12.禁断の儀式
無名戦士の墓場ーー
名前からして、いろんな怨念が漂っていそうな場所だ。
でも私は怖いとは思わない。
なぜなら、死んだ人よりも、生きてる人のほうがずっと怖いから。
「ジュリア、平気か? 寒気はしないか?」
リカルドお父様が、私を振り返って訊く。
寒気などするはずがない。
今の時刻は午後2時。気温はおそらく30度を超えている。
「お父様、具合が悪いのですか? 寒そうに震えていらっしゃいますけど」
父上は夏でもコートを着ている。それなのに、墓場に着いたとたんに唇が蒼くなり、カチカチと歯を鳴らして震えだしたのだ。
「風邪ではないが、正直寒くて仕方がない。どこかに氷の女王でも潜んでいるのかもしれん」
見苦しい言い訳だった。なぜならすぐ横にいるパトリシアお母様は、お気に入りの金扇で、しきりに顔を煽いでいたからだ。
「ああ、汗ばみますこと。あなた、こんなに暑いのに震えるなんて、もしかして墓場が怖いんですの?」
「たわけっ!」
父上が、眼にも止まらぬ速さで母上を張った。
「戦争で死んだ奴らを、わしが何で怖がるのだ! え? ただの死体じゃないか。もし仮に、死者が蘇ることがあったとして、そいつらが棺桶を破って地面から這い出し、臭い息を吐きながらわしに一斉に襲いかかってきたとしたらーー」
父上が白目を剥いて倒れた。自分の空想が怖過ぎて、気を失ったらしい。
「あら、可愛い」
母上はそう言うと、父上に覆いかぶさってキスをした。
とたんに父上は、ゾンビのように上半身を起こした。
「……ここはどこだ?」
「墓場ですわ、あなた」
父上はまじまじと母上を見た。
母上の眼はうっとりと潤んでいる。
「どうしたのだ。気持ち悪い顔をして」
「ひどいわ。愛する妻に向かって」
「愛……そうだ、思い出した。溺愛するジュリアを、魔王の魔手から護るためにここに来たのだ!」
父上はそう叫ぶと、一目散に慰霊塔に向かって駆けた。
無名戦士の墓場の慰霊塔は、高さがおよそ15メートルもある。
塔といっても、人が中に入れるようになってはいない。石造りのモニュメントで、要するに巨大な墓石のようなものであった。
が、父上によると、そこには魔女が棲んでいるのだという。
魔女……
それがこの場所に棲んでいるという根拠は、怪しげな老婆が出没するという噂にある。しかしここは無名戦士の墓地。戦争で孫を亡くした高齢の女性が訪れたりして、それが怪談話になっただけではないだろうか?
「あっ! おい、コラ!」
突然、父上の怒声が聞こえた。慰霊塔のほうに、誰か怪しい人物でもいたのだろうか?
母上と2人で急いで駆けつけた。すると、
「お父様、止めないで下さい!」
レオナルドお兄様が、父上に羽交い締めにされていた。
「放して下さい! あともう少しでジュリアを救けられるのです!」
「早まるな! アンドレアが死ぬぞ!」
母上が息を呑んだ。何と慰霊塔には、弟のアンドレアが縛り付けられ、足元に薪が積まれていたのだ。
風に乗って、ツンとする刺激臭が運ばれてきた。
(この匂い……きっと灯油かガソリンだわ)
「いったいこれは何? アンドレアちゃんを火炙りにする気!」
母上がアンドレアに飛び付くと、
「僕なら平気です、お母様」
アンドレアが、感極まった様子で言った。
「溺愛するジュリアお姉様のためなら、例え火の中水の中。日ごろからそう宣言しているのですから、僕は喜んで火だるまになります!」
「意味がわからないわ。どうして燃やされるのがジュリアのためになるの?」
母上のもっともな疑問に答えたのは、お父様の羽交い締めから解かれたレオナルドお兄様だった。
「俺たちは、どうしても魔女に会う必要があります。しかし会うには生贄を捧げなければなりません。話し合いの結果、アンドレアが犠牲になることになりました」
「何言ってるの!?」
私は本気で怒った。
「魔王よけのアイテムとやらを手に入れるために、魔女を呼び出すというんでしょう? だけど、そのためにアンドレアが死んで、私が喜ぶとでも思うの? 冗談じゃないわ。だったら私が魔王に消されたほうがよっぽどいいわ」
「お姉様!!」
アンドレアが号泣し、自分を縛っていたロープをほどいた。
「お姉様。好きです。大好きです。愛してます。溺愛してます!」
「わかってるわ。だから、私を悲しませるようなことはやめて」
「こんなに好きなのに、僕は弟だからという理由で、お姉様と結婚することができない。それを思うと、僕は3日に1回くらい絶望して、頭から灯油を被って死にたい気持ちになるのです」
胸が締め付けられた。
「アンドレア……それで自棄になって、魔女を呼び出す儀式の生贄になろうとしたの?」
「はい。せめて最期は、お姉様の役に立とうと思って」
「馬鹿よあなたは。本当に馬鹿」
アンドレアは、しょんぼりと肩を落とした。
「お姉様。やっぱり僕たちは、結婚できませんか?」
「……うん。ごめんなさいね」
「どうしても?」
「どうしてもよ」
「じゃあせめて、結婚ごっこはできません?」
「結婚ごっこ?」
何を言い出すのだろうと思って弟を見た。
アンドレアは、思いつめた表情をしていた。
「1日だけ、夫婦の真似事をするのです。2人だけで食事をして、庭を散歩し、一緒にお風呂に入って、同じベッドで寝ます」
「まあ」
思わず口を手で覆った。
「そんなこと……無理です」
「どうしてです? たったの1日ですよ?」
「いけないわ。姉と弟がそんな」
「あくまでもごっこです。本当に結婚するわけではありません」
「でも、いけないのよ。一緒にお風呂に入るだなんて」
「どうしてですっ!」
弟の眼は真っ赤だった。
「僕は、お姉様以外の女性には全然興味がありません。頭の中にはお姉様しかいないのです。そのお姉様と結婚が許されないのであれば、せめてお風呂には入って下さい。一生のお願いです!」
「私を困らせないで、アンドレア。そういうことは、正式に結婚した旦那様にしか許してはいけないのよ」
「では僕は、一生女性の身体を見ることはできませんね」
アンドレアはそう言うと、ロープを取り上げて再び胴に巻いた。
「お兄様、火をつけて下さい。僕は死にます」
「わかった。不憫な弟よ」
レオナルドお兄様がマッチを擦ろうとすると、
「待ちなさい!」
母上が凛とした声を上げた。
「アンドレアちゃん。わたくしと一緒にお風呂に入りましょう。ね? 思う存分、女性の身体を見ていいのよ」
「お言葉ですが、お母様」
アンドレアは冷たい視線を母上に浴びせた。
「お姉様とお母様とでは、身体は身体でもまったく違います。月とウジ虫、太陽と嘔吐物です」
「ひどい……」
母上は自分の豊満な胸を抱き、唇を噛み締めた。
「あなたには、成熟した女性の魅力がわからないのね。もしどうしても若い娘がいいのなら、メイドに命じて、アンドレアちゃんと一緒にお風呂に入らせます。それで我慢してちょうだい」
「メイドと……」
アンドレアが遠い眼をした。
やがてーー
「わかりました」
ロープをほどき、慰霊塔から歩いてきた。
「お母様がそこまで言うのなら、それで我慢します」
(アンドレア……)
私は弟の眼を見たが、弟は決してこちらを見ようとはしなかった。