4-9. 思いどおりにも一筋縄にもいかないのはたぶん趣味のせい⑤
【ヴェロニカ視点・一人称】
「ううっ…… ぁあぁああぁあ…… ぁあ…… ううう…… 」
「陛下のお顔…… 歪んで、少しずつ本性にふさわしくなってきていますわ…… とっても、素敵でしてよ」
水の魔力石による血液と老廃物の徹底浄化 ―― つまり、全身の血液や体液をすべて、少しずつ生理食塩水と入れ替えるようなものだ。
(浄化といっても、前世の人工透析とはまったく違うので注意)
死んでいれば入れ替えはそこまで時間がかからない。だが、ナサニエルはまだ生きている。
総入れ替え ―― すなわち、全身が酸素不足で壊死し、心臓が止まるまでに、いったい何時間かかるだろう。
―― もっとも苦しい死にかたは、溺死だと聞いたことがあるけれど…… どっちが苦しいかな? わくわく。
4時間後 ――
ありがたいことにナサニエルは、意外としぶとかった。
顔色が少しずつ青ざめていき、荒い呼吸のあいまに、うめきごえがもれる。
「ねえ、陛下? 痛みはいかがですの? いま、どのようなお気持ちかしら?」
「うううう…… あああ…… あうううっ…… ううう゛…… っ」
気持ちよく煽っていると、ナサニエルの目尻から涙が流れ落ちた。
急に、激しくもがきだし、きれぎれにしゃべりだす。
「おかあ、さ……! ごめ、なさい、……い、……ん、な……! もっ…… どりょ…… い、……す、いた、…… ころ、……て、なおし、ま…… 。おねが…… 、……す、どう、か…… 」
どうやら意識が錯乱してきたようだ。
『おかあさま』 というと、ナサニエルの生母にして前王妃のマルガレーテだろうか。
―― そういえば、メイドのカマラが処刑される前にも、その名を口走っていた。
なぜ彼女がカマラと関わっているのか、そのときから気になっていたのだが……
今後、マルガレーテには注意したほうが良さそうだ。
「…… デイ、ジー…… あい、して…… ぶぉっ!」
「まったく…… どのお口が、そのような戯れ言をおっしゃるのかしら」
イラッとしてつい、風魔法でナサニエルの唇を引き裂いてしまったところで。
テンが 「お嬢、そろそろ保存液も」 とアドバイスしてくれる。
血液と体液を浄化し、土の魔力石から作った保存液を全身にしみわたらせ、光の魔力石を要所要所に埋め込んで瘴気をはらう ―― これが、こちらの世界でのエンバーミングの方法なのだ。
「まだ意識が残っているうちに…… 光の魔力石も埋めてしまいたいのですけれど、よろしいかしら?」
「ま、いいんじゃねーの?」
「ようございましたわ」
エンバーミング用の光の魔力石は、釘のような形をしている ―― ひとつとって、血の気を失いはじめた手のひらに突き立てると、ナサニエルの顔と全身が、痙攣するようにひきつった。
―― 痛覚がまだ、生きているみたいだね。
ふたつ、みっつ……。
私は、ナサニエルの手のひら、両足、みぞおちの順に、光の魔力石を突き刺し、なるべくゆっくりとねじ込んでいく。
ナサニエルの全身がこわばり、びくびくと震え、顔には苦悶のしわが深く刻まれ、低いうなりごえが空間を満たす……
ふふふふ。ねえ、痛い?
信じていた者に裏切られるのと、どっちが痛い? ねえ、ネイト?
