2-8. 好きでなくても理解はできるのが同族⑤
【バーレント・フォルマ視点】
「フォルマ先生! ドリスです! ドリス・トレイター!」
「ああ、トレイターさん。卒業以来だね」
誰だったっけ。
バーレントがそう考えるより早く、ぽっちゃり体型の洗濯メイドが自己紹介をした。息をわざとらしくはずませ、そのたびに豊満な胸が上下する。
「きみはたしか、令嬢付きだったろう? なぜ洗濯メイドを?」
「それは…… お嬢さまが急に! ほかのメイドを連れてきて 『おまえはもう用済みよ』 って、おっしゃったんですぅ!」
「ああ…… 」
バーレントは完全に、思い出した。 『公爵令嬢が階段からアナンナを突き落とした』 と、嘘の証言をしていた女だ。
「かわいそうに。けれど、きっといいこともあるよ」
「そうそう、そうなんですよ」
ふふ、と笑ってドリスは背伸びし、バーレントの耳に口を近づける。
「…… あたしだってもうすぐ、公爵令嬢になるんですよ、あの女が死んだらですけど」
「あの女……?」
「ここの奥さま。亡くなったら、あたしのママが公爵夫人になるんです。だって、あの女は老いさらばえて寝たきりですけど、ママはまだまだキレイですし、公爵との仲だっていいんですから……」
「なるほど…… 奥さまのお具合はいま、どうなんだい?」
「髪は灰色になって半分抜けてて、やせおとろえてしわしわ、顔にも身体にも、いたるところに黒いできものが盛り上がってて怪物みたいなんですよ。痛ましくて見てられない、って公爵の足もすっかり遠のいてるんですって」
ドリスがくすくす笑うのを、醜悪だな、とバーレントは思った。
こんな女ではヴェロニカの足元にも及ばない。
「ね、フォルマ先生。フォルマ先生は、ヴェロニカさまに会いにいらしたんですよね?」
「ああ。創薬の依頼を受けているからね」
「あの、あの…… もし、あたしが公爵令嬢になったら、あたしのことも、見てくださいます?」
「もう見てるよ。きみは素敵だ、ドリス」
「ほんとですか……?」
「本当だとも。洗濯係は大変だろうが、頑張っていればきっと良いこともあるさ…… ああ、気落ちしたときはこれを試してごらん。新しく作った、元気が出る薬だよ」
「えっ、あたしに? いいんですかぁ? 」
「もちろんだよ。あげるのは、きみが初めてだ…… 良かったら、試して。感想を教えてほしいな」
「はっ、はい…… ありがとうございます」
ドリスはバーレントから小瓶を受け取ると大切そうにポケットにしまった。
ぎこちなく淑女の礼をとると、小走りに去っていく。
バーレントもまた、見送ることなく背をむけ、騎士に声をかけた。
「待たせて、すまなかったね。案内してくれるかい?」
「はっ、お気遣いなく」
歩きながら、バーレントは口元がほころんでいくのを抑えられなかった。
(なるほど、たしかにヴェロニカが欲しがるはずだ。急性期のみならず、慢性中毒にも効く薬を…… )
もともと、ヴェロニカがバーレントにした依頼は、ほぼ相反するものといっていい。
急性中毒の薬には、下剤を必ず入れなければならない。毒の中和よりもまず速やかな排出が第一の目的となるためだ。
だが慢性中毒では、わずかずつ摂取された毒により損傷し変質した臓器や皮膚を癒すほうが主になる。
もし下剤や中和剤などを入れればボロボロの臓器が耐えられず、症状は悪化するかもしれない ――
どちらにも効く薬など、なかなか創れるものではないのだ。
(カタリナなら、できたかもな…… )
バーレントは妹を、懐かしく思い出していた。
世間の噂とは違い、彼は妹の才能を認めていたのだ。むしろ自分のものとして誇らしくさえ思っていた。
いとこのクリザポールにはグチをこぼしたりもしていたが、それは彼の同情を引くためである。本気ではない。
