4-5. 思いどおりにも一筋縄にもいかないのはたぶん趣味のせい①
瞳がにごっている人間は信頼できず、瞳が澄んでいる人間は信用できない ―― 私の持論である。
瞳がにごるのは酒やドラッグの多用、あるいは睡眠不足のせい。瞳が澄むのは自省も迷いもないせい ――
すなわち瞳が澄んだ人間には、良心の呵責なく人を裏切り、悪をなせる者が多いのである。
ちなみに私もけっこうこのタイプ ―― とはいえ、私がなす悪や裏切りはすべて社会のゴミクズを清掃するためだから問題ない。良心は呵責どころか、むしろ喜んでるもんね。
―― 澄んだ瞳を私に向ける新国王・ナサニエルを、1ミリも信用ならない人物である、と私は見なすことにした。
「そのとおりでございますわ、陛下。周囲のひとが相次ぎ亡くなって…… おそろしいことで、ございます…… 」
うつむいて、声を震わせる。
「ヴィンターコリンズは、死神に魅入られてしまいましたのでしょうか…… 」
「それを言うなら我が王家とてだよ、令嬢。弟たちが相次いで亡くなり、あげくに父だ…… まず間違いなく、死神に魅入られていると言っていい」
やや日焼けしたナサニエルの手が、私の首に伸びた。
大きなてのひらが私の喉を圧迫し、指先がアゴを持ち上げる。
ナサニエルは愛しいものでも見るように、目を細めていた。
「国王さま、おやめくださいませ! おそれながら、お願い申し上げます。それ以上は、なにとぞ……!」
メアリーの悲鳴で、圧迫が少しだけゆるんだ。
「あなたを歓迎しよう、ヴィンターコリンズ令嬢。いずれ…… 真実を教えてくれるものと期待しているよ」
首から手が離れる。
私は咳き込みそうになるのを、なんとか抑えた。
こんな男相手にみっともない姿を見せるのは、ごめんだ。
「では、またくる。ゆっくり滞在してくれたまえ」
ナサニエルが去ったあと、メアリーが再び悲鳴に近い声をあげた。
「お嬢様、お首に跡が……!」
「まあ。気持ちわるいこと」
鏡を見ると、首には太い指の跡が赤くなって残っていた。ずいぶん締めあげてくれたものである。
「セラフィン殿下に言って、殺してもらいましょう!」
「落ち着いてくださいな、メアリー。まずは、彼の裏の顔を暴くことから、始めましょうか? …… テン、いるでしょう?」
「おうよ」
返事とともに、黒い影があらわれる。
ツンツンしたウルフヘアに少年ぽさが抜けない童顔。宮廷画家 兼 暗部の頭領のテンだ。
「どうして、いるってわかった?」
「あら。わたくしとメアリーが幽閉されるというのに、ようすを見にもこないようでしたら…… 以後は、捨て駒扱いするところでしてよ」
「お嬢には、かなわんな」
テンがてれたように頬をぽりぽりかいた。
「喜んでもよくてよ、テン。あなたに、大切な頼みごとがございますの」
「おっ、ようやっときたか…… なになに?」
「ネイトの近郊の別荘を、すべて探してみてくださいな…… きっと、見つかりましてよ」
「なにが」
「わたくしと年齢の近い、女性の遺体が」
私は自信たっぷりに言い放った。
※※※※※※※
【 ??? 視点】
ものごころついたときから、ところどころ壁の崩れた建物とその隙間からみえる空とのあいだで暮らしていた。
自分の名前は知らない。
母の顔は知らない。
父の顔は、もっと知らない。
毎日どこかで怒鳴り声がきこえ、ものの壊れる音が響き、酔っぱらいが寝転がるそばで誰かに抱かれた。
その行為は好きではなかったが、抵抗する気力などなかった。おとなしく身体をひらけば、たまに、銅貨や食べ物がもらえることもある。
わけがわからないまま、殴られることもあるけれど。
喉がかわいたら水たまりに顔をつっこんでうるおす。
腹がへったら石のすきまから生えてくる草を食む。
生活のすべてがそれだった。
それしか知らないから、それで当たり前だと思っていた。
何かを期待したことなんて、ない。
夢を見たことも、ない ――
あのひとが、あらわれるまでは。
「奥さま、本日のお夕食はサラダとスープ、スズキのポワレと仔羊のパイ包みでよろしいでしょうか」
「ちょっと、量が多いわ。肉はいらね…… いらないわ」
「ご主人さまから、もう少しお召し上がりになるように、と仰せつかっておりますが」
「けどなぁ…… 」
「余れば、わたしどもでいただきますので、ご心配なく。出させてもらってもよろしいでしょうか」
「それなら…… おねげ…… たのみますね」
デイジーはソファにかけ、周囲を見回す。
天井に描かれた動かない雲とかわいらしい天使たち、みがきこまれたぜいたくなテーブルにチェスト。
絵画のかざられた壁際には、常に数人のメイドがひかえている。
