閑話①-1. 騎士ザディアスの憂鬱(1)
【ザディアス視点】
ザディアス・レイは悩んでいた。
ヴェロニカお嬢さまの変節についてである。
彼が騎士として仕える公爵令嬢はある日、学園の正面ホール大階段から落ちて頭を打った。それ以来、人が変わったようになってしまったのだ。
それまでのヴェロニカお嬢さまは、普通の令嬢だった。言葉たらずで誤解されやすく、少しぼんやりしていて使用人や騎士たちに注意を払わないところもあったが、それはお人形のように育てられた貴族令嬢あるあるである。
ヴィンターコリンズ家に仕える者の多くは、欠点を差し引いてもなお余る、お嬢さまの心根の美しさや善良さを愛していた。
たとえば、寝たきりの母親をみずから率先して世話する。
たとえば、通り道を使用人の子どもが走って横切れば怒る貴族は多いが、ヴェロニカお嬢さまは笑って菓子を与える。
たとえば、新しい花を飾れば目をとめてきっちりほめる。
たとえば、使用人が病気と聞けば、休ませ医者を呼ぶように命じる。
―― そういうところができていれば、主としては上々。使用人や騎士を一様に 『あなた』 としか呼ばなくても問題はない。
もっとひどい貴族は、いくらでもいるのだから。
「なのに急に、騎士たちの名と功績を覚えたいとおっしゃってきたんだ…… 」
「その何が悪いんすか、副長? 公爵家の後継としての自覚が出てこられたんでしょう? めでたい限りじゃないっすか」
副長補佐のウィリアムが、ザディアスの前にコーヒーを置きつつツッコミを入れた。
―― ヴィンターコリンズ公爵家、騎士団の詰め所。広々とした宿直室にキッチンと食堂、それに娯楽室までついた立派な建物である。
事務室の机で、なにやら悩み続けている上司の手のなかに招待状の束を目ざとく見つけたウィリアムは、声を弾ませた。
「あ、これ慰労パーティーその2すよね! 前回は参加させてもらってあざました! まじ楽しかったんで、次はぜひ副長も行ってくださいね」
「うん…… だがそもそも、お嬢さまはどちらかといえば堅実で、大がかりなパーティーを何度も開いたりされるようなかたでは…… 」
「最初は、新しい侍女の…… えーと、そうだ、メアリーさん! メアリーさんと相談されたって聞きましたよ! あと2回目は自分がおねだりしておきました! だからじゃないすか?」
「ああ…… そうだな…… 」
言えない。
ザディアスは思った。
―― この補佐には、いや、誰にも相談などできない。
あのヴェロニカお嬢さまが……
馬車を襲ってきた賊との戦闘に、どう見ても嬉々として参加したあげく、頭領の首をしめあげ絶対服従を誓わせた、とか。
ヨハン王子とアナンナが乗った馬車を風魔法で横転させたうえに、全身重傷の彼らをものすごく楽しそうにハイヒールで踏みつけた、とか。
さらに、風魔法の訓練と称して、ふたりをとんでもない強風で運搬し、耐えずあがる悲鳴をうっとりとした表情で聞いていた、とか。
ふたりが陰で行っていた媚薬実験の被害にあった少女たちを前に 「こんな目にあってまで生きていたいかはわからなくてよ」 と、ものすごい冷静さで言い放った、とか。
それどころか、ヨハン王子とアナンナを事故死に見せかけて公爵家の地下牢に閉じ込め、被害者の少女たちに好きに復讐させている、とか。
―― 極めつけは、先日。第1回目の慰労パーティーの夜である。
ウィリアムに代わり公爵邸の警備に当たっていたザディアスは、偶然、ヴェロニカがフォルマと森に入っていくのを見かけた。
(お嬢さまが、男性と森に? 大丈夫なんだろうか…… )
ヴェロニカの身の安全が気にかかり、こっそり警護しようとあとをつけ ――
ザディアスは、フォルマの末路をばっちりと鑑賞してしまったのである。
