3-2. 毒とチョコレートとわるだくみは意外と似ている②
マリアンネは私の交遊関係を知らなかったらしい。
王弟であるセラフィンを見て驚いた顔をし、あわてて淑女の礼をとる。
私はいちおう、彼女を紹介することにした。
「アッシェライア前侯爵夫人でございますわ、セラフィン殿下」
「このたびは弔問に? ……というようなスタイルでもなさそうですね」
マリアンネが着ているのは、母のものだった、ふんわりしたシフォンの花のようなデイドレス。勝手に漁って勝手に着ていた。
セラフィンにじろりと眺められて、マリアンネの耳が赤くなる ―― このひとにも羞恥心があったのか。びっくり。
「母の妹にあたるひとで、母亡きあと当家の家政を心配なさって、みずから取り仕切ろうと滞在してくださっているのですわ」
「それは、ご苦労様なことです」
セラフィンはマリアンネに爽やかにほほえみかけた。
「ですが、ヴィンターコリンズ家はこれまでも、ヴェロニカ令嬢が立派に切り盛りしていましたから…… ご心配には及ばないかと思いますよ。それに、ヴィンターコリンズは平民の支援に力を入れている家ですから、趣味が合わないのでは?」
「さ、さあ…… なんのことでしょうか? で、では…… 失礼させていただきますわね!」
マリアンネはあたふたと部屋を出ていき、テンが絵筆を置いてセラフィンに挨拶する。
「よお、殿下。あのババアを追い払ってくれてありがとよ。ナイフ投げてやりたくてうずうずしてたんだ」
「投げても良かったですよ? 正当防衛を主張するために、あのかたの趣味を公開することになれば、ヴィンターコリンズには迷惑をかけるかもしれないが」
「そのようなお気遣いは、不要でしてよ。涙のひとつも流してみせて同情を引く材料に使うだけですもの」
「頼もしいです」 「いやそれは 『怖え』 ってところだろ!」
セラフィンが笑い、テンが身震いした。
―― セラフィンがあてこすった、マリアンネの 『趣味』 とは、一部で噂になっていることだ。
マリアンネは生活に困窮した平民の男をしばしば使用人として雇い入れている。しかし、彼らが生きてアッシェライア侯爵家を出たのを見た者はいない ――
姿を消した男たちがみな、かなり見目良いほうであったことから、閉じ込めて性的に奉仕させているのだろうとか、いたぶって楽しんでいるのだとか言われている。
「あの噂…… セラフィン殿下もご存じでしたのね」
「噂というか…… ラファエロから相談を受けたことがありまして。とりあえず、そんな母親は幽閉し自分で実権をにぎって噂を揉み消し慈善活動と寄付でもして家門の名誉回復に努めるよう、言っておいたのですがね。どうやら幽閉のほうは、しそこなったようだ」
「わたくしの母が亡くなったせいかもしれませんわ。姉の葬儀に行きたいと言われれば、しかたありませんもの」
「なんだかんだ言いつつ母親に甘い人ですからね、ラファエロは」
まったく同意ですわ、と口にしかけたが、私がそれを言うことはなかった。
ふいに部屋の扉が乱暴に開いたからだ。
洗濯メイドの制服姿 ―― ドリスが走ってきて、セラフィンにとびつく。
さっとよけるセラフィン。こけるドリス。
ドリスは、それでもめげずに、地面に這いつくばったままセラフィンの脚に取りつく。
「ねえ…… チョコレートぉぉお! 持ってらっしゃるんでしょお? お客様だもの、持ってるわよねえ……!」
「ドリス! 離れなさい! …… 大変、申し訳ございません。娘が、そそうをいたしまして…… 」
続いてとびこんできたカマラが、娘を取り押さえて、深々と頭を下げた。
「いいのですよ、カマラ。けれど…… ドリスはしばらく仕事をお休みして、静養したほうがいいのではないかしら?」
「お許しください…… 」
「…… わかりましたわ。次からは、しっかり監督してくださいね。セラフィン殿下に失礼ですよ」
「かしこまりました…… 申し訳ございませんでした。殿下のご寛大さに感謝いたします」
カマラが再度、頭を下げた。その表情は疲れきっている。
―― 私の母、ローザが亡くなったあと、カマラは当然、その後釜に自分が座ることを期待していた。
けれども父は帰ってこず、同じく後妻の座を狙うマリアンネに我が物顔に振る舞われ、イライラも限界、といったところだろうか。
そのうえ、娘のドリスが発病してしまった ―― いまドリスの頭の中には、チョコレートのことでいっぱいなのだ。
私は 『静養』 と言ってみたが、使用人部屋にドリスを閉じ込めればそこをグチャグチャに荒らすだろうことは明白。
それで侍女長のケストナー夫人に周囲から苦情がいけば、カマラたち母娘は公爵家を追い出されてしまうだろう。
ケストナー夫人にとってカマラは 『けがらわしい愛人気取りのメイド』 でしかないのだから。
