18.お国のために……
「……エディなの?」
愛馬の〈ドウティング〉に、恐る恐る尋ねた。
「ブルルルル」
しかし〈ドウティング〉は、餌が欲しいときのように鼻を鳴らして、厩舎のある方角を眺めるばかりだった。
するとどこかから、
「ハハハハ。今のは腹話術さ。馬がしゃべったように見せかけただけだ。なかなか上手だろう?」
「どこ?」
幼馴染のエドモンド・アラベスターの姿を探して、中庭のあちこちを見た。とーー
「あ」
うかつにも気がつかなかったが、サクラの巨樹の横に、違和感たっぷりの不自然なサボテンが生えていたのだ。
「いつの間に……庭師に見つかったら、即座に伐採されるわよ」
サボテンは左右に揺れて、含み笑いを洩らした。
「そしたら走って逃げるさ。ところで、サボテンの別名を知ってるかい?」
「いいえ」
「覇王樹というのさ。どうだい? いずれ覇王になる俺にピッタリだろう?」
覇王になる人は、たぶんサボテンの術を学んだりしない。
「ねえ。どうしてまた、庭に忍び込んだの?」
サボテンが、腕のように見える部分を動かし、腰のように見える部分に当てた。
「ノックス大賢者がジュリアを狙っていると聞いて、急いでやってきたんだ」
「えっ?」
驚いて、サボテンの顔のように見える部分を見つめた。
「だってそれ、お兄様がついさっき聞いた話よ?」
「うん。実はレオナルドさんがいた酒場に、偶然俺もいたんだ」
「あら。18歳のくせに、昼間からお酒?」
「いや。術を試すために、店に忍び込んで観葉植物のフリをしていた。そしたらたまたま、盗み聴きすることになって」
行動すべてが、トリッキー過ぎるのよ、エディ。
「心配してくれてありがとう。でも私、大賢者様にパートナーになれと言われても、お断わりしようと思うの」
「うーん。それは難しいかもしれない」
「どうして? 拒否する権利はあるはずよ」
アラン王国は、独裁国家ではない。立憲君主制であり、その憲法によって、基本的人権が保障されている。
「もちろん権利はある。しかし政治家も国民も、大賢者が訪れてくれたこの機会に、国が大いに発展することを願っている。もしジュリアが要求を突っぱねて、それに機嫌を損ねて大賢者が国を去ったらどうしようと、皆それを心配するだろう」
気持ちが沈んだ。
「……では、お受けしなかったら、国の皆様をがっかりさせてしまいますね」
「はっきり言ってそうだ。みんな人権がどうとか綺麗事を言ってるが、もし誰かが犠牲になって自分が豊かになるなら、その誰かが我慢すればいいと本心では思っている」
私は反論しなかった。いや、できなかった。
「残念だけど、エディの言う通りね。私、国民みんなから恨まれて、生きていける自信がない。もし、私が我慢することで、アラン王国が豊かになるんだったらーー」
「ジュリア」
サボテンが、腕のように見える部分を伸ばし、不用意にも私の肩に置いた。
「痛い!」
「あ、ごめん。トゲが生えてるのを忘れてた」
「いいの。気遣ってくれる気持ちが嬉しいわ」
と言ったとき、涙がスーッと頬を伝った。
大賢者のパートナーになる。
そうしたら、おそらくもう、エディが私に逢いにくることはない。
国から国へと、渡り歩く人生が始まるのだ。
悲しかった。
エディと逢えない人生に、何の意味があるだろう?
想像しただけで心が凍った。
ジュリア・レヴォワールは、死んだも同然だ。
「……泣くほど辛いのか、ジュリア?」
サボテンのほうを見ることができず、地面に涙を落とした。
「よし、俺がなんとかする。レオナルドさんは、外務大臣経由でノックス大賢者を動かそうと考えているみたいだけど、俺はもっとストレートにやる。バトルだ!」
顔を上げた。
「バトルって、大賢者様に闘いを挑むの? そんなことはやめて」
「どうして?」
サボテンが首をーーそう見える部分はなかったけどーー傾げた。
「奴がいなくなったら、問題は解決するだろう?」
「駄目よ。そしたらエディが全国民から恨まれるわ」
「俺の心配なんてするな。もしアラン王国にいられなくなったら、国外脱出するまでだ」
「だから……」
それが駄目って言ってるのよ、と怒鳴りたかった。
あなたに逢えなくなることが、泣くほど、いいえ、死ぬほど辛いのよ。
ねえ、エディ。
いい加減にわかって。
「エディは、それでいいの?」
「国外脱出かい? いずれ冒険の旅に出るつもりでいたんだ。だから全然構わない」
「それで、残された人はどう感じると思うの?」
「両親のこと? だって俺は三男坊なんだから、家を出て行くのは当たり前の話だ」
「そんなこと訊いてないっ!」
ついに爆発してしまった。
「はっきり聞かせて。エディはどうして、毎回私を救けてくれようとするの?」
「毎回っていうのはーー」
「チャールズ・イーリイ伯爵のときもそうだし、デイビッド・フーディエ子爵のときもそう。そして今回も」
「それはそうさ。幼馴染が嫌がってるのを、ほっとけないじゃないか」
「幼馴染ってだけ?」
サボテンに一歩近づいた。
「ねえってば。私、エディのこと、子どものときからずっとーー」
「ヒヒーン!!」
思い切って告白しようしたまさにその瞬間、突然〈ドウティング〉が何かに驚いたように嘶いた。
その理由はすぐにわかった。
「ハイドウ! ハイドウ!」
パカパカパカパカパカパカという襲歩の音が迫り、愛馬〈クレイジーアバウトユー〉に跨ったリカルドお父様が、こちらに向かって突進してきたのだ。