40.大団円
「大丈夫か!?」
リカルドお父様が駆け寄って、パトリシアお母様の横にしゃがみ、肩に手をかけた。
「……あなた」
母上が顔を上げ、荒い息遣いをして言った。
「も、もう、限界。ここで産みます」
「産みますう!?」
父上が素っ頓狂な声を上げると同時に、私も息を呑んだ。
(そんな、まさか……)
「思った通りです」
エディの落ち着いた声が、私の動悸を鎮めた。
「去年の秋、サボテンに化けてお城の中庭に忍び込んだとき、お父様がお母様を張り倒すのを見ました。そのときお母様は、『オエッ』とうめき、『気持ち悪い、気持ち悪い』と叫ばれたのです。それを聞いた瞬間、『あれ? 悪阻じゃないの?』という疑いがよぎりました」
それは私も憶えている。しかしまったくそんなことは浮かばず、単に痛さを通り越して吐き気を催したのだとばかり思っていた。
「同じことは、冬にもありました。石膏像に化けて忍び込んでいた俺は、やはり同じシチュエーションで、『気持ち悪い、気持ち悪い、オエーッ!』という絶叫を聞いたのです。これでもはや、疑いは確信に変わりました。そして今日」
エディの視線が、お母様の苦しげな顔にひたと据えられた。
「俺が池に隠れて見ていると、案の定お母様は張り飛ばされました。しかし今度は『オエーッ』ではなく、『危ないでしょ!』と叫ばれました。そこで俺は、『ははーん、悪阻はもう終わって、いよいよ産まれそうになってきたな』と思いました」
そうだ。パトリシアお母様はあのあと、父上の走らせる〈クレイジーアバウトユー〉に跨ったのだ。馬が激しく揺れるたび、母上は「危ない危なーい!」と悲鳴を上げた。きっとあれで、胎児が骨盤のほうに下がってきたのに違いない。それから森へ行って墓場を歩き丘を登って宮殿に来たのだから、一気に産気づいても不思議ではなかった。
「し、しかしお前、どうして今まで黙っていた?」
父上が、当然過ぎる疑問、最大の謎について訊いた。
「そ、それは、みんなを驚かせたかったからよ」
衝撃の真相。いくら家族を騙すのが好きでも、このドッキリは攻め過ぎでしょ!
「それにね、みんな、わたくしのお腹が大きくなったのに気がつかなかったでしょ? だから気が悪くて、言いたくなくなった部分もあるわ。あなたなんか、『呑気にバラ肉を増量させやがって』なんておっしゃって」
私もてっきり、中年肥りと信じて疑わなかった。内心で、ああはなりたくないとも思った。お母様が妊娠したと思うより、そのほうがずっと信じやすかったのだ。
(何よ、お父様ったら。私たちの前ではさんざん罵ったり殴ったりしていたくせに、夜はお母様を抱いてらしたのね。溺愛はたった1人に向けられるなんて、よく言ったこと!)
気持ちは複雑だ。
実は父上が母上を愛していたと知って、良かったと思う気持ちもある。
一方で、やっぱり男の人って、何人も同時に溺愛できるんだなと、男性を疑う気持ちも芽生えた。
が、何よりも……
(弟のアンドレアは今年16。つまり、16歳離れた子が産まれることになる。何だか娘として、妙に恥ずかしいというか、両親が不潔に見えてしまう。申し訳ないけど、これが本音よ!)
