表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/40

11.魔女の棲む墓地


 エディの消えたサクラの巨樹の下に立った。

 大きく伸びた枝に、緑の葉がいっぱいに繁っている。

 秋にはこの葉が赤や黄色に変わる。


(春のサクラはもちろん見事だけど、夏や秋のサクラもとっても好き。この樹の下でゆっくりと過ごす時間は、何かとても贅沢なもののように感じられる……)


「ジュリア!」


 ゆっくりと時間を過ごすことは、できなかった。

 こちらに向かって息せき切って走ってきたのはーー


「お父様。どうされたのですか?」


 リカルドお父様は、夏でもコートを羽織ることを好む。そのせいで、鼻髭の先から汗をしたたらせていた。


「ジュリア、好きだ」

「存じております」

「庭でお前を見かけたら、我を忘れて走ってきてしまった」

「……ありがとうございます」

「心臓がバクバクだよ」


 父上が、「さあ、触ってみろ」という感じに左胸を指差したが、私は鈍感を装って無視した。


「ほれ、ドックンドックンと、熱い血潮が波打っておる」

「今日は特別に暑いですから」

「えー、ところで男子は母親に似て、女子は父親に似るという誠に喜ばしい金言がある。わしとお前は、どこがいちばん似ているかな?」

「はい。眼と鼻、あとは、口と耳でございましょうか?」


 それぞれ、同じ数だけついているという意味だったが、父上はひどく満足したように頷き、


「ここまで似ると、もうわしとお前は同じだと言ってもよい。お前はわしの一部、わしはお前の一部だ。お前は自分の身体を大切に労っているか?」

「……はい」

「わしもそうだ。自分の身体をわしは愛している。すなわちわしは、お前の身体も愛しているのだ!」


 走って逃げようか、と思ったが、父上の手が私の腕をつかむほうが早かった。


「お父様、やめて下さい。痛いです」

「溺愛が止まらないんだ」

「離して下さい。いけないことです」

「いけない? 何が?」


 父上がポカンとした。本当に、何がいけないかわかっていないらしい。


「ジュリアよ。お前は勘違いしている。わしは今、こっそりと小遣いをやろうとしたのだ」


 そう言うと、私の手に何かを押しつけてきた。


「……これは、何でございましょう?」

「手のひらを開いて見るがよい」


 言われた通りにすると、ピンクの石が嵌まった指輪があった。


「これが、お小遣いですか?」

「嵌めてもよいし、売ってもよい。どうせどんな宝石も、お前の輝きの前にはくすんでしまうのだから」


 手の上で、ピンクの宝石は尋常ではない光を放っていた。


「これほどの石は、王宮の舞踏会に出席したときも見たことがありません。よほどの価値があるのではないですか?」

「まあ、小国なら丸ごと買えるほどの値がつく。でも値段なんて気にするな」

「気にします! 私なぞが、こんな高価なものを」

「私なぞ?」


 父上の髪が、まるで鬼神のごとく逆立った。


「よいか! お前の魅力を1つずつ書いていったら、とても1冊の本に収まらん。いや、1つの図書館にも収まらん。いや、1つの国、いやいや、全宇宙にも収まりきらんのだ!」


 父上は興奮のあまり、シャツの胸元を引き裂いた。

 そのとき、


「あなた」


 パトリシアお母様が、この場に現れてくれた。


「いったいどうなさいましたの? いくら陽射しが強いからといって、シャツをお破りなさるなんて」


 すると父上が、一瞬にして不機嫌になった。


「何か文句があるか。このシャツは、わしが自分の金で買ったものだ」

「そうですが、何も無駄になさらなくても」

「無駄? なぜお前がそんなことを決めつける」


 父上が、ねちっこく母上を責める。


「だいたいお前は、シャツのことを気にして、シャツを破るに至ったわしの気持ちのことなど考えもせん。そういうところが、わしは嫌いなのだ」

「嫌いだなんて……そんな身も蓋もない言い方をされたら、わたくしもさすがに傷つきます」

「ほら。また自分のことばかり言う。わしの気持ちは訊かんのか?」


 母上が、指でそっと涙をぬぐった。


「……どんな気持ちで、シャツをお破りになったのですか?」

「それはもちろん、ジュリアを溺愛しているからだ!」


 気まずい沈黙が降りた。


「何だ。文句があるか?」

「いえ。何もございません」

「嘘つけ。不満だらけの顔をして。コラッ!」


 父上が母上を折檻しようとして、手を振り上げた。


「お父様、やめて!」


 声を振り絞った。


「私を愛してるなら、私のお母様をぶたないで! お願い!」


 父上は母上をぶった。

 母上は後ろにひっくり返った。


「すまない!!」


 父上は全力で、私に土下座した。


「ジュリアよ、許してくれ! お前の懇願は聞こえたが、その前に手が動いてしまっていたのだ。本当にすまない」

「私よりお母様に謝って!」

「ああ、ごめん」


 父上は立ち上がると、母上の手を引いて強引に起こした。


「悪いな。でも、わざとやったんじゃないから」


 母上は焦点の定まらない眼を父上に向け、


「わざと……じゃない?」

「うん。何て言うか、間違って手が当たっちゃって」


 母上は、もはや諦め切った顔をして、


「わざとでないならいいです。赦します。それよりわたくしは、レオナルドちゃんとアンドレアちゃんのことが心配で」


 2人の息子を溺愛している母上が、眉を曇らせて言った。


「あの子たち、おかしな空想に取り憑かれてしまったようなの。何でも、魔王が奇術師イリュージョニストに化けて、ジュリアを消そうと狙っているとか」


 すると父上が飛び上がった。


「何っ、魔王が!?」

「ね? おかしいでしょ。それで、魔王よけのアイテムを入手するために、魔女が棲むという噂の場所に行くとか何とか、さっぱりわけのわからないことを言って」

「無名戦士の墓場だ!」


 父上が、サクラの葉が揺れるほどの声で叫んだ。


「あの墓地に、怪しげな老婆が出没するというのは有名な話だ。おそらく魔女は、あそこの慰霊塔に棲んでいるのだろう。そうか、レオナルドとアンドレアは、命懸けで魔女と取り引きをーー」

「やめさせて!」


 母上が、泣きながら父上のコートに縋りついた。


「肝試しじゃあるまいし、そんな不気味な墓地に行かせないで! 急いで連れて帰ってきて下さいな!」

「お前とジュリアも来い!」


 父上が、蒼褪めた顔を振り向けて言った。


「なーに、魔女など怖くはない。それよりも、魔王がジュリアを狙っているというのが問題だ。わしらは例え死んでも、魔王よけのアイテムを入手しなければならん。さあ、行くぞ。いざ無名戦士の墓場へ!!」


 仕方なく父上のあとから走り出したとき、


「あなたのせいで、みんな死ぬかもしれないわ。本当に罪な娘ね」


 お母様から吐き棄てるように言われて、胃がキリキリと痛んだ。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