3-9. 海と成功は人を開放的にするもの①
【ドリス・トレイター視点】
「きゃあああああっ!」
ドリスが公爵令嬢として扱われるようになりじきに2ヵ月、というある朝のこと ――
階上の部屋からの悲鳴がドリスの耳をつんざいた。だが、ドリスは目を閉じたまま、寝返りをうっただけだった。
薬が切れたあとの、眠くて眠くてたまらない朝なのだ。
しかし、階上からは普段の公爵家ではあり得ないほどの緊迫した声と足音が、漏れ聞こえてくる。
「ううん…… あのクソ女…… うるさいわね…… 」
もういちど寝返りを打ち、ふかふかの羽根布団を頭からかぶる。
が、そのとき。
ノックもなく部屋の扉が勢いよく開いた。
「ドリス! 起きなさい! たいへんよ!」
ずかずかと入ってくるのは母のカマラだ。
カマラはドリスの布団をはぎとると、まだ寝ぼけているドリスを抱きしめて、ささやいた。
「ついに…… やったわよ」
「え……?」
「あの腹立つ娘が、死んだのよ!」
「……! 神さま……!」
「そうよ…… ほんとうに神さま、ありがとうございます……!」
ドリスは目をしょぼしょぼさせながらも、神へ感謝の祈りを捧げた。カマラも満面に笑みを浮かべ、同調する。
ドリスは枕元の薬瓶から丸薬を出した。カマラのうしろに控えていたメイドが差し出す水とともに、のみこむ ―― 薬が効いてきたら、これから2日ほどは元気いっぱいでいられるはずだ。
「はやく見てみたいわ、ママ」
「うふふふふ。とってもスッキリするわよ、きっと。もっとはやく、こうすればよかったわね!」
「ママったら。あの女と邪魔者ババァ、それに娘…… 立て続けじゃバレるからって言ったの、ママじゃない」
「そうだけどさ。邪魔者ババァを消しても、誰にもなにも言われなかったろ? 大丈夫なんだよ。『雪の精』 は完璧だね!」
「さすがは公爵家の毒ってところね?」
「ふふふ。その公爵家の奥さまがあたし、お嬢さまがあんたよ、ドリス。あの娘が消えれば、これからはやりたい放題だねえ!」
カマラとドリスはそっくりな黄色い瞳を見合せて笑った。
着替えを手伝っているメイドたちが聞いていても、おかまいなし ――
このメイドたちはもともとヴェロニカづきだったが、志願してカマラとドリスについた者たちである。
―― それまでの彼女らは、ウィッグの管理という退屈なのに神経を使う仕事をさせられていた。
『ホコリ1つついていたからって、洗い直しを命じられて』
『しかも、これじゃなきゃイヤだからパーティーまでには絶対にかわかしてキレイに結い上げろとか』
『いそいだのに、気に入らないからやり直せとか』
『あげくにキレられて、床に叩きつけて踏みつけて、別のにするとか…… 』
『なら最初からやらせるなよ、って話ですぅ』
かなり不満を溜め込んでいたらしい彼女らのグチを、カマラとドリスは喜んで聞いてやったものだ。
―― これだけヴェロニカへの怨みを溜め込んでいるメイドたちのまえで、本当のことを話したからといって、誰にとがめられようか。
それどころか、みんな目をかがやかせてしきりにうなずいてくれているではないか。
―― ここにいる誰もが、ヴェロニカの死を嬉しく祝い、自分たちに感謝している……
ドリスとカマラはそう信じていた。
おしゃべりしながら、ゆっくり着替えと化粧を終えてドリスとカマラはヴェロニカの自室に向かった。
うつむきかげんになり歯をくいしばるのは、どうしてもこぼれてしまう笑みを隠すためだ ――
侍医が暗い顔でうつむき、ヴェロニカの侍女たちが泣きじゃくる。
そんななか、ヴェロニカはベッドに上向きに寝かされていた。胸の上できちんと両手が組まれている。
黒髪は短く切られていてもなお、光の粉をまぶしたかのようにつややか。毒のせいでやや痩せてしまったものの、変わらずなめらかなほおには長い睫毛が影を落とす ――
美しく整えられた容姿は身分と財力をあらわすものだ。
同じ父を持ちながら…… と、ドリスはどれだけ、羨ましくねたましく思ったことか。
(でも、これからはぜんぶ、あたしのものね……!)
