閑話①-2. 騎士ザディアスの憂鬱(2)
宴も中盤にさしかかったころ――
「お待たせしましたわね、ザディアス」
メアリーの司会で挨拶を終えたヴェロニカが、音もなくザディアスの横に立った。
「まいりましょうか」
「どちらへ…… 」
「あなたの相談にふさわしい場所へですわ、ザディアス」
ヴェロニカに伴われてザディアスが向かったのは、あの森だった。
奥の空き地には前のパーティーのあとはもはやない。
中央あたりの、草が燃え尽きてむき出しになった地面だけが、月明かりのなか、あの惨劇をわずかに伝えている。
そのそばで、ヴェロニカが振り返った。
「あの花火、ザディアスも見たのですね? とても、きれいだったでしょう?」
罪悪感などかけらもない、無邪気で透明な笑顔 ―― ザディアスは思わず、剣のつかに手をかけていた。
うなりをあげて横に薙ぐ騎士剣 ―― 敵を一撃で両断するはずだった攻撃は、ヴェロニカによって軽くかわされる。
斜め上から振り下ろす剣も、また。
ザディアスの剣はことごとく、最小限の動作で避けられていく。
「やはり、動きやすいですわね。伸縮性の高い生地で仕立ててもらいましたのよ」
「おまえはお嬢さまじゃない!」
「自己同一性を保つのが難しい課題だというご意見には、賛同いたしますわ」
「お嬢さまをどこにやった! 悪魔め!」
「おしゃべりしながらの闘いは、あぶのうございましてよ…… ほら、ね?」
首にかかる圧と耳元で囁かれる甘やかな声に、ザディアスは敗北を知る。
ヴェロニカの風魔法で操られた鞭は、生き物のようにザディアスの首に絡みつき、しめあげようとしていた。
視界が赤くふくれ、白み、やがて暗くなっていく ――
(こんなところで、死ぬのか…… お嬢さまの姿をした、悪魔にしてやられて…… )
ちちうえははうえあにうえ、と先立つ不孝をザディアスが詫びようとしたそのとき。
ふいに、首が緩んだ。喉に大量の空気が入り、咳き込む。涙でにじんだザディアスの視界に、ヴェロニカの心配そうな表情が飛び込んできた。
「ごめんなさい。つい、しめすぎてしまいましたわ。気分は…… 良いはず、ありませんわね。本当に、ごめんなさい」
「……っ、なぜ……っ たすける…… 」
「当然でしょう? ザディアス・レイ、あなたはわたくしの騎士なのですから」
あなたがわたくしを何回斬ろうと、わたくしは許しましてよ。
ヴェロニカのつぶやきが耳にとびこんできた。
ザディアスはうつむき、あふれてくる涙を片手で隠す。
「あなたが…… わからないんです、ヴェロニカさま。このようなおかたではなかったはずだ」
「頭を打って人格が変わることは、たまに耳にするでしょう? わたくしは、悪魔になったおぼえも、悪魔と取引きしたおぼえもありませんのよ?」
「しかし…… 」
はいそうですか、とうなずけるわけがなかった。
ザディアスが一生をかけて守ろうと誓い、騎士剣を捧げたのは、かよわく優しい少女だったのだ。
その善良な心根も、ともすれば傲慢にみられてしまう不器用さも、すべてが愛しかった。
頭を打ったていどで人格がかわったなど、認められるわけがないではないか。
愚かにも聞こえる質問を、ザディアスはくりかえさずにはいられなかった。
「以前のヴェロニカさまは、どこに行ってしまわれたのですか」
「どこにも行っていませんよ、ザディアス…… ただ、もう戻ってくることもないでしょうね」
選びなさい、とヴェロニカが告げる。
「絶対の忠誠と服従か、わたくし付きを降りるか ―― わたくしはどちらでもよくてよ? あなたが敵にさえならなければね」
「敵に……?」
「わたくしの邪魔になるなら、消えてもらうよりほか、なくなりますもの…… けれど、できれば、あなたを粛清したくはありませんわ。ちっとも楽しめなさそうですから」
ヴェロニカが嘘を言っているようには、ザディアスには見えなかった。
―― 人格が変わっても、誰でも無差別にいたぶりたいわけではないらしい……
そこに希望がある。そんな気が、ザディアスにはした。
―― いつかまた、ヴェロニカが正気に返ることがあるかもしれない。
そのときに、優しく心弱い彼女が、己のしでかしたことに押し潰されぬように。
そばで支え続けたい、とザディアスは思った。
「絶対の忠誠はお約束しますが、服従はできません、ヴェロニカさま」
「あら、どうしてかしら?」
「ヴェロニカさまが間違ったことをなさったときには、この身に代えてもお止めするのが私の忠誠のありかたですゆえ…… 」
「わたくしはいつも正しくてよ?」
少女の不敵な笑みは、ザディアスの目にも美しく映った。
ザディアスは彼女の前にひざまずき、剣を捧げる。
ヴェロニカは悠然と、そのつかを手にとった。
冷たい金属の重みがザディアスの肩にかかり、冴えざえとした声が響く。
「汝、わが剣となりてわが敵を討て。民の盾となりてすべての悪を防げ」
「御意」
本来は 『わが盾となりわが敵を防げ』 と続くはずの騎士叙任の言葉を、ヴェロニカは変えていた ――
我が盾など不要と、護るならば民のすべてを護ってみせろ、と言っているのだ。
新たな高揚がザディアスのなかに生まれる。
―― 今は、ひたすらに慈しみ護るべき貴婦人としてではなく、仕えるべき唯一の主として ――
真実の、忠誠を捧げよう。
いつか彼女が戻ってくる、その日まで。
「さっそくですが、ヴェロニカさま。地下牢のあれは、いささかやりすぎなのでは?」
「それについては、担当の者たちに直接、相談してみてくださいな? もし、できたらですけれど…… 」
「…… こわすぎるので、やめておきます」
「賢明な判断ですこと」
ふたりが連れだってパーティー会場に戻ったのを、騎士団の面々は生温い視線で迎えた。
まじめで親切なザディアスは、仕えるお嬢さまと恋愛的になにやらあっても 『まあ、いいんじゃね?』 と許容される程度には、みなから好かれており ―― 誰もがそうだと信じこんだゆえに、誰も彼に、何があったかは聞かなかった。
ザディアスも、この件に関してはついぞ、口を開くことはなかった。
結果、やがてヴェロニカがほかの者と婚約したときには、多くの騎士仲間がザディアスに同情し、慰めのことばをかけることとなったが ――
本人はむしろ、肩の荷が降りてほっとしたようすであったという。
また、のちほどザディアスは、ヴェロニカのウィッグと地下牢の担当だった少女たちに武術を教えることとなる。
そして、彼女らをヴェロニカ専属の護衛部隊に育て 『師匠』 と慕われた ―― だが彼がそのなかの誰かと恋愛関係になることもまた、一切無かった。
生涯、ヴェロニカの騎士としてプラトニックな忠誠を貫き 『氷の騎士』 とうたわれたザディアス・レイ。
その原点が、森のなかの花火大会のトラウマにあると知っていたのは、ヴェロニカただひとりである ――




