3-3. 毒とチョコレートとわるだくみは意外と似ている③
「セラフィン殿下が、数ヶ月前のわたくしを愛しておられた理由なら、それなりにわかりましてよ? ―― けれど、いまのわたくしを、たいていのかたは 『人が変わった』 と…… なかには 『悪魔が乗り移った』 と言うひとも、いるのですよ」
そうだ。
前世の私なら簡単に隠せていたサイコパス的な性格を、いまの私は隠せていない。
演技するのを、もとのヴェロニカのお人よしさに邪魔されている ―― 『味方を騙すのは良くない』 というストッパーが働いてしまうのだ。
『騙してるんじゃなく気遣いですよ?』 と反論しても、無理。
そもそも前世の私は、他人を 『敵/味方』 でカテゴライズしていなかった。
『操れる者/操れない者』 『社会のゴミクズ/それ以外』 にわけていたのだ。
ゴミクズ判別の能力は健在だが、いまはそれに 『味方』 カテが加わった、ということである。
その結果 ―― 『味方は操るべきでない』 という妙な倫理観が、備わってしまった。
不便だけど、正しいと思えなくなったことをするわけにもいかない。
そんなわけで、いまの私は 『信用できる知り合いには遠慮なくサイコパス的性格を発揮する、どう見てもあぶないひと』 でしか、なくなっているのだ。
こんな人間が ―― 以前の誤解されやすい不器用な良い子ちゃんでしかなかったヴェロニカではない、スタンダードから外れた人間が ―― 愛されたりするはず、ないんじゃないかな。
恐れられるとか面白がられるとかならば、あるかもしれないけど。
―― なのに。
セラフィンは驚いた顔のあと、なぜかいい笑顔になった。
「なんだ、わかってくださってたんですね。なら話は早い」
「いえ、早くなどなりません。まずは、わたくしの質問にお答えくださいな?」
「あなたはご自分で思っているほど、以前と変わってはいませんよ、ロニー」
「それは殿下の勘違いではなくて?」
「いいえ。私と最初に会ったときのことを、覚えていますか? 王城の中庭で、子どもたちだけで遊んでいた ―― 」
私はしばらく記憶を探り、首を横に振った。幼いころのことは、まるきり覚えていない。
「いいえ、失礼ですけれど、まったく」
「でしょうね」
おかしそうにセラフィンが笑う。
「あれはあなたには、あたりまえのことだった…… 記憶にも残らないほどに。だから、あなたは私にとって格別の存在なのですよ、ロニー」
「いったい、なにがあったというのですか?」
「秘密です」
「教えてくださっても、いいでしょう?」
「私にとっては大切な思い出ですから。簡単に明かすのは、惜しいです」
「まあ…… わたくしのことでも、ありますのに」
機嫌を悪くする私を、大切なものででもあるかのように見る目。
これまでも、それに私は何度も気づいていたが、だからってどうしろというのだ。
私には人を利用し操った経験も粛清した経験もあるが、愛した経験だけはない。
「セラフィン殿下…… そのようなお顔をされると、利用できると思ってしまいますわよ、わたくし」
「どうぞ、いくらでも。あなたに利用されるなら、光栄だ」
「でしたら…… 第二王子のイアン殿下の婚約者に、わたくしを推薦していただけます?」
セラフィン、本日2回目の絶句。
―― いや光栄なんでしょ? さっくり利用されてくださいな? 私はそういう女ってわかってますよね、殿下?