ドリスは義姉のからだにとりすがり、顔を伏せて肩を震わせた。その枕元では、カマラがやはり同じように嘆くふりをしている。
「ああ、おねえさま……! どうして……! どうして、こんな、ことに……!」
「ヴェロニカ……! ヴェロニカ……! 返事をしてちょうだい、ヴェロニカ……! ああ、神さま……!」
母と娘は、ヴェロニカの遺体に顔をうずめ、腹の底から笑い続けた。
しばらくして、ようやっと笑いがおさまったころ ――
ドリスは肩に誰かの指先が遠慮がちに触れているのに気づいた。
落ち着いた低い男性の声。
「お悲しみのところ大変、申し訳ないのですが……
そろそろ、防腐魔法を施させていただいても?」
「そんなっ…… おねえさまは、おねえさまは……!」
絶妙な演技だと自賛しつつ振り向き ―― ドリスは、灰青色の瞳に射抜かれた。
ものすごく好みである。
いかにも高貴そうな銀の髪といい、整いすぎて冷たい印象を与える美貌といい。
「セ、セラフィン殿下…… で、いらっしゃいますね。どうして、こちらに?」
「先ほど、知らせがあったもので…… 私は、ロニーの友人として、なにかあった際の処理を委託されているのです」
「それは…… 父も知っているんですか?」
「はい。ヴィンターコリンズ宰相も忙しいかたですから。このように、委任状ももらっています」
アーネスト・ヴィンターコリンズのサインと紋章の入った書類にドリスはちらりと目をやり、うなずいた。
カマラも同様にうなずく ―― その書類が本物かどうかなど知らないし、調べようとも思わない。
ふたりは 『王族』 ブランドとその美貌で、セラフィンを信用することに決めたのである。
「ロニーの葬儀も、私が取り仕切るようにと…… すでに宰相からも、許可をもらっていますが…… よろしいですね?」
「はい…… おねえさまを…… お願いいたします」
ドリスは、わざと両腕で胸をはさみ谷間を強調するようにお辞儀する。胸元があいたドレスで良かった。
(ロニーだなんて。気にくわないわ! あたしだって、王族と結婚できる身分になったんだから)
ヴェロニカの読みどおりの展開ともいえる。
おまえのものはおれのもの ―― ドリスのジャ○アン的気質は、男性においても発揮されるもので、間違いなかったのだ。
「お別れの会はこちらで2週間、海都のヴェロニカ令嬢の別荘で2週間。葬儀は公爵家と使用人、親交のあった王族の者のみ参列を許可し、遺体は燃やして灰にしたあと、海にまくようにと…… 遺言ではこうなっています」
「遺言? そんなもの残していたの、あのおん…… おねえさまは」
「貴族には珍しいことではないですが……? むしろ海に灰をまく、というのが珍しいですね。なんでもヴィンターコリンズの始祖の流儀にのっとたものだそうですが…… 知っていましたか?」
「あ、ああそうよね! もちろん知っていますわ。おほほほ…… 」
カマラが口を閉じるのを待って、セラフィンが再び、ヴェロニカの遺言を読み上げた。
「偲ぶ会は葬儀の1ヵ月後。財産分けについてはそのときに明かすように、とのことですので…… ここまでで」
セラフィンが遺言書をたたんで侍従に渡す。
「ずいぶん、もったいぶるのね…… あ、いえ、おほほほほ」
カマラが吐き捨てるように言ってからセラフィンの視線に気づき、ごまかし笑いをした。
その間、ドリスは黙ったまま計算していた。
(1ヵ月あれば、おとせるわよね…… それで偲ぶ会で婚約発表…… わるくないわ)
セラフィンについては、誰もが知っているレベルだが、ある程度の情報はある ――
前国王の後妻の子で、幼くして父を亡くした。
王位を継ぎ現国王となったのは前妻の子。そのため、継承権順位は高いのに、宮廷内での立場はすごく弱い。
―― つまりは彼にも、もと平民を母に持つイアンと同じく、使えるのだ ――
ドリスの 『長年、認められなかった義妹』 という立場が。
ヴェロニカの死への悲しみと 『不遇』 の立場、ダブルの共感で引き込み、傷をなめあうように身体を重ねてしまえば、こっちのものだろう。
さいわい、イアン第二王子はまだヴェロニカの婚約者だ。
どちらをとるかは、セラフィンをおとしてからゆっくり決めればいいこと……
ドリスはあらためて、義姉に感謝した。
身分も容姿も申し分ない男がふたりも手元にくるなんて、これもヴェロニカのおかげである。
―― ほんとうに、良いタイミングで死んでくれたものだ。
「ねえ。セラフィンさまぁ」
灰青色の瞳をドリスは上目遣いにのぞきこみ、甘い声を出す。もちろん、ぐすっと鼻をすすり上げるのも忘れない。
「ぐすっ…… あ、すみません、あの…… 」
「なんでしょう、令嬢?」
「あ、あたしも、セラフィンさまのお手伝いをしたいですぅ…… ぐすっ…… だだだって、ううっ、おねえさまとの、お別れだもの…… ぐすっ…… 」
感情の見えなかったセラフィンの眼差しが一瞬、ゆらいだようにドリスには思えた。脈ありだ。
「わかりました…… では、よろしくお願いします」
「ありがとうございますぅ! あっ、ごめんなさい……!」
思わず、といった感じで男の腕にとりすがり胸をしっかり押しつけ、恥じらって離れる ――
オーソドックスだが一般に有効な手段を使いつつ、ドリスは内心、高笑いをしていた。




