16.不思議な術の正体
夢を見ていた。
夢の中で、私は南の島の海辺にいた。
ヤシの木に寄りかかり、膝を抱えて座っている。
「ごめんね」
水着姿で甲羅干しをしていたエディが、すぐ横で優しく微笑みかけてきた。
「ジュリアを連れて、南海の孤島まで逃げてきてしまって。こんなことをしなければ、今ごろ君は何不自由ない生活をーー」
「いいの」
私もエディに微笑みかける。
「あなたと一緒にいられたら、ほかに何もいらない」
エディの背中にそっと手を置いた。
褐色に陽灼けして、汗で濡れた背中に。
心臓がバクバクする。
ああ、エディ。
私、溶けてしまいそう。
こんなふうになったの、生まれ初めて……
「エディ、ごめんなさい」
「……どうしたの? 謝るのは、俺のほうだけど」
「私のせいで、お父様たちに100回も殺されかけて」
本来エディは、冒険の旅に出たかったはずだ。
それなのに、まるで犯罪者みたいに逃亡生活を強いられている。
怒り狂った父上とお兄様と弟が、魔王や魔女と契約して殺人スキルを入手し、どこまでも追いかけてくるのだ。
「かのレヴォワール家のお嬢様を手に入れたんだから仕方がない。人間どうせいつかは死ぬんだし、これも運命として受け入れるよ」
「エディ……」
エディの背中に置いた手を、下に向かって滑らせた。
エディの身体がこわばる。
お互い無言になった。
ついにそのときが来た、と思った。
エディが仰向けになる。
下から見上げるエディの視線が、水着姿の私の、胸の辺りをさまよった。
馬鹿。
どこ見てんのよ。
恥ずかしいじゃない。
何よ、紅くなっちゃって。
たぶん私も、紅いけど。
そっと眼を閉じた。
唇がゆるむ。
貴族の令嬢が、こんなふうにするのははしたないだろうか?
でも、もう止まらない。
私はエディを愛している。
エディが背中に手を回してきた。
私はエディに身を委ね、唇を近づけていきーー
「テメー! コノヤロー!!」
突然、口汚い罵声が鼓膜を震わせて、ハッと眼を開けた。
エディの顔がすぐそこに。
……いや。ない。
今の声はエディではない。
夢から醒めた私は、上半身を起こした。
するとーー
「オイコラ、テメー! レオナルドちゃんとアンドレアちゃんを返しやがれ!!」
地面に仰向けになった男に、魔女が馬乗りになって襟首をつかみ、頭をむちゃくちゃに揺さぶっている。
いや。
あれは魔女ではない。
よく見たら、パトリシアお母様だ。
「コンチクショー! 返せったら返せ!!」
さらによく見ると、頭を地面にガンガンぶつけられているのは、世界的な奇術師のデイビッド・フーディエ子爵だった。
思い出した。
ここは無名戦士の墓場で、私はフーディエ子爵に「消され」たのだ。
記憶を辿る。
デイビッド・フーディエ子爵の術により、アンドレア、レオナルドお兄様、リカルドお父様、そしてエディの順で消された。
アンドレアが消されたとき、パトリシアお母様はショックで気絶した。
が、しばらくして、意識が戻ったのだろう。
私が消されそうになったとき、フーディエ子爵の背後に誰かが立ったのが見えたが、あれが母上だったのに違いない。
「返さないか! コラ! 死にたいのかっ!!」
お兄様と弟を消された母上は、「覚醒」した。
まさに魔女と見間違えるほど、人間離れした迫力で子爵を完全に制圧していた。
「お母様!」
思い切って叫んだ。
「それでは子爵様を殺してしまいます。もし死んだら、アンドレアたちは帰ってこれなくなるかもしれませんよ?」
「コラ! 返せ! コノヤロー!!」
駄目だ……今の母上には何も聞こえない。
このときふと、疑問が湧いた。
どうして私は、この世から消えていないのだろう?
(パトリシアお母様が消えてないのはわかる。気絶していただけで、術をかけられたわけではないから。でも私は、確かにかけられたのに……)
もしかして、と思った。
ブラウスの胸ポケットに手を当てる。
中に四角い物が入っている。それを取り出す。
小さな箱が出てきた。
(そうだーーアンドレアからのプレゼントを、無意識にポケットにしまったんだわ)
箱を開けた。
中には、虹色に輝くネックレスがあった。
魔術を無効化できるという謳い文句のネックレスがーー
(ひょっとしたら、これの効果でフーディエ子爵の術にかからず、単に眠っただけで済んだのかもしれない。ありがとう、アンドレア)
ネックレスを握り締めた。
そのときだった。
「わかった! 術を解くから、殺さないでくれえ!」
デイビッド・フーディエ子爵の喉から悲鳴が迸った。
「消えたものたちよ、戻れ!」
子爵が指をパチンと鳴らすと、父上とお兄様と弟とエディが、消えた場所から忽然と出現した。
「アンドレアちゃん!」
母上が駆け出して、弟に抱きついた。アンドレアは茫然としている。
父上とお兄様とエディも、同じく放心していた。
が、やがて、レオナルドお兄様が口を開き、
「あー、何だか、催眠術をかけられたみたいだ」
と言った。
その瞬間、まるで暗闇に閃光が射したように、私の眼にすべてのからくりが見えた。
デイビッド・フーディエ子爵の消失術の正体は、催眠術だったのだ!
きっと、子爵のあの男性的な自信に充ちた声に、催眠効果があるのだろう。
あれを聞いたあとで、子爵が「消えます消えます」と言うと、言われた本人は深く眠り、同じく催眠術にかかった周りの人間には、その人が見えなくなる。
(何という技だ。子爵はその世界一の催眠術の腕で、エッシャー塔や豪華客船を観客から「消し」、また「出現」させたのだ。これぞ究極のイリュージョン。こんなことが自在にできたら、好みの異性を自分の思い通りに消したくなる気持ちも、まあわからないではない……)
「貴様あ!」
ようやく意識がはっきりしてきたのか、父上が怒鳴った。
「よくも消したな! 今度は貴様を消してやる! つまり抹殺だ!」
「お許し下さい」
母上にやられたダメージでふらふらになったフーディエ子爵は、その場で土下座した。
「もう2度としませんので、どうか消すのだけは」
「ジュリアにはもう近づかないな?」
「はい。誓って」
「バカモン!」
父上が子爵をポカリと殴った。
「自分が消されたくなくて、女を諦めるのか? そんな覚悟で女を好きになるな! 男なら溺愛のために死ね! 溺愛こそすべてだ!!」
父上の言っていることはよくわからなかったが、母上のお兄様や弟に対する溺愛が、今回の騒動を解決してくれたことは確かだ。
ふと見ると、母上は息子2人にキスの雨を降らせていた。
一方、どういう感情が湧き起こったのか、父上とフーディエ子爵は抱き合って号泣していた。
私はエディを探した。
が、どこを見ても、エディはいなかった。
その代わりに、戦士たちが眠る広大な地の上を、風のように走ってゆくエミューの後ろ姿が見えた。