「…… 彼は、婚約者にするには、ヨハン王子ほどでないにしろ、性格に問題が…… 」
「だから良いのではありませんの。それに噂では、大金つんで流通ずみの媚薬を買いあさっているそうですね、彼は」
「…… ああ。そういうことですか」
「ええ。そういうことでしてよ」
私たちは顔を見合せて、笑った。
愛だのなんだのはわからないが、セラフィンと一緒にわるだくみするのは、楽しい。
「承りました。なるべく早めに、話をつけましょう」
「お願いしますね、ラフィー」
「光栄です」
差しのべた手をセラフィンがとって、うやうやしく顔を近づける。いや、握手のつもりだったんだけど。
「何回、婚約が破棄になっても最後には私がいますから。安心して好きになさい、ロニー」
「ではそのときには、あなたの秘密を教えてくださるのかしら、ラフィー?」
「約束しましょう」
爪の先に温もりが触れる。
それが、セラフィンの唇だと気づいたとき ――
私の心臓は、大きく跳ねた。
なんだこれ。
セラフィンとの散歩から戻ると、侍女長のケストナー夫人が父の帰宅を告げてくれた。
「本日のお夕食は、旦那様とアッシェライア前侯爵夫人がご同席されます。遅れないようにとのことでございます」
「わかりましたわ」
さりげなく答えたものの ――
少々、意外な流れである。
いつのまに、マリアンネは夕食に同席するほど父と親しくなったんだろう。
真相は夕食時、明らかになった。
つまり父は、私の予想以上にチョロかったのだ。
「マリアンネは、我が家の味が恋しいだろうと、王宮まで幾度か、食事を届けにきてくれたのだ」
「まあ、そうでしたの。気を利かせてくださってありがとうございます、叔母さま」
「いえ、そんな。お義兄さまが喜ばれることは、お姉さまのためでもあるんですからね!」
厚塗りのドヤ顔に今すぐソースを注ぎたい (自由律俳句・異世界ふう)
我が家での叔母の素行を逐一チェックさせていなかったのが、失敗だったわ。
正直、たいしたことできないだろうとナメてた……
でもね、お父さま。
なに見えすいた罠に引っ掛かってるんですか。
生まれたときから公爵でチヤホヤされ慣れているくせに、どれだけチヤホヤされるのに弱いのよ、もう。
「そのときマリアンネから聞いたのだが…… ヴェロニカ。おまえは、家政をきっちり切り盛りしてくれているのは良いが、それが忙しすぎて社交をする時間も、ないのだと?」
「いいえ、それほどでものうございますわ、お父さま」
「嘘おっしゃい、ヴェロニカ? あなた、パーティーにもほとんど参加できていないでしょう? 婚約者のいない娘がそんなことで、どうするの?」
「叔母さま…… 公爵の娘の婚姻は、政略で決まるものです。確かな筋から家のためになるお相手を紹介していただければ、問題のうございましてよ」
「まあ! お堅いこと! ヴェロニカ、いい? 結婚はそうかもしれないけれど、若いうちはせっせとパーティーに参加して人脈を築いておくのが将来、家のためにもなるのです」
「いえ、叔母さま。公爵家のビジネスに必要な人脈ならば、すでにできておりますし、ある程度は交流もはかっておりますが…… 」
「叔母に口答えなんてしないものよ!? とにかく、もっと外に出て、お友達をお作りなさい! わたくしは、あなたのことを心配しているのよ!?」
「まあまあ、マリアンネ。少し抑えなさい…… それでだね、ヴェロニカ。マリアンネに、後添えになってもらおうと思っているんだよ。そしたらお前も家政から解放されるだろう?」
きた。
父の口から 『後添え』 のキーワードが出たとたん、マリアンネの鼻の穴がふくらみ、唇がにやにやと歪みだす ―― ああ、お父さま。
こんな女、家に入れたら私はおそらく、やらかしのフォローに忙殺されることになると思いますよ?
だが、こちらとしても、迎え討つ準備をしていないわけではない。
ときが来るのが思ったより早かっただけで、まったく予想の範囲内 ――
私は顔をわずかに伏せた。
「お父さまのよろしいようになさってくださいませ…… ただ、あまりに早く再婚なさいますと、世間からはどのように思われますか」
ちなみに私の父の評価は、この1件で床下2.3mに達している。
母が亡くなったばかりなのに、悲しみを装う気すらなく再婚とか…… すぐにでも、ゴミクズとして埋め立て処分してかまわないレベル。
処分しないのは宰相としてはよくできているほうだからだ。
もし仕事でなにかやらかしたならもう、容赦はしない。
「わかっている」 と父は満足げにうなずいた。
「マリアンネも、アッシェライア家から嫁いでくる形になるからな。向こうとの条件すり合わせで時間もかかるだろう…… 婚約が整うころには、ローザの喪もあけているさ」
いえお父さま。
アッシェライア家当主としては、即決でノシつけてこちらに押し付けてくださるものと思われますが。
どうやら父は、仕事で忙しすぎてマリアンネの悪い噂 (セラフィンによれば、ほぼ事実) が耳に入ってきていないらしい。
社交が必要なのは私ではなくお父さまです間違いない (自由律俳句・異世界ふう)
「そういうことだから、これからわたくしはここで暮らすことにしましたわ! よろしくね、ヴェロニカ」
「ええ。とても楽しみですわ、叔母さま」
食事が終わり、私は言葉少なに自室に引き上げた。
―― 本番は、これからだ。




