38.偉大なる父
アボニーの丘に登るのは、去年の秋以来だ。
「今日は誰もいないな」
リカルドお父様がぽつりと言う。
前回来たときは、草の生い茂る丘の中腹に、平民を中心としたおよそ3千人の聴衆がびっしりと群がっていた。
ノックス大賢者の講演ーーというか、投資セミナーみたいな話だったけどーーを聴きに集まったのである。
「あいつがバブルを崩壊させたお陰で、我がアラン王国はすっかり不景気になってしまった。ここから経済を立て直すのに、下手すると10年はかかるぞ」
あの騒動で私たちは、頭のいい人が必ずしも他人を幸福にはしないことを知った。
「あ、見て。僕、あの大きな岩の前で、頭から灯油を被って大賢者に直訴しようとしたんだよ」
自分の命懸けの「溺愛」を思い出させようとしてか、アンドレアが私にアピールするように言った。
「そうそう。ノックス大賢者って、まるで教祖みたいに民衆から崇拝されてたからな。その民衆が奴の味方だと思うと、多勢に無勢で、死ぬくらいの覚悟でなきゃ到底ジュリアを護れないと考えたんだ。よーし!」
そのときの気持ちが甦ったのか、レオナルドお兄様が鼻の穴を興奮した馬のように膨らませた。
「今回命を懸けるのはこの俺だ! 溺愛する妹のため、頭から灯油を被ったつもりで決闘してやる!」
「待って下さい、お兄様。僕がやるって言ってるじゃないですか?」
「馬鹿息子ども! わしの番だと何回言えばわかるのだ!!」
リカルドお父様が一喝すると、
「いえいえ自分です」
と、巨岩の陰からサボテンがひょっこり出てきて言った。
「のあっ!」
父上とお兄様と弟がのけ反る。
「……しゃ、しゃ、しゃ、しゃべった!」
(あれは……)
呆れた。
大胆にも(というか、そろそろお父様たちも気づいていいころだけど)、エディが今度はサボテンに変装して現れたのだ。
「僕、見憶えがある!」
アンドレアがサボテンを指差して叫んだ。
「ほら、お姉様がピンチのときに、突然地面から生えて、ノックス大賢者にトゲ攻撃をしたサボテン型の魔獣がいたでしょ? きっとこれ、そのときと同じ魔獣だよ」
「わたくしも思い出しましたわ」
と、パトリシアお母様が言った。
「大賢者様は、これは魔獣ではなくてサボテンの術を操る人間だとおっしゃいました。でもわたくしは、どう考えても魔獣だと思いますわ」
おやっと思った。
(お母様は正体がエディだと見抜いていながら、あえてお父様たちをミスリードしてくれている。ひょっとするとお母様は、エディを心から応援しているのか、あるいは家族を騙してドッキリさせるのが好きなのかもしれない……)
「僕、聞いてみるね。あなたは魔獣ですか、それとも人間ですか?」
「魔獣です」
アンドレアの質問に、サボテンが間髪入れずに嘘を答えた。
「私は、普段は砂漠のサボテンの里にいます。冒険者が訪れると、挑発するのがとても好きです。私は【回避】の能力が高いので、倒すのはなかなか大変ですよ。しかし首尾よく倒せたら、珍しいアイテムを獲得できることもあります」
悪ふざけだ、と思った。
冒険者にかぶれ過ぎて、余計な冗談を言い過ぎる。もし結婚できたら、こういうところはビシッと注意して直させたい。でもまあ、そんな茶目っ気が、惚れたところでもあるんだけど……(キャッ!)
「なるほど。冒険者を挑発するのが好きなんですか。それであのとき、ノックス大賢者を挑発したんですね」
レオナルドお兄様が、クスクスと思い出し笑いをした。
「あれは見事でしたね。しかしどうして野菜を食えと言ったら、大賢者が逆上するとわかったんですか?」
「それはたまたまです」
サボテンが手のように見える部分で、頭のように見える部分を掻いた。
「正直、なぜ彼があれほど怒ったのかはわかりません。ただ推測するに、母親でもない人に、おせっかいにも『野菜を食べなさい』と言われたら、誰でもイラッとするのではないですか? ましてや言ったのが、何も食わないサボテンですから」
「いやー、鋭い洞察です。それにしても、大賢者の沸点は低過ぎました。頭のいい奴っていうのは、変にプライドが高いんでしょうね、きっと」
お兄様とサボテンが、まるで気の合う仲間同士のように声を揃えて笑った。
(この2人、意外なほど感性が近いかも。嗚呼、溺愛が邪魔をしなければ、いい義兄弟になれたかもしれないのに……)
「それはそうと、ぜひあのときの礼を述べさせて下さい」
サボテン型の魔獣が、本当に自分たちの味方かどうか測りかねてか、父上がやけに丁寧な言葉遣いをした。
「お陰で娘が救われました。まあ、最終的に娘を救ったのは、レヴォワール家に代々伝わる溺愛の力でしたがーー」
「いや、お父様。僕がお姉様にプレゼントした、どんな危険からも護るミラクルスフィアの力ですよ」
「いいえ、そうではありません」
と、サボテンに変装したエディが、真面目な口調で言った。
「あのときみんなを救ったのは、民衆の怒りです。愛よりも金儲けを優先する大賢者の過ちに、最後は民衆も気づいたのです。一方」
サボテンが腕のように見える部分を、リカルドお父様にビシッと向けた。
「そちらの貴族の方は、財産を失った平民を救済するために、王国銀行の総裁に掛け合い、それでも間に合わなければ私財をなげうつとおっしゃいました。これはこの国の同胞を愛するがゆえです。特権階級に生まれながら、平民を差別せず本物の愛を抱いているところに、私は魔獣の端くれではありますが、大きな感動を覚えました」
「いやそんな、大げさです。実際には、国王陛下が金融機関に公的資金を注入するという英断をされたので、わしなどの出る幕はありませんでした」
父上が手を振って否定すると、サボテンは「謙遜、謙遜」と言い、
「民衆に支持されていると信じていた大賢者が、完膚なきまでに敗北して去っていく姿を見て、私は思いました。必ず最後に溺愛は勝つ、と」
その場がしんとした。必ず最後に溺愛は勝つーーという、まさにレヴォワール家の男子を喜ばせるために存在するような言葉を、誰もがしみじみと味わっているように見えた。
「そういうレヴォワール閣下を、俺は尊敬しています。お父さん、あなたという素晴らしい父親を持つ娘さんを、どうか俺に下さい!」
エディはそう言うと、サボテンの変装をかなぐり捨てた。
「あっ、貴様!」
父上が反射的に回転式拳銃を抜くと、
「ここでの決闘はやめましょう。移動はこれで最後です。バブルガム宮殿の正門前に来て下さい」
そう言い残すと、またもやエディは白い煙を出して消えた。