つまり、仕事に差し支えがあってもドリスを近くに置いて管理するよりほか、カマラにはないのだ。
「そうそう、カマラ。あなたにこれを返しますわ」
暴れるドリスの腕をつかんで退出しようとするカマラに、私はふと思い出して腕輪を差し出した。
太い金属の筒をつなげただけの、ダサいデザイン。
だが、カマラの目はぱっとかがやく。そして一瞬後、うたがわしげに細められる。
「お嬢さま…… なぜ、いまごろこれを?」
「あのときはごめんなさいね、カマラ。わたくし、あなたが母にこの腕輪の中身を盛っていると疑って、取り上げてしまいましたけれど…… もともと父があなたに渡したのですから、あなたのものですわ」
「ほんとうに、よろしいのですか?」
「もちろんですわ。あのときは、母の容態がおもわしくないもので、わたくし、気が立っていましたのね。よく考えてみましたら、あなたが母にあのようなことするはずがありませんのに…… ほんとうに、ごめんなさい」
カマラの口元に薄笑いが浮かぶ。
「わかっていただけて、なによりでございます、お嬢さま」
「許してくれるのですね。ありがとう」
カマラは腕輪をエプロンのポケットに入れ、ドリスを引きずるようにして部屋を出ていった。
―― あれでじゅうぶんにストレス解消してくれると、いいのだけれど。
「なにたくらんでんだ、お嬢?」
「別に、なにも?」
「おっそろしい女」
ふたたび絵筆をとり、画布に色をのせつつテンがつぶやいた。
「おっ、今日はあと下色ぬるだけだから、休憩してくれ。お疲れさん」
「なら、テン。しばらくロニーを借りてもいいかい?」
「それはお嬢しだいだろ、殿下」
「では…… ヴィンターコリンズ令嬢。もしよろしければ、お庭を案内していただいても?」
「ええ。よろしくてよ」
差し出されたひじに私が手を預けると、セラフィンは嬉しそうに笑った。
「―― ドリスは、フォルマ先生のチョコレートの味が忘れられないようですの」
「だろうと思っていましたよ。ですが、アレの手土産を彼女以外の者が口にする可能性は、考えていなかったのですか?」
「いいえ、まったく。あの子はね、ジャ○アン…… いえ、奪うばかりで与えることを知らないタイプなものですから。フォルマ先生にまで、色目を使っていたほどですもの」
「なるほど…… では、後悔もないでしょうね。彼の自慢の薬でああなったんですから」
「ふふ。後悔はまともなひとのすることですものね」
とは言ったけど、 『後悔』 といえば私もしないほうだ。
だってするだけ無駄じゃない?
そんな暇があるなら、そのぶん動いて考えるよね。
「そうそう。セラフィン殿下には、いちど、きちんとお礼を申し上げねば、と思っておりましたのよ」
ヴィンターコリンズの庭園は自然の景観を模した、森あり湖あり農場あり草原ありの ―― 前世でいう、イングリッシュガーデンに近いものである。
その湖のほとり、薄紫の霞のようなオーナメントグラスのそばで私は足を止めた。
「お忙しいなか、わたくしの母にお心がけいただきありがとう存じます、セラフィン殿下」
―― セラフィンはここ数ヶ月、母のために闇魔法の力を込めた魔力石を届けてくれていた。
私のことを 『ロニー』 と愛称で呼び始めたころからだ。
闇の魔力を持つ者は光と同じく希少であり、その魔力石は公爵家ですら常時、手に入るとは限らない。
だから母の治療にも、おもに薬を使っていた。
だがセラフィンの魔力石は 『モルフェン』 でしか静めることのできなかった母の苦痛を癒してくれた。
『モルフェン』 は強力な薬であるゆえ就寝時にしか使えないが、魔力石はいつでも使うことができる。
親切は心酔の証であり、きっちりオマケつきで返せばより利用できるようになる ―― そう信じている私でさえ、この親切には損得ぬきで感謝するよりほかない。
「セラフィン殿下には、大きな借りができてしまいましたわね」
「そこまでのものでは、ありませんよ。私の魔力はさほど強いものではないのでね」
「いいえ。おかげさまで母の最後の日々は、苦しみから解放された安らかなものでした…… どれほどありがたかったことか」
私は淑女の礼でなく、胸に手をあてる騎士の礼をとる。
「お礼になるかはわかりませんが、殿下が困られたときにはいつでも、このわたくし、ヴェロニカ・ヴィンターコリンズが馳せ参じますわ。殿下の剣となり、殿下を害する者を討ちましょう」
「そのような…… 」
セラフィンが戸惑った表情になった。
そりゃそうだよね。私に期待されてることが別にあるのは、わかってる。
けれど、それは私には、たぶんいちばん難しい。
「ひとつ、おうかがいしてもよろしいかしら?」
「なんなりと」
「どうして殿下は、わたくしをまだ愛していらっしゃるのでしょう?」
セラフィンは、驚いたように目を見開き、まじまじと私の顔を見た。




