリーチェだ……




