4-8. 思いどおりにも一筋縄にもいかないのはたぶん趣味のせい④
【ヴェロニカ視点・一人称】
「お嬢! 申し訳ない!」
その朝の最悪な知らせは、テンの土下座とともにもたらされた。
テン、土下座って…… ここはヨーロッパっぽい異世界なのでは。
だがセラフィンもメアリーもそこにはつっこまず、驚いた顔でテンを見ている。
「言い訳しようがねーけど…… 『デイジー』 が死んだ。監視を厳しくしすぎたうえに緩かったせいだ……!」
「それは、まったくもって、意味がとおりませんことよ?」
「だからだな…… 」
テンの説明によると 『デイジー』 には世話係の少女をひとりつけ、暗部のメンバーが交代でひそかに見張っていた。
逃げだしたり、新国王に近づこうとするのを避けるためだ。
だが一方では、ある程度の自由は認めており、世話係の少女と一緒に食事づくりや掃除をしてもらっていたという。
「俺たちの感覚では、それが普通だったんだ…… そっちのほうが飼われていたときの生活を早く忘れられると思ったしな…… せめて、絵具の部屋は立ち入り禁止にしておくべきだった」
「絵具の部屋ですって?」
「ああ。ターニィ ―― 世話係によると、絵具の部屋でひとりで掃除してもらっていたらしいんだが…… 誰もいなくなったすきに、危ないからぜったいに触るな、と注意していた毒を飲んだんだよ」
「見張りは? 誰も止めませんでしたの?」
「扉の外にはいたが、中にはいなかった…… 正直にいうと、自殺するとは思ってなかったんだ」
「おろかな」
「ほんと、すまん!」
テンの考えが及ばないのも、仕方のないことではある。
この私だって、いま気づいたことなのだ。
「…… 『デイジー』 は貧民街育ちでしたわね」
「ああ…… あっそうか」
「宗教教育を受けていない者にとって、自殺は禁忌でもなんでも、ありませんわね。しかも、生死の垣根がとても低い場所にずっといたのですから…… 」
テンがわけわからない声をあげて、床に頭をガンガン打ちつけた。
「けれど、なぜ急に、そのようなことをしたのかしら」
「生きてたら、ネイトに会わせてもらえないと思ったんだろうな…… 実際、会わせる気なんてなかったし。そのうち忘れて新しい暮らしになじむだろうとも、思ってたから…… 」
うなだれるテンのそばには1枚の画布 ―― テンが持ってきたものだ。
合成した色を確かめるために使うものなのだろう。さまざまな色が散らされたその余白に、たどたどしい文字が書かれていた。緑の指紋も、残っている。
『ネイトのおひめさまに、なりたい。あたしのからだは、ネイトにあげてね』
腹の底からのぼってきて、心臓を打つもの。それは ―― 怒りだ。
この愚かな 『デイジー』 への。
なにもせずに、すべてをテンやセラフィンに任せていただけで、彼女を救えると思い上がっていた、私自身への。
そして ―― 殺すために 『デイジー』 を飼い、優しいふりをして騙しきったゴミクズへの。
感じたことのないほど、激しい怒り ――
これまで私は、王家と公爵家との内戦を避けるため、ゴミクズ処理はうまくせねばと考えていた。
だからこそ実質はナサニエルから幽閉されているも同然なのに、おとなしくしていたのだ。
前国王フィリップを急性高血圧にしたときとは違って綿密に策を練らないと、いけなかったから。
だが ―― まだまだ、甘かった。
ゴミクズは即、なぶり殺されても当然だというのに。
それがたとえ、国王であろうと ――
「わたくし、ここを抜けますわ…… テン、身代わりを立てられて?」
「誰とも会わず喋らなくていい、顔も見せなくていい、重病人設定ならな。髪はともかく、その色の瞳はなかなかいない」
「それでけっこうでしてよ」
ぜいたくは言っていられない。
そもそも、この私を完璧に真似られる者など、どこの世界にもいるはずがないんだし、ね。
メアリーが小さく手をあげた。
「じゃあ、わたしはこちらにとどまって、お嬢さま代理を本物らしくする協力をしますね」
「さすがメアリー、よくわかっていますわね…… もちろん、お願いしますわ」
「おまかせください! そのかわり、あとでゴミクズをどうやって片付けたか、しっかり教えてくださいね!」
「うふふふ…… 楽しみにしていてくださいな?」
「はい!」
セラフィンが心底、残念そうな表情になった。
「…… 私も居残り組のほうが、良さそうですね。でなければ、すぐに疑われてしまう」
「ええ。ぜひ、お願いいたしますわ、ラフィー。わたくしの予想どおりになりましたら、すぐに別の仕事も入ってくるでしょうし…… 」
そのあと、テンが暗部から、私と似た背格好の女の子 ―― ではなく男の子を連れてきた。
瞳の色は違うが、私と同じく肩の上で揃えた黒髪。
暗部には黒髪黒瞳の者が多いが、女の子はみな、私とは髪型が合わないため男の子になったのだ。
(『土狼』 の女の子は、長い髪を結ってそこに武器をしこむのである)
彼に私の部屋着を着てもらい、私が男装をすれば入れ替わりは完了。
私とテンは、誰にもとがめられることなく、王宮を脱出した。