そして、あのことだって、大好きなふたりと楽しみを共有しようとしただけ。悪意はなかったのだ。
なのになぜ、妹は死にクリザポールからは際限なく憎まれるようになってしまったのか ――
わいてくる不条理感を払おうと、バーレントは軽く頭を振った。
ともかくも、依頼された創薬の方針は決まった。
主眼を慢性中毒からの回復に置き、下剤は入れず、中和剤は副反応が出ない程度の量に抑える。
―― ドリスから聞いた限りでは、ヴェロニカの母親はもう助からないし、助けるメリットもない。
だが、完全回復など絶対にしないが見た目だけは多少なりとも改善させられる程度の匙加減で薬を創ってやれば…… それだけで、ヴェロニカはバーレントに大いに感謝するだろう。
そして母親が亡くなったのち、一緒に悲しみヴェロニカを慰めるのは、バーレントの役目になる ――
頭のなかのシナリオは、バーレントの気に入った。
美しく自分にだけは従順な妻と公爵位を手に入れ、すべての者から称賛される ―― 晴れがましい己の姿を幾度も思い描きながら、バーレントは公爵邸をあとにした。
※※※※※※
【ヴェロニカ視点・一人称】
「お嬢様が外出中に、フォルマ子爵がいらっしゃいました。お嬢様からのご依頼の、進捗報告だそうでございますが…… こちらのチョコレートは、子爵の手土産でございます」
「子爵に、そういった報告は文書でけっこうとお伝えくださいな、ケストナー夫人」
「かしこまりました」
帰宅するなりの侍女長からの報告に、私は吹き出しそうになった。
―― チョロく見られたものである。
私としては、おとすほうの考えることはよくわかるが、おとされるほうの気持ちはまったくわからない。わかりたいとも、思わない。
「チョコレートはドリスにあげましょう」
「かしこまりました……?」
ケストナー夫人が不思議そうな表情をする。
私はとりあえず、表向きの理由を説明した。
「あの子はそれなりのことをして、わたくしの専属侍女を解任されたわけですけれど、初めての洗濯の仕事は、つらいでしょう? 少しはご褒美をあげなければ…… 」
「お嬢様のお優しいこと」
「当たり前のことをしているだけでしてよ。チョコレートは、わたくしから、と言うとドリスは受け取らないかもしれませんから、あなたからだということにしてくださいね、ケストナー夫人」
「はい、かしこまりました。ドリスもいずれは、お嬢様のお心を知ることでしょう」
「そうだといいのですけれど…… 私には、あなたもメアリーもいるから大丈夫ですよ」
「お嬢様…… もったいのうございます」
ケストナー夫人が目頭を押さえる。
だが私の言ったことは本当だ。
ケストナー夫人はいまも母を女主人、私をその代理として認め、接する ―― だからこそ、父の愛人としてカマラが家庭を乱すことがないのである。
父は家庭に関心がなく、メイドが愛人になっても優遇させたりしない。
つまりケストナー夫人が母と私を尊重する以上、カマラは愛人として幅を利かせることなどできないのだ。
―― まだ生かしておいてあげているのは、そのせいでもある。
「お夕食まではお部屋で過ごしますわね」
「かしこまりました」
ケストナー夫人に見送られ自室に戻ったあと、私はメアリーといろいろな計画を練った。
メアリーは受け答えが早く勘が良い。それに、こちらが話す必要がないと思っていることには踏み込んでこない。いい相談相手だ。
おかげで、考えがまとめやすく、アイデアがたくさん出た。
「お嬢様、すごいです! 騎士さまがたも喜ばれますでしょう」
「ふふふ…… そう言ってくれて嬉しいですわ」
声に出して相談できるのは、騎士たちの慰労パーティーのことだけしか、なかったけれど。