11.魔女の棲む墓地
エディの消えたサクラの巨樹の下に立った。
大きく伸びた枝に、緑の葉がいっぱいに繁っている。
秋にはこの葉が赤や黄色に変わる。
(春のサクラはもちろん見事だけど、夏や秋のサクラもとっても好き。この樹の下でゆっくりと過ごす時間は、何かとても贅沢なもののように感じられる……)
「ジュリア!」
ゆっくりと時間を過ごすことは、できなかった。
こちらに向かって息せき切って走ってきたのはーー
「お父様。どうされたのですか?」
リカルドお父様は、夏でもコートを羽織ることを好む。そのせいで、鼻髭の先から汗をしたたらせていた。
「ジュリア、好きだ」
「存じております」
「庭でお前を見かけたら、我を忘れて走ってきてしまった」
「……ありがとうございます」
「心臓がバクバクだよ」
父上が、「さあ、触ってみろ」という感じに左胸を指差したが、私は鈍感を装って無視した。
「ほれ、ドックンドックンと、熱い血潮が波打っておる」
「今日は特別に暑いですから」
「えー、ところで男子は母親に似て、女子は父親に似るという誠に喜ばしい金言がある。わしとお前は、どこがいちばん似ているかな?」
「はい。眼と鼻、あとは、口と耳でございましょうか?」
それぞれ、同じ数だけついているという意味だったが、父上はひどく満足したように頷き、
「ここまで似ると、もうわしとお前は同じだと言ってもよい。お前はわしの一部、わしはお前の一部だ。お前は自分の身体を大切に労っているか?」
「……はい」
「わしもそうだ。自分の身体をわしは愛している。すなわちわしは、お前の身体も愛しているのだ!」
走って逃げようか、と思ったが、父上の手が私の腕をつかむほうが早かった。
「お父様、やめて下さい。痛いです」
「溺愛が止まらないんだ」
「離して下さい。いけないことです」
「いけない? 何が?」
父上がポカンとした。本当に、何がいけないかわかっていないらしい。
「ジュリアよ。お前は勘違いしている。わしは今、こっそりと小遣いをやろうとしたのだ」
そう言うと、私の手に何かを押しつけてきた。
「……これは、何でございましょう?」
「手のひらを開いて見るがよい」
言われた通りにすると、ピンクの石が嵌まった指輪があった。
「これが、お小遣いですか?」
「嵌めてもよいし、売ってもよい。どうせどんな宝石も、お前の輝きの前にはくすんでしまうのだから」
手の上で、ピンクの宝石は尋常ではない光を放っていた。
「これほどの石は、王宮の舞踏会に出席したときも見たことがありません。よほどの価値があるのではないですか?」
「まあ、小国なら丸ごと買えるほどの値がつく。でも値段なんて気にするな」
「気にします! 私なぞが、こんな高価なものを」
「私なぞ?」
父上の髪が、まるで鬼神のごとく逆立った。
「よいか! お前の魅力を1つずつ書いていったら、とても1冊の本に収まらん。いや、1つの図書館にも収まらん。いや、1つの国、いやいや、全宇宙にも収まりきらんのだ!」
父上は興奮のあまり、シャツの胸元を引き裂いた。
そのとき、
「あなた」
パトリシアお母様が、この場に現れてくれた。
「いったいどうなさいましたの? いくら陽射しが強いからといって、シャツをお破りなさるなんて」
すると父上が、一瞬にして不機嫌になった。
「何か文句があるか。このシャツは、わしが自分の金で買ったものだ」
「そうですが、何も無駄になさらなくても」
「無駄? なぜお前がそんなことを決めつける」
父上が、ねちっこく母上を責める。
「だいたいお前は、シャツのことを気にして、シャツを破るに至ったわしの気持ちのことなど考えもせん。そういうところが、わしは嫌いなのだ」
「嫌いだなんて……そんな身も蓋もない言い方をされたら、わたくしもさすがに傷つきます」
「ほら。また自分のことばかり言う。わしの気持ちは訊かんのか?」
母上が、指でそっと涙をぬぐった。
「……どんな気持ちで、シャツをお破りになったのですか?」
「それはもちろん、ジュリアを溺愛しているからだ!」
気まずい沈黙が降りた。
「何だ。文句があるか?」
「いえ。何もございません」
「嘘つけ。不満だらけの顔をして。コラッ!」
父上が母上を折檻しようとして、手を振り上げた。
「お父様、やめて!」
声を振り絞った。
「私を愛してるなら、私のお母様をぶたないで! お願い!」
父上は母上をぶった。
母上は後ろにひっくり返った。
「すまない!!」
父上は全力で、私に土下座した。
「ジュリアよ、許してくれ! お前の懇願は聞こえたが、その前に手が動いてしまっていたのだ。本当にすまない」
「私よりお母様に謝って!」
「ああ、ごめん」
父上は立ち上がると、母上の手を引いて強引に起こした。
「悪いな。でも、わざとやったんじゃないから」
母上は焦点の定まらない眼を父上に向け、
「わざと……じゃない?」
「うん。何て言うか、間違って手が当たっちゃって」
母上は、もはや諦め切った顔をして、
「わざとでないならいいです。赦します。それよりわたくしは、レオナルドちゃんとアンドレアちゃんのことが心配で」
2人の息子を溺愛している母上が、眉を曇らせて言った。
「あの子たち、おかしな空想に取り憑かれてしまったようなの。何でも、魔王が奇術師に化けて、ジュリアを消そうと狙っているとか」
すると父上が飛び上がった。
「何っ、魔王が!?」
「ね? おかしいでしょ。それで、魔王よけのアイテムを入手するために、魔女が棲むという噂の場所に行くとか何とか、さっぱりわけのわからないことを言って」
「無名戦士の墓場だ!」
父上が、サクラの葉が揺れるほどの声で叫んだ。
「あの墓地に、怪しげな老婆が出没するというのは有名な話だ。おそらく魔女は、あそこの慰霊塔に棲んでいるのだろう。そうか、レオナルドとアンドレアは、命懸けで魔女と取り引きをーー」
「やめさせて!」
母上が、泣きながら父上のコートに縋りついた。
「肝試しじゃあるまいし、そんな不気味な墓地に行かせないで! 急いで連れて帰ってきて下さいな!」
「お前とジュリアも来い!」
父上が、蒼褪めた顔を振り向けて言った。
「なーに、魔女など怖くはない。それよりも、魔王がジュリアを狙っているというのが問題だ。わしらは例え死んでも、魔王よけのアイテムを入手しなければならん。さあ、行くぞ。いざ無名戦士の墓場へ!!」
仕方なく父上のあとから走り出したとき、
「あなたのせいで、みんな死ぬかもしれないわ。本当に罪な娘ね」
お母様から吐き棄てるように言われて、胃がキリキリと痛んだ。