なにか、とたずねるメイドにお茶がほしいと告げれば、メイドは優雅なお辞儀をしてさがる。
まもなくして出される、香り高い紅茶と甘い菓子が銅貨何枚ぶんであるかを、デイジーは知らない。
ただ、ふってわいた幸運に身を委ね、酔いしれるだけ ――
「おやおや。ボクの 『デイジー』 は、食事よりもお茶が好きなようだね。困ったひとだ」
「ネイト……! じゃなかった、旦那さま」
「ネイトでいいよ」
背後の声に、デイジーはふりかえりざま、ばっと立ち上がった。
声の主は、きれいな…… この部屋に負けず劣らずきれいな砂色の髪と、青い目の王子さま ―― デイジーをあの貧民街から拾いあげ、名前と服と食べ物といまの生活をくれたひとだ。
「あなたは絶対に、どんなお姫さまよりも素敵になれるひとだよ」
そう言って、教師までつけてくれた。
字の読みかきがどうにかできるようになって、教師が与えてくれた最初の本をみたときにデイジーは、ネイトが 『王子さま』 だと知った。
彼はデイジーにとっては、ヒロインをみじめな生活から救ってくれる、本のなかのやさしくて美しい王子さまそのものだったからだ。ちょっとマッチョだけど。
―― ほんとうのネイトは、どんなひとで、どこで何をしているのか……?
そんなことは、デイジーにはどうでも良かった。
天国にいるような生活をさせてくれて、ときどきやってきては優しくしてくれる。それだけでじゅうぶんではないか。
最初デイジーは、ネイトの目的は身体なのだろうと思っていた。むしろ、身体くらい提供しなくてはすぐに追い出されてしまう ――
そう考えてある日、あられもないかっこうで迫ったデイジーに、彼は悲しそうな顔をしてみせた。
『あなたを抱きたい気持ちはもちろんあるが、それは今ではないよ。あなたはもっと、大切にされるべきだ』
『あたしみたいな、みすぼらしい女は抱けね、ってこと?』
『違うよ。ボクはあなたを愛している。だから大切にしている。けれど、その代償としてからだを差し出されるのは悲しいんだ』
ネイトはゆっくりと彼女の背中をなでながら、語った。
『いつかあなたが大切にされることに慣れて、ほんとうにボクのことを愛して、ボクとつながりたいと思ってくれる ―― そのときがきたら、きっと』
『こなかったら?』
『それは悲しいな…… でも、待つよ。追い出したりなどしないから、安心したまえ、愛しい “デイジー” 』
ネイトがなにを言っているのか、最初のうちデイジーはわからなかった。
愛ということばじたいが、よくわからない。
路上でデイジーを抱く男たちはごくたまに、そのことばを口にしていた。だから、デイジーはなんとなく、苦痛を与え代償を求めるものを愛というのだろう、と思っていた。
けれど、ネイトの言うことは、そんな 『愛』 とは、どうも違う気がした。
それはかすかな疑問となってデイジーのなかにずっと残っていた ―― が、最近ではデイジーは、ネイトの言う 『愛』 がわかってきたように思うのだ。
それは、代償を求めないもの。
それは、押しつけないもの。
それはあたたかく、優しくしみわたるもの。
それは、いったん知れば、手放せなくなってしまうもの ――
それならあたしはネイトを愛してる、とデイジーは思う。
―― もしかして、ネイトが…… なんでも持ってるくせにどこか寂しげなあのひとが求めるものがそれだったなら、あたしはネイトにあげられる。
―― ネイトにそれをあげられるひとは、たぶんあたしだけで、だからネイトはこんなにもあたしを大切にしてくれるんだろう……
「ネイト! ネイト! ネイト! 会いたかったよ!」
「ごめんね、ずっと会えなくて…… ここのところ、父が亡くなったりして、いそがしかったんだ」
「ふうん。そう」
父が死ぬって、そんなにたいへんなことなんだろうか、とデイジーは思う。
あの貧民街では、昨日まで話していたひとが、翌朝には冷たくなって動かなくなってるなんて、ふつうだったけれど。
―― ま、いいや。
デイジーはネイトにすがりついて、ささやいた。
「ネイト、愛してるよ、ほんとうなんだ、あたしはあんた…… あなたを、愛してる。だから、抱いて」
ネイトはこれまでデイジーが見たなかでいちばん、嬉しそうにわらった。
「ごめん、今日は忙しいから…… そうだね。5日後、かならず」
「うん、待ってる!」
あわただしく帰っていく後ろ姿を見つめながら、デイジーは夢想した。
―― 次に会うとき、あたしは彼に抱かれてほんもののお姫さまになる。
そして、愛しあうお姫さまと王子さまは、ずっと幸せに暮らすんだ。
永遠に……




