9.子爵様に狙われた私
吸血鬼伯爵の騒動から、3か月が過ぎた。
季節は夏である。
強い陽射しを浴びながらの、中庭の散歩が心地よい。
レヴォワール家の中庭には、ちょっと珍しい場所がある。
金網に囲われた、テニスコート2面くらいのスペースで、様々な種類の鳥を飼っているのだ。
小さなものでは、セキセイインコ、ベニスズメ。中くらいのものでは、アカショウビン、キセキレイ、アオアズマヤドリ。大きなものでは、マゼランガン、マナヅルなど。
ところで、花には花言葉があることが有名だが、鳥にも「鳥言葉」というものがある。今の順序通りに並べてみると、それぞれ【素直な愛情】【燃えるような愛】【熱愛】【積極的な愛】【マニアックな愛】【親子の情愛】【愛の交歓】となる。
これもまた「溺愛の花園」と同じく、レヴォワール家名物の「溺愛の鳥の園」であったが、わざわざ【マニアックな愛】の鳥言葉を収集するためにアオアズマヤドリを買い求めた父上の情熱が、私にはたまらなく暑苦しかった。
とはいえ、鳥たちと遊ぶのは楽しい。私はこの金網の中で、何時間でも退屈せずに過ごしていられた。
「ジュリア!」
大人のマゼランガンの後を、子どものマゼランガンたちがちょこちょことついていくさまを眺めていたとき、レオナルドお兄様が金網の中に駆け込んできた。
驚いたセキセイインコやキセキレイが、パッと飛び立った。
「どうしたのですか、お兄様?」
振り向くと、お兄様のはしばみ色の瞳が、大きく見開かれていた。
「たたたたたたたた大変だ!」
お兄様は興奮したときに吃る癖があったが、それがひどくなっていた。
「おおおお、おまおま、おま、お、お前が好きだあ!!」
いったい何を言い出すのかと思ったら……私は拍子抜けした。
「お兄様。お兄様が私を溺愛なさっていることは、重々承知しております」
「お、おおお、おま、おまおま」
「落ち着いて下さいまし。水をお持ちしましょうか?」
「だだだだだだだだだだだだ大丈夫だあ!!」
お兄様が大声を出すと、アカショウビンやアオアズマヤドリが怯えた様子で走って逃げた。
悲しくなった。
レオナルドお兄様は、妹の私が言うのもおかしいが、超絶美男子なのである。
貴族令嬢たちがキャーキャー騒いでいるのを、私はよく知っている。
それなのに、どんなに申し分のない縁談も、すべて断わってしまう。
私を溺愛しているせいだ。
溺愛ーー治療不可能の病気。
そのせいで、おそらくお兄様は結婚できまい。
私なんかに心を奪われて、哀れとしか言いようがなかった。
「ジュジュジュジュジュジュジュジュジュリア」
「何でしょう、お兄様?」
「たたたたたたたたたたたたたたたた」
「何が大変なのですか?」
「おまおまおまおまおまおまおまおま」
私はお兄様の頬を張った。
お兄様のはしばみ色の瞳から、パッとハートが散った。
「落ち着いてと言ったでしょう! 深呼吸をしたらどうですか?」
お兄様は鼻の穴を広げ、夏の空気をスパスパ吸った。
「ありがとう。やっと落ち着いたよ。いやー、お前の柔らか過ぎる手で叩かれるなんて、俺は世界一の幸せ者だ」
今度は拳で殴ろう。そう誓った。
「それはともかく、大変なことになった。デイビッド・フーディエ子爵は、もちろん知ってるだろう?」
「フーディエ子爵? あの有名な?」
お兄様はゴクリと喉を鳴らして頷いた。
「このアラン王国で知らぬ者のない、あの奇術師のフーディエが、お前を消すと新聞記者に向かって宣言したんだ!」
意味がわからなかった。
世紀の奇術師と呼ばれるデイビッド・フーディエ子爵は、何でも「消す」ことで有名だった。
