10.秘密の奇術
「エディ!」
小さく叫んで、素速く辺りを見た。
近くにいるのは鳥だけで、庭師などの姿はないーー良かった。
「またうちの庭に忍び込んだのね? どうしてエミューに化けたりしたの?」
エディーー幼馴染のエドモンド・アラベスターは、冒険者になりたくて訓練をしている。きっとこの変装も、その訓練によってできるようになった一種の「術」なのだろう。
エミュー(エディ)は長い首を伸ばして、くちばしをカタカタ鳴らした。
「エミューの鳥言葉って知ってるかい?」
「もちろん知らないわ」
「ズバリ【努力家】さ。俺に相応しいだろう? 8歳のときから10年かけて、エミューの術とダチョウの術とコウテイペンギンの術を会得したんだから」
その努力、もっと別の方向に向けてほしい。
「エミューに化けて、何かいいことあった?」
「エミューレースで優勝した」
「あら、駄目よ。そんなの反則じゃない」
「ほかにもいいことはある。こうしてレヴォワール公爵様の御令嬢に、背中を撫でられる光栄に浴したからな」
頬がカッと熱くなった。
(そうか。エミューの羽を撫でたつもりが、本当はエディの背中をスリスリしていたのね……)
エディの馬鹿。
この手、洗えないじゃない。
手が臭くなったらどうするの?
ねえ、エディ。
大好きだよ。
女の子をこんなに切なくさせて……
いつか必ず、責任とってよね!
「なあ、ジュリア」
エミューが、どこを見ているかわからない眼で私を見た。
「デイビッド・フーディエ子爵がジュリアを狙ってるのは、どうやら本当らしいな」
「……どうしてそれを知ってるの?」
「奇術クラブで噂を聞いた。だから急いでここに忍び込ませてもらったのさ」
忍び込み方が、ちょっとトリッキー過ぎるのよ、エディ。
「奇術クラブって何?」
「奇術好きが集まる店。俺はよく行くんだ」
「どうしてそんなお店に?」
「奇術のタネを知れば、冒険者の技にも応用できるんじゃないかと思ってね」
「何か役に立った?」
「今のところは、ない」
エミューはそう言うと、首を前後にひょこひょこさせた。
「まあ、役に立たなくてもいいんだ。単純に奇術が好きだから」
「じゃあ、フーディエ子爵の舞台は見たことある?」
「あるよ。象を消した。あれは不思議だったなー」
「タネはわからない?」
「まったく。一瞬だもん。消します消しますってフーディエが唱えたら、スッて消えた」
「……箱か何かに入れて?」
「いや。ステージの上で」
「大きな布で覆ったりして?」
「いや。何も被せないで」
私は首を捻った。
「ステージの象が、みんなの見ている前で消えたの?」
「そうだよ。本当に、いきなり見えなくなったんだ」
「不思議ねえ……ほかにもフーディエの奇術を見たことはある?」
「ある。エッシャー塔を消した」
「あ、あの有名なのを見たのね。どうだった?」
「じーっとエッシャー塔を見てたんだけど、フーディエが消します消しますと言ったら消えた」
不思議過ぎる。タネは想像もつかなかった。
エミューが目玉をギョロッとさせて言った。
「レオナルドさんが、フーディエを魔王と信じた気持ちもわかる。俺だって、奴が普通の人間とは思えなかったもの」
「だけど、奇術には必ずタネがあるでしょう?」
「とは限らない。例えば、レベルの高い冒険者なら、【消す】のコマンドで魔獣を消し去ることもできる」
また変なことを……と私は思った。
「フーディエ子爵は、実は冒険者だって言うの?」
「可能性はある。だけど、バトル以外でコマンドを使うのは邪道だけどね」
「それに、消したのは魔獣じゃないでしょ? 豪華客船を消したこともあるのよ」
「うーん。さすがにコマンドで船は消せないか……やっぱり彼は、魔王みたいな邪悪な力の持ち主なのかもしれないな」
魔王って、奇術師に化けるほど暇なのかしら? お兄様もエディも、発想がどうも少年っぽい気がする。きっと男の人って、いつまで経っても心は少年なのね。
「私は、どんなに不思議でも、タネはきっとあると思う。お兄様は、魔王よけのアイテムを探すつもりみたいだけど」
「魔王よけのアイテムなんかない。魔王には、正々堂々と戦いを挑むのみだ!」
身体の大きなエミューが興奮して羽ばたいたので、鳥たちがパニックになって金網の中を飛び回った。
「落ち着いて、エディ。ところでフーディエ子爵は、どうして私を消すなんて言ったのかしら?」
エミューは羽ばたきをやめて言った。
「うん。奇術クラブで聞いた話だと、フーディエ子爵は美人の噂を聞くと、どうしても会って消したくなるそうなんだ」
「どうしても消したく……それって、どういう心理?」
「美しい女性を、完全に自分の思い通りにしたいんだろうな」
エミューが地面を激しく踏みつけて、怒りを表した。
「フーディエは確かにすごい。だけど、女性の尊厳なんて考えちゃいない。望んでないのに勝手に消されたら、みじめだろう? 俺はジュリアをやつの好きにはさせない」
「エディ……」
今の言葉は本当?
あなたは他の男性に、私を好きにさせたくないのね。
ってことは……私を好き?
ねえ、聞いて。
私もあなたが好きよ。
もうあなたしかいない。
だから、エディーー
あなただけは、私を好きにしていいのよ。
「こうしちゃいられない」
エミューが、膝をカクカクさせて走りだした。
「どこに行くの、エディ?」
「決まってるだろ」
エミューはくちばしで、器用に入口のかんぬきを抜いてしまった。
「お前を消させはしない。フーディエに、そう告げてくるのさ!」
エミューはそう言い放つと、庭のサクラの巨樹の陰にサッと消えた。
エディ……
フーディエ子爵なんかほっといて、あなたがこの家から私を消してよね、馬鹿。