いくらフォルマが悪人であったとしても、普通の神経でできるわけがない。
毒を飲ませたうえ全身に花火を飾って生きたまま火をつける、なんてことが。
(お嬢さまはもしかしたら、悪魔に憑かれたのかもしれない…… )
あれから幾度となく、ザディアスはこう考えた。
だが、ヴェロニカが子どもに向ける表情は変わらず優しく、使用人や騎士には以前にも増して親切で、寝たきりの母親をますますかいがいしく世話している。
―― いったいどちらが、お嬢さまの本当の姿なのだろうか……。
いくら悩んでも、結論が出るわけもない。
ウィリアムがザディアスの手のなかの束を、ひょいと取り上げた。
「まーた全員、招待してくれてるんですね。さすがお嬢さまだ。シフトは自分が組んでおきますよ。前回は参加できなかった人が優先ですよね。もちろん副長もパーティー参加できるようにしますから!」
「あ、ああ…… そうだな…… ありがとう」
「自分も前回代わってもらいましたしね。当然っすよ、当然!」
部下に白い歯を光らせサムズアップまでされては 『なんか行きたくない』 とか言えない。
『そのお嬢さまが、次はなにをしでかすのかが心配でパーティーどころじゃないんだ正直』 などとは、もっと言えない。
しかしそれからしばらくは穏やかなときが続き、慰労パーティー2回目の当日となった。
「騎士ザディアス。今回は来られて、ようございましたわ」
「補佐のウィリアムが、素晴らしいパーティーなので、ぜひとも参加しろと…… たしかに、これはすごいですね」
ザディアスは会場を ―― 会場であるはずの場所を見回した。
王都では見られない高原の花が咲き、どこまでも青い空には鷹が大きな翼を広げて舞う。切り立った崖では滝が水しぶきをあげ、透き通った流れを生み出している ――
「すべて幻術ですのよ。前回とは趣向を変えていますの」
「私ども騎士団のためにここまで…… まことにありがたく存じます」
「我が公爵家に仕えてくださっている、みなさまのためですもの。お気に召したのなら、嬉しゅうございますわ」
胸に手を当て騎士の礼をとったザディアスの度肝を抜いていたのは、しかし幻術ではなかった。
彼が驚いたのは、ヴェロニカ本人。
髪が短く切られている。きれいに手入れされた長い髪は、貴族令嬢のステータスなのに。
しかも服が、ドレスではない。この場にふさわしい、スマートなスーツ ―― そういえば少し前、中央通りのテーラーまでヴェロニカを護衛して行ったことがあったっけ。
まさか本人のものを注文していたとは。
「失礼ですが、その髪は…… 」
「軽くてとても快適なの。必要なときはウィッグをつければ合理的でしょう? ウィッグの管理はステラたちに任せることにしましたの」
「ステラ…… といえば、あれの被害者ですね。全員雇うことに?」
「ええ。回復すれば自由にさせようと思っていたのですけれど、みなさん、わたくしに仕えてくれるそうですわ」
「お嬢さまのご人徳でしょう」
ヴェロニカが満足そうに笑った。
また、違和感を覚えるザディアス。
―― たしかにヴェロニカは、ここで謙遜するようなタイプではない。
むしろ 「そうでしょうとも」 と胸を張る…… だがその偉そうな態度は、厳しく育てられほめられ慣れていないがゆえの照れ隠し ―― いわゆる 『ツンデレ』 であったはずだ。
こんな 『当然ね。さあ、もっとほめてもよくってよ』 的な態度をとるお嬢さまを、ザディアスは知らない。
「―― お嬢さま、誠に恐縮ですが、このあとにお時間をいただけないでしょうか。ご相談したいことが」
「よろしくてよ。挨拶が終わったら、抜けましょうか」
わざわざ首にかけてもらった 『幸運の金貨』 を握りしめるザディアスに、ヴェロニカは軽やかにほほえみかけた。