―― 術をほどこしているあいだ、ナサニエルはしきりにうめき、ときに暴れて声をあげたりしていたが ――
それも、いつしか静かになっていった。
最後に、ひたいと心臓にも光の魔力石の釘を打ち込めば、エンバーミングは完了だ。
本人にとっても、幸せな最期だっただろう。
大好きな施術を体験しながら逝けたんだから、ね。
「さて。では 『メグ』 の願いを叶えに行きましょうか」
「りょーかい」
テンが、ナサニエルの拘束をはずし、ぐったりした遺体を背負った。気持ちわるそうだ。
施術室の隣は、遺体の部屋 ―― きれいにメンテナンスされた、たくさんの 『デイジー』 たちが飾られている。
その奥の大きなベッドに横たわるのは、先日まで生きていたはずの少女 ――
「さあ、 『メグ』 ―― あなたの王子さまを、連れてきましてよ」
「なんで 『メグ』 なんだ、お嬢? 『デイジー』 じゃないのか?」
ナサニエルの遺体を少女の隣に寝かせながら、テンが不思議そうな顔をした。
「愛を与えることを知っている者こそが、ほんものの貴人でしてよ。愛を乞うだけのひな菊たちとは違いますわ」
「じゃあ、お嬢も貴人じゃないな」
「当然では、ありませんこと? わたくしはすべてを統べる者でしてよ」
私は 『メグ』 の金色の髪をそっとなでた。
その後 ――
国王が病気療養後に死亡したことが発表され、セラフィンが正式に王位を引き継いだ。
承認したのは前王母 ――つまりナサニエルの生母、マルガレーテだ。
彼女は承認の代価として、亡くなった夫と息子、二代の国王のために新たな女子修道院を建てることを要求してきた。
ゆくゆくはそこの修道院長になり祈りの生活を続ける予定だという。
(ちなみにいま、彼女はまだ王家の墓所を管理している教会にいる。 『悲しみの王妃/王母』 という立場が都合良いのだろう。政治に巻き込まれずに地位を保つ、という点で)
国王たちの相次ぐ死に、セラフィンに疑いをかける貴族もいないではなかった。
しかし結局は、噂どまりで終わった。
ナサニエルの側近たちや侍医が、彼の病死を証言したからだ。
―― あのあぶない趣味の部屋を内々に見てもらったところ、侍医も侍従も大臣も、そろって 『頼むから口外しないでください!』 と土下座してきた…… というのが、実情ではあるが。
(『デイジー』 たちに残されていたナサニエルの魔力痕に、側近たちは青ざめた。前々から彼の所業をうっすら察知はしていたのだ。
おかげで 『別荘で療養生活を送りはじめた矢先、病状が急変。亡くなる間際の遺言に従い、エンバーミングをほどこして、この部屋におさめた』 というテンの主張は、精査されることなく、まるっと認められた。
もちろん私もおとがめなしである)
―― たしかに、まずすぎるよね。
トップが屍姦愛好症で最下層民を拉致監禁しては殺して並べて喜んでいた国なんて。
知られたら帝国あたりが 『悪魔の国を制裁する』 とかいって侵略してきそう。
それからしばらくは、ナサニエルの葬儀にセラフィンの即位式と、慌ただしい日が続いた。
やっと落ち着いたころ ――
「術師さま。封印していただきたいのは、こちらの部屋ですわ…… お願い、できまして?」
「もちろんです、令嬢」
私は精霊術師に、あのあぶない趣味の部屋を封印してもらうことにした。
燃やすとかえって目立ってしまうから…… ということで、セラフィンと宰相からの賛同も得ている。
―― 精霊術は、魔法が主流になる前にさかんに使われていた超自然的な力。
魔法が属性魔力を理論的に導くことで使えるものであるのに対し、精霊術は精霊に助力を願うことで発動する。
精霊術師は魔力持ちとは違い、貴族の血筋にあらわれるとは限らない。
そのため 『わけのわからない力』 として敬遠…… というより、むしろ迫害されがちだった。
だが、精霊術でなければできないこともある。
半永久的な封印も、そのひとつ ――
「…… 少し、さがっていただけますか?」
ヴィンターコリンズお抱えの精霊術師は、遺体が並んだ部屋を見ても、まったく動揺しなかった。
静かに扉を閉めてかんぬきをかけ、呪文を唱えはじめる。
精霊術師の口から低くうたうように語られるのは、木々のささやきや小川のせせらぎに似た、精霊のことば ――
私には意味はわからない。
けれど、どこかで聞いたことのあるような、聞いていると眠くなってくるような……
呪文が長くなっていくにしたがって、扉の下から茨が育ち、部屋をおおっていく。
精霊術師のひたいに汗がにじみだしたころ……
部屋は、茨で完全に隠されていた。
「 ―― これで完了です。精霊の助力あるかぎり、この扉は封じられたままでしょう」
「数百年?」
「おそらくは…… 私より強力な術師が、これを解かないかぎりは」
「あら。ヴィンターコリンズの術師よりも強いかたなんて、いらっしゃらないでしょうに」
「さあ…… わかりかねます」
真面目な返答に、つい笑ってしまう。
正直で実直。
精霊術師という人種は、だいたいがこうなのだ。
「ありがとう。では、戻りましょうか?」
精霊術師をうながして廊下を渡りながら、私は茨でおおわれた扉をふりかえった。
―― 私にとって 『ネイト』 は、狡猾で残忍なパラフィリア患者。
『メグ』 は、そんな彼に利用されていることも気づかずに、愛だなんだとほざいて自殺してしまった ―― 腹がたつほど純粋で、おろかきわまりない少女。
それなのに私はどうしても、彼女の最後の願いを無視しきれない。
あんな、つまらない夢想のせいで ――
普段どおりにきれいにお片付けできなくて、迷いを残してしまった。
こんなことしても、単なる自己満足でしかないことだって、わかっているのに……
―― けれど、数百年ののち。
封印がとかれて誰かがこの部屋を訪れ、仲むつまじく寄り添って眠る、王子さまとお姫さまを見たならば。
もしかしたら、紡がれるようになるかもしれない。
―― 『メグ』 が望んだような、愛しあうふたりの、物語が。
(だから、なんだというのかしら?)
―― 疑問のこたえは、自分でもびっくりするくらい、バカバカしかった。
けどまあ、ないとは言いきれないよね。
なんといっても、この私が考えたことなのだから。




