閑話③-1. セラフィン殿下の秘密の思い出(1)
【セラフィン視点】
「なに、国王代理とはいっても、ハンを押すだけの簡単な仕事ですから…… お引き受けくださいますかな」
「わかりました。つつしんで、拝命しましょう」
国王の侍従とともにやってきた宰相の失礼にも聞こえるセリフに、セラフィンは、おだやかにうなずいた。
―― 『デイジー』 が見つかったとテンが知らせれば、セラフィンには、国王ナサニエルの急病とともに代理の仕事がまわってくる ――
ヴェロニカの見通しどおりである。さすがとしか言いようがない。きっとヴェロニカにはありとあらゆる女神が味方しているに違いない。
「ただ ―― 」
セラフィンは心配顔を作りつつ、ベッドのほうに目をやった。
肩の上でそろえた短い黒髪が、羽根布団からはみだしている。
宰相に顔を見られぬよう、ふとんに潜りこんで寝ている ―― そんな 『お嬢様』 を、そばで見守るメアリーも、やはり心配顔。
ほんものは首尾よく復讐に取りかかれているだろうか ――
「執務はこちらで行います。令嬢も、ここしばらく具合が良くないのですよ。侍医は幽閉の疲れだろうと申していましたが…… 心配なのでついていてあげたい」
「その程度でふせるなど、我が娘としてお恥ずかしい限りです。それはそうと、殿下がついておられたところで、病状は変わりませぬが……?」
「婚約者ですから。多少、お手間をとらせることになるとは思いますが、そこは了承いただきたい」
「 ―― かしこまりました。必要なものを運ばせましょう」
「助かります、宰相 ―― ああそうだ、精霊術師のさらなる優遇については、再考してください。彼らはもうじゅうぶんでしょう。財源は貧民の職業訓練と衛生管理に回すべきだ」
せかせかと去りかけていた不機嫌そうな背中が、ぴたりと止まる。
宰相はゆっくりと振り返り、丁寧に臣下の礼をとった。
「 ―― ハンを押すだけの簡単な仕事でございます、国王代理」
「ええ。代理には政策決定権も委任されるんでしたね。簡単とはいえ責任は重大だと心得ていますよ、宰相」
「では ―― いったん、失礼いたします」
『娘』 のほうには、ちらりとも目を向けずに宰相が退出する。これまたヴェロニカの読みどおりだ。
『ラフィー。もしあなたなら、わたくしを心配してベタベタかまおうとするでしょう? けれど、父は違いましてよ。だから安心して、こちらを執務室にしたいと主張してくださいな?』
そのほうが、あなたらしくてよ。
奥に信頼と (思い込みかもしれないが、たぶん) 愛情がひそんだ彼女のことばを思い出して、口元をわずかに緩める ―― そんなセラフィンに、国王の侍従が遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、セラフィン殿下…… 代理のお仕事の間は、わたくしどもは扉の外に待機しておきましたら、よろしいでしょうか? なにぶん、女性の部屋ですので……」
「いや、あなたがたは陛下の病状の把握につとめてください。私なら、たいていのことはひとりでできるので問題ないです」
ある意味での自虐ネタだが、侍従は 「かしこまりました」 と、うやうやしく挨拶して去っていった。
「いま、ツッコミ皆無なのが寂しいと思ってらっしゃいましたね、殿下」
「慧眼ですね、メアリー…… まあこんなもの、ロニーがいない寂しさにくらべたら大したことないので無問題です」
「よくそんな…… あれだけ、アゴで使われておきながら」
「ロニーは私にだけは甘えんぼさんですからね。そこがまた可愛いんですが」
「好意の色眼鏡がゆがみきっていますね、殿下」
どうしてそこまで、と呆れ顔で問われて思い出すのは、幼かったある日のこと ――
※※※※※
―― 王弟という立場の微妙さは、幼心にも常に感じていた。
母は、とある国の王権交代により滅ぼされた、前王朝の姫。シャングリラ王国に亡命して国王の後妻となり、セラフィンを生んだ。
王族としての血筋は正しいが、すべてを奪われ、血筋しかない ――
それがいかに肩身のせまいことなのかは、セラフィンが3歳のころに明らかになった。
父王が亡くなり、長兄のフィリップに代替りした宮廷では、フィリップの実子である王子たちのほうがセラフィンより、よほど尊重されたのだ。
もと平民を母に持つイアンでさえ、扱いはセラフィンよりもマシだった。
セラフィンの位置づけは 『邪魔ないそうろう』 にすぎなかった。使用人たちからは軽視され、年齢の近い王子たちは、ヨハンを筆頭に容赦なく彼をいじめた。
(なぜか血筋正しい長子のナサニエルより、愛妾の子のヨハンのほうがひどかった)
かばってくれる大人は、いなかった。
抵抗すると母がほかの大人たちから責められるとわかってからは、セラフィンはひたすら耐えるようになった。
頭を低くして、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ ―― それが幼かった彼の思いつく、いちばん賢い対処法だったのだ。
あるとき、子どもたちだけのお茶会 ――
その日は王宮の庭園に、3人の王子の将来の婚約者候補となる高位貴族の令嬢が何人も招待されていた。
着飾った幼い淑女たちを前に、王子たちは張り切った。
自らを器以上に偉く強く見せたい ―― その願望に支配されるとき、単純な者がすることは似通っている。
近くにいる手ごろな犠牲を使うのだ。
したがって、そのお茶会でセラフィンは、王子たちから奴隷のようにアゴで使われていた。
長子のナサニエルは、そうするのが当然と認識しており、次子のイアンは自身がターゲットにならぬよう、それにのっかる。
そして第三子のヨハンは、セラフィンをあからさまに嘲笑して己の優位を見せつけようとする。
きわめつけは、ヨハンがわざとセラフィンに紅茶をかけたとき ――
「ああすまない、ぶつかってしまった…… せっかくの、1着しかない大切な服が、ダメになってしまったね。ねえ、おじうえ?」
くすくすと周囲から忍び笑いがもれる。
セラフィンは泣きそうになるのをがまんして、うつむいた。
たしかに汚されたのは、このお茶会のために母が節約して用意し、その手で縫いあげてくれた服で ――
しかし耐える以外に、なにができるというのだろう?
