閑話③-2. セラフィン殿下の秘密の思い出(2)
「あの…… ナサニエル殿下には、ほんらい、私の身柄をどうこうする権利はないんです。なので、ナサニエル殿下が私を令嬢にひきわたす、と許可しても、それは無効なので…… 」
「そのようなこと。わたくしよりも、ネイトに直接お言いになったほうが、よろしくてよ?」
「殿下の機嫌をそこねたら、なにを告げ口されるかわかりません。そしたら、また、お母さまが…… 」
再びうつむくセラフィンの耳に 「ださっ」 というつぶやきが飛び込んできた ―― なんだって?
「いいこと? そのような言い訳、わたくしは納得しなくてよ。わたくしの下僕をやめたいなら、わたくしより強くおなりなさいな」
「ヴェロニカさま。馬車のなかで鞭を振り回しては、あぶのうございます」
「わかっていましてよ、ケストナー夫人」
ドレスの腰ベルトを、ヴェロニカが引き抜いた ―― と思ったら、どうやらそれは鞭だったらしい。オーソドックスな黒いドレスは、武器の携帯をごまかすためだったのか……
というか。 『強く』 って。
精神面の話かと思いきや、まさかの物理。
公爵家につくとセラフィンは、ヴィンターコリンズ騎士団の訓練所に連れていかれた。
「きたえてあげてくださいませね?」
このヴェロニカのひとことで、公爵家での訓練の日々は始まった。
表向きは、ヴェロニカのワガママで、セラフィンが遊び相手として公爵家にひきとめられていることになっている。
それはある意味では真実かもしれないが、実態は、もうちょい過酷だった。
「いいこと? もしおとなに怒られたら、てっていして反抗するか、泣いてあやまっておいて、あとで復讐するか、どちらかでしてよ。反抗するときはちゅうとはんぱはだめ。相手が折れるか自分が死ぬまで、おやりなさいな」
「いいこと? ひとに頭をさげないことが、ほこりではないのですよ? 頭をさげるていどで傷つくほこりなら、すててしまったほうがよくてよ。
真にほこりたかいのならば、必要なときには頭なんてさっさとさげられるのが、エレガンスというものでしてよ。そして、よく観察するの ―― どうすれば操れるのかを、ね?」
「いいこと? ひとに親切にされたときには、倍にして返すの。そして、ナメたことされたときには、きっちりナメたことを仕返すのよ。良いひとと思われても、かまいませんけれど、たんに都合の良いひとと思われるのは、だめ」
武術の訓練のあいまに、セラフィンはヴェロニカ流・宮廷での生存術 (?) を叩き込まれたのである。
―― 1ヵ月後。
「まいりました、ヴェロニカさま!」
今日も今日とてセラフィンは、ヴェロニカの鞭に剣をとばされ、膝をついた。
いつもならここで、ヴェロニカは気持ちよさそうにアゴをあげ 「まだまだですわね」 とのたまうはず ――
だが、この日のヴェロニカは不機嫌そうに眉をひそめてセラフィンを見た。
「このわたくしを、だまそうとなさるの? わたくしはいま、ミスをしましたわね? そしてあなたは、じゅうぶん避けられる間合いでしたのに、避けなかったでしょう? どうしてかしら?」
「それは…… 」
セラフィンは迷った。
ヴェロニカの教えによれば、こういうときは、泣いて謝ってしまうか、ばっくれるか ――
けれど、本当はもうひとつあって、しかもそれが、ヴェロニカにはいちばん効くように思う。
「わざと負けして、いい気分になってるわたくしをこっそり嘲笑うつもりでしたのかしら?」
「違います…… その、いい気分になってもらおうと思ったのは本当だけど…… それは、勝って嬉しそうにしてるあなたを見るのが、好きだからで…… 」
「…… すき?」
「うん。かわいいと、思うから…… 」
おずおずと言うそばから、ヴェロニカの耳が目に見えて赤くなる。
―― わかりやすい。めっちゃかわいい。
「ふっ…… ふん! そんな嘘には、だまされませんことよ!」
たしか、ヴェロニカ流によれば……。
セラフィンは瞬時に頭を巡らせた。
―― 舌戦の必勝法は、相手の土俵に乗らずに言いたいことを言い切ってしまうこと。
つまり、この場合に 『本当だよ』 と返事するのは、悪手でしかない。
