15.異なる世界へ
エミューに化けたエディ。
冒険者の訓練を積んだ結果、できるようになった術だという。
奇術と違ってタネはない。が、人間が鳥と見分けがつかなくなるこれもまた、一種のイリュージョンと呼べるかもしれない。
対するデイビッド・フーディエ子爵は、何でも消すことができる。
その術は世界一。【消す】のコマンドで魔獣を消せる冒険者でも、塔や船は消せない。それさえいとも簡単に消せる子爵の腕は、ある意味冒険者を凌駕していた。
(エディの術とフーディエ子爵の術。果たしてどっちが上か。そして勝つのはどっちか……)
私が固唾を呑んで見守っていると、
「ああっ! 化け物っ!」
フーディエ子爵がマントで顔を覆った。
子爵の腕から解放された私は、地面を這うようにして逃げた。
「コラ! あっちに行け! 来るな!」
子爵の声は、明らかに怯えていた。
墓場から突然出現したエミューを、化け物だと思ったらしい。
(これでわかったわ。デイビッド・フーディエ子爵は魔王なんかではない。だって、魔物の王である魔王が、化け物を怖がるはずがないもの)
フーディエ子爵は逃げた。エミューに化けたエディがそれを追う。
これを見て、もう1つわかったことがあった。
(奇術師デイビッド・フーディエ子爵は、決して「何でも消せる」わけではない。もしそうなら、エミューを消そうとするはずなのに、そうしないで逃げたんだから)
これで確信した。フーディエ子爵は普通の人間。その奇術には必ずタネがある。だから父上やお兄様や弟は、本当に消されたのではない。必ずこの近くにいる!
(果たしてそのタネは何か? 人間は消したのに、エミューは消せないことが、それを見破るヒントになるかもしれない……)
そんなことを考えているあいだに、エミューがフーディエ子爵に追いついた。
エミューは足が速い。博識な父上から聞いた話だと、その最高時速は50キロにも達するらしい。
片や人間は、100メートルの世界記録が出たときのトップスピードでも、時速40キロくらいだったそうである。だからエミューに追いかけられて、人間に逃げ切れるはずはないのだ。
まあ、エディも人間ではあるけれど、「エミューの術」はそれほど完璧なのだろう。私としては、エディにはぜひ100メートルの世界新記録に挑戦してもらいたかった。
「くそっ! やめろ!」
エミューの体当たりに突き倒された子爵が、仰向けになって暴れた。これがあの、世界中から称賛されているデイビッド・フーディエ子爵だと思うと、何だか哀れなくらいであった。
勝負の行方はもはや明らかだった。
エミューは大きな足で、楽々と子爵の胴体を抑えつけた。
そしてもう一方の足で、子爵の喉を踏みつけた。
子爵の顔が、見る見る真っ赤になっていく……
「いけないわ!」
思わず叫んだ。
「子爵様は普通の人間よ! 魔王じゃなかったの! だからそんなことをしたら、窒息して死んでしまうわ!」
エミューが首を曲げてこっちを見、こくりと頷いた。
「デイビッド・フーディエ」
エミューの口から、重々しい声が発せられた。
「貴様は確かに優れた奇術師だ。だがその術も、使い方を間違えれば犯罪になる。なぜ美女を見ると消そうとする? 望みもしない人を消すことが、人間の尊厳を踏みにじる行為だとは思わないのか?」
「思わない」
エミューが喉から足を放すと、子爵は答えた。
「消しはするが、すぐ元に戻してやる。その間の記憶は、消された人間にはない。しかしイリュージョンを体験した記憶は残る。それはつまらない現実から飛翔した、非常に貴重な体験になるはずだ。ちょうど、宇宙人に拐われて帰ってきた人のように」
エミューは不快げに鼻を鳴らした。
「それをされた人が、本当に喜ぶと思っているのか? 貴様は単に、自分の術に酔っているだけだ」
「いや違う。イリュージョンは素晴らしい。それは単なる奇術ではない。現実とは違うもう1つの世界があることを、私は人々に知ってもらいたいのだ」
「もう一度訊く。なぜ美女を消す?」
エミューに胴体を抑えつけられたまま、フーディエ子爵が私を見た。
「美しい女性を平凡な世界に閉じ込めておくことこそ、私にとっては許しがたい犯罪だ。デイビッド・フーディエなら、もう1つの世界を教えてあげることができる。ねえ、ジュリアお嬢様。私と一緒になれば、一生イリュージョンを愉しめるのですよ?」
「黙れ!」
エミューの眼が、怒りに紅く燃えた。
「貴様はただの好色野郎だ! 消したければアシスタントを消せ! ジュリアには二度と近寄るな!」
エディ……
今の言葉、とっても嬉しい。
やっぱり私を好きなのね。
ねえ、エディ。
お願い。
私をもう1つの世界に連れていって!
「……ジュリアに、二度と近寄るな?」
フーディエ子爵が、不審げな顔つきになった。
「なぜ鳥の化け物が、そんなことを言う? この人間に特別な感情でもあるのか?」
「ある」
エミューが間髪入れずに答えた。
「ジュリアは、俺の大事な幼馴染だ」
そのとたん、フーディエ子爵がカッと眼を見開いた。
「じゃあ貴様は化け物じゃないな? 人間なんだな?」
そしてフフフと不敵に笑った。
「ならば怖がることはない。私の眼を見ろ。そうだ……よしよし。元の姿に戻れ」
エミューの足は、人間の足になった。
エミューの羽は、人間の身体になった。
エミューの顔は、人間の顔になった。
そこに立っているのは、白いシャツを泥だらけにした貴族の三男坊ーー術を解かれて茫然としているエドモンド・アラベスターだった。
「なるほど。人間がエミューに化けていたのか。なかなか大した術だ」
フーディエ子爵はゆっくりと立ち上がり、マントについた泥を払った。
「化け物だと制御できないが、人間なら楽勝だ。すなわちこうなる。消えます消えます」
エディの身体が、スーッと消えた。
私は倒れそうになった。
「おっと、危ない」
駆け寄ってきたフーディエ子爵に、抱きすくめられた。
「あなたの幼馴染だとかいう邪魔者は、消してあげましたよ。ではこれで準備が整いました」
子爵の男性的な自信に充ちた声に支配され、全身から力が抜ける。
「素晴らしい世界を教えてあげましょう。消えます消えま……」
薄れる意識の中で見た。
フーディエ子爵の背後に,何者かがゆらりと立ったことを。
しかしーー
「……す」
最後の音が聞こえたとき、意識が消えた。