※※※※※※
【新国王 (ナサニエル/ネイト) 視点】
「ほんとうか! ついに見つかったんだね?」
「はい。お待たせして申し訳ございませんでした」
その日、いつものように土狼の離宮を訪ねたナサニエルは、ひさしぶりに喜びの声をあげた。
暗部の頭領、テンより 『デイジーが見つかった』 と告げられたためである。
「しかしなにぶん、遠い街であり…… 往復すれば、最短でも1ヵ月はかかるかと。連れ帰るまでしばし、お待ちください」
「無理に連れ帰るなよ。警戒心を抱かれたら、せっかくの楽しみが減る ―― ああそうだな。ボクが、身分を偽って行こう」
「しかし、国王陛下がおられなければ、この国は」
「なに、表向きは病気ということし、代理を立てれば問題ないだろう…… ん? なんか言ったか?」
「いえ、とくには」
あっちもこっちも仮病だらけ。
と、実のところテンは口のなかでボヤいていたのだが……
そんなことナサニエルは、もちろん知らない。
「しかし、代理で国王さまのお仕事がつとまるでしょうか…… 」
「ははっ、大丈夫だよ。ボクも王位を継ぐまでは心配だったけどね。
ウチは宰相がしっかりしてるから、王はハンコ押すだけの簡単な仕事さ…… セラフィンがどんなにボンクラでも、できるね」
テンはしばし目を見開き、押し黙った。
国王という仕事の実態に驚いているのだろう、とナサニエルは思った…… が、この暗部の頭領は、実際にはこう考えていたのである。
お嬢の読みどおりすぎて、怖え。
―― ともかくも、かくして。
新国王は環境変化に肉親の相次ぐ死のストレスがたたって病気になったため、とうぶん療養生活。
そのあいだの代理は、叔父 (前国王弟) のセラフィンが行う ――
そういうことに、あっさりと決まったのだった。
数日後 ――
ナサニエルは、平民の服装をし、テンだけを連れてこっそり王宮をあとにした。
「うまく、いきましたね」
「こう見えても、一般人のふりをするのには、慣れているんだよ、ボクは」
テンが毒見をしたワインを受け取り、ナサニエルは一気に飲み干す。
―― これからしばらくは、退屈な馬車の旅だ。
だが、そのあとには、大きな歓喜が待っている。
―― 再び 『デイジー』 にあったなら。
とても優しくしてやろう、とナサニエルは考えた。
逃げ出したことはとがめず、ひたすら彼女の身だけを心配し、尽くすのだ。
彼女がもういちど、ナサニエルを信頼し、ナサニエルに愛されたいと願うまで ――
そうして彼女から愛を乞われたら、そのときには、ゆっくりと首をしめてあげよう。
きっと彼女は最初、信じられない、という顔をするだろう。
涙を流して、やめてくれ、と懇願するだろう。
それから怒り、ナサニエルを憎み ―― そして最後には、受け入れてくれるだろう。
誰よりも清らかで高潔で、愛に満ちた聖女のように ――
冷たいむくろとなって。
馬車の単調な揺れとワインの酔いがみちびく眠りのなか。
ナサニエルは幾人もの 『デイジー』 の死顔を想って、股間を固くした。
再び目覚めたとき ――
ナサニエルは、見慣れた部屋にいた。
『デイジー』 を飼っている邸宅の、地下の隠し部屋である。
部屋は2つに仕切られており、1つはこれまでの 『デイジー』 たちを飾る場所。
残る1つは、エンバーミングを施す手術室 ―― その台のうえに、手足を縛りつけられて横たわっている己を、ナサニエルは発見したのだった。
「どういうことだ……!? テン! テンは、どこだ?」
「ここに」
声のほうに顔を向ける。
暗部の頭領の、感情のよめぬ黒い瞳と目が合った。
「どうして、ここなんだ、テン! 場所が違うだろう、場所が!」
「いいえ、こちらでよろしいのよ?」
別の方向からも聞き覚えのある、凛としているのに甘さを含んだ声 ――
「ヴィンターコリンズ令嬢…… どうして…… ここには、あなたはまだ…… 」
「あら…… いずれ呼んでくださるおつもりでしたのかしら? もっとも、ご招待をお受けする気は、わたくしにはのうございますけれども」
ヴェロニカが注射器を持った腕を振り上げ、おろす。
鋭い痛みが腕に走り、ナサニエルは思わずうめいた。
「あら…… わたくしとしたことが。一発で血管をとらえてしまいましたわ。5回は失敗するつもり、でしたのに」
「なにを…… する気だ…… 」
「まずは、全身の血と老廃物を、水の魔力石で徹底浄化いたしますのよね、テン?」
「そのとおりだ、お嬢」
「そ、それはエンバーミングの…… ぼ、ボクはまだ、生きているぞ!」
「ええ。たしかに、エンバーミングは遺体の保存処理技術ですけれど…… わたくし、とっても興味がございますのよ」
ナサニエルを見おろす紫水晶の瞳が、いきいきと微笑む。
果実のような唇が、おそろしいセリフをつむぎだした。
「生きている陛下にエンバーミングを施すと、どうなりますのか…… わたくし初めてですので、うっかり失敗してしまうかもしれませんけれども…… 陛下は、なにごとにおいても真実を究明したいおかたですもの。お許しくださいますわよね?」