「あと…… もう少し、あなたの下僕でいたかったから…… 」
「…… ちょっとよろしくて、セラフィン? あなた、プライドは?」
「ないですよ」
ひとに頭を下げて傷つくような安いプライドなど棄ててしまえ、と教えてくれたのも、ヴェロニカである。
「ヴェロニカさまの下僕になって傷つくようなプライドなど、持ち合わせていませんから」
「まあ、なんって…… 」
ヴェロニカは、はやばやと絶句した。
―― お嬢さまは口では偉そうなことを言っても、意外とチョロかった。かわいい。
「では、もう、よろしくてよ! そんなに望むなら、あなたを一生、わたくしの下僕にしてあげますわ! わたくしに勝とうが負けようが、どこに居ようが、あなたはわたくしの下僕でしてよ、セラフィン」
「ありがたきしあわせです」
差しのべられたヴェロニカの手をとり、顔を近づける。それだけで口づけはしないのが、シャングリラ王国のマナー。
貴婦人の手に口づけを許されるのは、家族かよほど親しい者だけなのだ。
(爪の先だけなら、いいか)
ほんのりと桜色に染まった爪に、素早く唇を寄せる。
次の瞬間、ほおに痛みが走った。
おもいきり、はたかれたのである。
「このヘンタイ! おんなたらし!」
ののしるヴェロニカは、顔じゅうが真っ赤になっており ―― とりあえず、かわいかった。
※※※※※※
「 ―― 詳細は秘密ですので省きますが、ロニーにヘンタイとののしられたことがあるのも、ほおをはたかれたことがあるのも、おそらく全世界で私だけですから」
「それが色眼鏡の原因なら、殿下は間違いなく、ドMでいらっしゃいますね」
「ロニーになら、なにをされても嬉しいですからね。あんな可愛らしい生き物は世の中にいません」
メアリーとデレ全開の会話を繰り広げていると、横から咳払いが聞こえた。
いつのまにか宰相が、戻ってきていたのである。
―― しまった。いまの会話で、ヴェロニカの不在を気づかれたか……?
内心で冷や汗をかくふたりだったが、宰相は 「失礼します」 と言っただけだった。
「準備が整いましたので、さっそく、ハンを押していただけますかな、殿下」
「わかりました」
セラフィンはうなずき、用意された執務机の上の書類を順に読み始めた。
―― 数日後、ヴェロニカが帰ってきた。
「ロニー。例の件は、うまくいきませんでしたか?」
「そう見えまして?」
「あまり楽しそうではないので」
「順調でしたわ。ですけれど…… 少し、納得していませんの。それだけですわ」
ソファの隣に腰かけたヴェロニカが、ごく自然に頭を肩にあずけてくる ―― それだけで、半端ない幸福感がセラフィンを満たす。
「 ―― もっとうまく処理しようと、考えていたはずなのですけれど、ごめんなさい ―― 残念ながら、王位がまわってきてしまいましてよ」
「ロニーがあやまる必要は、ないですよ」
「わたくしたちの婚約も見直しですわね…… 国王は、帝国の末姫との縁談が進んでいますわ」
「潰せばいいでしょう」
「帝国の庇護を簡単に得られる方法を、放棄しますの?」
「大丈夫ですよ。私が姫の婿では、どのみち、帝国を怒らせてしまいますから ―― あなたを追っかけまわす浮気者の国王になってね」
「まあ…… では、わたくしとの婚約解消は、まったく考えておられませんの?」
「あたりまえですよ、ロニー」
つややかな黒髪におおわれた頭を両腕でやさしくはさみ、顔をのぞきこむ。
あのころのままの尊大な瞳のなかに、ほっとした色を感じるのは、気のせいではないだろう ―― それだけ長いあいだ、彼女だけを見てきたのだ。
かつて、彼女の下僕になって己の誇りを取り戻したときから、ずっと。
「下僕には主人が必要なものです」
「そう?」
ヴェロニカは、やや不快そうに顔をしかめた。
『下僕』 は単なる自虐ネタだと思われたらしい ――
ヴェロニカが昔のことをまったく覚えていないのは知っているが、実はちょっとだけ寂しいセラフィンである。
「わたくしには下僕など必要なくてよ? ですけれど…… 一緒にわるいことしてくださるひとなら、いてもかまいませんわ」
「なんにでも、あなたの望む者になりましょう」
セラフィンは彼女の手をとり、爪にそっと唇を寄せた。




