1.伯爵様に狙われた私
初めての異世界恋愛物です。
どうぞよろしくお願いします。
レヴォワール家に生まれてきたことを、何度呪ったろう?
アラン王国広しと言えども、私より不幸な女はおそらくいない。
同じ時期に社交界デビューしたお友達は皆、恋を愉しんだり、または恋の予感に胸を膨らませたりして、頬を紅く染めている。
それは乙女の特権である。女に生まれたからにはーーそれも華やかな貴族階級に生を享けたならば、恋の気分に浸る幸せを思う存分味わうべきなのだ。
しかし私に、それは許されていない。
「ジュリア、捜したぞ。どこにいたんだ?」
レオナルドお兄様のはしばみ色の瞳が、大いなる憂いを湛えて私をひたと見据える。
その瞳に込められた想いを読み間違えることは、万に一つもない。
溺愛ーー
文字通り、お兄様は2歳年下の実の妹に対する愛に溺れている。
「ささ、捜したぞ。お、お前が、部屋にいないから」
言葉が吃るのは、お兄様が興奮しているときの癖だ。
私への愛が溢れんばかりに込み上げてきて、息をするのも苦しくなっているのである。
「落ち着いて下さい、お兄様」
応じる私の声も震えている。
お兄様の愛がーー怖いのだ。
(レヴォワール家の男子は、その家に生まれた女子を愛して愛して愛し抜く。それは由緒あるレヴォワール家の伝統であり、血が代々伝える宿痾なのだ)
アラン王国でも屈指の名士として知られるリカルドお父様が、かつて涙ながらにそう語ったことがある。
宿痾とは、要するに治らない病気のこと。
レヴォワール家の男子の私に対する溺愛は、一生終わることがない。
嗚呼ーー私はどうしてこんなにも不幸な星の下に生まれてしまったのか! 家族の男子すべてに溺愛されるがゆえに、自由な恋愛をする権利など、私からは永遠に剥奪されているのだ!
「お兄様、そのように私を捜し回るのはおやめ下さい」
意を決して懇願した。
するとレオナルドお兄様は、まるで雷属性の魔獣に触れたかのようにビクッとした。
「ささ、捜すのをやめろと言ったって、俺はお前に大事な用があって部屋に行ったのだ」
レオナルドお兄様は額に汗を浮かべていた。
その様子はーー異常。
妹の私が言うのもおかしいが、お兄様は美形だ。
スタイルも良い。会話やマナーなどの社交術も超一流である。
だから二十歳になったばかりなのに、毎月のように縁談の話が持ち込まれる。
それはそうだろう。かのレヴォワール家の長子なのだ。娘の容姿に自信のある親は、どうにかして姻戚関係になろうと露骨に売り込みをかけてくる。
お嬢様方も、レオナルドお兄様にはほとんど一目惚れする。レオナルド・レヴォワール侯爵様(父上は公爵だが、お兄様は成人を迎えると同時に、父上の爵位を一つ下げた侯爵を名乗るようになった)のハートを射留める幸運な娘は誰かーーそれが最近の社交界でもっとも大きな話題の一つだったが、残念ながらお兄様のハートにはすでに深々と矢が突き立っている。
その矢は勝手に私から放たれた。射留める気なんかこれっぽっちもないのに……
「大事な話って何ですの、お兄様?」
レオナルドお兄様は、私にお兄様と呼ばれるたびに、少し身体を震わせる。まるで初めて恋を知った、貴族学園の低学年の男子のように。
「大きな声では言えない。もう少し近くに来てくれ」
私たちがいたのは、城の中庭である。部屋にいると、しょっちゅう父上やお兄様や弟が訪ねてくるので、私は息が詰まってきてよく庭を散歩するのだ。
中庭には花や木がたくさん植えてある。薔薇、桃、ブーゲンビリア、チューリップ、ハナミズキ。それぞれ花言葉は、【あなたを愛しています】【あなたに夢中】【あなたしか見えない】【永遠の愛】【私の想いを受け止めて】ーーこれもまたレヴォワール家に代々伝わる、暑苦しい「溺愛の花園」であった。
「誰も聞いている人はいません。そこで話して下さい」
お兄様の近くには寄らなかった。距離を縮めることに恐怖感があったから。
お兄様は長い睫毛を伏せて言った。
「由々しいことだ、ジュリア。お前を狙う、不埒な男が現れた」
心臓がドキンと音を立てた。
「それは……誰ですの?」
ストレートに訊いた。お兄様は拳を固く握り、
「チャールズ・イーリイ伯爵だ。噂は聞いてるだろう?」
溺愛の花園に、凍った風が吹いたように感じた。
「……イーリイ伯爵様って、あの、吸血鬼の?」
「ああ。奴はこの頃近しい者たちに、お前を嫁にしたいと洩らしているそうだ」
もちろんチャールズ・イーリイ伯爵様は、本物の吸血鬼ではない。
狙った娘は必ずものにするーーその鮮やかさと強引なプレイボーイぶりから、多分に嫉妬を込めてそのような仇名がつけられたのだ。
しかし私は、伯爵様のことはよく知らない。舞踏会や晩餐会で何度か言葉を交わした程度。それも父上やお兄様の眼が光っているので、軽く挨拶をしたくらいだ。それで結婚を考えてしまうなど、さすがプレイボーイの勘違いというか、根拠のない自信に溢れ過ぎている。
「イーリイの野郎、お前の美貌にすっかりイカれちまったらしい。お前と結婚したら、もう女遊びをやめるとほざいたそうだ。だが信じるなよ。あいつは人の心を失った吸血鬼だ。決してお前を溺愛することはない!」
レオナルドお兄様の瞳は燃えていた。
そして恐ろしいことを告白した。
「だから俺は、決闘を申し込んだ。当たり前だろう? 誰であろうと、お前に指一本でも触れようと思うなら、このレオナルド・レヴォワールを斃してからにしろってんだ!」
血の気が引いて後ろによろめいた。
「そんな、お兄様。決闘だなんて!」
「止めても遅い。俺は奴の鼻面に手袋を叩きつけてきた。もう介添人も頼んである。明日の午後3時、場所はアボニーの丘だ」
「明日ですって?」
「そうだ。時間はもうない。今からアンドレアを連れて、森で射撃の練習をしてくる」
お兄様はくるりと背を向けた。
私のために命を捨てるーーその悲愴な決意が、襟の大きなコートを羽織った背中から漂い出ていた。
アンドレア……まだ15歳の弟を連れて射撃の練習だなんて、どうにも頼りない。対する「吸血鬼」チャールズ・イーリイ伯爵は、いかにも百戦錬磨の強者という感じがする。
しかし私は、身勝手なことながら、少しほっとしていた。
お兄様が「お前を狙っている不埒な男がいる」と言ったとき、別の男性の顔が浮かんで、心臓が高鳴ったのだ。
(まさかあの人のことがバレたのか……と思ったけど、違ったみたい。もしあの人とお兄様が決闘するなんてことになったら、それこそ私の心は張り裂けてしまう)
と、白いブラウスの胸のフリルを握り締めたとき、
「ジュリア、大変なことになったなあ」
近くで声がしてハッとした。
あまりのことに硬直して動けない。すると薔薇の繁みがガサッと動き、
「ここに隠れて、全部聞かせてもらったよ」
あの人が、いたずらっぽい顔を覗かせた。