「お母様、大丈夫ですか?」
レオナルドお兄様とアンドレアは、私のような恥ずかしさは感じていないように見える。ただひたすら母上を心配し、
「王室には、きっと侍医がいます。呼んできましょう!」
お兄様がそう言って走り出そうとすると、母上は首を振って制止した。
「大丈夫。4人目だから、自分で産めるわ」
「ここで!?」
アンドレアが、泣きそうな顔で往来を見た。
「人も馬車も通ってるよ! みんな見てるよ!」
と、異常事態が起こっていることに気づいたのか、衛兵の1人が近づいてきた。
「どうしましたか? そこのご婦人が、具合を悪くされたのですか?」
「すみません、実はーー」
リカルドお父様が振り向いて答えようとしたとたん、
「あ、レヴォワール閣下でしたか!」
衛兵が驚きの声を上げた。
父上は小さくチッと舌打ちした。まずい、バレたと思ったのだろう。
しかし衛兵は、背すじを伸ばして言った。
「その節は、王子を醜聞から救っていただき、感謝申し上げます。また我々衛兵隊や侍従は皆、閣下に対し、心から尊敬の念を抱いていることも申し添えます」
腰を折って深く頭を下げた。
王子を醜聞から救ったというのは、集まった新聞記者たちに、父上が作り話を聞かせたことを指している。あれによって、バーナード殿下及び王室が、世間に恥を晒さずに済んだことは事実だった。
(国王や王室は何も言ってこないけど、あの場にいた侍従や衛兵はちゃんと父上に感謝してたのね。良かった)
「今はそれより、妻を助けてほしい。産まれそうなのだ」
「えっ? では王宮の医務室にお運びしましょう」
「動かさないで! 産まれる!」
「ならば」
衛兵が仲間を呼び寄せた。
たちまち衛兵隊が、私たちを囲んだ。
「私どもが壁になります。コラ、見せ物ではない! 行け行け!」
衛兵隊がやじ馬を追い払い、私たちに背を向けて壁になってくれた。
父上が、母上のロングドレスをめくり、下着を脱がした。
「あなたたちは向こうを向いて!」
私が怒鳴ると、お兄様と弟とエディが、お母様の頭のほうに移動した。
「ヒーヒーフー!」
「頑張れお母様!」
「いいぞ、パトリシア。踏ん張れ!」
母上の脚のあいだを見る父上の額に、びっしりと汗が浮かんだ。
「ジュリア、来て!」
突然母上が呼んだ。私は母上の手を強く握った。
「お母様、ここに私はおります」
「ジュリア、昔から、エディを好きだったんでしょ?」
「……はい」
「わたくし、気づいてたわ。サボテンにも石膏像にも」
「はい。私も、お母様が気づいて黙っていてくれたことを知っていました」
「石膏像に告白したときは、母として嬉しかったわ。だって、長年両想いだったんですものね。あなたには、時々嫉妬してごめんなさい。悪い母だと恨んだでしょう?」
「そんなことありません! 私はお母様が大好きです!」
言った瞬間、涙が溢れた。
母上の瞳は、優しかった。
「これは悪いことをしたあなたへの償い。そして、将来へのプレゼントよ。いいこと。エディと幸せになるのよ」
母上が、顔を紅潮させていきんだ。
「頭が見えた! アンドレア、今日も鋏を持ってるか? 前に宮殿で去勢しようとしたときのだ。それを貸せ。へその緒を切る!」
私も見た。
胎児が出てくるところを。
「それっ! 産まれたっ!」
父上が胎児を取り上げて、母上に対面させた。
母上は、出産の疲れも見せずに我が子を抱き、
「やっぱり。わたくしにはわかっておりました。元気な女の子よ」
そう言うと、わっと歓声が上がった。
「見せて見せて! わあ、可愛い! むっちゃ可愛い! 食べちゃいたい、わあ!」
「アンドレア、俺にも見せろ……おおーっ! 信じられない! 地上最強の可愛さじゃないか!」
「馬鹿者、わしに抱かせろ! ヒャーッ、ヒャーッ! 可愛過ぎて死んでまうわ!!」
私は見た。
レヴォワール家の男子たちの両眼に、まばゆいハートマークが光っているのを。
(もしかして……)
父上に声をかけた。
「次女が産まれて、嬉しそうですね」
「あ? ああ、ジュリアか」
私を見る眼の中に,ハートはなかった。
「お前はこれから、ちゃんとこの子の世話をしろよ。オムツ交換はお前の役目だ」
(まあ。何たる豹変)
お兄様に言った。
「あのー、お兄様。私、お父様にオムツ係になれと言われたんですけど、これからエディと駆け落ちしようと思うんですが……」
「駆け落ち? 何で? 結婚して近くに住めばいいじゃん。俺、エディとは気が合うしな」
と言ったお兄様の眼にも、ハートはなかった。
(変わった。まるで別人だ)
弟に言った。
「お姉ちゃん、結婚しちゃうけど、いい? 寂しくならない?」
「寂しい? それどういう意味? ねえ、ねえ、お父様、この子の名前、アンジェラってのはどう? あ、待って。やっぱりキャサリンがいい!」
弟の眼の中にもハートがないことを確認して、エディのほうへ行った。
「ねえ。レヴォワール家の男子の溺愛、私から、次女に対象が移っちゃった」
「みたいだね」
「産まれた瞬間によ? 早過ぎない?」
「仕方ないよ。赤ちゃんの可愛さには勝てない」
その皺くちゃな赤ん坊は、ギャーギャー泣いていたが、間違いなく可愛さで私を圧倒していた。
「みんな、結婚していいって。お兄様なんか、近くに住めばいいですって」
「良かったな。お母様から、すごいプレゼントをもらって」
「約束してよ。私だけを溺愛するって」
「もちろん! ジュリアは?」
「一生あなただけを、溺愛します!」
私たちは抱き合った。
そのとき、新たな命の誕生を祝してか、衛兵隊がライフルを空に向けて空砲を鳴らした。
いつの間にか夜になっていて、壮麗な宮殿の上空には、満天の星が輝いていた。
《完》
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