その声は、小さかったのに、はっきりと聞こえた。
「まあ、困りましたこと。わたくし、まちがえて下賎の者たちのパーティーに、まぎれてしまいましたようですわ」
「なんだと!?」
ナサニエルが声をあらげる。
みなの視線が集まった先には、黒いアフタヌーンドレスの令嬢 ―― シンプルでオーソドックスなワンピースを着ていても、彼女がこの場でもっとも輝いていることは、誰の目にも明らかだった。
「下賎とは…… いくらヴィンターコリンズ令嬢とはいえ、無礼だぞ、ヴェロニカ」
「ナサニエルさま」
ヴェロニカは、とがめだてには応じなかった。
にっこりとほほえんでセラフィンに視線を送り、またナサニエルに戻す。
「わたくし、お願いがございますの。ねえ、殿下。その子を、わたくしにくださいな?」
「な、なにを…… 」
「わたくし、その子が気に入りましたの。だから、わたくしにくださいな? ねえ、いいでしょう? 未来の王太子殿下?」
はたしてナサニエルは、どう答えるか……
みなが興味津々に見守るなか。ナサニエルが顔をしかめつつ、うなずく。
「…… いいだろう。そんなもの、くれてやる」
「まあ。ありがとう存じます。さすが、王太子殿下ですわ」
「ふん、かまわない」
ヴェロニカはセラフィンに近づくと 「では帰りましょうか?」 と、手をのべた。
セラフィンがどぎまぎしつつ肘を差し出すと、ふわりとぬくもりが触れる。
「合格」 尊大なつぶやきは、なぜか不快ではなかった。
「待て!」 とヨハン王子が、あせった声をあげる。
あとで知ったことだが、ヨハンとイアンはヴェロニカの婚約者候補 ―― 王位を継ぐ見込みの薄い妾腹の王子たちは、公爵家のひとり娘とくれぐれも仲良くしておくよう、それぞれの母親から言いつけられていたらしい。
「まだお茶会は終わっていないぞ、ヴェロニカ!」
「公爵令嬢、と呼んでくださいます?」
「なっ…… 」
「あいにく、わたくし。下賎の者が口にできるような名は、持ちあわせておりませんの」
「このボクを、下賎というのか……!」
「ああら」
口角を芸術的に吊り上げて、ヴェロニカは言い放った。
「ご自分の言動に思い当たりがなくていらっしゃいますの? おバカさん、ですのねえ」
返すことばもなく立ちつくすヨハン王子を置いて、セラフィンはヴェロニカとともに庭園をあとにした。
「あの…… 助けてくれて、ありがとう」
「あら。当然のことではなくて? わたくしの下僕を連れ帰るだけですもの。わたくしの下僕になるのですから、あなたには特別に部屋を用意してあげますわ。ねえ、ケストナー夫人?」
「ゲストルームでよろしいでしょうか、ヴェロニカさま? 王宮には、のちほど使いをやって、殿下の滞在を知らせておきましょう」
「お願いしますわ。ありがとう」
街をゆるゆると進む馬車のなか ――
ヴェロニカと侍女の会話を聞いて、セラフィンはあわてた。
まさか本当に 『下僕』 にしようと思われているとは、知らなかったので。
ケストナー夫人と呼ばれた侍女はセラフィンの立場を知っているようだが、ヴェロニカの勘違いを止める気もなさそうだ。
「いやあの…… せっかくですが、お母さまが私の帰りを、まっていますので…… 」
「ならばなぜ、ヴィンターコリンズの馬車に乗りましたの?」
「 …… 」
セラフィンは困って、うつむいた。
もう少しあなたと一緒にいたかったから…… とか、なんか恥ずかしくて言えない。




