2.幼馴染
あの人。
お名前はエドモンド・アラベスター。
アラベスター家の三男で、私と同い年の18歳。
近所に住む、幼馴染だ。
素速く辺りを見た。庭師などの姿はない。良かった。
「エディ、どうしてうちのお城に侵入したりしたの? 見つかったらお父様に殺されるわよ」
念のため声を潜めた。今の台詞に誇張はない。この現場をリカルドお父様が発見したら、間違いなく愛用の回転式拳銃をぶっ放すだろうーー溺愛する私のために。
エドモンド・アラベスターーーエディは白い歯を見せて笑った。
「だって、正式に訪問してもどうせ門前払いだろ? レヴォワール閣下は、男と見れば子どもだろうと年寄りだろうと警戒するんだもの。だったら忍び込んだほうがずっと早い」
「馬鹿ね。だからって、貴族が泥棒の真似をしてどうするの?」
「泥棒じゃない。冒険の旅に出る練習の一環さ」
「…………」
いくつになっても、少年時代と同じ子どもっぽいことを言っている。しかも自慢げに。
『俺はどうせ三男だ。兄ちゃん2人が死にでもしない限り、成人したら家を出なくちゃならない。そしたら俺は冒険者になるよ。どこかのパーティーに入って、竜退治に出かけるのさ』
夢みたいなこと言っちゃって、と少女時代の私は思ったものだった。もちろん今の私も。
冒険者の人たちは、特殊な能力を持って生まれてくる。
そして、5歳くらいになると、火属性のBランクだとか聖属性のAランクだとか鑑定されて、魔法学校みたいなところに入って、技を鍛えてやがて冒険の旅に出るのだ。
貴族のお坊ちゃまが、なりたくてなるものじゃない。
普通、後継ぎの長男以外は、爵位をもらえずに平民になる。
よくあるのが、次男が聖職者になり、三男が軍人になるパターンだ。
(そんなに暴れたければ、軍人を目指せばいいのに)
そう思ったこともある。でも最近は、
(聖職者がいいわ。信心深いタイプじゃないけど、それなら戦争に行かなくても済むから)
と、エディの身を案じてそう思うようになった。
「ジュリア、見ろよ」
エディが人差し指を立てて、うーんと顔を真っ赤にして力んだ。
「……何してるの?」
エディは薔薇垣から出て、うんうん唸りながら庭をうろついた。
「ちょっとやめてよ。本当に見つかるわよ」
ヒヤヒヤして注意したとき、エディの立てた人差し指の先から、ポッと火が出た。
マッチで点けたくらいの、硬貨大の炎が。
「やったぜ。な? すごいだろ?」
鼻の頭に汗を掻いたエディの顔と、今にも消えそうな頼りない炎を交互に見た。
「まあ、手品としては面白いわね」
「手品じゃない。本物の炎さ」
「どうやって出したの?」
「冒険者の友達から、コツを教えてもらった。身体の中に潜んでいるエネルギーを、指先に集中させる方法をね」
得意げに話す様子に、少々呆れた。
「だけど、何の役に立つの? マッチを擦ったほうが早いじゃない」
「だって、自分の指から炎を出せたらクールだろ?」
「馬鹿みたい。それでレベルいくつの魔獣を倒せるの? そんなちっちゃなファイヤで」
エディは肩をすくめると、ふっと息をかけて炎を消した。
「今はまだ無理さ。でもいつか、最強レベルの竜を倒してやる」
「いつかっていつ? 18歳でまだその程度だと、ファイヤボールを発射するころにはお爺ちゃんになっちゃうわよ」
思えばエディは、貴族の子よりも冒険者の子たちとばかり遊んでいた。
いつも泥だらけで、傷だらけだった。
私はそんなエディを見かけると、
『お行儀が悪いですよ』
おしゃまに言って、服の泥をはたいたり、髪の毛についた小枝を払ってやったりした。
すると父上やお兄様が飛んできて、
『これこれ。女の子が、気軽に男の子に触れたりしたらいけないよ』
やんわり忠告し、服をつかんで引っ張っていくのだった。
今、眼の前にいる18歳のエディもまた、臙脂色のコートを泥だらけにし、髪の毛に小枝をつけている。
(子どもみたいに、人の家の庭に忍び込んだりするから……)
私はつい手を伸ばして、服をパンパン叩き、指を髪の毛に突っ込んでやりたくなる。
櫛など一度も入れたことのなさそうな、ゴワゴワの茶色い髪の毛のあいだに。
でもそれは、いけないこと。
男の人を触るだなんて。
想像しただけで、胸が苦しくなる。
どうしてだろう? エディは三男坊よ。いずれ平民になる人よ。私とは、違う世界で生活するようになるのよ。
……泣きたくなった。
「しかし大変だな。レオナルドさんの決闘の件、噂が広まってるぞ」
エディの声に、ハッとした。
「噂? 本当に?」
「俺は射撃場で聞いた。イーリイ伯爵には勝てっこない。将来有望なレヴォワール家のお坊ちゃまも、残念ながら明日までの命だなって」
地面が揺れたように感じた。
「どうしましょう。急いでやめさせないと」
「無理さ。公衆の面前で侮辱したんだもの。決闘をやめるなら、イーリイ伯爵の要求をすべて聞かないと。もし奴隷になれと言われたら、そうするしかない」
お兄様が奴隷になどなるはずがない。それだったら、死を選ぶ。
「まさか伯爵様も、そのような要求はなさらないでしょう?」
「さあね。伯爵がどんな人か知らないから。でも噂に聞いたところだと、金持ちではあるらしい。だから金を要求することはなさそうだけど、女好きで有名だから、ジュリアを寄越せと言うんじゃないかな?」
私は絶望した。もしそんなことになれば、レヴォワール家とイーリイ家の全面戦争に発展する。
「……どなたかに、仲裁していただくわけにはいかないかしら?」
「うーん。レオナルドさんが言うことを聞いて引き下がりそうな人は、国王くらいしか思いつかないなあ」
「ねえ、真剣に考えてよ。何かいい方法はないの?」
エディは腕組みをした。
そして突然、
「よし、思いついた」
大きな声を出して、クスクスと笑った。
子どものころからちっとも変わらない、エドモンド・アラベスター得意のいたずら顔で……
「何? 真面目に考えてくれたの?」
「真面目、真面目。大真面目さ」
「じゃあ教えて。何を思いついたの?」
「簡単なこと」
エディはそう言って、またクスクス笑うと、
「俺が吸血鬼伯爵を倒せばいいのさ」
ドンと胸を叩いた。