戦うお馬さん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ああ、こーちゃん、お疲れ様。もうあの子たち、眠ってくれたかしら?
ありがとね、子供たちのお馬さんごっこを引き受けてくれて。あの子たち、ちょーっと育ちが良すぎるのよねえ。
年齢的には、お馬さんごっこや肩車をしてもおかしくないんだけど、もうこちらは腰や肩にガタが来るわ来るわ……主人なんか、次の日が休みじゃないと付き合ってくれなくて。
その点、今日はこーちゃんがいてくれて助かったわ。どう? お礼にいっぱい飲んでく?
――それもいいけれど、何か面白い話があったら聞きたい?
ふふ、こーちゃんは相変わらず熱心ね。
そうねえ、じゃあタイムリーにお馬さんごっこについての話にしようかしら。
このお馬さんごっこ、かなり昔から育児の一環として取り入れられていたみたいなの。
昔は今より、馬にまたがる機会が多かったでしょうからね。子供たちもさることながら、大人たちもそれに協力していたわ。
こーちゃんも味わった通り、お馬さんごっこはなかなかの加重トレーニング。それが子供のうちならまだしも、大人になってからとなれば……。
でも、大人たちはそれをやった。たとえ戦がないときであっても、どのような災害がいつ起こるとも分からない。人を負ぶう、それも自分が万全といえる状態でない恐れも、皆無ではない。
無理のある体勢であっても、双方が生き延びられる可能性を少しでもあげるため。そのような建前で、大人と大人のお馬さんごっこも、避難訓練の一環として行われたらしいのよね。
――建前がそうなら、本音はどうなのかって?
それは、お馬さんごっこが大いに広まる一端となったという、とある武家に起きた事件と絡めて、お話ししましょうか。
当時の武家において、弓馬の扱いは必須事項だったわ。
その武士の一族にいたひとりの剛将は引く弓の強さ、馬をならす剛腕を併せ持ち、戦場では無類の強さを誇っていたわ。言い伝えによれば、彼の引く弓は一矢で三人の身体を貫いた上で、背後にある大木へ釘付けにするほどだったとか。
その彼も、時の運には勝てなんだか。乱戦に持ち込まれた際に、太ももあたりを斬られてしまったらしいのね。
その出血は激しいもので、とうてい一人では押さえられなかった。退避した彼に、何人もが集まって処置をしたものの、予断を許さない状態が続いたとか。
帰還し、生きて布団に寝転がれるところまでもったのが、ほぼ奇跡のような状態。それでもまだ出血は止まり切らず、緊縛を行いながら、定期的に縛りを緩めて、どうにか壊死を防ぐのがせいぜいだったとか。
介抱を受けつつも、もうろうとした意識の中で、かの武士は思ったわ。いやに自分の命に手をかけてもらえるものだな、と。
自分が少しく、人より力が強いことは知っている。しかし人智を超える怪物とはほど遠く、複数に囲まれれば、このような醜態をさらしてしまう。結局は人ひとりの範疇に過ぎないこと。
なのに、自分を世話してくれるのは家を総出で、数十人はくだらなかった。
――俺ひとりに、ここまで手を尽くしていては、いざというときに後れをとる。さっさと見切りをつけて、各々の技を磨く時間にあてろ。
個よりも家を重視する時代。自分一人が蟻の一穴となって、家が崩れるようなことは避けようと、彼はこのような旨を皆に伝えていたみたい。
けれど、彼の命は大切にされ続けていたわ。そして彼の容態が落ち着いている時などは、主だった家族が声をかけていく。
「馬ごっこはできそうか?」と。
確かに本来の馬に乗るのは危ないことでしょう。しかし、人を使った復帰訓練が、ケガをおすほどの急務なのかと、彼は疑問に思い続けていたのだとか。
彼の眠りは、毎日、とても深いものだったそうよ。
意識のある時はいつもさいなまれる痛みが、夕食の後はそれに勝る眠気におされ、消え去ってしまう。知覚と一緒にね。
眠り薬が使われているのは、間違いなかったわ。けれど、その晩はどうやら効き目が弱まっていたらしいの。
彼は揺さぶられる感覚に目を覚ます。
真っ暗な道場。そこで彼は四つん這いになった当主に、またがっているのを知ったわ。
ゆったりと四足の姿勢のまま、自分を乗せて歩いていく当主。その恐れ多さは、彼をおののかせるに十分だった。
いかなるときも、忠義を誓い、盛り立てていくべき相手。それがいかなる事情があろうと、自分の下に置くなどと、許されるはずがない――。
即断した彼は、足の痛みをこらえながら、すぐさま横倒しに、板敷きへ転がり落ちる。
察した当主は、目を剥きながら彼を見てくるけれど、彼自身もまたまなこを見開くことになったわ。
寝間着からむき出しになった両足。その指たちがみるみる黒くなったかと思うと、指同士が固まり、動かせなくなっていく。
更に足の甲、足首、その上までも、たちまち茶色い毛が生えてくるとともに、どんどんと細くなっていって――。
「いかん」と、当主が動けずにいる彼を担ぎ、再び自分の背に乗せたわ。
足はたちまち、先ほどまでのような、見慣れた自分のものへ戻っていく。けれど、彼が目にしたあの足の姿は、まさしく馬そのもの。
そのままで聞け、と当主が命じたうえで話してくれたわ。
自分たちの一族は、はるか以前より、馬と化してしまう者が現れる。病か呪いによるものかは、もはや伝わっていない。
ただ、頻繁にこうして触れあい、人の気を強く保たねば、馬へと変じてしまう恐れがあるのだと。そして特に、人としての血を流しすぎた者には顕著に現れてしまうのだとか。
「お前は家になくてはならない存在だ。力はもちろん『人』としてな。それをむざむざ馬へ堕とすわけにはいかん」
やがてケガを回復した将は、天寿をまっとうすることができたわ。
かの武家は長く続き、戦国時代に入っても健在だったとか。しかし、直接戦に出る機会は減り、もっぱら良質な馬を用意する家として重宝されるようになったわ。
当時、背が低くなりつつあった武士たち。その彼らにぴったりか、それでも足をついてしまうほどの、コンパクトな馬たちをね。