舞台上でアシスタントの女性を消すのは誰でもやるが、彼の場合はスケールが違った。私は、これまでにフーディエ子爵が消したものを思い出してみた。
4頭立ての馬車。
象の親子。
水槽のイルカ。
管弦楽団。
エッシャー塔。
豪華客船キャサリン号。
舞台に集まった観客全員。
彼が「消します、消します」と唱えると、これらのものはまるで煙のように消え失せてしまったという。
いずれも新聞記事で読んだだけなので、消える瞬間を目撃したわけではない。しかし、もし幼稚な仕掛けなら、フーディエ子爵がこれほどの名声を得ることはなかっただろう。きっと噂に聞く通り、その奇術の腕は世界一であるに違いない。
「でもお兄様」
私は困惑を隠せなかった。
「どうして子爵様は、私なぞを?」
「私なぞ?」
レオナルドお兄様は、私がまるで神を冒瀆したかのように恐ろしい顔をした。
「お前は自分の価値をわかってるのか? 私なぞと自分を卑下していいのは、お前より価値の低い人間、すなわちお前以外の全人類だけだ。お前の価値、美しさ、魅力、高貴さ、香しさには、どんな宝石や絶品料理も敵わない。それこそ塔や豪華客船以上に、イリュージョンに相応しい存在ではないか!」
「よくわかりません、お兄様」
私はなおも言った。
「フーディエ子爵様は、どうして私のことをご存じなのでしょう?」
「そんなことは簡単だ」
お兄様は、なぜか自慢げに胸を張った。
「奇術師というのは、とりわけ美女が好きだ。彼らが消すのは必ず美人であって、不美人ではない。また空中に浮かしたり、箱に入れて剣を何十本も刺したり、胴体を真っ二つに切断するのも例外なく美女だ。だから彼らは、普段から鵜の目鷹の目で美女を探し回っているのだ」
首を傾げた。
「それはアシスタントの女性ではないですか? 私は奇術の舞台に立つ気はさらさらないのに、新聞記者に私を消すなどと宣言して、私が断わったらどうなさるおつもりでしょう?」
「甘いぞ、ジュリア!」
お兄様が一歩近づいたので、私は一歩下がった。
「……なぜ下がった?」
「暑いからです。それより、何が甘いのですか?」
「ジュリア。お前は、フーディエのことを甘く見過ぎている」
「どんなふうにですの?」
「奴はな、たぶんーー」
お兄様は声を潜めて、
「魔王だ」
と言い、ブルッと身を震わせた。
「は?」
つい公爵令嬢のたしなみを忘れて、「お前何言ってんの?」という顔をしてしまった。
けれどもお兄様は、それに気づいた様子もなく、
「よく考えろ。普通の人間に、あんなことができるか? 塔があった場所から塔が丸々消えたんだぞ? そういうことが可能なのは、魔王だけだ。よってデイビッド・フーディエ子爵は魔王である。証明終わり」
呆れて物が言えなかった。お兄様は、奇術にタネがあることを知らないのだろうか?
「さあて、こうしちゃいられない。魔王よけのアイテムを入手しなければ。アンドレアがそういうことに詳しいから、2人で協力して必ずお前を魔の手から護ってみせる!!」
私の返事も待たずに、お兄様は「溺愛の鳥の園」を飛び出して行った。
(魔王よけのアイテムって……そんな物が簡単に手に入ったら、冒険者は何も苦労しないのに)
ため息をついた。そして、近くに寄ってきたエミューの羽を撫でてやった。
「ねえ、エミューちゃん。どう思う? 世紀の奇術師が実は魔王だったなんて、そんなことってあるかしら?」
何げなく話しかけてから、ハッとした。
「溺愛の鳥の園」に、エミューはいない。
こんな人間くらいに大きな鳥は、飼ってないのだ。
するとエミューが私のほうに顔を向け、言葉を発した。
「大変なことになったなあ、ジュリア」